黄川萌黄からのメールが届いたため彼女達が就寝する客室に向かう。廊下の電気をつけ下の階に降り、廊下を渡って部屋の前で数回ノックをする。
すると、ゆっくり扉が開いた。寝ている二人のために音が立たないようにする気遣いが感じられる。
「……こんばんは」
「はい、こんばんは」
「あの、言いづらいんだけど……」
「おしっこ漏れそう、でも一人で行くのは怖いから付いてきてほしいということですよね?」
「……………………もっと言い方とかないの?」
「直球で言った方が時間が短縮するかと思いまして。僅かな時間のロスで先輩がトイレに行くのが遅れ漏らすことになったら大変ですから」
「…………だとしても、オブラートに包んでほしいな……」
「そうですか。申し訳ありません。では、早く行きましょう」
「う、うん」
彼女は部屋から出て俺の後をついてくる。大分距離が近く、彼女はさり気なく俺のパジャマの裾を掴んでいる。そこが可愛くてドキドキする。
外はかなりの大雨が降っており風も強く、雨と風の強い音が僅かながら不気味さを感じさせる。しかし、そんなことより彼女の方が印象が強く、俺は全く怖くない。
「ううっ……不気味だよ……」
「そんなことは無いですよ。お化けなんて一度もこの家に出たことはないって先程も言ったじゃないですか」
「今日偶々居るかもしれないじゃん……」
「気持ちはわかりますがダイジョブですって」
彼女は内股で歩くが中々進めない。よっぽど我慢してたようだ。
「あ、ちょ、ちょっと待って。一旦、落ち着きたい……」
「ダイジョブですか?」
「ヤ、バイかも……」
彼女は顔を蒼くした。色々最悪の事を考えている様子が。安心させてあげよう。
「ど、どうしよう……」
「先輩大丈夫ですよ」
「え?」
「漏らしても誰にも言いません。すぐに片づけますから」
「漏らす前提で話さないでくれる!? 漏らさないから! あと、言うとしてもオブラートに包んでてって言ったよね!?」
「すみません……」
「ああ、もう……なんか落ち着いた……」
「それは良かったです……ええと……洪水しないようにトイレ行きましょう」
「……とりあえずオブラートに包んでくれてありがとう」
俺はトイレの前で歩みを止めた。
「外で待ってますから」
「うん……それで……その……」
彼女が何か言いたげな表情をしている。だが大丈夫だ。俺は彼女の言いたいことが全て分かっている。トイレ内の音が聞こえたら嫌だということだ。俺は紳士だからすぐにでも対応する。
「大丈夫です。スマホで昔話の桃太郎を流しておきます」
「あ、うん。気遣いありがとう……」
「どういたしまして」
彼女がトイレの中に入って行ったのでスマホで桃太郎を流す。
『昔々、あるところに……』
◆◆◆
その後、手を洗うために彼女を洗面台まで連れて行った。
「か、鏡に映ってるの僕だよね? 不気味に笑ったりしてない?」
「してないですよ」
彼女は目をつむり手を洗うと、そのまま鏡を見ず逃げるように去る。俺もそれについて行く。……よっぽど怖い話をされたんだな……。
彼女は一人暮らしのため怖い話には極力関わらない。生活がままならなくなるからだ。怖い話のCMが映るだけでそのチャンネルを変え、三か月はそのチャンネルは使わないという徹底ぶりだ。だからこそ怖がりでも一人で生活できる。……今日は銀堂コハクに怖い話をされて何もできなくなってしまったのだろう。
俺も怖い話は嫌いだが、夜中に一人トイレには行けないほどではない。……幽霊屋敷は難しいが……。
◆◆◆
再び部屋の前。
「あ、あ、あ、ありがとう……ひ、一人じゃいけなかったから……」
「いえ、お気になさらず」
「それと、さっきは混乱してたから強めに言っちゃった……ごめん……」
「仕方ないですよ。大分切羽詰まってましたからね。誰でもあんな感じになりますよ。それより遅くまで起きていると美容の敵です。早く寝ましょう。明日起きられなくなりますよ」
「う、うん、そうする……おやすみ……」
「おやすみなさい」
俺はその場から立ち去り二階に上がって行く。彼女が大洪水を起こさなくて良かった。
◆◆◆
僕は昔の事を思い出していた。両親が離婚した後、母と二人で暮らしていたときの記憶だ。
『えーーん。お母さん! トイレいけない!!』
『大丈夫、お母さんが一緒に行ってあげるから』
怖くて一人で行けない。だからいつもお母さんに手を引いてもらった。
『お、お母さん。そ、そこにいる!?』
『いるから大丈夫』
『こ、怖いから何か歌って』
『それじゃあ、桃太郎の歌を歌うわね……も~もたろうさん、桃太郎さん♪ 御腰につけた~きび団子~一つ私にくださいな♪』
トイレの中にいるときも、本当にそこにいるのか不安で何度も話しかけて歌って貰った。懐かしくて大切な記憶。心が落ち着く。
先程も昔のような安心感があった。お母さんと一緒のたくましい背中。慈愛。まるで、お母さんが……生き返ったような……そんなはずはないけど、そう錯覚するほどだ。また、寂しさを感じてしまった。
――でも、もう一度あの安心感、慈愛を受けたい
……何を考えているのだろう? 僕は軽く首を振って考えるのを止めた。
僕は自分の布団に横になる。僕は二人の真ん中に位置取りしたから、両隣の可愛らしい顔が良く見える。この二人の気持ちよさそうな顔を見ていたら起こせなくて、彼に同行を頼んだのだ。最初は頼んでいいのか、図々しくないか色々悩んでしまったけど……彼に頼んだのは……
――それは、正解だった気がする。
◆◆◆
目覚ましが鳴り俺は目を覚ました。僅かな眠気を残しつつ下の階に降りていく。リビングからトントンと包丁の音が聞こえてきた。
「十六夜君、おはようございます。すみません、勝手に台所を使ってしまって」
「いえ、構いませんよ」
銀堂コハクが朝ごはんを作っていた。家庭的だ。それに寝巻姿にも風情がある……。
「朝ごはんはもう少しでできるので座っててください」
「はい」
二人はまだ起きてこないのか……。火原火蓮は朝が弱いことは知っている。黄川萌黄はそうでもないはずだが……もうすぐ朝ごはんだ。ここは起こしに行くべきだろうな。
「俺は二人を起こしに行ってきますね」
「作り終わったら私が行きますよ」
「いえ、これくらいさせてください」
「そうですか? ではよろしくお願いします」
「はい」
客間には仰向けで気持ちよさそうに寝る二人の姿があった。火原火蓮はお腹を出しており、顔は少しにやけている。
黄川萌黄は火原火蓮の手を握って満足げな表情だ。さて、彼女達を起こさなくてはならない。天使より尊い寝顔をこれ以上見れないのは残念だ。
「火原先輩起きてください。朝です」
「んんっ……世界の半分くらいじゃ私は買えないわよ」
一体どんな夢を見ているんだ? 幸せそうにニヤけてるから相当満足感のある夢なんだろうが……。
「起きて下さい」
俺は肩を揺らす。しかし、なかなか起きない。何度も揺らす。グラグラと何度も強めに揺らすと、ようやく彼女は薄っすらと目を開けた。
「先輩起きて……」
「ううっ……あれ? 魔王十六夜は?」
「寝ぼけてないで早く起きてください。朝ごはんがもうすぐできるそうですよ」
「ああ、うううん、そう、ね」
彼女はまだ眠気が残っているようで僅かに頭をフラフラさせながらリビングに向かった。しかし、足が布団に引っかかり俺へと倒れ込んできた。俺より小柄とはいえ高校生を受け止めるのは重……く、なんてないな!
「大丈夫ですか?」
「ああ、うん。大丈夫。後五分このまま……」
彼女は俺に寄りかかるとそのまま瞳を閉じた。吐息を感じるほど近くに彼女がいる。自分のものでない体温はすごく温かい。……起こしてあげたいが仕方ない。先に黄川先輩を起こそう。
「黄川先輩も起きてください」
「うう……」
彼女はすぐに目を覚まし状況を察した。
「ああ、ごめん。起こしてくれてありがとう」
「いえ、朝ごはんが出来ますから行きましょう」
「うん……え? 火蓮ちゃんどうしたの?」
「五分このままだそうです。仕方ないので五分このままでいます」
「あ、そう……それじゃあ先に行ってるから」
その後、起きて状況を自覚した火原火蓮は顔を赤くしてアタフタした。
◆◆◆
三人で朝食をとった後は早めに投稿する。家から一緒に出るところを見られたら、彼女達の変な噂が立ちかねない。学校裏サイトは潰れたが、犯人はまだ野放しなのだ。
今日は『魔装少女』三人並んで話している。真ん中に黄川萌黄。その左に銀堂コハク、右には火原火蓮。ずいぶん親密になったらしい。
「やっぱり早起きは苦手ね」
「これくらいで何を言ってるんですか? 早起きと言うのは四時に起きることを言うんですよ」
「それは早すぎじゃないかな?」
少し早めだがその日は学校で朝をのんびりと過ごした。
◆◆◆
何事もなく終業前のホームルームの時間を迎えた。昨日六道先生が言っていた通り、学校からネットの使い方に関するお便りが配られる。学校の対応が抑止力になってくれるのを期待しよう。
佐々本から聞くまで俺は知らなかったのだが、いつの間にやら新聞部が活動休止になっていた。話を聞く限り、どうやら最近の事らしい。教師陣も流石にあの新聞はアウト判定だったみたいだ。
そんな感じの大したことない一日。
その日の放課後。銀堂コハクに誘われ図書室で勉強会をすることになったのだが……
「あ、ここ違いますよ」
多くの学校でも同じだと思うが、図書室の机と椅子は本を読むためだけではなく勉強のために設置されている。やる気のある生徒たちによって多くの席は埋められている中で、幸いにも空席を見つけることができた。
「ここも違うわね」
「あ、ここも違うよ」
彼女達三人は全く勉強する必要がないため全員で俺を教えてくれる。三人から集中的に間違いを指摘されるとちょっとプライドが傷つく。精神年齢は俺の方が年上のはずなんだがなぁ……。
「十六夜君スペルミスが多いですよ?」
「十六夜、ここさっきも間違ってなかった?」
銀堂コハクは優しく諭してくれる。火原火蓮は気合を入れるためなのか軽く頭をポンポン叩く。
「もっと、SVCを意識しなきゃダメだよ?」
黄川萌黄は的確にご教授してくれる。三人は俺に良い点数を取ってほしいのか、毎日ご指導してくれた。
周りからの視線も凄いし、三人の指導はかなりハイペースだ。彼女達の気持ちを無下にはできず音を上げるわけにはいかない。テストの日までひたすら勉強漬けだ。
そして、中間テストの日がやってくる。