すこやかふくよかインハイティーヴィー   作:かやちゃ

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第XX話:宿望@勝ち得た物と成し得た者

「さあ、謀らずともこの一戦が勝者と敗者を分けるための天王山となりましたっ! 男子個人戦本選第十局、実況は福与恒子でお送りしておりますっ!」

 

 CMが開けた瞬間、それまでのテンションがウソだったかのように爆発するこーこちゃん。

 隣の席に座っている私こと小鍛治健夜はその様子を横目で眺めつつも、意識はしっかり中継されている画面の向こう側――彼が囲んでいる卓の上へと向けられている。

 

 ――須賀京太郎。

 私が初めて自ら踏み込み、手を差し伸べた子。

 清澄高校の須賀といえば、昨年夏の全国大会で初の出場を果たした際一躍時の人となったことがあるため、その名前を覚えている麻雀関係者は多いだろう。

 ただその成績は女子部の活躍の影に霞み、覚えている人間のほうが稀だろうけれど……。

 その彼が今年、高校三年生という集大成において長野県大会を勝ち抜き、個人戦予選をも駆け抜けて――ついにやってきた大舞台。

 彼が一年の頃から憧れて、ずっと夢見ていただろうこの煌びやかなステージの上で。

 京太郎君は今、彼自身が望んで止まなかったはずの場所で熾烈な戦いを繰り広げている。

 

「解説の小鍛治プロ、現在までの卓の動向を見てどういった感想をお持ちになりますか!?」

「清澄の須賀選手が座っている卓らしい、静かな戦いになりましたね。ここまでも自摸和了が一切無い、横でのやり取りばかりでしたから」

「ほほう、それはやはり須賀選手が持っているというオカルト能力によるものですかね?」

「はい。他家の選手もたぶんデータとして把握していると思いますけど、彼が門前でいる限り誰も自摸和了できないために、ここまではどうしても出アガリを待つしか無い状況が続きました」

「たしかに、これまでずっとそんな感じですよねぇ。特にこれといった見せ場も無い、といいますか」

 

 全国大会男子個人戦本選、第十局。

 機械のトラブルによって他の卓よりも開始が遅れてしまったこの卓では現在、総合ランキング上位者同士の潰し合いが行われている。

 総合得点で二位につけている長野代表の須賀京太郎。三位の南大阪代表狭山陽彦。六位の東東京代表大越明。そして九位の福岡代表高槻勲夫。

 

 総合一位と二位の差は、最終戦開始前で+5とほぼ横並び。大混戦の中犇めき合う上位陣同士の戦いと、そこに食らいついていきたい中位陣と上位陣との攻防も自然と激化する。

 そんな周囲の熱気とは裏腹に、対局そのものは東一局が開始してからというもの実に淡々と進んで行った。

 女子部で起こる様なド派手な和了があるわけでもなく、満貫にならない程度の点数のやり取りがいくつか行われただけで場が進み。

 ――南四局。

 泣いても笑ってもすべてが決まる、最終局である。

 

 

「須賀選手は対局相手の当たり牌をピンポイントで握り潰すのが得意な打ち手として前評判の高い選手です。それを警戒してか、他家の選手たちは東一局から徹底して安手でもリーチをかけずに闇で待つ場面が多かったように思います。

 そのおかげでここまで点数自体もあまり高くならずに淡々と場が進んでいった印象がありますね」

「つまり聴牌気配を察知させないためにあえてリーチをかけずにいたということですか! しかしそのわりに須賀選手だけはこれまで一度も振り込んでいないんですよねー。まぁ逆に彼一人だけ和了ってもいないわけですが」

「防御に回らされてしまえば、どうしても攻撃の手は一歩遅れてしまいますから。手が整う前に他家三人が示し合せるように安手で和了って場が流れていったので、一人だけ置いてけぼりのような状況になってしまった、と言えるでしょうか」

 

 それが今の京太郎君の弱点であることを当然認識している私としては、淡々と、ただ目の前にある事実だけを解説する。

 テレビ局側にどんな思惑があってこの一戦の解説を私に回してきたのかは分からないけれど、ここで弟子を贔屓するような解説だけはするわけにはいかないのだ。

 とはいえ、強すぎるその意識が逆に表情と一緒に言葉尻まで硬くしてしまう原因であることは自分でも理解はしていた。

 有体に言ってしまえば、大一番を前にして緊張しているのだ。私も。

 

「でも、この卓の勝敗だけじゃなくて、個人戦の最終結果のためにもここで和了が必要なのは誰も一緒。この場面ではできれば高めの手が欲しいでしょうから、今回に限っては山の深いところまで勝負がもつれる可能性は高そうです」

「ふむふむ、つまり小鍛治プロはこれまでのようにすぐには決着が付かないんじゃないか、と思ってるわけですね?」

「高い手を作るとなると、どうしても浅い巡目だと難しいです。門前清自摸和が役として成立しない前提で高めに仕上げなければなりませんから、余計に」

 

 門前清自摸和が成立しない――というよりも、むしろ問題なのは単騎待ち以外の四暗刻は対々三暗刻で満貫にしかならないという現実のほうかもしれない。

 その場合、リーチをかけて裏ドラが乗ってようやく狙い通りの大物手に化ける可能性が出てくる、といったところだろう。

 倍満以上が必要な京太郎君はもちろんのこと、親で一発逆転を狙う狭山選手あたりも、連荘するにしてもこの局でできるだけ高めの手を揃えたいはず。

 そこにきて比較的お手軽な役満である四暗刻が使えないというのは少々きつい。

 

 この段階で考えられるのはドラか二飜以上の役を絡めていくのが前提となる染め手系あたりか。ドラの表示牌は⑨筒、つまり筒子の①がドラとなる。

 その恩恵を有効活用するためにも、できれば刻子系の役と絡めて揃えたいところではあるけれども……そう簡単にはいかないだろうな。

 

 京太郎君を含め、いま卓に着いている選手はド派手な一撃必殺で勝利を掴み取るタイプというよりも、堅実に点数を重ねるタイプの打ち手ばかりという印象を受ける。

 こういった対局の場は荒れない事が多い。

 せめて一つだけでも豊音ちゃんのような確定和了系の攻撃手段を授けておけばと悔やまないわけではないけれど……無い袖は振れないしな、と気分を切り替える。

 

「現状のおさらいをしますと、現在総合トップの神前選手と総合二位につけている須賀選手との差は現時点で+33! 今の彼の持ち点を考えれば、一撃で逆転まで持っていくためには最低でも倍満以上の大物手が必要、と……うーん、数字的にはちょっと厳しいかな、と思わなくもないですが。小鍛治プロ的にはそのへんどうなんでしょ?」

「ハネ満程度ならともかく、倍満以降は狙ってやるのはちょっと難しいですからね……厳しいのは事実かと」

 

 この卓での現一位はオーラスで北家に座る大越選手で、30700点。

 南家の京太郎君が28000点で、卓のトップと総合一位の座を共に追いかけるという展開。

 親の狭山選手は三位で22500点、総合三位入賞のためにはマイナスのまま終われないといった様相だ。

 最下位に沈んでいる西家の高槻選手は18800と戦況的には不利な立場に追いやられ、あとは如何に大物手をぶつけて総合での順位を上げていくか、という一か八かの戦いへと移っていた。

 

 実質的に総合優勝の目が残されているのは総合一位から三位までの三名となり、その内の二名がこの卓で鎬を削るという展開となっている。

 しかし、別の卓で対局していた総合一位東東京の神前良太は既に対局を終えており、終了時点での総合得点は+191。

 こーこちゃんが言ったように、現段階で点差は+33まで開き、対象選手から直取りが出来ないこの場面において、一度の和了で総合二位の京太郎君が逆転で一位に躍り出るためには、倍満以上で和了すること、かつトップでこの対局を終える必要がある。

 総合三位の狭山選手は総合得点的に逆転優勝は厳しい、しかしラス親のためここで役満でも出れば何とか総合一位にも手が届くか、という感じ。

 お互いに狭いところでぎりぎり蜘蛛の糸一本分優勝の可能性が残っている状況ではあるものの、どちらにとっても見通しは実に厳しいと言わざるを得なかった。

 

 さらにもう一つの懸念に、この卓でトップに立っている大越選手の動向がある。

 彼は現時点で総合六位につけている上、暫定一位の神前選手のチームメイトである。

 彼の立場が難しいのは、もう一つ大きめの和了を狭山選手から直撃で奪う事ができたとするならば、最終戦の一位抜けは当然として総合三位までもが圏内として狙える範囲に自身がいること。

 しかし、同僚の総合優勝を後押しするためにここは安手で流すことも視野に入る場面であることも確か。

 勝負にいくのかあえて退くのか、その判断が他家の運命を左右することにもなりかねない。

 

「なるほどなるほど。たしかにそれは逆転で優勝を狙う二人の選手にとってかな~り致命的な状況といえるのではないでしょうかっ! それに二人の間で最後に順位が逆転するような和了があったら、総合でも二位三位の入れ替わりが起こる可能性も十分ありますからね!」

「ラス親というのはそういった面で有利だと思います。ただ、順位を上げるために直撃を取りたい相手の須賀選手は滅多に振り込まない堅守の選手として知られています。彼から当たり牌が出てくることはまず無いでしょうけど」

 

 この二年間で、防御に関しては及第点をあげられる程度には上手になった。

 彼の能力は、今では本気モード時以外の宮永咲の嶺上開花や満月時以外の天江衣の一発海底すらも防ぎきる上、原村さん譲りの危険回避能力で放銃率は一割を余裕で下回る。

 咏ちゃんが言っていたように、それこそ女子部の上位ランカーたちの中で闘ってもある程度は善戦できる程にその盾は磨きをかけられてきた。

 

 ただ、彼がこの対局で一度も和了できていないという事実もある。防御に比べて些か攻撃面で課題が残るのは、その能力ゆえにどうしても避けられない問題だとは思うけれど。

 点数は流局での他家のノーテン罰符で原点からマイナスにこそなっていないが、他家による能力への対策を受け、速い展開で流れに乗れないまま苦境に立たされているのは間違いない。

 

 そんな個人的に重苦しい展開が続いてきた中で、十巡目が過ぎたあたりでこちらの想定に限りなく近い手が出来上がった選手がいた。

 ――清澄高校、須賀京太郎。

 彼はここにきて同校所属の宮永咲もかくやという恐るべき引きで手を整えてきたのである。

 

 {2}{2}{3}{4}{4}{5}{赤5}{6}{6}{6}{8}{8}{8}

 

「これはっ……リーチをかけなくても他家から索子の2・3・6が出てくれば清一断ヤオ(一盃口)赤1で倍満確定の手になったァ!」

「ほぼ無駄のないツモで、ここに来てしっかり大物手を仕上げてきましたね。

 2索は山に一枚、東家の河に一枚。3索は山に三枚全残し。6索は最後の一枚を西家が順子で使っていますから、出てくるとしたら3索になると思うんですけど……」

 

 自分で引いて来れないぶん他家から出てくるのを待つしかないとはいえ、展開としては上々。

 しかし、対面の大越選手も山から筒子の③を引いてきて、同巡で聴牌する。

 

 {二}{三}{三}{四}{四}{五}{③}{④}{⑤}{4}{4}{發}{發}

 

 点数を稼ぐにしても、この卓を一位のまま逃げ切るためにもリーチをかけるという選択肢はあったんだろうけど、彼はこれまでと同じように捨て牌に選んだ②筒を曲げることなくそのまま置いた。

 形としては4索と發の双ポン待ち。けれど、ダマで待つ場合手としては役なしのため4索ではロン和了できないし、どちらにしろ二枚とも京太郎君の手の中にあるのでまず出てこないと見ていい。

 残る可能性は、發の暗刻による役牌1翻での和了くらいか。しかしこちらも一枚は一巡前に狭山選手が引いてきて手牌に抱え込んでおり、残りの一枚は山の中。

 例え京太郎君の能力影響下になくとも、リーチをかけたところで和了れる可能性は限りなく低いと言わざるを得なかった。

 

「あらら? ねえ小鍛治プロ、いくらなんでもここは即リーチに行くべき場面なんじゃないの?」

「一盃口か三色同順への手代わりを見て、でしょうね。全員の手を確認できる私たちだからこそ分かることだけど、今の形のままであればリーチをかけても当たり牌四枚のうち三枚までが他家に握られている状況ですから、判断としては決して間違ってるわけじゃないんですよね」

「なるほどねぇ。狙いはあくまで総合で順位を上げること、というわけですか」

「卓のトップで終わることももちろん大切なことだけど。まぁでも、手代わりを待ってるうちに他家から發が出たらそのままロンするとは思いますよ」

「それは順位を上げるのをあきらめてこの卓での一位死守に回るかもってこと?」

「これまでの手の進み具合から考えて、ここから大きな手が出来上がるとはちょっと思えませんし。それに、現在総合一位の神前選手が彼のチームメイトということもあります。

 出来うる限りは手代わりを待って、最悪自身の和了で対局を終わらせるつもりでいるはずです」

「なるほどー、仲間のアシストに回るわけですかぁ。って、言ってる間にこれは――」

 

 巡目が進んで、京太郎君のツモ番。山から持ってきた牌は――彼の特性によるものだろうか。この場で一番引いてきてはいけないはずの、眠っていた最後の發だった。

 思わず席から腰を浮かせそうになる。けれど、今この時、解説者の立場としてはもはや彼がどうするのかを無言のままで見守るしかない。

 何事か呟いてから、瞼を閉じて天を仰ぐ京太郎君。ここが勝負の分かれ目であることに、彼は気付いているのだろう。

 

「ここで最後の發を掴まされたのは清澄高校須賀選手っ! 發は生牌とはいえ、自身は逆転手を聴牌中! これはさすがに回避しきれず振り込んでしまうか!?

 大チャンスの直後にまさかの大ピンチ到来! 絶体絶命ともいえるこの状況を切り抜ける事ができるのか――っ!?」

「……っ」

 

 平静を保っているフリをしながら、それでもこーこちゃんから見えないところで拳を握り締めてしまうくらいは許して欲しい。今この時に引っ張ってきた生牌の役牌が危ないことくらいは、自身の能力を把握しきっている今の彼ならば当然理解しているはずだ。

 そして、その牌が導くことになる、別たれた二つの結末もまた――。

 

「見えるはずだよ、君には――」

「……小鍛治プロ?」

 

 それは君の勝利を手繰り寄せるために必要な、大切な一片だから。だから捨てちゃダメ。

 思わずマイクに拾われない程小さな声で、呟いてしまう私がいた。

 

 

 

 

「……」

 

 硬く目を閉じて天井を仰いでいた京太郎君が、強い眼差しを込めて瞼を開いた。

 ――ッタン!

 力強く打ち付けられたそれが、彼の手から離れてカメラ越しに周囲へと晒される。

 

 河に切られた牌は――逆転手のはずだった倍満聴牌を崩すことになる、赤5索。

 

 この闘牌を固唾を呑んで見守っていた、たった一人を除いて誰もが予測しなかったであろう、發を抱え込んでの赤5索切りである。

 事実上この時、須賀京太郎は逆転一位を諦めた。諦めたように誰の目にも映った。

 

「こ、これは……!? 独自の嗅覚で見事に振り込みを回避してみせた須賀選手! しかしながら逆転一位が遙か彼方へ遠のいてしまう痛恨の一打となりました!」

「……ううん、これでいいんだよ」

 

 彼は二つの分かれ道の、一つを選んだ。

 ただ一人、この場で私だけがその意図を理解している。それがたまらなく嬉しくて、そしてたまらなく――誇らしい。

 

「だ、だけどこれって倍満を捨てて聴牌を崩したってことになるよね!?

 發は対面が二つ、上家の子が一つ握ってる。これを抱えたままでいるってことは、事実上和了を諦めたってことになるんじゃ――」

「そうだね、福与アナの言うとおり發を引いた時点で須賀選手は倍満を諦めるしかなくなった。それは、紛れも無い事実」

 

 ここで切られた赤5索に関して他家からの声はかからず。試合はそのまま続いて行く。

 西家の子は今の京太郎君が見せた逡巡から大越選手の聴牌気配を察したか、オリに回った。

 総合順位ではもはや上位に入れないことを理解しているため、これ以上順位が下がらないよう無理をするべきではないと考えてのことだろう。

 そして聴牌中の北家は不要牌の南を引いてきたためそのままツモ切り。

 親ではあるが二向聴のままの狭山選手は、やはり彼にとっては何の意味も持たない3索をツモってきたため、これを即ツモ切りした。

 聴牌を崩した直後にピンポイントで飛び出した当たり牌に、観客もこーこちゃんも悲愴なため息を漏らす。

 だが――。

 

 下家の染め手を最も警戒していなければならないはずの彼にしては、あまりにも無防備すぎるその一打。

 直前に見せられた赤5索切りが、いくらかの逡巡を孕んだ末のオリの一手に見えたことで、彼の心理を揺さぶっていたのだろうか?

 あるいは、データとして頭に入れていた『須賀京太郎はその能力故に門前を崩すことは有り得ない』という固定観念による、ある種の見切りがあったのか。

 

「チー」

「――なっ!?」

 

 その驚愕に染まった表情から察するに、どちらの感情も彼の心の中に確かに存在していたのだろう。

 そしてそれは、他家の面々についても同じだった。

 京太郎君はあえてこの場面で自ら門前を捨て、上家の捨てた索子の3を鳴いてみせたのである。

 これにより、京太郎君は再び聴牌。逆転手だった倍満を捨てて代わりに手にしたのは、發を雀頭に単騎で待つ――。

 

「り、緑一色聴牌っ!! ここにきて須賀選手、なんと門前を捨てての役満聴牌ですっ! しかしこれは――」

「さっき福与アナが言ったように發はもう対面と上家に握られてるから、ほぼ和了れない形にならざるを得ない。攻撃は手詰まり、さらに絶対的な強さの盾を捨てた形、か。絶体絶命はまだ続くってところだろうけど」

 

 {2}{3}{4}{6}{6}{6}{8}{8}{8}{發} {横3}{2}{4}

 

 唯一逆転のために残された一手は、發単騎待ちの緑一色。

 しかも持ち持ちで出れば和了の対面からはほぼ出て来ないだろうし、晒した牌と河から索子の染め手が容易に想像できるこの場面においては上家からもまず出てこないだろう牌である。

 

 それでも京太郎君は前を向いている。下を向いたり、視線を伏せたりなんてしない。

 必ずどこかで發を掴めると、その瞳が告げている。

 時にはとても可愛らしくて、時にはとっても情けなくて。おもち狂いでお調子ノリで、それでも根底にある優しさと強さでとてもいい笑顔でニコッと笑う。

 ここ二年で見慣れていたはずのその横顔は、何故だろう?

 眩しくて眩しくて、なんだかすごく――格好良かった。

 

 

 京太郎君がその能力を解除したことで、場の空気はがらりと変わった。

 手代わりできていない北家の大越選手に当たり牌が流れないことは確定している状況だったけれど、代わりに親の狭山選手の手が大きく膨らんでいく。

 

 {①}{①}{赤⑤}{⑥}{⑦}{東}{東}{西}{西}{中}{中}{中}{發}  ツモ{東}

 

 十六巡目にして自風牌の刻子が完成し、さらに聴牌。

 自摸和了できない能力が解除されている今、混一色門風牌中ドラ2赤1に加え、リーチをかけて高めをツモればリーチ面前清自摸和三暗刻に更にドラが一つ増えて数え役満すら狙えてしまう絶好の手牌が揃った。

 ――いや、揃ってしまった。

 

「おおっとここに来て狭山選手、親の倍満聴牌となる自風牌をツモってきたっ! しかしこれは余りの發を出さざるを得ない状況になってしまったかーっ!?」

「先ほどの須賀選手と似たような状況になりましたね。振り込みを回避した上で勝負手を残すためには既に場に一枚切れている西の対子落としが有効な場面ではありますけど……」

 

 これを和了することができれば卓の一位はもちろん総合で逆転二位すら射程圏内に捉えることが可能なのだから、本来であればこれを僥倖と取るのが普通だろう。

 須賀京太郎が自ら防御を解き、結果として流れは自分へとやってきた。麻雀というのは一つの鳴きにより得てしてこういうことが起こりうるものだ。

 しかし逆にこの機を逃すようなことがあれば、流れは再び他家へと流れていくかもしれない。そんな強迫観念にも似た暗示が、次第に彼の心を支配していくのがその表情から見て取れた。

 次の一手で自摸るだろうという自信が確かにあるのだろう。

 真実、今の流れのままであれば、まず間違いなく自力で①筒を引いてくるだろうという奇妙な確信が私にもあった。

 

 だが、その激流にも似た流れを堰き止めるかのようにして手牌に紛れ込んでいる生牌の發。

 本来であれば、ここまで深い巡目になってしまえば絶対に切れない牌である。

 ただでさえそうなのに加え、オリたように見せていた京太郎君が3索を鳴いて5索を連続で河に切ったことにより、まさかとは思いつつも緑一色がちらりと頭を掠めたはずだ。

 だからといって、流してしまうにはあまりに惜しい――。

 いつの間にかそれは、激流へと変化した場の流れによってそんな至宝ともいえる大物手になってしまっていた。

 

「あそこで卓を囲んでいる誰にとっても、ここが正念場かな……」

 

 今大会で採用されているルールだと、最終局でのあがりやめが認められているため、親の彼には逆転手を和了した時点で対局を終えるかどうかの決定権が発生する。

 ――故に、選ばなければならない。

 ラス親での連荘、あるいは一撃必殺となりうる数え役満で総合一位を狙う道か。

 ここは倍満で妥協して、連荘時における振り込みのリスクを回避した上で総合二位で満足する道か。

 ……あるいは、次で①筒を引いてくる確信があればこそ、あえて發を抱え込んだまま聴牌流局して次の一本場に改めて役満和了を賭ける道か。

 

「正解を選べる確率は限りなく低いけど、それをしないとこの対局そのものが終わってしまうわけですから。狭山選手にとっては試練ですね」

「ねえ小鍛治プロ、実際にこんな手が揃っちゃった場面で流局を選べるものなの?」

「どうかな……少なくとも、今の彼の中だと一番選び辛い選択肢なのは間違いないと思うけど。でも、ここまで来たらあとはもう狭山選手の選択を見守るくらいしか私たちにできることはないよ」

「むむ、それはたしかにそうでしたっ! 総合得点上位を目指すすべての選手の命運を分かつ一打となるだろう狭山選手の選択は――っ!」

 

 三つの選択肢のうちどれが正解なのか、答えを知っている私たちであれば選ぶべき道は決まってしまっているように見えるけど。

 しかし彼はそれを知らないのだ。

 ここに来て一年生という浅いキャリアが仇になっているのかもしれない。京太郎君のように確信めいたものを感じ取れるような特殊な経験もなく、他家の聴牌を察知できるわけでもない。

 どう転ぶにせよ賭けになる要素の高い場面であることに間違いは無く。

 

 勝負をかけるべきところで動けない雀士にどれだけの価値があるのだろうか?

 以前、誰だったかにそんな風に問いかけられた記憶があるけれど。

 それも然り。どれが正解でどれが間違いなのかなんて、しょせん先に進んでみなければ分からないものなのだから。

 攻めるべきか、退くべきか。

 悩みに悩んだ上で――彼は引いてきた東を手牌に迎え入れ、ずっと右端に留めておいたはずの發を曲げて河に置いた。

 

「――リーチ!」

 

 これまでかけられなかった鬱憤を晴らすかのごとく、力強いリーチ宣言。

 彼の下した決断は――数え役満の和了によって総合一位を奪取する道。

 

 ざわり、と。

 同時に観客席がざわめいた。

 彼の本来のスタイルが攻撃重視だったこと。ラス親だったこと。そして何より状況がすべて自分寄りだと信じ込んでしまい、欲を出したことが裏目に出てしまった瞬間。

 北家の大越選手が思わず腰を浮かして、ロン宣言をしようと口を開きかけた――その時、だった。

 

「そ、それ――」

 

「――ロン」

 

 静寂に包まれる試合会場と、観客席と。実況をすべきこーこちゃんは言葉を失い、ただ呆然とその光景を眺めるだけ。

 パタパタと手牌が卓上に晒されていく音だけが辺りに響く。

 やがて、全ての牌が倒れきったところで唯一状況を完全に理解しているだろう京太郎君の声だけが。

 

「かっ攫うみたいで申し訳ないけど――緑一色、32000」

 

 その空間にゆっくりと染み渡るように広がった。

 

 

 

「きっ……決まったぁぁぁぁぁぁっ! なんとなんとなんとぉっ、清澄高校須賀選手、この追い詰められた土壇場でなんとまさかの役満和了――っ!」

 

 我に帰ったのか、隣でマイクを片手に叫びだすこーこちゃん。

 ふぅ、と小さく溜め息をついて椅子の背もたれに寄りかかる私。

 そんな対照的な二人の向こう側の世界では、静寂を切り裂くようにして大歓声が巻き起こっていた。

 

「これにより須賀選手はオーラスで逆転トップ、さらに総合得点でも現一位の東東京代表神前選手を抜いて全国個人戦逆転優勝~っ!!」

 

 なお続く雄たけびが鼓膜を震わせ、少しだけ機能を停止させていたはずの脳がその言葉の意味を噛み砕きながら理解していく。

 ――ああ、そっか。優勝したんだ。

 そんな風にどこかで納得する私が視界に捉えたのは、解説用のモニターの向こう側で喜びを爆発させている無邪気な男の子の姿だった。

 

「あっはは! やったよすこやん、あの子ついにやってみせたんだっ!」

「……福与アナ」

「――っとと、失礼しました小鍛治プロ。ええっと、では今の最後の場面の解説を――ってあれ、どこに行くの?」

「解説としては失格だけど。ちょっと出てくるから、あとよろしく」

「えっ!? ちょ、すこや――」

 

 止める暇も有らばこそ、というやつで。

 背中越しの声を無視して実況用の仮設スタジオから出て行く私。

 これまで散々テレビ局には勝手を許してあげてきたのだから、今日この時くらいはわがままを言う権利を認めてもらおう。

 そんなことを一人思いつつも、少しずつ、少しずつ歩く速度が早くなる。

 意図してのものではない。ただただ、もどかしいというか……私の足ってこんな短かったっけ?と思ってしまうくらいに普通の歩幅ではなかなか前に進まないのだ。

 

 階段を下りて、廊下の角を駆け抜ける。

 幸い誰かとぶつかるようなことは無かったし、お行儀は悪いが許してもらいたい。

 もはや歩くというより走っているという表現のほうが正しそうな気もするけれど。目指す場所へ向けて一直線に向かう私にしてみれば、そんなことは些細な事実だ。

 

 やがて――開け放たれた扉の向こうから、顔を真っ赤にして泣きながら出てくる選手――狭山くんを見つけた。

 最後の最後で攻めた結果、一番してはいけない振り込みをしてしまった彼。おそらく総合で三位からも転落し、だいぶ順位を下げてしまったはずだ。

 視線を伏せているため私のことには気づいていない。彼とすれ違う少し前にようやく私は歩調を緩め、淑女としては面目を保てる程度の速度となった。

 仮にも勝者の身内である私が、敗者である彼にかける言葉はない。

 振り返ることなく扉を潜り――周囲を見回して探すまでもなく居場所が割れる。

 こういう時、背が高いっていうのは探す側からするととても便利だと思う。

 人だかりの中心部分、自分の周囲にたくさんの記者が集まっているという慣れない状況に若干困惑気味の京太郎君がそこにいた。

 

 いつか見た事があるのと、似通った光景――だけど、周囲の喧騒の意味はあの時とは真逆だった。

 ちくりと痛んだ胸に突き刺さっていた小さな棘。ずっと片隅で(わだかま)っていた曇りが、スッと溶けて消えていくような錯覚に陥り、思わず苦笑いする私がいた。

 お調子者ではあるけれど、基本は素直で優しい子だ。

 こういった場でどういった振る舞いをしたら良いのか分からないのだろう。失礼の無いように丁寧に対応しようとするものの、興奮気味に語りかけてくる記者たちはヒートアップしていく一方で。

 困り果てた様子で周囲に視線を飛ばしている彼が、不意にこちらへそれを向けた。

 

「――あっ、師匠!」

「師匠? あ、小鍛治プロだ!」

 

 声に出すなと視線で訴えておくべきだったか。

 それまで京太郎君に向けられていたフラッシュが一斉にこちらへと向けられてしまい、その眩しさに思わず顔を顰めてしまう。いつになってもこれ慣れないんだよなぁ、なんて。

 そんなどうでもいいことを考えていたら、目の前に京太郎君がやってきた。

 

「お疲れさま。見てたよ」

「……っ、あ、ありがとうございます。俺、やったんスよね……?」

「うん。見事な緑一色だった。ようやく京太郎君は、ずっと望んでた場所に辿り着いたんだね。誇っていいよ、やっぱり君は私の自慢の弟子だ」

「師匠……っ」

 

 ぽんぽんっと肩を叩いてあげると、だんだんと彼の目尻に涙が溢れ出してくる。

 膝から崩れ落ちるようにして嗚咽を漏らし始めた京太郎君を、記者のカメラから護るようにして胸の中に抱き入れてあげた。

 仕方が無いなぁ。君が好きな大きい胸というわけにはいかないけれど、今はこれで満足してもらおう。

 

 震える頭を抱きしめながら、ふと思う。

 私はこれまで、麻雀はつまらないものだと思ってきた。それでも私に出来る唯一のものだったから、なんとなくそれに関わり続けて来ただけで。

 それはずっと続いていくものだと思っていた。

 麻雀を心から楽しめる日が来るわけが無いと、諦めてきた。

 そんな私だったから、勝ち試合だろうとリオでの負け試合だろうと、たかだか麻雀の試合の一つや一つで悔し涙を流したり感涙に咽び泣くなんてことは有り得なくて。

 それなのに――どうしてだろう?

 頬に少しだけ冷たい感触があるように思えるのは。

 視界がだんだんと悪くなっていっているのは。何故なのだろう?

 胸の中で震える彼が、愛おしくてたまらないのは。どんな感情から来るのだろう。

 分からないフリをしてやり過ごすことは簡単だ。でも、それでもいずれ追いつかれてしまうというのであれば――仕方が無い、認めよう。

 私はきっと、彼に――須賀京太郎君に、恋をしているのだろうと。

 だからにもこんなに胸が痛いのだろうし、こんなにも幸せな気分を味わえる。

 

「俺、やっと……っ! やっとあいつらに並ぶ事ができたんですよね……?」

「うん。そうだよ。君はもう、置いてけぼりにならなくていいの。清澄高校麻雀部の一員なんだって、胸を張って高らかに叫んでいいんだよ」

「でも俺、師匠が手を差し伸べてくれたから、だから俺はこうして……っ」

 

 いつだったか、そうしてみたいと思ったことがあったように。

 人差し指でゆっくりと、彼の唇と塞いでやる。

 

「ここまで歩いてきた道は私が用意したわけじゃない。京太郎君が選んで、自分の足で駆け抜けてきた道でしょう? だからほら――胸を張って、男の子。君は勝者、膝を付いて泣いてばかりじゃ格好が付かないよ」

 

 差し出したハンカチを受け取り、目尻に溜まった涙を拭き取る京太郎君。

 泣いてスッキリしたのか、次に見せてくれたのはニッコリととてもいい笑顔だった。

 

「そ、そうッスね。すみません、なんかかっこ悪いとこ見せちゃって……」

「ううん、そんなことは――」

「お~、さすがすこやん。まさかこの大衆とカメラのど真ん中でそんな大胆行動をとるなんて――いやぁ、一年ちょっとの間に成長したねぇ」

「って、カメラ!? 福与アナまでいるし!?」

「こっ、こここここここーこちゃんっ!? 何故ここに!?」

「いや何故って来ないわけないっしょ? 今年度個人戦チャンピオンの須賀京太郎君がいる場所にさ。んふっ、なかなかいいお姉さんっぷりだったよ!」

「あ、あぅ……」

 

 涙で化粧がどうとかよりももう今の現場を見られていた恥ずかしさのほうが先に立つわ。

 どうも遠慮ナシに今の光景をカメラに収められてしまっていたらしく、カメラマンさんはこちらに向けてぐっと親指を立てていい笑顔を見せている。

 あのカメラ群を全部破壊したら弁償額は幾らくらいになるだろうか?

 預金で足りればいいんだけど。足りなかったらもういっそもう一度世界戦に打って出て稼いでくるしかないかな。

 ――なんてことを本気で思っていたら。

 いつの間にか周囲には、こーこちゃんとお付きのカメラマンさんだけが残り、他の人たちは波が引いていくようにして居なくなっていた。

 

「さて。それじゃ落ち着いたところで勝者へのインタビューってことで、いいかな?」

「あ、はい」

「ほらほら、すこやんはこっち側っしょ。もしかして師匠として一緒に受け答えするつもりなの? まぁウチの局としてはそれでもいいけ――」

 

 全部を言い終わる前にカメラの後ろ側に避難する私。これ以上の恥の上塗りだけは避けなければ。

 その光景に満足したのか、こーこちゃんによる京太郎君へのインタビューが始まって。一つ一つの質問に笑顔で答えていく彼の表情をぽけっと眺めていたところ、何故かこーこちゃんの視線が一瞬こちらに向けられたかと思えば、ニヤリと唇の端を歪めて微笑んだのが見て取れた。

 

「さて。それじゃー須賀選手、最後になるけど一つ質問してもいいかな?」

「な、なんスか?」

「ズバリっ! この勝利を誰に捧げたいですか!?」

「――ああ、なるほど。定番ッスね」

 

 こーこちゃんの唐突な質問に、それでも京太郎君は既にその答えを用意していたかのようにあっさりと頷くと。

 

「それはもちろん、師匠であり――大切な人でもある、健夜さんに」

「――っ!?」

 

 私のほうを見て、微笑みながらそう言った言葉の意味を理解して。

 ああ、なんだ。私もちゃんと麻雀を楽しめているんだ、って。

 そう気付かせてくれた彼に、自然とこぼれたとびっきりの笑顔で返してあげた。

 

 

(後編に続く)




予想以上に文量が増えてしまったので、前後編の二部仕立てから急遽三部作になりました。
あくまで健夜さん視点による進行なので闘牌もダイジェスト気味に……。
このあたりの戦いの推移は、もしかするとライバルキャラまで掘り下げた状態で作品の完結に目処がたったあたり(番外編の進行次第)でリメイクすることも考慮に入れております。予定は未定ですが。

※この作品での個人戦ルールとしては、原作一巻における『開始25000点で30000点返しの順位点なし』を採用しています。

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