転生者・暁 遊理の決闘考察   作:T・P・R

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プロローグ

私こと(あかつき) 遊理(ゆうり)がこの世界に生を受けて早くも12年が過ぎました。

 

自身が前世の記憶を持つ、いわゆる転生者であることを自覚したのは3歳のころです。

前世の記憶が蘇ると同時に、この世界が漫画『遊戯王』の世界であることにも気づきました。

 

戸惑いは思いのほか少なかったですね。

というより、思い出した前世の記憶があまりに断片的すぎてイマイチ戸惑えなかったというのが正しいかもしれません。

前世の名前はおろか性別すら不明。

当然、前世の両親の事なんて欠片も記憶になく、現在の両親との不和に悩むこともありませんでした。

そんな穴だらけな記憶だったがためか、精神年齢が不自然に高くなることもなく年相応に育って……今に至ります。

 

むしろ、これだけ他の記憶が曖昧なのにデュエルモンスターズの知識だけはっきりしていることの方が不思議ですね。

よほど好きだったのでしょうか。

 

閑話休題。

いくら断片的とはいえ、前世の知識があることが遊理の人生に全く影響を与えなかったかと言われたらそうでもないわけで。

 

まず前世と遊戯王(こんせ)の違いはありありと感じさせられました。

まるで野球やサッカーなどのワールドスポーツのごとくカードゲームがド氾濫した世界。

 

最初は楽勝だと思いましたね。

カードゲームで強くなるだけで勝ち組になれる世界なんてチョロイにも程があると考えました。

 

……浅はかなり。

チョロイのは私の方でした。

 

というのも、前世の漫画の世界を模しただけのオフィシャルカードゲーム『遊戯王デュエルモンスターズ』と、本場本物の『デュエルモンスターズ』はまるっきり別物だったのですよ。

 

まず、カードが違います。

前世ではそれは材質的には何の変哲もないただの紙でしたが、この世界のカードはただの格好いい絵の描かれた紙じゃないのですよ。

 

何とも信じがたいことに、迷信とか思い込みとかの話ではなく純然たる事実としてカードに精霊が宿っているのです。

当然、そんな特別なカードであるが故にカード単価も前世とは比べ物にならないわけで。

デッキに必要なカードをそろえるだけでも一苦労なのです。

この世界において、カードデッキは財布より重いのですよ。

 

おまけに、宿る精霊の格が影響するためか、カードに物理的重量とかカード効果とはまったく異なる“重さ”が発生するわけで。

 

例えば、仮に上級モンスターカード『ブラックマジシャン』39枚と、低級モンスターカード『クリボー』1枚を混ぜて、合計40枚のカードの束を作り、それをシャッフルして上から1枚ドローしたとしましょう。

 

確率的に考えるなら、これでクリボーを引き当てる確率は40分の1です。

前世であれば。

 

しかし、カードごとに“重さ”が異なるこの世界だとその常識は通用しません。

上級モンスターで“重たい”カードであるブラックマジシャンはデッキの下の方に沈み込み、逆に軽いクリボーはデッキの表面に浮かび上がるのです。

結果、何度やっても、単純な確率では40分の1であるにも関わらずクリボーしかドロー出来ないというおかしな現象が発生しちゃいます。

 

物理法則や確率論なんかまるで機能していない、究極のオカルトなのです。

おまけに宿る精霊には重さ以外にも相性などもあるらしく、精霊(カード)の組み合わせによってはシナジーとかの問題以前に全く馴染まなかったりするのです。

 

さて、そんな事実を踏まえて、

前世における精霊の重さや相性などを完全無視した、所謂ガチデッキを組んだらどうなるか……

 

事故る。

 

事故る。

 

とにかく事故る。

 

もし仮に確率的には99パーセント事故らないという奇跡のデッキを組めたとしても、残りの1パーセントを確実に引き当てて事故ってしまうのですよ。

 

例えるなら、あれです。

個々の選手の性格をまるで考慮せず能力だけで選抜された野球チームみたいなものです。

チームワークなんてどこにもなく連携(コンボ)なんてとても出来るわけがないのでした。

 

意気揚々とガチデッキを組んで、好きなカードでデッキを組んでいる人たちを上から目線で素人扱いし、何十何百とデュエルして…その全てに敗北し続ける事3年ちょっと。

ようやくその事実を実感し、受け入れることが出来ました…浅はかなり。

 

もっとも、監督が余程の名監督ならこの世界におけるダメデッキでもそれなりに使いこなせたりするみたいですが。

この場合、監督にあたるのはデッキの使い手、すなわち決闘者(デュエリスト)の事ですが……悲しきかな私には監督(デュエリスト)の才能はなかったのですよ。

 

カードに宿る精霊同士の相性や重さも計算してデッキを組んでみたりもしてみたんですが、私には終ぞ回すことが出来ませんでした。

そのデッキと使いこなす才能が私にはなかったのです。

現在、そのデッキは弟が使用中。

結構使いこなしてます。

かなり強いのだとか。

 

気づけば私は『決闘(デュエル)は弱いけど、デッキ構築は上手い女の子』として近所で評判になってました。

…どうしてこうなったし。

 

神様はどうしてデッキ構築の才能だけじゃなくて決闘(デュエル)の才能もくださらなかったのか…

 

というか、この両者の才能がセットじゃなかったという事実にびっくりですよ!

 

そう、何はともあれ才能です。

才能で決まっちゃうんです。

 

運に才能も実力もあったもんじゃない、という常識が通用したのは前世での話です。

この世界では比喩でも慰めでもなくマジで『運も実力のうち』なんです。

 

というのも、この世界の人間は皆生まれながらに『確率を操作する程度の能力』を個人差あれどデフォルト装備しているらしいのですよ。

 

言い換えれば、人間の能力をゲームキャラクターなどにあるステータスで表現した場合、筋力、知力、などの数値に混じって幸運(ラック)があるといいますか。

 

しかも信じがたいことに筋力や知力同様、幸運もレベルアップする…つまりは鍛えることが出来ちゃうのです。

道行く迫力満点のボディビルダーみたいなムキムキのマッチョマンが決闘(デュエル)でも強かったりするのはそういうわけですね。

 

この世界にいるプロデュエリストはまさにその幸運を鍛えに鍛えまくった奴らなのですよ。

スポーツ選手が体を鍛えるのと理屈は全く同じです。

 

そんな鍛え研ぎ澄まされた確率操作能力者同士のカード対決は、もはや単なるカードめぐりの運勝負にはなりえません。

自分にとって都合のいい可能性の奪い合いになるのです。

どこの世界のイザ○ギですか。

 

決闘者(デュエリスト)間の幸運の値が極端だったら、ほとんどの場合強い側の先行ワンターンキルになってしまうのですが、両者の幸運度(実力)が高い次元で拮抗していると、奇跡のディスティニードローや華麗なる連続コンボがぶつかり合う前世では100回に1回しかありえないような名勝負になるのですよ。

 

派手に発達した立体映像装置(ソリッドビジョンシステム)も相まって戦略的にも見栄え的にも見応え抜群のド迫力な決闘(デュエル)……人気になるわけですね。

事実私もはまったわけで…

 

そしてそんな決闘者(デュエリスト)たちが幸運を発揮するのは何も決闘(デュエル)だけではないのです。

社会で成功するのはより強力な幸運を備えた者です。

もちろん、それだけではないですが、それでも幸運(ラック)の影響力は少なくないです。

 

気づけば、社会を動かす重鎮、会社などの組織で高い役職に座る連中のほとんどが凄腕の決闘者(デュエリスト)という、決闘(デュエル)至上主義社会になったのでした―――

 

 

 

「―――以上。暁 遊理によるこれまでの人生観から考察する遊戯王の世界観でした…」

 

「姉ちゃん? いったい誰に向かって話してるんだ?」

 

放っておいてください。

ただいま現実逃避中なのですから。

 

「そんなことしても、入試の決闘(デュエル)テストはなくなったりしないよ?」

 

「分かってますよそんなことは!」

 

私は勉強机からガバッっと身を起こして弟を睨みつけました。

ほとんど涙目でしたけどね。

 

一体どこの誰ですか、カードゲームに強いだけで勝ち組になれる社会なんて楽勝だなんて言ったのは!?

裏を返せば、カードゲームに弱いというだけで他がどれだけ優れていようとも…そう、勉強とかデッキ構築が上手くても負け組ということじゃないですか!

 

そして現在私は崖っぷちです。

具体的に言えば落ちそうなのです。

なんで中学の入学試験に決闘(デュエル)があるんですか?

 

普通ならそれほど難しい試験じゃありません。

試験官に勝たなくても、試験官のライフポイントを2000ポイント減らす、あるいは10ターン耐えしのぐだけでも合格なのですから…

 

…私が極端に弱くなければ。

ライフを1ポイントたりとも削れないばかりか、今までの私の常敗無勝という悲劇の戦歴を鑑みれば先行ワンターンキルもありえる……いえ、試験官がそこまでエグイことはしないかもですが…それでも絶望的なことには変わりありません。

 

本気で人生ドロップアウトしかねないこの状況、いったいどうすれば…

 

「やっぱり新しいデッキ組んで試してみたら? ひょっとしたらうまくいくかも」

 

「もうさすがにネタが尽きました…相性が悪いんですよ」

 

カードの精霊間に相性があるように、精霊と人間との間にも相性があるのです。

やたらHEROモンスターに好かれたり、マシンカードだけ異様に上手く扱えたり…

この世界でデッキを代えず気に入った1つのデッキを終始使い続ける人が多いのはそういう理由があってのことですね。

 

複数のデッキを使いまわせるような決闘者(デュエリスト)はごく一部の限られた実力者だけですね。

例えるなら、妻妾同衾で家内円満を実現するような…ってさすがに違うかこれは。

つまりはそれだけ難しいということです。

 

そして私の場合、大抵の強力な精霊全般と相性が悪いというおよそ致命的な特性を抱えてしまっているわけです。

どうすりゃいいのですか。

 

「…じゃあ、こうしよう」

 

「?」

 

弟はふと立ち上がると、押し入れからカードの入った箱を取り出して、中身を部屋中にぶちまけました。

ヒラヒラと桜の花びらのように部屋に舞い散るカード。

 

「一体何を?」

 

「この中から目をつぶって1枚選び取る。そのカードを中心にデッキを組む」

 

「!?」

 

精霊や神、そして神に好かれた幸運者が跋扈するこの世界において、偶然なんてものは存在しない。

であるならば…

 

「姉ちゃんがカードを選ぶんじゃない。精霊(カード)が姉ちゃんを選ぶんだ。大丈夫いけるって」

 

根拠なく言い放つ弟。

 

確かに、今までこういうことは一度もしたことがありませんでしたね。

私はそんなことを考えつつ静かに目をつむりました。

 

自分だけの闇の中で、かすかに何かが光ったように見えました。

私はほとんど無意識に、その光に手を伸ばし、1枚のカードをつかみ取っていました。

 

 

 

そのカードは―――

 




遊戯王の二次創作を読んでいて思いついた、というか考えたネタ。

あの世界にガチデッキ使いがいない理由を大人の事情(つまらない)以外の理由で何とか説明できないかと頭ひねっていたらいつしかこんなことに…

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