――11月上旬、某日。
その日の午後練を終えた直後のことである。
事務員の女性から声をかけられ応接室へ行ってみると、中には見知った顔のお客様が二名ほどいて、その内の一人は社長と談笑中。もう一人はこちらに気付き、食べかけの芋羊羹を片手に空いた左手をフリフリさせていた。
その面子を見るに、どうやらまた厄介事が降りかかってきそうな気配がプンプンしているんだけど……。
「おお小鍛治君。やっと来たかね」
「……失礼します」
その予感を華麗に回避するには、ちょっと手札が足りそうにない。
渋い心内を表情には億尾にも出さず、手招きされて社長の隣へと腰を下ろす。
私の目の前に座っているのは、いつものけったいな……もとい、特徴的な格好をしているみんなの憧れ牌のおねえさんこと瑞原はやり。その隣に座っているちょっとダンディなお髭のおじ様は、彼女が抱えている冠番組『はやりんのパーフェクト☆麻雀教室』のプロデューサーさんである。
以前一度だけゲスト出演したことがあるので、顔見知りではあるんだけど……正直、だからといってどうして二人が雁首揃えてこんな茨城くんだりまでやって来たのかが分からない。
某番組への出演をオファーするだけなら事務方同士のやりとりだけで終わるはずだし、仮に新番組を立ち上げるにしても、業界の中で私はどちらかというとこーこちゃんが勤めているテレビ局寄りっぽい立ち位置に置かれているので、局の違う彼の番組でメインを張るというのはちょっと考え辛い。
そんな感じで頭の中に疑問符をたくさん飛ばしていた私の前に、はやりちゃんの手によって一組の冊子が差し出された。
「……なにこれ?」
「んーと、はやりが今日ここに来た理由?」
「うん、それはまぁなんとなく分かるけど……」
表紙の中央ちょっと上の部分に書かれているタイトルらしき文字列に、若干頬が引きつってしまう。
そこには、『次世代の牌のおねえさん候補を探せ!(仮題)』と書かれていた。
これってやっぱり、新番組の企画書か何か……なのかな?
「あ、別に健夜ちゃんをその候補者にしたいって話じゃないよ?」
「いやあのね、それも言われなくても分かってるから」
ウィンク一つまともにできやしない私を晒し上げる目的でもなければ、まず有り得ない話である。
というかさ、もし仮にそんなチャレンジャーにも程がある人選をゴリ押ししようとする輩がいるのなら、まずその人にこの番組編成から手を引かせるべきだって話になると思う。
何気にこーこちゃんあたりならサラッとやりかねないことではあるけれど、さすがに本職の人がそんなことではダメだろう。
結構真面目にそんなことを考えながら、ぺらぺらと企画書を捲っていく。
斜め読みするよう文字を目で追っていたら、何気ない文字列の中のとある部分が引っかかった。
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[内容]
牌のおねえさんとして馴染みの深いアイドル雀士瑞原はやりが、インターハイで活躍した全国各地の高校を巡る旅の中で、各校の紹介をしつつ次世代のアイドル雀士の候補になりそうな子を探し出す
※もしも該当者を見つけられた場合、番組内ではやりんの後継者として育てて行く継続企画とする
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……うん?
企画意図の部分に書かれているその文章を読むに、この企画の流れって今も現在進行中で行われている某局の某番組とよく似ているんじゃないだろうか。
若干趣が異なっているといえるのは、各学校の麻雀部そのものをピックアップするのではなくて、そこに所属しているアイドル的な容姿の子を発掘することのほうを主目的にしているという点。
あと番組を担当する雀士の違いもあるけど、まぁそれはいいだろう。
確かに今年のインターハイで見た高校の中には個性的な子が多く存在していて、その中にはアイドル雀士『瑞原はやり』の後継者になり得る程の将来性を秘めた子というのが何人かいた。
それを考えても企画意図としては理解できるし、十分に実行可能な部類だろう。
この内容で放送すれば、普通にヒットする余地のある良企画だと思うけど……ただそれも、そのままの形で放送することができるのであれば、という仮定の上での話。
仮に放送するにしても、企画書を読んだ限りの印象だと、番組内部の進行とその流れなんかが某番組そのままの二番煎じっぽい作りになっているというのが最大のネックとなるのは明らかだった。
さすがにこれを企画段階そのままの形で放送してしまうと、後に某テレビ局との間で色々と権利関係の問題が生じてしまうかもしれない。
というのも、一昔前のテレビ全盛期時代……今からだと大体四十年位前の話かな。
その頃に起こったひと悶着というか、ヒットした他局の番組を露骨に真似してソックリな形式の番組を山ほど量産し続けた結果、視聴者のマンネリ感を増大させ加速度的なテレビ離れを助長した挙句に放送業界そのものが存亡の危機に陥った、なんてものすごく笑えない時代があったそうで。
まぁそんな状態からなんとか持ち直して現在に至る訳だけど、それまでの過程の中で『似たような形式の番組を異なる局で同時期に放送するのは基本的にアウト』といった感じの理念が放送業界全体で採用されることになったのだという。
……まぁこれはお酒の席でこーこちゃんから聞いた話だから、それが嘘なのか真なのかは正直よく分からないんだけど。
私もプロ雀士になって日本代表に選ばれて、それなりにこの業界でお仕事をさせてもらうようになってはいるものの、そもそもテレビ業界のコンプライアンスなんてものはほとんど理解できていないし、基本的に畑違いな立場にいるのはいつまで経っても変わらない。
ただ、普段視聴者としてテレビ番組なんかを見ていると、たしかに近年のテレビ局同士というのはわりとそういう被り事には特に煩くなっているように感じる、というのも確かなのだ。
そういったことから照らし合わせてみると、わりかし本気でそういった類の不文律があるんだろうなぁというのはなんとなく察せられた。
全部読み終わり、視線をプロデューサーさんのほうへと向ける。
「企画としては普通に面白そうだとは思いますけど、このままの内容だと放送するのはちょっと無理なんじゃ……?」
「ええまぁ。お察しの通り、その企画はもうとっくにお蔵入りになってるんですよ。さすがに小鍛治プロが担当なさっている例の番組に似すぎだってことで、会議の結果没企画ってやつになりましてね」
「はぁ。それはどうも、なんだかすみません」
特に必要はないだろうと思いつつも、軽く頭を下げる私。
全国大会が終わってすぐ、あまりにも超速スケジュールで番組の収録が始まったと思ったけど、あの裏にはこういう理由があったんだと今更ながらに理解してしまった。
早い者勝ちという面もあるんだろうけど、その迅速に過ぎる行動力には半ば呆れてしまう程である。
そんな思いもあったから一応謝ってはみたものの、当たり前だけど相手のほうもさほど気にしている様子は無かった。
「いえいえ。それは出足の遅いウチの担当が自業自得ってだけの話なんで。
まぁでも、そうは言ってもこちらとしては勿体無いので、内容の一部だけでもこっちの番組で引き継ごうって話になってまして。それでですね、ここからが本題なんですが――」
別に用意されていた新しい企画書やら契約書やら、色々なものを用いて説明を受けること約十分。
なんとかかんとか、相手の言いたい事はある程度伝わってきたように思う。
「はぁ……つまり、私にアイドル雀士候補の一人を擁立してもらいたい、ってことですか」
「ええ、まぁ。掻い摘んでしまえばそういうことです」
こちらから探しに行くのでは内容が似通ってしまうので、いっそのこと推薦人を指定してその人に候補者を連れてきてもらったらどうか?
……といういっそ清々しいまでの逆転の発想で生まれたっぽいその新企画。
幾人かの立場が異なる推薦人によって連れて来られたアイドル候補生達を、様々な内容でオーディションしながら競わせつつ、その中から将来の牌のおねえさん候補を絞り込んで行くという形式となっている。
そして今回その推薦人の一人として白羽の矢が立てられたのが、既に某番組で各地の高校を巡って色々な可能性を見て来ているであろう当事者の一人――つまり私であると。
簡単に言ってしまうと、今回の依頼の肝はそこにあった。
「あの……これ、推薦者が私じゃないといけない理由ってありますか?」
「勿論。当然理由もあります」
恐る恐る聞いてみたら、わりとはっきり肯定の返答が戻ってきてしまった。
かろうじで麻雀って付いてるだけまだマシとはいえ……正直、次世代アイドル発掘なんて異なるどころか掠りもしないって感じのジャンルなんですけれども。
「たしかに、発掘しようとしているのが普通のアイドルなら、そもそも麻雀プロの小鍛治さんを起用することはありません。しかし、今回は可愛いだけではなく雀士としても相応の実力者でなければならない。
小鍛治プロにお願いしたいのは、現国内最強の女流雀士の視点から見る候補者の選定なんです」
「う、うーん……」
未だに最強扱いされちゃうのはどうかと思わなくもないけど……まぁ、雀士目線でということなら理解できないことも無い、か。
それにしたってこういう感じの依頼なら適任者は他にもいるだろうと思うんだけどね。例えば日本代表の先鋒の人とかならノリノリでやってくれそうな気がするし。
そんなことを漠然と考えていたのが顔に出ていたのだろうか?
煮え切らない私を前に、二枚目のカードを切ってきた。
「まぁそれに加えて、実は今回の小鍛治さんへのオファー、瑞原さんたっての希望だったりするんですよ。一応三尋木プロや野依プロ、戒能プロあたりの名前も会議で出てはいたんですが、その中でなら小鍛治さんが良いと」
「……はやりちゃんが?」
眉と眉の間に皺が寄るのを自覚しながらも、唐突に名前を出された張本人へと向き直る。
視線が合うと同時に、いつもと何ら変わらない様子でふにゃりと笑みを溢す当事者がそこにはいた。
「えへへ、ちょっとワガママ言っちゃった☆」
「我侭って……あのね」
メールのデコ絵まみれの件といい今回といい、そろそろもういい大人なんだからしっかりして欲しいと切に願う今日この頃……なんて。本来であれば躊躇無くそう思うところなんだけど。
そんな呆れの彩が詰まった呟きとは裏腹に、付き合いの長い友人ならではというか。不自然すぎる状況から読み取れてしまう無色透明な情報というのもある。
名前が出ていたと言うのなら、何故に普段から仲の良い良子ちゃんではなく、あえて不適格な私をその役目に指名するというのか?
たぶんだけど、彼女なりの何かしらの思惑がその内に秘められていて、推薦者が私でなければならない相応の理由というのがあるのだろう。詳しいことは本人に聞いてみないことには分からないけど。
ただ、一つ感じるのは……もしかすると、この企画に関してはキャストスタッフ一同揃って一枚岩という訳ではないのかもしれない、ということ。
「引き受けてもらえないかな?」
「うーん、企画に参加すること自体は別に構わないけど、この時期になっちゃうとスケジュールの調整とか難しいかも」
「はや~、健夜ちゃんもやっぱり年末忙しい?」
「まぁ普通にそうだね。麻雀関係のお仕事だけでも結構予定詰まっちゃってるし、向こうの取材も十二月には二校行く予定らしいから、結構ぱっつんぱっつんなはずだよ」
現時点でさえ既にそうだけど、これから年末にかけてなんてそれはもう忙しくなることが確定しているような状況にある。
月の半ばには白糸台へ取材に行くことになっているし、後半のリーグ戦は地方への遠征が続く。
週二とはいえラジオの収録もあれば、細かい取材なんかも空いた時間に入れてあるという有様だ。
だから、忙しい時期に突入して自由になる時間がどんどん減って行く中、できるだけ向こうの撮影のほうを優先させたいという気持ちが私の中に存在していて――。
向こうの番組スタッフとはちょっとした意識のすれ違いで殴り倒してしまいたくなるような出来事もほんのちょっと……いや、けっこうあったかもしれないけど、それでも同じ苦労の中を共に歩んで来た仲間という意識が何だかんだ強いんだと思う。
オファーがあるのは有難い話ではあるけれど、さりとてこの身体は一つしかない訳で……。
タスクごとに優先順位を決めるというのであれば、それは既に着手している現在進行形のお仕事のほうを重視すべきだろう。
まぁ、だからといって付き合いもそれなりに長いはやりちゃんをここで見捨てるというのも後味が悪いけど、抱えているものの内容が分からないのだから仕方が無い。
そういった理由で依頼をお断りしようとしていた矢先。それまで事の成り行きを黙って見守っていた社長が、唐突に口を開いた。
「そのことなんだがね、小鍛治君」
「――はい?」
「向こうの番組プロデューサーとは私も話をしてスケジュールを調整してみるから、この話、少し前向きに考えてみてもらえないかい?」
「え?」
社長が直々にこんなことを言うというのはとても珍しいことなので、ちょっと驚いてしまう。
ただ、その視線に込められているであろう切実な思いを読み取ってしまい、すぐに事の次第を理解した。
こういった細かいことで色々な勢力にパイプが出来るというのは決して悪い話ではない、という打算があるのだろう。元々が貧弱な資本のクラブだし、活かせるものは活かしたいと。
自分で言うのもおかしな話ではあるけれど、私もいい加減いい大人なので、クラブ運営の裏側でそういったいわゆる
でも本音で言えば、そういったドロドロした部分に直接関わりたくなんて無いわけで……。
微妙に断り辛い雰囲気が周囲によって形成されていく中。
そんなことをグルグルと考えているせいか、なかなか了承の返事を口にしない私に対し、だけどプロデューサーさんもまた元々即答するとは考えていなかったのだろう。
テーブルの上に置かれていたクラブの折り畳みカレンダーに手を伸ばし、
「正式な返答のほうなんですが、そうですね……できれば遅くても今月末までにお願いできますか。小鍛治さんにも色々と調整するべきこともあるでしょうし、撮影の開始は十二月の半ばからになりますので」
一番最後の日付の部分を何度か中指でノックする。
今月いっぱいは考える猶予を与えてくれるということだろう。
進むも退くも出来ずにいた私に、その配慮は正直とてもありがたく――。
「わ、分かりました」
――なので、淡々と進んでいったその話し合いで断るだけの材料を得られぬまま、私としては素直に頷くことしかできなかったのである。
話を終えて席を立つ二人の来客者。
プロデューサーさんは先に社長と出て行ってしまったので、残っていたはやりちゃんに話の最中ずっと気になっていたことを問いかける。
「あのさ、これってつまり、その……はやりちゃん近々牌のおねえさんを辞めちゃうってことなの?」
「う~ん……まぁ、企画がそのまま順調に行けば、そう遠くない未来にそーなっちゃう可能性は高いかも」
「そっかぁ」
そう語るはやりちゃんの表情は、どことなく疲れているようにも見えた。
――後継者探し。
それは確かに、何がしかの頂点に立ったことのある人物ならば誰もが何時かは考え始めなければならないことではあるのだろう。
瑞原はやり。
古今東西、老若男女、麻雀を志すものでその名を知らない人はたぶんいないだろうとまで称される、麻雀界きっての著名人。
知名度という点においては私こと小鍛治健夜も引けを取らないものがあるとは思うけど、幅広い層からの人気という点で私は彼女に勝てるなんて微塵も思っていない。
アイドル兼雀士ということで軽く見られがちな腕前のほうも、最高峰のデジタル雀士と相対してなお速度で勝り、直撃が売りのオカルト雀士と相対してなお回避しきるほどの堅守を誇る。
まるで草原を駆け抜ける疾風のようなその打ち筋から付けられた二つ名は『Whirlwind(ワールウィンド)』。
また一方で、アイドルとしての活動は小学生の頃から既に始まっていたという年季の入り様。その頃はさすがに地元島根での活動が主だったみたいだけど、当時からそこそこ人気は高かったらしい。
そもそも彼女が何故そんな小さな頃からその道を志したのか――詳しいことを私は知らないけれど。
つくばのクラブに入るまで、ただひたすら麻雀を打ち続けることしかしなかった私と比べると、よほど将来の麻雀界にとって大きな貢献をしてきているはずだった。
そんな、これまでずっと頑張ってきた立場ではあるものの、最近はキャラと年齢が不釣合いになりつつあることもあってか、どちらかというと『痛い人』扱いされてしまうことのほうが多い彼女。
それでも、だからといって自分の都合でその役目を中途半端に放り投げるようなことをするようなタイプでは絶対にない。
直接知っている私だけではなくて、きっとこれまでの活動の中でファンになったであろう全員がそう言い切れてしまうことこそが、瑞原はやりという存在の凄い所なわけで。ということはつまり、この企画そのものが世代交代を図りたいマスコミ側の主導であるという推測が成り立つことになる。
麻雀人気が最高潮に達しようとしている中、注目を浴びやすい今だからこそ若くて旬なアイドル候補を売り出したいという意向も当然あるだろうし、推測とはいえそれはほぼ間違いないだろう。
功労者を切るタイミングというのは、どんな系統の集団においても難しい判断を迫られるものだ。
私自身もそうだけど、人間である以上、はやりちゃんもまた迫り寄る年齢の波というものからは決して逃れられない。
しかも、一雀士としてはそれも強みにできようけれど、ことこれがアイドル活動ということになると話は別だ。デメリットのほうが先行し易く、考えなければならないことも多くなる。
ある程度、整った容姿や処女性からくる貞潔さで人を惹きつける職業である以上、一年経っていくごとに需要が伴わなくなってしまうのも致し方ないことであり……結果としてアイドルとしての地位が後輩に脅かされることになるとしても、それもまた避けようのない現実なのかもしれない。
「世代交代――か」
何かに想いを馳せるよう、ポツリと呟かれたその言葉。
漢字にすればたった四文字程度のそれに含まれていた幾重もの苦味と重みに、この時の私は気付きもしなかった。
▽
その日の夜。
プロデューサーさんと一緒に東京へ戻るのかと思っていたはやりちゃんが、急遽ウチに泊まりたいと言い出した。
実家暮らしでそこそこ肩身の狭い身分の私としては、友人を泊めるのはともかく、まさか晩御飯までお母さんに作らせるというわけには流石にいかない。
――ということで。
私は基本あまり外食をしないので常連と言うほどではないけれど、こーこちゃんが遊びに来た時なんかによく連れて行く居酒屋さんへと二人でやって来た。
積もり積もった話もあるけれど、まずは先に何か頼もうということで、飲み物には定番のとりあえずビールを二つ。あとは飲みながら摘めそうな一品料理を適当に注文して、ようやく一段落付くことが出来た。
「このお店、けっこういい雰囲気だねー」
「まぁね。店長さんが昔つくばの職員だったみたいで、色々と融通を利かせてくれるの。クラブで忘年会とか打ち上げする時とかは大体ここかな?」
「はや~、そうなんだ~」
地元で顔や人となりが既に割れまくっている私はともかく、こーこちゃんはあれでもれっきとした在京キー局の新人アナウンサー。さすがに酔っ払ってハメを外しまくった姿を一般人に晒すのは忍びない。
そういったプライベートの時には一般席とちょっと離れた個室を使わせてくれるから、けっこう重宝していたりするのである。
あと値段もわりとリーズナブルだしね。
そんな感じでお店のことを話していると、店員さんがビールを持ってやってくる。
一つは私の前に置かれ。
そして差し出されたもう一つのグラスをはやりちゃんが笑顔で受け取った――直後の出来事だった。
「かんぱーい☆」
そのまま一人で乾杯の音頭を取ったかと思えば、結構な勢いでぐいぐいと飲み進めて行くはやりちゃん。
止める暇も有らばこそ、といった感じでそのまま一気に飲み干してしまった。
私とその場に残されたアルバイトの女の子は、もはや唖然とするしかない。
「ちょっ、はやりちゃんちょっとペース速くない?」
「んー、今日はとことん飲むって決めて来たからね☆ 店員さーん、ビールお代わり☆」
いつもと同じはずなのに、どことなく背後に圧力を感じる笑顔を見せる。
店員の女の子は逃げるように個室から消え去り、残されたのはアラサー女子会中の二人だけという有様になってしまった。
うーん……お酒には弱いほうだし、知ってる限りだと前はこんな豪快な飲み方するような子じゃなかったはずなんだけどなぁ。
やっぱり夕方の話の影響で何がしか鬱憤が溜まっていたりするんだろうか?
正直な話、そういう物騒な黒はやりん★モードの時は親友の良子ちゃん辺りにでも対処をお任せして、ちょっと距離を置いておきたい所なんだけど……。
頼れる人は此処に在らず。
空になったグラス片手にぐいぐいと突っ走って行くアイドルの男前に過ぎる姿を、真正面という特等席で眺め続けるしかない私という実にもの悲しげな景色がそこにはあった。
「――それでね、健夜ちゃんにちょっと聞きたいことがあったんだ☆」
空いたグラスの代わりに二杯目が手元に届き、お酒の当ても揃い始めた頃になって、ようやくいつも通りのはやりちゃんが顔を出す。
いつも通りなんて言いながら、既に頬が赤く染まっているのは気にしない方向で。
というかこのペースで本当に大丈夫かな?
「んー……なに、聞きたいことって?」
「弟子になったっていう須賀京太郎くんだったっけ? 例の彼のこと☆」
うっ……なんとなく方向性がそっちの話になりそうな予感はしていたけど、まさか初っ端にぶっこんで来るとは正直思ってもみなかった。
恐るべきアルコールパワーとでもいうか……いや、今日の彼女のテンションは最初っからどこか暴走気味な気がするから、下手をすると素面でも変わらなかった可能性もあるか。
これはもはや下手に逆らうと危険な感じがするので、素直に頷く私。
「まぁ、答えられることになら答えるけど……」
「はやっ、さすが健夜ちゃん。よっ、太っ腹☆」
「ビール飲んでる時に太っ腹はやめて!」
じゃあ別の時なら良いのかと言われると、そういう訳でもないんだけどさ。
ケタケタと笑う酔っ払いには既に突っ込み所すら把握できていないようで、完全にスルーされてしまう。
ああダメだ。こうなってしまうともう理屈も道理も通用しない。
どんな質問が来てもいいようにと、気を落ち着けるためグラスに口を付けた――まさにその瞬間。
「彼って、健夜ちゃんのいわゆる若いツバメ君ってヤツなの?」
「――ブッ!?」
想定外の質問が真正面から剛速球で飛んできたので、含んだ分だけ華麗に噴き出してしまった。
若いツバメって表現、今時こーこちゃんくらいしかしないと思ってたのに……って、そうじゃなくて!
「ちっ、違うから! 弟子、ちゃんとした弟子だからっ!」
「――? 何処が違うの?」
「え? えーと、それは――って、もはや何から何まで全然違うよ! ちょっとそこの酔っ払い、少しでいいから正気に戻って!」
「はや? 大丈夫、はやりは正気だよっ☆」
「その笑顔がもう全っ然正気に見えないんだってば!?」
「う~、そんなことないと思うけどなぁ?」
「あるんだって……はぁ。あのね、京太郎君はまだ十五歳なんだよ? 仮に囲って愛人にするにしてもそれじゃちょっと若すぎるでしょ……」
「そっかぁ……じゃあ、健夜ちゃんはまだ結婚したりしないの?」
「うん、まぁ。そういう予定は今のところ全然ないけど……」
世間一般で言うところの結婚適齢期的には若干の遅れが生じている気がしないでもないけれど、無いものは無いんだからしょうがない。
お母さんが近所のおばちゃん連合の人たちとグルになってお見合いか何かを企んでいる節はあるものの、幸いと言うべきか、今のところ具体的な形になっているわけでもないし……。
「でもなんで急にそんなこと言い出したの?
……って、もしかしてまたこーこちゃんに何かよからぬ妄想でも吹き込まれたとか?」
「ううん、そんなことないよ。でも……健夜ちゃんにまで、って思うとさすがに焦っちゃうっていうかね……」
俯き気味だった表情から、スゥ――っと色が消える。
うん?
一体何が起こっているのか……逃げ出すわけにも行かないので、恐る恐る尋ねてみた。
「な、何かあったの……?」
「……地元の友達から、結婚式の招待状が届いた。それも二通」
あっ……。
それは辛い。とても辛い。
当の本人たちは示し合わせているわけではないんだろうけど、経済的な面と精神的な面という点においても見事なまでのダブルパンチである。
そりゃ飲まなきゃやってられないわけだわ。うん、その気持ちはよく分かる。分かってしまう自分がとても悲しいけれど。
想像以上にヘビーな展開に、思わず残っていたビールを一気飲みしてしまった。
「よし、飲もう! 今日はとことん付き合うから! 店員さーん、焼酎ロックで」
「――っさすが健夜ちゃん! それじゃ私も同じので☆」
という感じで盛大に酒盛りが始まったのはいいけれど。
案の定というか、さほど時間もかからずに酔い潰れてしまった牌のおねえさん。
例の番組の新コーナーについて何も語らなかったことから考えても、たぶん結局本当の悩みは打ち明けることなくそのまま眠りに就いてしまったということなんだろう。
酒の席での話だし、愚痴りたいなら思い切り愚痴ればいいのにと思わなくもない。
だけどそれさえもお酒と一緒に飲み込んでしまう不器用な性格なのは、ちょっと私と似ているのかもしれないとも感じるわけで。
もしかすると、私が頼りないから寄りかかられる程の弱みを見せてもらえなかった、というちょっと切なくなる類の話なのかもしれないけど……。
……まぁ、でもそれも然りか。
十年前――準決勝で相まみえた頃からの付き合いとはいえ、ここ数年はお互いにお互いの立場があるからこそ、近くもなければ遠くもないといった微妙な距離感を行ったり来たり。
私は日本代表の常連として、彼女はアイドル活動を重視して。
良子ちゃんのように特にウマが合うというわけでもなく、かといって趣味が合うわけでもない。
生まれた場所も目指したモノもその生活様相もまるで異なる。
かろうじで似ているといえるのは年齢くらいのものであって――それでもきっと『麻雀』という要素が介在していなければ、一生こうして向かい合うことは無かったであろう、そんな二人。
だけどその『麻雀』という要素を抜きにすれば、様々な分野において、はやりちゃん自身を含めた他の人たちに比べると私のほうが劣ってしまうというのは皮肉なことだろう。
頭脳明晰で意外としっかりしている彼女からすれば、麻雀界隈の世界しか知らず、どこか言動が世間知らずで幼く映ってしまうらしい私はきっと、それはもう頼りない子供のように見えてしまうに違いない。
どちら寄りの立ち位置かと言われたら、頼られるというよりは頼る側。れっきとした大人の女性としては情けないことだけど、それがあの集団の中での私というものでもある。
というか、これまでは別にそれでも良かったはずなのだ。
無理に他人の抱える厄介事に首を突っ込んで苦労するくらいなら、日和見と言われてもいいから傍観者を決め込みたいタイプの私としては、それはむしろ願っても無いことで……。
改めて記憶を辿ってみると、誰かに頼られるのも悪くないと考えるようになったのは、きっとここ最近のことなんだろうと思う。
恵比寿時代、日本代表として世界と戦ってきた私としては、信頼や期待を込めた視線を受けたことはそれこそ頻繁にあった。
だけどそれは求められる結果ありきの
それが――あの番組で各地を回るようになってから、少しだけ変わった。
雀荘でのアルバイト、ボウリング大会、皆で集まってのお泊り会。
あまり人付き合いが良いとはいえない私が、様々な場所で若い子たちと色々なことをやっていく中で、麻雀以外のことで頼られるという場面がちょっとずつだけど増えてきた。
やっぱり、なんだかんだ嬉しかったんだろうと冷静に振り返ればそう思える。
そんな風に、自分自身、少しは成長したんじゃないかと思うところではある反面――それが同年代の友人相手となるとまた勝手が違ってくるものだ。
お互いに自分の得意分野に対する自尊心というのもあるし、立場上そこに踏み入られたくないという思いも少なからずあるだろう。
そこにズケズケと突っ込んでいけるほど図太い神経を持っているわけでもなく、かといって黙っている人の態度から事情をすぐさま察してあげられるほど鋭くもない私。
時にはちょっと無神経なくらいのほうが相手を助ける役に立てるって話を聞いたことがあるけど、こんな状況に陥った今となっては本当にそうなんだろうなと実感してしまう。
今の私には、彼女の抱えている心の秘匿部分に土足で立ち入るような真似は出来そうにないのだから。
「……ふぅ」
グラスに残っていたお酒を飲み干して、一息つく。
ちょっとしたことですぐ変な方向に深く考え入ってしまうのは悪い癖だぞ――ってこーこちゃんにも言われたことがあったっけ。
特にお酒が入っちゃうといつもこんな感じみたいだし、気をつけたほうがいいかもしれない。
ネガティブな方向へスイッチが切り替わって深みに嵌ってしまう前に、思考を元に戻すためにと店員さんを呼ぶ。
「すみません。温かいお茶とおしぼりか何かを持ってきてもらえますか? あ、二つずつお願いします」
ちょっと可哀相ではあるけれど、完全に寝入ってしまう前に起こして家に連れて帰るべきだろう。
既にお母さんには電話して布団を用意してもらう手筈になっているし、お店の人に言ってタクシーも呼んでもらってある。
帰宅さえすればそのまま即夢の中へダイブしようが特に問題はないはずだ。
ま、そうなったらそうなったでスキンケア的なものは諦めてもらうしかないけど……それは自業自得ということで、事後の抗議は受け付けない方向で行こうと思う。
そんなことを考えながら揺り起こすために肩に手を伸ばしたところで、ふと動きが止まってしまった。
客前で笑顔を絶やさないことがアイドルとしての嗜みだと言うのであれば――今この時だけは、素のまま在りのままの瑞原はやりでいられる数少ない貴重な瞬間なのかもしれない、と。
私も彼女も、この十年間で抱え込んできたものが、あの頃とは比べ物にならない程たくさんたくさん増えてしまっているだろうに。
テーブルに突っ伏してしまった状態の横顔を覗き込んでみれば、あの頃のあどけなさが今でも十分すぎるほど見て取れてしまう。
……同時に、うっすらと目尻の端に滲んで光る涙の存在も。
「……」
もう少し――せめてお店の前にタクシーが到着するまでの間くらい、寝かせておいてあげたほうがいいのかもしれない。
そう思って、寄せていた身を少しだけ離れた場所へ移動したのとほぼ同時だったろうか。
「……真深、さん……」
グラスの中でカタリと傾いた氷の向こう側。寝言で呟いた彼女の声が消えて行くと同時に、頭を飾っている二つのヘアピンが天井のライトを受けてきらりと光る。
それは、普段から常に装着している、アイドル雀士『瑞原はやり』としてのトレードマークの一つ。
それが何故か、なんとなく、呟かれた言葉に対して返事を返そうとしているかのように見えた気がした。
連続で番外編更新となりました。
白糸台編は予定よりも話数が増えそうなので調整&思案中につきちょっとだけお待ち頂ければと思います。
次回、『第10話:天命@これがカノジョの活きる道(仮)』。ご期待ください