宇宙は広い。西暦の時代の人間は宇宙を人類最後のフロンティアと考えていただろう。スペースコロニーなんてものが建設され、そこに暮らす人間が貧困にあえぐことなんて誰が想像していただろうか。人類は宇宙に出てもその薄汚さは変わらなかった。
それが俺の親父の持論だ。親父はかつては首都で偉い仕事をしていたらしいが、すっかり落ちぶれて、今じゃ酒を飲んでは俺に小難しい愚痴を吐くだけの男になっている。そのつまんねえ講釈と酒が親父の生き甲斐なんだろう。
そんな、アル中親父の愚痴を優しく聞いている聖人君子が誰かって?俺はモーリス・ミュラー。マハルっていうアウトロー共の住む街の住人だ。親父に言わせればマハルは、資本主義の負け犬共の巣窟らしい。ひでえ言い草だが俺にとってはエキサイティングな場所だ。
「親父、あんま酒飲むなよ!」
コロニーは地球よりも重力が低い。だから、アパートの階段なんて軽く駆け下りれる。
「よう、モーリス。親父さんは酒浸りかい?」
「ガラハウおばさん。親父はいつも通りだよ」
「そうかい。あんたの母さんによろしくね」
ガラハウおばさんに軽く、手を振って俺は街へ出た。飲んだくれの親父は俺に小遣いなんて、くれやしない。母親?俺と親父の為に必死に働いているよ。だから、小遣いは自分で稼がなきゃならない。少し前まではガラハウおばさんの手伝いをしてちんたら駄賃を稼いでいたが、もう俺はそんなことはしない。
アパート周辺の比較的平和なエリアを抜けて、吐しゃ物と酒と香水の匂いがプンプンする飲み屋街に、俺は立ち入った。普段なら絶対に立ち寄らない危険な場所だが俺にはここに立ち入る用があった。
「おい!気を付けろよ!」
狭い道を酔っ払いを避けながら進む。ここらで間違ってはいないはずなんだが……
「あらあら。こんなところに坊やがねぇ……お姉さんと遊んで行かない?」
なまめかしい声が俺に向かって発せられた。
「急いでいるんで……」
そっけなく誘いを断る。女なんかと遊んでいる暇はないのだ。こんなところ一秒も長くはいたくない。それにあいつを探さなくてはいけない。
背後から俺の、腕が掴まれた。おおよそさっきの女だろう。面倒くさいことになった。多少乱暴でも女が怪我をしなければいいんだ。
「悪いが急いでいるんでなッ!!」
俺は軽く女を振り払った。いや振り払おうとした。だが、女は俺を掴んで離さない。どんな顔の奴が俺をを掴んでいるのか気になって、俺は後ろを向いた。
「なんだい。本当に気が付いていなかったのかい?アタシだよアタシ」
「お、お前シーマか……?」
「誰だと思ったんだい?あんたみたいな不細工に声を掛ける奴なんて、私以外にいないだろうさ」
こいつはシーマ・ガラハウ。俺の幼馴染のいけ好かない女だ。こいつが俺に少し危ない小遣い稼ぎを薦めてきて金が欲しかった俺はまんまと、その誘いに乗ってしまったわけだ。
「あんたこういう所には慣れてないんだろ。アタシの呼び声に反応しちゃってさあ」
「……別に、反応はしていないだろ」
「嘘つけ。ちょっと期待していたくせに」
基本的に男は女に口喧嘩では勝てない。そういう風に人間は出来ているのだ。
「期待してましたー。あーあー残念だなあー。お前は俺になにしてくれたのかなー」
「なっ!馬鹿なこと言うんじゃないよ」
顔を赤らめ、そっぽを向くシーマ。
「おいおい。いつものお転婆なシーマちゃんは、どこに行っちゃたのかなー?」
俺の手の甲をぎゅっとつねるシーマ、普通に痛いのでやめて欲しい。俺が痛がっているのを察したのか、手を離すと、つんと顔を背ける。顔は若干赤らんでいた。
シーマの先導でしばらく歩くと、そこにはガラの悪い男が一人立っていた。傍には茶革のボストンバッグを置いている。
「来たか。前金だ」
煙草に火を付けながら、男はシーマに金を渡した。
「確かに受け取ったよ。で、こいつをベイまで運べばいいんだね」
「そうだ……くれぐれも失敗するなよ」
重々しい口調で男はそう言い残して去って行った。随分とシーマのことを買っているようだ。男の姿が見えなくなったことで、俺は口を開いた。
「で、この荷物どうするんだ。まさかあの男が言うとおりに正直に運んだりはしないだろう?」
「あんたの言うそのまさかさ。この荷物を正直にベイまで運ぶんだよ。なんでって顔してるね。こういう商売は信用が一番なのさ。余計なことは詮索しない。荷物の中身が何だかも気にしない。それが運び屋ってものなのさ」
「お前がそういうなら、そうなんだろうな。分かったぜ。で、移動手段はどうするんだ?まさか歩いて行くなんて言わないよな?」
シーマはニヤリと口角を上げると、顎をクイっと動かした。おそらくは後についてこいってことだろう。俺は黙ってシーマの後に続いた。シーマが入っていたビルは倒壊寸前の廃墟で、入るのには躊躇するような場所だった。
あいつが、何食わない顔で入っていったのだ。男の俺が怖気づくわけには行かないだろう。足元に気を付けながら慎重に建物に入る。
「いてっ」
頭をぶつけた。
「下ばっかり見てるからだ。しっかりしなよ」
「おいおい、こんなところに何の用があるんだよ?只の廃墟じゃないか」
「いいから」
のろのろと歩く俺に、業を煮やしたのだろう。シーマが俺の腕をつかみぐいぐいと引っ張った。
「ここさ」
シーマが薄汚れたビニールシートを取っ払うと、そこにはコンクリートで作られた小さな階段が有った。中は暗く、廃墟特有の饐えた匂いが満ちている。俺の腕を取ってシーマが躊躇などせずに、階段を下っていく。
パチンという、音がして地下室は光で照らされた。地上があんな状態でも地下室の電気はまだ生きていたようだ。
「おいおい、これって」
「そうよ。驚いた?」
そこに有ったのは、古い乗用車だった。エレカではなく、環境に悪い石油燃料を燃やし排気ガスを出す乗用車。ここマハルではこんなものは見たことが無かった。しかもこれ、見た目がかなり古い。いわゆるクラシックとかヴィンテージとか言われるタイプの車だ。
「ま、まさかこれで?」
「そう。動くようにしてやったしね。早く乗っちゃって」
「おう。分かった」
ここまで来たらもう、腹をくくるしかないだろう。どうなっても知らん。半ばやけくそ気味に俺は骨董品の助手席に乗り込んだ。
「よっと」
「なあ、お前、当然運転したこと有るんだよな?」
「……有ると思うの?」
「有って欲しいから聞いているんだ」
返事の代わりに車に振動が走った。おいおい、返事がないってことは、こいつ車の運転とかしたことないんじゃねえか。神様に祈りたい気分だ。ブスン、という音を立てただけで車は動こうとしない。これ、壊れてるんじゃないのか?
「なあ、おい?うおッ!うわぁぁ!!」
壊れてなんかいなかった。こいつ動くぞ。やべえって。地下ガレージを勢いよく車は飛び出した。
「なあ?俺には正面が壁に見えるんだが?」
「うるさい!黙ってろ!」
ギリギリのところで車は壁に激突せずに済んだ。ふっと一息ついたところにシーマが猛烈なバッグをいれた。急発進するなよ。
「飛ばし過ぎなんだよ!ちっとは緩めろよ!!」
「いうこと聞かないんだよぉ!」
狭くはない地下空間だが、この車だと箱庭のように思えてしまう。この空間は金持ちが道楽でつくったんだろう。そしてこの車だけが放置されていたのには理由があった。改造するほどには愛着があったのだろうよ。
「前見ろ、前!!!」
正面にはシャッターが。しかもさっきとは違い、ぶつからずに止まるには速度が出過ぎている。自然と死という言葉が脳に浮かんだ。
「眩しっ」
薄暗かった地下に差し込んだ光に俺は目を瞑った。衝突までは時間が無い。本当なら目を瞑るなんてことはしたくなかった。
「生きてる?ああ、あれシャッターが開いたからか……」
隣で運転しているシーマもほっとしているようだ。シーマがぶるりと震えて、そっと下半身に手をやった。その様子を見て、俺は肩に手を置いた。もっとも首を振られて手をどかされたが。
「目的地は?」
ジトっとした目でこちらを見るシーマに、何食わぬ風を装って話しかける。
「頭に入ってるよ。心配はいらない。あんたは座ってればいいんだ。すぐに着くさ」
心なしか、声にも冷たさがある。後で何かで機嫌を取るべきだろう。港へと繋がるハイウェイに入る。マハルはとにかく治安が悪い。ガキが高速道路を車で走っていたとしても、基本的には誰もとやかくは言わない。
安心したら、車内が熱いことに気が付いた。俺は窓を開ける。車内に風が入ってきて気持ちがいい。外を見回すと、マハル野郎がハイウェイをぶっ飛ばしていないことに気が付いた。これは異常だ。恐れ知らずのマハル野郎が恐れるのは軍隊ぐらいだ。
「なあ、他の奴らゆっくり走ってやがる。軍がいるかもしれないぜ。飛ばすのは止めないか」
俺の提案を受け入れたようで、シーマは車の運転速度を遅くした。これで多少は安心できる。俺は元来、心配性なんだ。
「なあ、嫌な予感がするんだが。エレカじゃないと原則としてコロニー内を走り回れないよな?違反者は厳罰だって聞いたぜ」
「心配性ね。そもそもアタシらみたいな子供が運転している時点でアウトよ」
まあ、そりゃそうだ。こいつを転がしている時点で法なんてガンガン破っている、慌てても仕方が無いだろう。
「おい、連邦の軍車両だ。道を開けようぜ」
そうこうしている時点で運悪く、連邦の軍車両が背後まで迫っていた。シーマは酷いハンドル捌きで車線を変更した。
軍車両は俺たちを無視して通りすぎる。なんてことを想像していたんだが、そう上手くはいかなかった。
「ハロー、ガイズ」
運転席の顔面に刺青をしサングラスを掛けた、強面のアフリカ系軍人がグラス越しにもちっとも笑っていないことが分かる目でこちらを見ていた。
「ハ、ハロー」
男はにっこりとこちらを見ると、助手席の男に耳打ちをした。その瞬間に俺はシーマの足ごとアクセルを全力で踏んだ。改造車はその驚異的な能力を見せ、ハイウェイを加速に任せ走り去っていく。抜いた車からは歓声が投げかけられた。
「いつまでアタシの足を踏んでいるつもり?」
「悪い。悪い。こうなったからにはさっさと荷物捨てちまおうぜ」
「チッ、仕方ないね。あんたと一緒に不幸まで誘っちまったみたいだ」
カン、カン、という音がして、窓ガラスの横を何か光るものが飛んでいった。なんだこれは?いや、撃たれている?脳が理解を拒んだのは一瞬だった。撃たれているのだ。それも猛烈に。
「バッグ捨てるぞ」
俺は後部座席に置いてあったバッグを放り投げる。バッグが遠くなったのを見て、俺は現状の打開策を考え始めた。どうすればこの現状をよく出来るのか?そう思考できたのは一瞬だけだった。
――――体がシートからふわりと浮かぶと、目の前が真っ暗になって身体じゅうを痛みが襲った。
「ゲフッ!ゴホッ!!」
「シーマ!無事か!」
「ああ、無事だよ。酷い目に遭ったよ全く!」
車のボンネットはひしゃげ、ハイウェイの壁で車の側面を擦ったのだろう。後方の壁には何メートルにも渡って、線が入っている。こいつは酷い。なんてことだ。俺たちが大したケガもせず無事なのは奇跡か何かだろう。
「ずらかるぞ。これは大事故だ。逃げないとまずいことになるぞ!」
俺たちはハイウェイから抜け出して、人目につかないように裏路地に入った。そうして無事に現場からは逃げおおせて、家に帰る途中で警官に捕まってしまった。
しかし老警官は、俺たちが夜間外出をしているということを注意して去って行った。
結局俺たちはハイウェイ爆発事件の犯人として捕まることは無かった。その代わりにテレビで犯人として映し出されたのは、俺たちに鞄を渡してきた男だった。ニュースではダイクンが云々、ザビ家が云々ということが報道されるだけだった。
シーマは危ないことには懲りたらしく、生真面目にそこらの店で働いている姿を見せている。俺も危ないことには二度と関わりたくはないと思った。まあ、そんなわけで、店で働いたりを繰り返している。しかし、金は出ていくばかりで全くたまらない。
あの事件から数年は地道な手段で金を稼いできた。だが、このまま低賃金で扱き使われるのは、たまらなく嫌だった。シーマもその気持ちを持っていたのだろう。ある日、俺にパンフレットを手渡してきた。
「軍か……。マハルであくせく日銭を稼ぐよりはマシかもしれないな」
「そう。駄目だったら帰ってくればいい話だしね」
「士官様になんて俺みたいなのでもなれるのかね?」
「なれるさ。あんたは頭がいいからね」
まあ、シーマの言う通り、やるだけやって駄目だったら戻ってくればいいのだ。受けてみる価値は有るだろう。
スペースコロニーはラグランジュポイントと呼ばれる、宇宙の中でも安定した宙域に作られている。建造された順に、1から6の数字が振られそれぞれに愛称が付けられているのだ。ちなみにサイド3の愛称はムンゾである。また、近々サイド7が建造されるかもしれないという噂も流布している。
現在6つあるサイドは当たり前だが、地球連邦に属している。そしてそれぞれのサイドに地球連邦の軍が駐留している。コロニー側にも形ばかりの軍を作る権利が与えられ、それは地球連邦軍の一部として扱われている。
俺たちが士官として潜り込もうと考えているムンゾ自治共和国防衛隊も、そのコロニー側に与えられた名目ばかりの軍だ。試験会場は当然マハルには存在せず、試験を受けるためには首都バンチであるムンゾへ移動しなければならない。
ハイウェイでやらかしてから数年は経った。俺とシーマはマハルのベイから出る連絡船で、首都バンチであるマハルに入学試験のために向かっている。マハルに試験会場は存在せず、唯一の試験会場はムンゾにしかないからだ。
長く艶のある黒髪を無造作にヘッドレストに投げ出し、シーマは寝ているようだ。幼馴染として接してきたから全くそういう感情を持ったことは無かったが、いや、正確には持たないようにしてきたのだが、こうして寝姿を見ていると、コイツに惹かれる男が後を絶たないということも理解できる。
「んんっ……」
「起きたか。到着には少し早いぞ。ムンゾのベイはすぐそこみたいだがな」
シーマは小さく欠伸をして、首を回し伸びをする。なんというか懐かない黒猫みたいだ。
ムンゾのベイはマハルのものより遥かに大きかった。首都バンチである分、物流が盛んであるからだろう。ひっきりなしにベイからガイドビーコンが出され、大小さまざまな船が入港してくる。俺はその様子に少しばかり感心した。
「子供みたいにキョロキョロするもんじゃないよ。田舎者みたいで恥ずかしいじゃないか」
「はいはい。分かったよ。それにしたって、ここは面白い場所だぜ」
「いいから。行くよ」
シーマに引っ張られ、俺は渋々その場を後にした。ムンゾを訪れた目的としては士官学校の入学試験のためだ。仕方が無い。ムンゾ自治共和国防衛隊の士官学校には17歳以上が入学可能だ。
試験に関してだが、ムンゾだけではなく、サイド5ルウムなどの場所でも行われる。ムンゾ自治共和国防衛隊は、ほとんどがサイド3の人間で構成されている軍である。わざわざよそのサイドの軍隊に入るために試験を受ける酔狂な奴は少ないはずだろう。
地下鉄で俺たちは試験会場に向かった。入学試験の場所の途中には案内人まで立っていた。なかなかに受験者に対しての待遇がいい。思っていたものと違った。士官になれば結構な好待遇が味わえるのだろうか。全てはこの試験を通ったらの話だが。
受験票の番号が近かったので、シーマとは同じ受験室に案内された。まずは筆記試験からだ。それなりの勉強はしてきたつもりなので、すらすらと記述することが出来た。
筆記試験が終わると、身体検査を受けに行った。体格や持病などの面では問題が無いはずだ。この試験の結果は筆記試験次第だろう。
試験が全て終わった。それに伴ってどっと疲れがでた。今夜はどのみち、ムンゾの安宿で一泊する予定だったのだ。このまま、都会の風を味わっても良いだろう。シーマ?あいつはあいつでやるだろう。今夜くらいは適当に遊び歩いてもいいだろう。
「私をほっといてどこに行こうってんだい?」
「おいおい、怖いじゃないか。お前はお前で用事が有るだろう。俺は俺で用事がある。そういうことだ」
「……………あっ、そう」
表情に変化はないが、コイツが怒っていることは幼馴染の俺には何となく分かった。どうして怒っているのかは、皆目見当がつかない。
「分かったよ。分かった。俺はこの後に用事なんて入っていない。お気に召すままに、お姫様」
恭しい態度をとって、怒ると怖い幼馴染の機嫌を伺う。機嫌を損ねたままだと、後で割を食うのは俺自身だと経験から分かっているからだ。
「騎士の真似事。じゃあ、膝をついて掌に口づけでもすればいいわ」
面倒だ。しかしこれは長期的に見れば利益になる行動だろう。俺の灰色の脳細胞がそう答えを出した。通行人の視線がうるさい。俺は恭しく礼をすると、膝まづいてシーマの手の甲にキスをした。
「バ、馬鹿!私は冗談で言ったんだよ。何もこんなところで、そんなことをしなくてもいいじゃないか!」
林檎のように頬を赤く染めたシーマを俺は今後一生忘れることは無いだろう。
「俺はお前の騎士さ。なんて、格好つけるためにも士官学校に受からないとな」
無言で俺のすねに蹴りが入る。その蹴りのあまりの鋭さに、俺は脛を抑えて悶絶した。
「馬鹿……」
どうやら、シーマが俺をわざわざ呼び止めたのは、高級レストランへのエスコートを頼みたかったから、らしい。俺がドレスコードにふさわしい服を持っていないことを伝え、やんわりと断ろうとすると、シーマは俺を服屋へ連れて行った。
何もかもが織り込み済みで行動されているような気がしてきた。こいつ、何が狙いなんだ。あいつの方も普段の服ではなくきちんとしたドレスに着替えていた。
「似合っているじゃない。馬子にも衣裳とはこのことね」
「おいおい、俺はこういう堅苦しいのが嫌いなんだ」
「軍に入ればそういう付き合いも増えるでしょ。そのための前座と思えばいいわ」
軍に入れた訳では無いのに、こいつは中々気が早い。ドレスコードなんてものが有るだけあって、レストランの食べものは美味かった。
シーマは何かを俺に言いたげだったが、俺はあえて無視した。俺にとってこいつはそういう対象じゃないんだ。もっと何か純粋なもののはずなんだ。
俺は士官学校に受かり、シーマは残念ながら落ちてしまった。それが契機となったのだろう。俺とあいつの縁は途絶えがちになってしまった。
寮制の軍で、始めの内は手紙を書いていたがそれも途絶えがちになった。俺は自分の才能を生かせる軍という仕事に夢中になって、それ以外のことがおざなりになったのだ。故郷であったマハルのことも次第に頭の片隅に追いやられ、自然と消えていった。
俺は士官学校を十位で卒業し、少尉として正式に軍に籍を置いた。俺が所属先として臨んだのは、ムンゾ自治共和国防衛隊の宇宙艦隊だった。
ムンゾ自治共和国防衛隊宇宙艦隊の名目上の職務は、宇宙海賊を排除し通商路を確保することだ。しかしこれは飽くまで名目上のことである。ムンゾに漂う地球連邦への反骨心、独立心はその艦隊に現れている。
艦隊にはチベ級宇宙戦艦が所属している。チベ級は連邦宇宙軍のマゼラン級戦艦に対抗するために作られた艦だ。制限や妨害が入ったようで、その能力はマゼラン級に劣っている。
俺はそんなチベ級の運用テストを行うための人員として派遣された。直属の上司はコンスコン大佐だ。大佐は宇宙戦闘のプロフェッショナルである。俺は、必死に技術を吸収しようと努力した。
そして数年が過ぎた。その間、俺はコネクションを築き、出世することに全力になった。ムンゾ自治共和国防衛隊は巨大化され、ムンゾはどんどんと険悪な空気に包まれていった。
その空気を俺は好ましくは思わなかったが、一介の士官である俺に、現状を打破ずることなんて出来そうになかった。だから、俺はその空気を乱すようなことはしなかったし、なによりそんなことをしたら袋叩きに遭ってしまう。
ムンゾの空気は悪化の一途をたどり、狂気が街中を席巻した。もはや正気なものは成りを潜めるか、墓場に行くか、牢獄の中にしか存在していなかった。
軍は巨大化し派閥が生まれた。その中で、俺はキシリア派閥を選んだ。そもそも俺は軍に入隊してからしばらくは無所属だったのだ。宇宙艦隊に所属となっても、当時は派閥意識は大きくなかった。しかし、先ほども話したように軍の拡大は、派閥を生み出した。
ギレン総帥はそのカリスマで多くの軍人を魅了した。そしてギレン派閥が生まれたわけだ。しかし、ギレン派閥に入らなかった軍人は多くいた。彼らはギレン派閥から攻撃され、自然と、キシリア少将の派閥に加盟するか、ドズル中将の派閥にかといった流れが生まれた。
そこで、俺はキシリア派閥を選んだのだ。出自の良くない俺はギレン派閥にもなじめなかったし、ドズル派閥のよく言えば武人のような真っすぐな気質が、悪く言えば思考停止した気質が合わなかったのだ。
キシリア派閥に所属することになった俺は、所属先の艦隊演習でMSという存在を目にすることになった。演習で標的艦隊の指揮をした俺は、その脅威を目の当たりにした。そして、MSパイロットに志願した。
もとよりジオン軍では、連邦軍より兵数が少ないため、質の高さが求められる。特に指揮官クラスには重責がかかる。士官教育の一環として戦闘機系統の教育が叩きこまれていたこと、従来の戦闘機と異なるMSの操作性のよさが、俺のMSパイロットとしての慣熟に大いに役に立った。
俺はMS部隊を率いる立場となった。もっとも艦隊の指揮もしなければならない立場だが。軍の急拡大に伴い、ジオンの士官は即席士官が多く、ハードワークに文句を言ってはいられない状況が続いているのだ。これで、戦争を仕掛けようというのだから、笑ってしまう。
UC0079になった。これまでの必死なコネクション作りと、ジオンの根本的な指揮官不足で俺は大佐にまで昇格した。四十代に届かずに大佐だ。随分と、ジオンは戦争を開始する以前から末期状態のようで笑えなかった。
佐官クラスにもなると作戦の全貌がなんとなく理解できた。地球連邦政府に一撃を与えての短期決戦だ。手段としては奇襲による連邦のコロニー駐留軍艦隊の排除。それから有利になったところで、停戦交渉だろう。ジオンには戦争を継続できるような体力は存在していない。
俺のこの予想は後の状況を知っていれば夢物語だろう。だが、当初は軍部の佐官クラスにはこういった楽観論が根付いていたのだ。そんな愚かな楽観がこの先の悲劇を引き起こしたのだろう。
開戦前に俺は艦隊と旗下のMS隊を率いてサイド2に攻撃を掛けることになった。目的は連邦軍コロニー駐留艦隊の排除だ。それにより、味方部隊の秘密作戦を援護するそうだ。その作戦については秘密だったが、俺へ寄せられた期待に胸が躍った。
おそらくこの攻撃が今回の戦争で最初で最後の攻撃になるだろう。その後には停戦と会議が行われるのだろう。そして連邦からジオンに幾らかの譲歩があり、終戦。この戦いはそういう運びなのだ。だからこそこの初戦で、功績を立てなければならない。
功績次第では准将に昇進できるだろう。そうすれば俺の未来が開ける。戦争前の高揚感と、狂気が俺を染めた。だが、俺と共にサイド2方面に進出する艦隊の名簿を開いた時、俺の脳内は混乱に襲われた。そこにはシーマ・ガラハウ中佐という文字が有ったからだ。
シーマは俺が決別した過去そのものだ。風の噂であいつが軍にいるということは知っていた。それでもこうして顔を会わせることは起きないはずだと、思い込んでいた。
口の中が酷く苦い。俺はきっと渋面をしているだろう。こんなひどい顔では部下を驚かせてしまうかもしれない。戦争前の大事な時期だ。指揮官がこの有り様では指揮に関わるだろう。俺は深呼吸をし、普段通りの顔が出来るように意識する。
鏡で自分の顔を確かめる。若干の疲れは見えるが、そこまでおかしいものでは無い。顔の筋肉を解きほぐして、顏の違和感を無くす。気持ちの整理がついたところで、書類をしまい割り当てられた自室から出た。
「
「ああ……モーリスだ。よろしく頼む……」
顔がこわばっているのが自分でも分かった。背中が冷や汗で気持ちが悪い。蛇に睨まれた蛙の気分だった。俺はすぐさまその場を後にしようとシーマの横を通り過ぎようとした。
「薄情な騎士様も居たものだね……」
良心が激しく疼いた。若気の至りとはいえここで、シーマを無視することは人間として男として軍人として、最悪の手段だ。
「済まなかった……」
「何が済まなかったんですか?大佐?」
「お互い大人だろう。今までのことは水に流そうじゃないか。お互い部下を持つ身だ。下手にいがみ合うべきではない」
その回答は当然シーマのお気に召すものでは無かったようだ。嗜虐的な目でこちらを眺めている。その瞬間、俺は自分が料理される側だということを明確に意識した。まったく、再会というのは酷く苦い。