すこやかふくよかインハイティーヴィー   作:かやちゃ

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第06局:面談@嶺上に咲き誇る花たちの愁え

 長い長い一日が、ようやく終わろうとしていた。

 風越女子のメンバーは久保さんに連れられて。

 鶴賀のメンバーはこれ以上遅くなる前にとワハハカーに乗って。

 龍門渕のメンバーは執事さんの運転するなんか大きな車に乗って颯爽と。

 全員で示し合せていたかの如く、揃って綺麗にいなくなった。

 店内に残されているお客さんは靖子ちゃんと卓を囲んでいる清澄関係者だけという状況となり、自然な成り行きのままにほっと一息ついている私がいて。

 あれだけ大量の女子高生が集まると姦しいを超えてカオスになるということを痛いほど痛感した一日だったといえるだろう。

 バイト中の片岡さんと京太郎君はお店の後片付けに追われており、こーこちゃんらスタッフ陣は粗方撤収準備を終えて、テーブルで一息ついていたりする。

 ――で、私はというと。

 事務室へと通され、店長直々に煎れてもらったコーヒーをご馳走になりながら、優雅に休憩中である。

 

「ここまで一日ご苦労さんでした、小鍛治プロ」

「ホント、疲れたよ……染谷さんはさ、部活が終わって帰ってきてからいつもこんな大変な仕事をこなしてるの?」

「いやいや、さすがに今日は特別じゃけぇ。毎日こんなお祭り騒ぎじゃったらさすがに身体が持たんわ」

「まぁ、普通に考えたらそうだよね」

 

 ちょうど正午くらいから働き始め、実にいろいろなことがあったと思う。

 よくよく考えてみれば、実質店員として働いていたのはごく僅かな時間でしかなかったような……?

 だいたいの時間をイベントで費やしていたこともあるし、来たお客がほぼ仕込みだったというのもあるか。

 よくもまあこの短時間であれだけの仕事量をこなしたものだと思うよ。

 最後のあたりは若干ぐだぐだだったけど、それでも精神的にどっと疲労が溜まったのは間違いない。

 染谷さんもそうだったのだろうか?

 何処かしら上の空といった感じでカップの中のコーヒーの水面を見つめている。

 

「……染谷さん? さすがに疲れちゃった?」

「いいや、そういうワケじゃのうて。一つ、小鍛治プロに聞いてみたいことがあったんじゃけど……」

「うん? なにかな?」

「もし小鍛治プロが来年の清澄のオーダーを考えるとしたら、誰をどう配置するか。参考までにそれをちょっと聞いてみたい思うて」

「オーダー? 団体戦のってことでいいんだよね」

「うむ。久にもいちおう聞いてみたし、わしなりに考えてはおるんじゃけど……いまいちこれっちゅうのが見つからんでなぁ」

「んー……」

 

 もし私が来期の清澄高校の監督に就任するとして。

 間違いないのは、宮永さんだけは何があろうとも大将の位置からまず動かさないだろうということくらいか。

 それを軸にして考えていくと……。

 先鋒に原村さんを据え、次鋒に片岡さん、中堅には新人さんが入ると仮定して、副将に染谷さんという布陣あたりが妥当かなと。

 

「和が先鋒? えらい奇妙な力を持った奴らも多いところじゃし、あの和で大丈夫じゃろうか」

「うーん、正直に言っちゃうと消去法になっちゃうんだよね、先鋒は。

 あのポジションに関しては千里山の園城寺さんみたいな特殊な子が出てきたらもうしょうがないって割り切るしかないと思うの。そういう意味でも、相手の力とか関係なく大崩れはしなさそうな原村さんは適任なんじゃないかな。いちおうダブルエースのうちの一枚だしね」

 

 各校のエースが据えられている先鋒に、ムラっ気の強い片岡さんが回るというのは賭けるにしても分が悪すぎる。

 彼女の東場での爆発力は戦力が拮抗している平坦な場所に放り込むからこそ輝ける可能性があるし、逆にどんな力量差のある相手であろうと己の打ち筋を貫き通すだろう原村さんは、上手くいけば相手の絶対的エースを潰せる位置で使ってみたい。

 中堅には出来れば京太郎君並に防御に期待が持てる子が欲しいところではあるけれど、ここは未知数なので保留しておくとして。

 

「わしが副将――か」

「もし新しく入ってきた子が竹井さんレベルなら中堅と副将を入れ替えるのもありだけど。私は染谷さんの打ち回しなら副将でいくのが一番しっくりくると思うよ」

 

 副将に染谷さんというのは、相手がデータ重視でデジタル思考の場合が多いという事情を考慮に入れれば自ずと導き出せる答えだろう。

 牌効率を重視する打ち手の集う場というのは、どうしても似通ったパターンが多くなる。そうなってくれば染谷さんの打ち回しは十分に脅威を与えられるはず。

 無論、今年の新道寺のように特殊な戦略においてエースを副将に置いてくるといったような特殊なオーダーを組む高校が来年無いとは言い切れないけれど。

 そのあたりも含めて、事前にある程度相手の対策を講じておくことが前提になった案ではあるだろうが、あくまでも現時点の情報を基にして組むならば、私の場合はこうする。

 

「ふぅむ……なるほど。ありがとうございます」

「来年の春次第だろうけど、まぁ参考程度に覚えておいてよ」

 

 

 後片付けを終えて、ふと時計を見れば既に七時を回っていた。

 

「ああ、小鍛治プロ。申し訳ないんじゃが表の立て看板を下げといてもらえんかの」

「了解。それじゃここは任せるね」

「おう、すまんな」

 

 テーブルに突っ伏したままの片岡さんを見送りつつ、指示の通りにお店を出て――ふと、お店に入ってこようとしている一人の男性と目が合った。

 もしかしなくても、お客さんなのかな?

 会社帰りか何かだろうか。きっちりとしたスーツ姿といった出で立ちなのはともかくとして、眉間に皺が寄っていることからも、あまり機嫌が良さそうには見えないわけだけど……。

 

「店はまだやっているのかね」

「えっ? あ、はい。どうぞ」

 

 時間的にはまだ閉店まで三十分ほどあるので、扉を開けて迎え入れる。

 第一印象からしてとてもメイド雀荘に来るような人には見えなかったけど。人は見かけによらない、ということか。

 とはいえお客様であるからには迅速に案内しなければならないだろう。

 メイドお決まりの科白を口にしたら露骨に顔を顰められてしまったけれど、今日一日、数々の難問と立ち向かい撃破してきた私としては、そんなことで挫けてなんていられない。

 ……そうとでも思わなければ今すぐにでも泣き出しそうだという事実は伏せておくけれども。

 

「メニューはこちらになります」

「……ふむ」

 

 差し出した時にふと気づいた。

 見事に着こなしているスーツの襟の部分、向日葵のような外見の中央に描かれている天秤のマーク。巷で言うところの弁護士記章というものである。

 それだけ見るに、弁護士さんということだろうか。

 ……あれ、待てよ? 弁護士という職業にはどこか聞き覚えがあるような――。

 

「ではアイスコーヒーをもらおうか」

「――は、はい。かしこまりました、少々お待ちくださいませ」

 

 差し返されたメニューを受け取り、頭を下げてその場を離れる。

 できるだけ素早く行動に移すよう心がけていたせいか、窮地からの離脱は実にスムーズに行われた。

 こうして離れてしまったあとでさえ、なおもダラダラと冷や汗が流れているのが自分でも分かる。

 あの人絶対原村さんのお父さんじゃーん。

 外見が似ている、というわけではない。というかはっきりと言わせて貰うならば似ていない。彼女はお母さん似か、と一人納得する程度には。

 ただ、その全身に纏う厳かな雰囲気といい、このタイミングで現れたことといい、そうでないと考える理由こそ見つかりはしなかった。

 

「小鍛治プロ、注文は?」

「あ、ごめん。アイスコーヒーを一つお願いします」

「了解。しかしまさかこのタイミングで来るとはのう……」

 

 カウンターに座った状態で頬杖を付いていた染谷さんが、面倒くさそうに言う。

 ということはもちろんアレが何者なのかを知っているということだろう。

 彼女はアイスコーヒーを入れる作業の傍らで、物思いに耽っていたと思ったら、何かに思い当たったように表情を歪めて小さくため息をついた。

 

「……なるほど、久か。また面倒なことをしよってからに」

「竹井さん? あの子がどうかしたの?」

「小鍛治プロはアレが誰かは理解しとる?」

「たぶん、原村さんのお父さん」

「正解じゃ。まぁ見ての通りっちゅーか、和の話じゃと融通が利かん堅物らしいんじゃが……」

 

 それを聞いて、ああ、内面はお父さん似だったのかと納得しつつ。

 

「なんでも久のやつがあの人に向かって言うたらしいんじゃわ。仮にも弁護士が片方の言い分を聞いただけで罪状を論じていいものか、とな」

「……うわぁ」

 

 竹井さんの言い分は理解できなくもないけれど、プロ相手に喧嘩を売ってどうするよ。

 もう少し穏便に解決を目指していると思っていたのに、これならば聞かないほうがよかったんじゃないだろうか。

 

「まぁそれにゃあちらさんも思うところがあったんじゃろ。和との間で何回か話し合いがもたれた言うことは聞いとるし、転校云々はいったん保留になったんじゃと」

「そっか、それはよかった……って言うべきなのかどうか」

「で、こっからが本題なんじゃけど。あの人からしたら麻雀そのものについてそもそも理解できん言うことらしいんで、そのうちにプロに会わせるいう約束をしたとか言うとったわ」

「ふぅん……うん?」

 

 ちょっと待った。

 冷静に考えれば、その麻雀プロっていうのはきっと私じゃなくて靖子ちゃんのことだよね?

 そういうことならここに彼女がやって来て、未だに帰らず残っている理由にも頷けるというものだ。

 ただ当の本人たちは飲食スペースからは見えない隅っこのほうで麻雀打ってる最中だけども。

 

「ねえ染谷さん、それなら靖子ちゃん呼んできたほうが良くない?」

「そうじゃのう……あ、その前にこれ持ってっといてもらえんか」

 

 差し出されたアイスコーヒーのグラス。

 一瞬躊躇してしまうものの、それくらいならば私の身元がばれるということはないだろうし、仕方がないかと自分を納得させる。

 メディアの力を使って周囲を煽ったという隠し切れない事実もあって、正直原村さん関係者とは顔を会わせ辛いのだ。

 今回に限っていえばメイド服に猫耳という迷彩を装備中であることにむしろ感謝すべきだろうか。

 こういう時に限って、まるで謀ったかのように裏方に回って後片付けをしているこーこちゃんが羨ましい。

 

「お待たせいたしました。アイスコーヒーになります」

 

 もうはやこうなれば、メイドさんに成り切って粛々と仕事をこなすまで。

 コースターを敷き、その上にグラスを置いてミルクと砂糖、ストローを定位置に配置すればここでの私の仕事は終わりである。

 

「ごゆっくりどうぞ」

 

 とあまり得意とはいえない会釈を交えて頭を下げた時、

 

「小鍛治健夜プロとお見受けしましたが」

 

 不意に放たれた抑揚のないそんな科白に、絶望的な冷たさを伴った冷や汗が背筋を震え上がらせた。

 よもやこの完璧な変装が見破られていようとは――。

 

「少々お時間を頂きたいのですが、よろしいか?」

「は――はいっ」

 

 反射的に返事をしてしまう私。

 こうして、本日最後にして最大となる戦いの火蓋が切って落とされた。

 

 

 

「……どうぞ」

「あ、ありがとう」

 

 目の前に置かれたホットコーヒーのカップ。持ってきた原村さんは能面のような表情のまま、私の隣に腰を下ろす。

 三者面談というのであれば、むしろ原村さんの立ち位置は逆じゃないのかと首を捻りたくなる私の気持ちもどうか察してもらいたいものだ。

 普段から精神力がわりと強めな靖子ちゃんならばともかく、牌を握っていない時の私はこういった席だと縮こまるだけでほとんど何もできないというのに。

 無言が痛い、という表現を肌で体感する羽目になるとは……。

 選手交代を求めて視線をカウンターのほうに投げかけるものの、その救難信号をキャッチしてくれそうな相手は見当たらない。

 居た堪れなくなった状況で、最初に口火を切ったのは私だった。

 

「あのー、一つ聞いてもよろしいでしょうか?」

「――何か?」

「どうして私のことをご存知なんでしょう……?」

「例の番組を私も見させていただいた、と言えばお分かりになるでしょう」

「うっ……」

「まったく。これだからマスメディアというのは信用できないのだ。お陰でこちらは迷惑している」

「それについては、その……申し訳ないと思っています……」

 

 これに関しては素直に頭を下げざるを得ない。行動の根幹にあった理由がどのようなものであれ、起こった結果は受け止めなければならないだろう。

 迷惑をかけてしまったというのは事実なのだから、反省はしなければ。

 しかし、それが不服だったのか原村さんは身を乗り出して父親へと詰め寄った。

 

「小鍛治プロは関係ありません。皆さんは私のためを思ってしてくださったことで――すべての責任は私にあります」

「話にならんな。いいか、公共の電波を用いた放送で行われたという事実がある以上、それに関わっている人間に責任が発生しないなどということは有り得ん。

 放送した結果が齎したものを放置して責任が無いなどと言ってそ知らぬ顔をするのであれば、社会人以前に人間として失格だろう」

「……っ」

「その点については、小鍛治さんはきちんと弁えておられるようなのでこれ以上言及しないことにしましょう。だから和、お前もそんな顔をするな」

「……はい」

 

 渋々といった感じではあったが、原村さんは頷いて大人しくその指示に従った。

 思っていたよりも、話が通じる人だった……?

 

「では本題に移ろうか。プロの立場からの意見を幾つか伺いたいのだが、よろしいか?」

「はい、私に答えられることであれば」

「ふむ――ではまず、この子が将来麻雀のプロを目指したとして、どの程度成功が見込めるかを答えていただきたい」

「へっ?」

 

 事前にシミュレーションしていたのと違う毛色の質問すぎたせいで、思わずポカンとして間抜けな反応をしてしまう。

 慌てて取り繕ってみるものの、時既に遅し。隣の原村さんからジト目で送られてくる視線が痛い。

 場を仕切りなおすためにわざとらしく咳払いを一つ挟みながら、曲がりなりにもプロとして話すのだからと体勢を整えた。

 真剣な場であるというのに、頭上でぴこぴこと揺れているだろう猫耳はもはや忘却の彼方へと追いやってしまうしかないだろう。

 

「そうですね。大学卒業と同時にプロ入りすると仮定して――今の状態から考えると、一部リーグの中堅どころのチームで活躍できるくらいには」

「……」

「トップチームで活躍する一流の選手になれるという訳ではない、と?」

「可能性という段階で論じていいのであれば、一流に手が届く場所にはいると思います。それは、これからの彼女の努力次第でしょうか」

「ふむ……なるほど」

 

 納得しているのか、いないのか。さすがは弁護士というべきか、心の内を素直に表情に出すようなことはしない。

 隣の原村さんはといえば、その言葉に微妙な表情を見せている。

 いかな私といえどもそこを高めに見積もって嘘の情報を渡してしまうわけにはいかないし、本人としては不服であろうともこればっかりは受け入れてもらうしかない。

 

「私はね、小鍛治さん。プロの貴方の前でこう言うのも何だが、麻雀というものは所詮確率によって勝敗が大きく左右されてしまう、競技としては欠陥だらけで熱中してまで打ち込むようなものではないと考えている」

「欠陥、ですか」

「だからこそと言うべきかな。現状のままでプロとして成功するのであればまだしも、これからの貴重な時間を費やしてまでそちらに打ち込むことに意義は見出せない」

 

 言葉を私に向けていながら、その視線は原村さんに。

 親子同士の視線が火花を散らしながら交錯する。とばっちりっぽい位置にいる私だけど、今の発言には首を捻らざるを得なかった。

 

「それは、いま麻雀に向けている時間をそのまま勉強に費やせということですか?」

「その通り。高校の三年間というものはどう過ごすかによってそのまま将来を左右しかねない大事な時期だ。そのようなものに拘って無駄にするのはナンセンスだと思わないかね?」

「ナンセンス……」

 

 たしかに勉強は大切だろうと思う。

 高校生時代というのは何事においても吸収力が高く、学力にしろ体力にしろ芸術的なセンスにしろ、一方向に特化して大きく伸ばすためには必要不可欠な時間といえる。

 誰しもが夢見た場所へ到達するわけではない。色々な選択肢を用意するといった点で、勉強ができるのとできないのとでは明確な差がでるというのも悲しいかな、現実であろう。

 でもだからといって、勉強だけしていればそれで将来が保障されるか、といわれれば、昨今の社会情勢を鑑みるにやはり違うと思うのだ。

 勉強だから良い、麻雀だからダメだとか、そういうレベルの次元ではなく。一つのものだけに集中して視野狭窄の如き状況となるのはあまりよろしくないのではなかろうか。

 

 多感な年頃というのは、勉強にとってだけではなくて、その期間に出会う一つ一つの要素にとってとても貴重な時期である。

 そのすべてに原村さんを素敵な大人に成長させるための養分が確かに存在しているのだから、何かを切り捨てればそれで将来が安泰だという話にはならないはず。

 むしろ、自分以外の人間の心を知るという点において、共に切磋琢磨する仲間がいなくなる状況こそが、原村さんの将来に向けて必要な部分の成長を妨げることになりはしないか。

 そんなことを考えながらぐるぐると思考を巡らせていた私とは裏腹に、隣の少女は果敢に立ち向かうべく表情を硬くした。

 

「あの、一つだけこちらからも質問をさせていただいてもよろしいでしょうか?」

「なんだ?」

「お父さんは私に、将来弁護士になることを望んでいるのでしょうか」

「……別に、絶対に弁護士と考えているわけではない。ただ、勉強はできておくに越したことは無いだろうということだ」

「そう、ですか」

 

 口では否定して見せたものの、おそらく父親の本心としては原村さんには弁護士か検事を目指し、いつか両親の後を継いでくれることを期待しているのだろう。

 私には子供なんていないけれど、この年齢になってしまった今であれば、その親心というべき気持ちは分からない訳でもない。

 ただ、竹井さんの科白ではないが――多方面から物事を見て客観的に判断しなければならないはずの弁護士なり検事なりが、一方向にしか視点を向けられない状況で、果たして人の一生に関わるような検案を裁ききることができるものだろうか?

 胸元に光るあのバッジは、自由と正義、公平と平等を指すものだというけれど。

 建前なんかは置いといて、人と人との間には不自由と悪、不公平と不平等が蔓延しているものである。だからこそ、弁護士は弁護士たる資格と市民権を得ているわけで。

 傾いている状況の天秤を元に戻すという行為は、紙に印刷されている文字の羅列の中だけで粛々と行われているものなのか。

 別に、勉強を精一杯頑張って弁護士になった人たちを非難しているわけじゃない。ただただ純粋に、それが気になってしまっただけのことで。

 成り行きを見守っている私を他所に、親子の会話は次第に熱を帯びていく。

 

「では私が勉強と麻雀を両立させてしまえば文句は無い、ということでよろしいですか?」

「それができなかったのが今年の夏の結末だろう。保留にしてはいるが、白紙に戻したつもりは無いぞ」

「一年と区切った覚えはありません。私はあの時確かに高校でも、とそう言いました。あと二年残っていますっ」

「子供みたいなことを言うな。身にならないような遊びにうつつを抜かしているよりは勉強をしているほうがよほど健全だろう」

 

 いや子供ですが。しかもあなたの。

 ――なんて突っ込みを気軽に入れられないほどに、二人はなおもヒートアップしていく。

 結果、私は置物状態のまま、ずんずんと先へと進んでいくその光景を見続ける羽目になってしまった。

 いっそのこと退席してしまいたいんだけど、奥に座ってしまったせいで抜け出すこともできやしない。泣いてもいいですか。

 

「勉強なら今でもきちんとやっていますし、成績だって落ちてはいないはずですよ」

「いくらいい成績を残していようとも、こんな片田舎の高校と東京の進学校とではトップレベルでも天と地ほどの差が出てくるものだ。将来的にその差がどれだけのもになるのか、お前は分かっていない」

「弁護士になるためには今のうちからたくさん勉強しないとダメなんだってことは、分かります。司法試験に合格することがどれほど大変かは、理解しているつもりですし……」

「お前が思っているよりも更に狭き門であることは間違いないな。遊びにのめりこんだまま片手間で合格できるほど甘い世界ではないぞ」

「あれ? ということは……そんな過酷な世界に娘さんを引きずり込もうとしてるってことになる?」

「……なに?」

 

 あ、しまった。ついついポロッと本音が漏れてしまった。

 あの無感情っぽい表情でギロリと睨まれてしまっては、蛇の前に飛び出してしまった蛙の如く縮こまるしかないわけで。

 内容はともあれ紛れもなく親子の対話である以上、完全無欠に部外者な私が立ち入るような余地はない。できるだけ干渉しないよう、さりげなくこのまま招き猫化でもしておこうと思っていたはずなのに。つくづく私は馬鹿だと思う。

 

「何か仰りたいことがおありなら、伺おう」

「あ、えーと……」

 

 ここで何でもありません、と前言を撤回できたらどれだけ楽になれるだろう。

 隣から感じる期待の篭った視線が今は恨めしい。ここから逆転するための一手なんて手元には一切無いというのに。

 こういう時こそ、口八丁で煙に巻けるだろう竹井さんやこーこちゃんがいるべきじゃないかと思うものの……居ないものは仕方が無い。

 こうなってしまっては最早見切り発車のまま行くしかないか。

 思っていたことを素直に口に出すくらいしか今の私にできることはないのだから。

 

「昔も今も、私には麻雀くらいしか自分を誇れるものがありません」

 

 もはや恥も外聞もあるものかと。

 いっそ清々しいほどきっぱりと言い切った私に、対面に座っている原村父は続けようとしていた言葉を思わず飲み込んで一瞬沈黙する。

 

「……それが今回の件と何か関係が?」

「直接は何も。ただ、そんな私が麻雀界でなんて呼ばれているか、原村さんはご存知ありませんよね?」

 

 興味の無い人間が知る訳は無いだろう。

 実際に原村父は知らない様子で、会話の向かう先にもさっぱり見当が付かないらしく、怪訝な顔をしている。

 

「国内無敗のグランドマスター――確率が勝敗を分ける欠陥ゲームで、私は今まで、国内では一度たりとも負けたことが無いんです」

「……っ」

 

 その言葉が齎すもの、それが内包しているものの意味を知っているからか。隣の原村さんが小さく身を震わせて、縮こまった。

 別に威嚇しているつもりではないのだけれど、ついつい牌を握っている時のような雰囲気を醸し出してしまったようだ。

 本職の弁護士さんとはいえ、普段感じるものとは異質なそれに気圧されてしまったのだろうか。娘ほどとはいわないまでも、表情が少しだけ強張っているように見える。

 

「だからこそ、私には敗者の気持ちが本当の意味で理解できない。理解できないものを解き解すこともできない。選手としては最高、でも指導者としては欠陥品、それが私です」

 

 子供は親の気持ちを分からない、とはよく言われる言葉であるけれど。その逆もまた然り、子供の気持ちを親は理解しようとしない傾向があるのも事実である。

 考えてみれば、親を体験したことのない子供に親の気持ちを分かれと言うのは到底無理な話。そんなことは当然で。

 こういう場合にどちらが一歩相手のほうに歩み寄るべきかといえば、やはりそれは子供時代を経験したことのある親のほうにこそ、その責任があるのではないかと私なんかは思ってしまう。

 もちろん主張を全面的に受け入れろというのではなくて、まずは娘が大切に思っているものに対して頭ごなしの否定はしないであげてほしい、という些細な願いでしかないワケだけど。

 少しだけ肩の力を抜き、自嘲気味に笑ってみせた。

 

「でも今日、そんな私の弟子になってくれた子がいるんです。その子はとても一生懸命で、私から見たら眩しいくらいいい笑顔で笑ってる。

 だからこそ、というか。これまでのように理解できないものをそのままでいる訳にはいかないなって、プレッシャーを感じたりもしてますけど」

「人を教える器ではないと自覚していながら、その道を歩くと?」

「――はい。一歩踏み出して進んでみないと、何時まで経ってもそれを理解することはできませんから。彼も、きっと私も」

「……」

 

 それ以上、私が言うべきことは何も無くて。黙ってコーヒーを一口含み、背もたれに深く背中を沈めた。

 仮にも年上の、それも私よりも多くの人生経験を積み、修羅場を経験してきているだろう相手に対して、偉そうに説教じみたことを言えるはずが無いのだ。

 せいぜい私に出来ることといえば、言葉尻に暗に含めておいた意味をきちんと理解してもらえることを願いつつ、話をするくらいのことで。

 原村父が黙り込んでしまったために重苦しい雰囲気がテーブル周りを支配する中、不意に原村さんが口を開く。

 

「では、お父さんも小鍛治プロを見習って、実際に麻雀に触れてみたらどうでしょうか?」

 

 

 雀荘でする麻雀がこんなにも息苦しく感じることなんて、未だかつてあっただろうか?

 それくらいの緊張感を持って挑むことになった東風戦。

 起家は対面に座る片岡優希、南家が宮永咲、西家が私こと小鍛治健夜で、北家には藤田靖子。この面子で打つことになるため、原村父は私の後ろに設けられた席で娘の解説を受けることになる。

 初心者にいきなり牌を握らせるには面子が厳しすぎるのと、ちょうどいいので親子水入らずで話でもして気分を解して欲しいというささやかな願いによるものだ。

 

 ちなみにこの試合前、宮永さんにだけは少し話をしておいた。

 私に勝つことが出来れば原村さんの転校は完全に無くなるかもしれない――と。

 もちろん嘘八百なんだけど、全国団体戦のことを引きずっているであろう彼女にとってそれは今一度訪れた名誉を挽回する絶好の好機でもある。

 靴と靴下を脱いだ状態で椅子に座る姿を見るに、相当気合を入れて臨むつもりでいるようだ。

 今年度個人戦チャンピオンの実力、その片鱗をここで見せてもらおう。

 

 

 ――東一局。

 親の片岡さんが三巡目に速攻でリーチをかけてきた。

 安牌なんてほとんど存在しない状況で、宮永さんは悩むことなく二萬を河に切る。

 片岡さんから声はかからず、私のツモ番。引いてきた牌は⑧筒で、手牌の中に収めるには浮いてしまう牌だったが、あえて抱え込んでから代わりに順子を崩して6索を切った。

 

「チー」

 

 即座に下家から声がかかり、6索は5・7索と共に場に晒される。

 藤田靖子というプレイヤーは、本来であればこんな風にフットワークの軽い打ち方は好まないタイプの雀士である。

 じっくりと狙いを定め、後半で一気に相手の手を潰して攻めかかる。そういった後半戦での力強さから『マクリの女王』という二つ名を冠しているのだ。

 今回の場合、あくまでこれは親の一発を消すための鳴きであり、手を進めるためのものではない。というのも――。

 

「ツモ。リーチ門前清模和で1000オールだじぇ」

 

 ここでは片岡さんが和了するであろうことを私も靖子ちゃんも、おそらくは宮永さんも察していたからだ。

 彼女の特徴として、東場の早い段階でのリーチは破壊力を伴った危険な手であることが多い。

 手牌を見るに、高めで引いてきていれば一発に三色同順とドラ1が付いて親のハネ満、各々点棒が5000点ほど余計に取られることになっていたはずだ。

 和了自体は止められなくとも、できるだけこちらの被害が低くなるようにその破壊力を殺ぐ。そのための鳴きであり、和了牌のずらしである。

 親っパネで勢いづく予定だっただろう片岡さんは、今の和了で逆に勢いを落とす結果となるだろう。

 彼女が持つ唯一の武器といっていい東場の爆発力は、全国大会で猛威を振るいながらも流れが殺がれていく中で試合巧者たちによって抑え込まれていったのだから。

 その証拠に、

 

「――カン」

 

 東一局一本場から王者が動く。

 山から引いてきた北を暗槓し、王牌から引き抜いてきたそれを盲牌もせずに表向きに置いて。

 

「ツモ。一本場は1100、2100です」

 

 あっさりと嶺上開花で和了って、厄介な相手の親をいとも簡単に流してみせた。

 

 彼女も最初から本気で倒しに来ているのだろう。表情は既にあどけない少女のそれから魔王と称される感情の篭っていない微笑へと移り変わろうとしている。

 ちらりと靖子ちゃんに視線を送ると、こちらはこちらで悪魔を射殺す賞金稼ぎのようなおっかない表情を浮かべていたり。

 正直しんどい相手ばかりで、ため息も深くなるというものだ。

 

 

 ――東二局。

 やはり早い巡目でリーチをかけてきた片岡さんだったが、流れを失いかけているのか和了れず。逆に親の宮永さんに振り込んでしまい、直撃で5800+1000点を奪われた。

 それから一本場、二本場と親の連荘。三本場になってようやく片岡さんが満貫をツモ和了して、なんとか親が流れることに。

 この時点で、私と靖子ちゃんのプロ勢二人組はほぼ何もしておらず、ただツモで毟られていく点棒をやりとりしただけの焼き鳥状態である。

 

「……プロ勢が高校生二人に飜弄されているように見えるが?」

「麻雀は過程でトップに立っていても意味はありません。お二人はプロですから、お二人なりのゲームプランというものがあって、それに沿って打っているはずです」

 

 などと後ろから漏れ聞こえてくる囁きが多少耳に痛くはあるものの、原村さんの言うように、ここまではほぼ予定通りといっていい進行具合だ。

 例えば、安牌切りや筋読みなんかを背後のギャラリーに分かりやすく実践し、かつ疑問を生じさせた上で説明する余地を与えたり。

 牌を一つ切るにしても、効率重視のデジタル打ちに徹した打ち回しで、原村さんが得意としている牌効率の話題に自然と移れるよう計らってみたり。

 格闘ゲームなんかには魅せプレイというのがあるそうだけど、私が狙っているのは見せプレイとでもいうべきか。

 

 というのも、ここで私に課せられているミッションのクリア条件というのが、一方的な高火力の和了や連荘による圧倒的な勝利などではないからだ。

 麻雀というものがどれだけ脳の活性化に適しているかを観客席のあの人に理解させつつ、高らかに名乗りを上げてしまった国内無敗の称号を守ること。

 オカルトで蹂躙するのではなく――理詰めで倒す。苦手とは言わないけれど、あまり得意とはいえない分野での勝利が必要だった。

 殺る気になっている魔王を縛りプレイで倒すのは、絶望的とは言わないまでもなかなかに骨が折れそうな作業である。

 

 

 ――東三局。親となった私の手に、不自然なくらいのいい流れがやってくる。

 配牌を開いた時点でピンときた。おそらくこれは、宮永さんの点数調整能力による帳尻合わせだと。

 このままならば放っておいても和了れるだろうが、どうせなら少し狙ってみるのもいいかもしれない。

 彼女の支配力がどの程度磐石なのか、確かめてみるいい機会だろう。

 

 {一}{二}{三}{六}{六}{七}{①}{②}{③}{1}{1}{2}{3} ツモ{九} ドラ{3}

 

 この状況で即聴牌に取らずとも、このまま手なりで進めていけばハネ満クラスの手に仕上げられる可能性もあるわけだけど。

 宮永さんの現時点での点数は37700点でトップ、一方の私の点数が18300点で靖子ちゃんと同一ラス。

 親のハネ満で18000点が加算されると仮定すると、宮永さんが31700点に減少して私が36300点になるためこの時点でトップに立つことになる。

 おそらく彼女の目的は、オーラス開始前に私をトップまで押し上げることにあるとみた。

 その理由にもおおよそ見当が付いてはいるものの、それは御免被りたいというのが正直な感想なので。

 ここに来て初めてセオリーを無視し、三色ドラ1を捨てる格好になってしまうが手牌の中から3索を切った。

 

 背中越しに感じる原村さんの不満げな視線はまるっと無視しつつ、この先の展開へと思考を巡らせながら視線は他家の動きへと向けておく。

 場は淡々と進み、九巡後に片岡さんに聴牌の気配が。

 はっきりと表情と態度に出てくる彼女のようなタイプは特殊能力なんて無くても気配が読めるから楽でいい。

 

「リーチだじぇ!」

 

 宣言と共に力強く切り出された牌は九萬だった。

 彼女の理牌の癖から考えても、左から四番目の牌を抜いて捨てたということは、萬子での振込みはまず有り得ないということになるか。

 この時点での私の手牌はこんな感じで、こちらにとっては好都合だ。

 

 {一}{二}{三}{五}{六}{六}{七}{九}{①}{②}{③}{1}{1}

 

 宮永さんは無難に安牌を切り、私の巡目。山から牌をツモってきたら――ここで聴牌可能な四萬を引いてきた。

 一気通貫確定となる嵌張での八萬待ちを取るか、平和のみになってしまうが両面での五八萬待ちを取るか。

 リーチをかけない前提で、点数を取るのであれば前者、単純に和了易さを取るのであれば後者だろう。

 原村さんだとこの場面ではどちらを取るのか。そのあたり、おそらく今頃後ろで父親相手に持論の講釈を垂れているに違いない。

 

 もしも最初の時点で別の道を選択していた場合に、おそらく最後の手となっていたであろう形を現在の手牌と河から連想するに、

 

 {一}{二}{三}{七}{九}{①}{②}{③}{1}{1}{1}{2}{3}

 

 この場合、純全帯・三色同順・ドラ1でハネ満。待ちはやはり嵌張での八萬待ちとなっていたものと思われる。

 ――で、あれば。

 手牌から六萬を抜き、そのまま河に置く。

 嵌八萬待ちでのダマ聴を選択し、できるだけ点数をあげないようにリーチ宣言はしないでおいた。

 靖子ちゃんは片岡さんに対しての安牌を、片岡さんは一巡では和了できずそのままツモ切り、宮永さんの巡目でそれは起こる。

 ほぼノータイムで河に切られた牌。ピンポイントで出てきたそれは、私の待っていた当たり牌そのものだった。

 

「ロン。一気通貫のみ、40符2飜で3900点だね」

「――はい」

 

 一見すれば普通に見えるやりとりである。

 しかし、点数を申告した際に宮永さんがわずかに目を瞠ったところを私は見逃さなかった。

 初手でドラを手放した時点でハネ満を捨てたことは見抜いていたはずだけど、彼女が想定していたものよりも更に安手だったということだろうか。

 それともわざわざ点数を落とした和了の意味にまで辿り着いて驚いているのか。

 どちらにせよ、彼女の手のひらの上で踊るぶんにはこちらの自由がある程度保障されていることは分かった。

 

 親の連荘となるので、また私にトップを取らせるための流れが来るかと思いきや、ここに来てようやくマクリの女王が動く気配をみせた。

 八巡目でのリーチ、それも結構な高めっぽい気配が彼女の背後に纏わり付いている空気からひしひしと伝わってくる。

 こちらも決して悪くない手牌だったが、宮永さんと靖子ちゃん二人のリーチ合戦によってある程度減速しつつ回していたせいか、ほんの一歩の差で先に和了られてしまった。

 

「――ツモ。メンタンピン門前清模和ドラ2、ハネ満だな」

 

 ここにきて親っかぶり。更には最下位だった靖子ちゃんにぶち抜かれる格好で最下位に転落というおまけ付きである。

 オーラスを前に、一位は藤田靖子で31300点、二位に宮永咲で29800点、三位が片岡優希の21700点。最下位は私で、17200点という感じになった。

 

 雀荘にいる人間が揃って見守る中、異様な雰囲気が場を包み始めていた。

 原因は他ならぬ私である。トッププロの、国内無敗とさえ謳われた人間がよもやの最下位であれば、そのあたりは仕方がないことなのかもしれない。

 まぁ、まだオーラスが残ってるんだけどね。

 

 ちらりと視線を向けた先、盛大に眉を顰めているところを見れば分かるように、靖子ちゃんはハネ満を自模って暫定トップに立ったというのに機嫌はあまり宜しくない。

 マクリの女王たる彼女のゲームプランとしては、最終局での逆転和了こそが本領であるはず。それなのに仕掛けるのが一局早いというのは、本人の意図するものとは別の力が働いているのかもしれない。

 対面の片岡さんは思うように伸びなくなってしまった手にしょんぼり気味で。それでも最後に一発大きいのを虎視眈々と狙っていることに間違いはなさそうだ。

 問題の相手、オーラスで無敵の強さを誇ってきた宮永さんはというと――どこか遠くを見つめるような表情で、天井を見上げていた。

 

 泣いても笑っても最後となる、東四局。

 トップと二位との差はわずか1500点、どちらかが早めに和了すれば即終了となるわけで。

 三位の片岡さんと最下位の私としては、それよりも早く高い手を作らなければならない。

 淡々と手を進めていく四人の間には張り詰めた空気が流れていて、その一挙手一投足に注目している観客たちも固唾を呑んで勝負の行く末を見守っている状況だ。

 そんな中、五巡目という比較的早い段階で最初に動いたのは、宮永さんだった。

 

「ポン」

 

 靖子ちゃんの切った①筒を鳴いて、代わりに三萬を切る。

 これまでのデータからすると、宮永さんのポンに関しては加槓するための前段階である可能性が高い。

 故に長野県大会決勝ではそこを加治木さんに狙い打たれたわけだけど。

 全国大会では相手が搶槓できない状況に追い込んでから必殺技に持ち込む場面も見られたことから、今回も対策として手牌を筒子で埋めている状況なのかもしれない。

 ①筒でカンする今回の場合、宮永さんがトップに立つために必要な和了は嶺上開花のみでも十分だし、速攻を仕掛けることに問題はない場面といえる。

 もし彼女が、そのまま試合を終わらせられるのであれば――だが。

 

 

 対局が終了したのは、それから七巡ほど進んだ後のことだった。

 きっかけとなったのは、やはり宮永さんの宣言から。

 

「――カン」

 

 彼女は山からツモってきた⑧筒を暗槓し、嶺上牌を手に取った。が――そのままツモ宣言というわけにはいかず。

 引いてきた④筒を更にカンし、二枚目の嶺上牌を引いてくる。しかしやはり彼女は和了を宣言せず、引いてきた牌を手牌の上に乗せた状態で動きを止めた。

 この段階で、何かがおかしいと本人以外の全員が気づき始めていただろう。

 彼女はなぜ、高い手を必要としないこの場面ですぐにでも和了らないのか――?

 ――否。和了らないのではなく、和了れないのである。

 この時の宮永さんの手牌を対局後に確認したら、

 

 {②}{②}{②}{④}{④}{④}{⑤}{⑧}{⑧}{⑧}  {①}{横①}{①}  ツモ{⑧}

 

 この状態から⑧筒を暗槓。王牌から引いてきたのは④筒で、やはりカンが可能な牌ではあるものの和了牌ではなかった。

 続いて④筒を暗槓。王牌から引いてきたのは、暗槓が可能な②筒でも⑤筒でもない、①筒だった。これもまた、カンは可能だが和了牌ではない。

 宮永さんはおそらく、王牌にどの牌が眠っているのかをある程度察知できる能力を持っているのだろう。

 だからこそ、次のカンで⑤筒を引いてくることを感覚的に理解していた。

 ツモってくれば、清一色対々和三暗刻三槓子に嶺上開花で、三倍満。文句なしの大トップで対局は終了である。

 故に――宣言をしたのだ。もいっこカン、と。

 それが、無意識のうちに歪められている点数調整能力による落とし穴だと気づくこともなく。

 

「――ロン」

「……えっ?」

 

 王牌に手を伸ばした状態で、ぽかんとこちらを見る宮永さん。

 ああいや、宮永さんだけではなく片岡さんも靖子ちゃんも、宮永さんの後ろでギャラリーをしていた京太郎君や竹井さん、染谷さんなんかも同じような顔でこちらを見ていた。

 発声したのは無論私で。手牌を倒す音が響く中、視線が一気に集中する。

 

 {1}{1}{2}{2}{3}{3}{一}{二}{三}{②}{③}{赤⑤}{赤⑤} ロン{①} ドラ{2}

 

 最終的な形はこんな感じである。

 

「えっと、搶槓三色同順一盃口ドラ4で、倍満16000点かな」

『……は?』

「いやだから、搶槓三色同順一盃口ドラ4で、倍満――」

「――って、そうじゃなくてっ! 咲の連続カンからの嶺上開花を力技で止めた!?」

「その上で、倍満……じゃと!?」

「う、うん。まぁ……そんな驚かれるようなことでもないけどね。加治木さんもやってたことだし」

「いやいやいやいや! 普通そんなことできませんから!?」

 

 興奮気味の京太郎君がちょっと怖い。

 若干引き気味になりつつも、背後でやはりポカンとした表情を見せている原村さん親子のほうへと向き直る。

 

「えーと、今のはちゃんと解説できた?」

「い、いえ……正直、その――できればご本人から、お願いしたいのですが」

「うん、いいよ。じゃあついでだからみんなも聞いてて」

 

 

 宮永さんには最終局での和了役として必ずといっていいほど嶺上開花に拘る傾向が見られることは、データを見るまでもなく気づいている人は多いだろう。

 普通であれば押し切れるからこそ問題にはならないが、今回のようなどれか一つの役だけで和了っていれば何の問題もなく勝てる戦いでさえ、彼女はフィニッシュに嶺上開花をするという選択肢を採る。

 もっとも、彼女の手牌と捨て牌、他家の手牌と捨て牌を加味した上で考えてみれば、連続カンからの嶺上開花が最も早く和了れる手段であったことは事実であるため、今回に限って言えば間違いという訳ではなかったはずだけど。

 ここがまず、一点目。

 

 宮永さんの強力すぎる点数調整能力だが、あくまでそれは、プラスマイナスゼロに調整するために特化されたものであるという点が重要である。

 以前の取材の折に、彼女が勝つための麻雀を打つきっかけとなった一戦についても話を聞いていた。

 持ち点を他家に8000点ずつ配る、つまり-24000点した状態からプラスマイナスゼロに戻すように打てば勝てる、と竹井さんに言われて始めたのが最初だとか。

 宮永さんのオーラス前の点数は29800点。そのまま和了りも振込みもしなければプラスマイナスゼロ達成となるわけだけど。

 彼女は最初に自分の中で持ち点を1000点に定めて戦いを始めているため、この時点で彼女自身は自分の持ち点は5800点だという認識でいたはずだ。

 ここからプラスマイナスゼロにするために必要な点数は、きっちり24000点――そう、子で始まるオーラスにおいては三倍満しか有り得ない点数である。

 だからこそ、実際の点数はどうであれ、プラスマイナスゼロを達成するために彼女の最後の手牌は三倍満となる可能性を秘めた大物手へと膨らまざるを得なかった。

 

 鳴きを入れた状態で三倍満に届かせる、かつ数え役満まで伸ばさないためには、どうしても手の形が限られてくるものだ。

 三倍満になるために必要な飜数は11~12飜。その前提の上で鳴いた①筒を軸に考えていけば、自ずと形は見えてくる。

 ①筒をポンしているということは、考えられるのは混老頭、対々和あたりか。鳴きが一面子だけなのであればおそらくは三暗刻も付いてくるだろう。

 宮永さんのカンで増えたドラは彼女の手には乗らないというデータもあるし、そうなると喰い下がりの状態でも5飜役となる清一色は外せない。となると混老頭が消えて、清一色対々和三暗刻で9飜。

 嶺上開花が1飜役なので、残り1飜~2飜の役が必要となる。

 ドラを一枚でも含めていれば問題はなかったんだろうけど、赤ドラの⑤筒は配牌の段階から二枚とも私の手中にあり、ドラ表示牌は索子なのでそもそも使えない。

 となれば、条件により近いと思われるのが――三槓子。普段であれば役満クラスに珍しいくせに飜数はショボイという、非常に労力に見合わない役ではあるものの、この状況下では三倍満を作るために必要不可欠な役となってしまうわけだ。

 故に、条件を満たすためには宮永さんは必ず三度カンをしなければならなかった。

 これが二点目。

 

 前局の東三局で宮永さんによるアシスト(だと思われる)を蹴飛ばして一位を取らずにいたのは、オーラスで責任払いの対象となるのを防ぎたかったから。

 槓材を握らされるところから始まる一連の流れに自分が組み込まれてしまっては、その時点で抗う術が無くなってしまう可能性が高かった。

 しかし、結果的にこの目論見が成功したかどうかは微妙なところか。

 というのも最後の②筒、その一枚が私の手元へ来たからだ。

 ①筒を安全に加槓するためにおそらく②筒も連続カンの一部に組み込むつもりだったはずにも関わらず、である。

 この段階で、私の手牌はこうだった。

 

 {1}{1}{2}{2}{3}{3}{一}{二}{二}{三}{三}{赤⑤}{赤⑤} ツモ{②}

 

 この卓の状況下でリーチをかけるのはさすがに自ら首を絞めるに等しい行為だったので、自然とダマで待つことになっていたわけだけど。

 自前で自模れば高めも低めも関係なく文句なしの逆転トップ。(※南入は適用外のルールのため)

 ただし、ロン和了の場合は高めであれば平和二盃口にドラ4で逆転となる一手、しかし安めなら上位のどちらに直撃しても二位までにしか届かないハネ満止まり。

 勝負手としては申し分のない待ちであり、そもそも②筒は手牌からは浮いた状態にあるし、本来であれば捨ててしまうことのほうが多いケースだと思う。

 上家の染め手に警戒して抱き込むにせよ、ラスに座っている人間が攻めるべき局面でそんなことをすれば、勝負放棄のオリの一手と看做される場面でもあるし。

 しかし私には上記で述べた二つのポイントにより確信があった。

 宮永さんは必ず三回のカンを挟んだ上で嶺上開花による和了へと向かうはず。

 そして、麻雀という競技には雀頭を除けば面子が四つしか存在しない以上、②筒がこちらの手にある限り①筒も槓材の一つにならざるを得ない、と。

 国士には程遠い現状、地獄待ち状態の①筒を狙った和了の形を作るためには、②筒は③筒と共に欠かせない要素の一つである。

 わざわざ握らせてくれているのに、それを手放すような真似をする必要がどこにあるだろうか。

 

 元々私は引きが悪いわけではないので、ある程度自由が利くなら欲しい牌を引っ張ってくることくらいはできるのだ。きちんと山に眠っているのであれば、だけど。

 この場合、和了するための牌ではなかったからだろうか。思ったよりもすんなり③筒は私の手元へやってきた。

 二萬の代わりに②筒を、三萬の代わりに二巡後に引いてきた③筒を手の中に組み入れる。

 平和二盃口の4飜ぶんを搶槓三色同順一盃口に切り替えて、あとは連続カンが始まるのを待つだけの簡単なお仕事だった、というわけ。

 

 序盤から下位をうろうろしていたのも、観客への見せプレイをしていたからというだけではなくて。

 できるだけ視界に映ることをせず、こちらの意図を読まれない程度に彼女の意識から外れることも目的の一つだった。

 あまり宮永さんを刺激してしまうと、全国大会二回戦の時のように、縮こまった挙句の果てに本来の意味でのプラスマイナスゼロに落ち着いてしまうことも考えられたし。

 そうならないように事前に手を打っていたとはいえ、万が一そうなっていたとしたら、今回の対局は靖子ちゃんあたりが片岡さんからロン和了して最下位のままあっさり終わっていたかもしれない。

 そう思えば、実に薄氷を踏む勝利だったといえるだろうか。もうこんな打ち方は正直勘弁してもらいたいけど。

 

 

「そんなオカルトあり得ませんっ!!!」

 

 説明し終えた瞬間に、原村さんが叫びだした。

 オカルト……かなぁ。きちんと理論的に説明してあげたつもりだったけど……。

 これはもう一度説明してあげないとダメかな、と思いつつ頬を掻いていた私――だったけど。

 

「うっ……ううっ」

 

 唐突に泣き出した宮永さんの呻き声に意識を割かれ、卓のほうへと振り返れば。

 いつか原村さんがそうしていたように、今度は宮永さんが、膝から崩れ落ちるようにして泣き出していた。

 ああ、うん。そうだよね……。

 明らかに私のせいではあるけれど、だからといってここで「あれは嘘だったんだよ」とはさすがに言えない。

 清澄高校における小鍛治健夜が泣かせた女学生、これで四人目か。嫌な記録を作ってしまった。

 

「咲さんっ!?」

「ごめん、ゴメンね……っ、私、今度こそ……今度こそ和ちゃんのために勝ってみせるって……でも、ダメだった……ごめんね……っ」

「咲さん……」

「転校しちゃイヤだよう……イヤなのに私、勝てなかったよう……」

「……」

 

 何も言えなくなってしまったのか、無言のまま胸の中に抱え込む原村さん。

 泣きながら零した科白でおおよそのことに納得がいったのだろう。絶対零度に近い視線がこちらへと向けられてしまった。

 こうなってはもはや縮こまっているしかない。

 大柄だし、原村父の影にこっそりと隠れようかと画策していると、いつの間に出現したのかきっちりとしたスーツ姿のこーこちゃんが隣に居た。

 

「あれ、どう思います?」

「……どう、とは?」

 

 彼女は私のことをさらっと無視して、原村父に話しかけている。

 

「私、法曹界のことはよく分からないんですけど――女子学生のことはよく分かるんですよね。

 この時期にしか出来ない勉強っていうか、友達同士のお付き合いっていうか……そういうものが将来、すごく役に立つことがあると思うんです」

「……」

「彼女はここに必要とされてる。でもそれって、麻雀が強いからって理由じゃないんだろうなって私なんかは見てて思うわけですよ。

 たぶん、あの子がみんなに好かれているから。だからこそ、友達のことであんなふうに一生懸命戦えるし、悔しくて泣けるんでしょうね」

「進学校に行っても、友人くらいは作れるだろう」

「勉強においてはみんながライバルなのに、ですか? 上っ面だけの友達が何人いたってしょうがないでしょ。

 いいじゃないですか、二年半くらいちょっと無駄に過ごしたって。そんなことくらいで将来ダメになっちゃうような子は、きっとこの中には一人も居ませんよ!」

「他人の娘だと思って好き勝手言うものだな」

「それが私のいいところなのでっ!

 それに……私は、あの子の涙を二回も見ましたから。だからこそ、メディアの力を使ってでもここに留まらせてあげたい」

「それでこちらに迷惑がかかろうともか」

「それくらいなんだっての。娘のためにする苦労くらい笑顔で全部受け止めてこその父親ってもんでしょうが」

 

 バチバチと火花が散るような視線を交わす両者。

 この場合、どっちの修羅場からも蚊帳の外にいることを嬉しく思うべきなのか、悲しく思うべきなのか。

 そうは言っても、こちらのガンの飛ばしあいに割り込む勇気はないのだから、私が声をかけるべきはあっち側ということになるだろう。

 さりげなくこの場からフェードアウトしようとして、ふと。

 言い争っていたはずの二人の視線が、揃ってこちらへ向けられている事実に気が付いてしまった。

 この状況で何を言えと……?

 

「――あっ、ええと。そうだ、原村さん」

「……なにか?」

「これまでの転校で、あの子が泣いたことってありましたか?」

「いや。記憶にないが」

「そうですか。なら、あの子にとって清澄はとても大切な場所なんでしょうね。

 私は学生時代にそんなことを思ったこともありませんでしたし……そう思える和さんが、少しだけ羨ましいです」

 

 ぺこりと頭を下げてから、泣き崩れている二人の待つ雀卓へと向かった。

 

 

 泣いている宮永さんと、それを抱きしめている原村さん。

 その二人の傍に近づいていくと、のっそりとした動作で二人が同時に立ち上がった。

 

「……小鍛治プロに聞きたいことがあります」

「うん、なにかな?」

「インターハイ団体戦の決勝戦のこと、なんですけど……」

「――ああ」

「私、あの時……思ったんです、負けたくないって。今回と同じくらい、でも結局どっちも負けちゃって……」

「前にも言ったと思うけど。私は別に、宮永さんが手を抜いただとかそういうことを言ったわけじゃないんだよ」

「でも――」

「ちょっと落ち着いて。ごめん原村さん、染谷さんに言って飲み物を何か用意してもらってくれないかな?」

「分かりました」

「――あっ、和ちゃん」

「大丈夫ですよ。そんな顔をしなくても、私は何処にもいったりしませんから」

「う、うん」

 

 例の取材の一件で、原村さんの転校云々の話題の時に彼女に言った科白。

 もしかするとこちらが思っていたよりもずっと重く、あれがずっとこの子の中で蟠っているのかもしれない。

 

「そうだなぁ……うーん、宮永さんはこんな言葉を知ってる? 神はサイコロを振らない」

「知ってます。たしか、アインシュタインが確率論の討論の中で相手の人に言った科白ですよね?」

「さすが文学少女だね。細かい部分までよく知ってる」

 

 うんうんと頷いて、ショルダーバッグの中から手帳を取り出す。

 そこに記録されている全国大会における宮永さんの成績、そのページを開いて彼女にも見えるようにして卓の上に置いた。

 

「私はね、貴方のはまさにサイコロを振らない麻雀なんだと思ってるんだ」

「え……?」

 

 私だっていくら国内無敗と謳われていようとも、延々とツモ切りを繰り返すような怠慢な態度で打てば普通に負ける。何をおいても必ず勝てるわけではない。

 逆に言ってしまえば、だからこそ麻雀は競技として成立するのだ。人によっては欠陥ゲームと罵られてしまう原因でもあるようだけど。

 麻雀という競技は、まず最初にサイコロを振るところから始まる。配牌が何処から始まるか、山のどこからが王牌になるのか。それを決めるのはサイコロであって、必然ではない。

 そこからツモって来た牌をどうするのか。何を残して何を切るのか。それを考える余地が与えられているからこそ、麻雀は面白い。

 確率に大きく左右される競技というのも強ち間違いではない。

 だから勝ち続けることもあれば、どんなに強いプロ雀士であっても素人さんにコロっと負けてしまうこともある。

 でも……サイコロの出目、山に積まれている牌の配置、配牌で掴んでくる牌の種類、和了直前における各家の河の形。

 もしも――もしも神様がサイコロを振らなかった結果として、これらがすべて必然的に用意されているとしたら、どうだろうか。

 自分の点数、他家の点数、いつ誰が何処でどの役で和了するかに至るまで、すべてが彼女の思いのままに進行していくとしたら――?

 

「勝つことが約束された麻雀。ううん、結果が最初から確定している麻雀、っていうべきなのかな?」

「わ、私はそんな大それた力なんて持ってません!」

「もちろん、今の宮永さんはそこまで出来ないと思う。というかそれが意識して出来るようになったら、国内無敗どころか完全無敗を名乗れる雀士になれるよ」

 

 もっともその時は――それはもはや麻雀とは呼べない代物になり果てているだろうが。

 

「お姉ちゃんも、高鴨さんも、小鍛治プロも……普段の練習なら和ちゃんや部長だって、それでも私に勝つことができますよね。

 小鍛治プロが言ったような能力があったら、それこそどんな相手にだって負けることなんて有り得ないんじゃ……」

「うーん……はっきり言っちゃうと、宮永さんの持ってる『勝ちたい』って意思は、一般論的にはとても弱いものなんじゃないかって思うんだよね。

 だから結果も違ってくるというか、そもそも絶対的な勝利を齎すために能力自体が働いていないというか」

「私だって負けるのはイヤですよ」

「それはもちろん、そうだろうけど。でもさ、絶対に勝ちたいっていうよりは負けなければそれでいい、ってどこかで思っちゃうんじゃない?

 これを見て。長野県大会決勝と全国大会決勝までの全部で、宮永さんは区間トップを取れていない。チームが勝ち抜けるなら自分の成績は関係ない、って気持ちが如実に現れてる結果だと思うんだけど」

「それ、は……」

 

 もっとも、団体戦に限ってはそれは悪いことじゃない。

 絶対に勝つと意地になる子をよく見るけど、そういう子はメンタルの部分でけっこう脆いことも多い。スタンドプレーに走った挙句、自分でプレッシャーかけて勝手に潰れたりもする。

 そういう意味で宮永さんの精神は軸がブレないから、チームのみんなも見てて安心できる部分もあるのだろうし。

 

「宮永さんはね、強いの。それは間違いないことで、私もきちんと認めてるんだ。

 本気になれば誰にだって――それこそ私にだって負けることはないってだけのポテンシャルを秘めてると思う。

 けど、本人がそれを望んでいないように見えちゃうから違和感が残るって言うだけでね。それが良いとも悪いとも言うつもりはそもそもないの」

「私は、そんな……」

 

 正直なところ、この評価は今だと少し難しい部分があったりするんだけど……。

 宮永咲という少女には欠落した部分がある。

 それは――勝利に対する執着心。彼女は麻雀を楽しんでプレイすることに重きを置いているようで、そもそも勝敗というものに執着している様子がほとんど見られない。

 今回の対局で確信できた。宮永さんはおそらく、どんなものを背負おうとも確実な勝利が欲しいと望むだけの執着心を持つことはないのだろうと。

 だからこそ、なのか。彼女は振らなくてもいいはずのサイコロを振りたがる。

 それはおそらく、この先も彼女の胸のうちに潜み続ける緩みになるだろう。

 その緩みの結果として、麻雀で負けることはこの先もあるはずだ。

 ――ただ、実際に近くで様子を見るにつけ、それは彼女が人間らしさを保っていくために必要な安全装置のようなものではないか、と考えるようになってきた。

 この子がもし勝ちに拘る心のままに牌を握り始めてしまえば――もしもあの能力が完全に開花してしまったとするならば、機械のようになってしまいそうな気がするのだ。

 神により定められた運命を辿るだけの、牌をツモって切っていく作業をこなすただのマシーンに。

 

「――宮永さんは、麻雀楽しい?」

「え? ……はい。昔はあまり好きじゃありませんでしたけど……勝てても勝てなくても、今は麻雀を楽しんでます」

「そっか。なら私から言っておくことは一つだけ。自分の能力に負けるような麻雀は打たないこと」

「自分の能力に、負けない……?」

「そ。能力があるのかないのか。どっちにしても、結局サイコロを振るか振らないかを決めるのも、貴方自身の役目だってことだよ」

 

 それは麻雀という競技において最強になりうるものではあるけれど……宮永咲という少女にとっては、歓迎すべきことではない。

 だからこそ、宮永咲は欠落を抱えたままの雀士でいればいい。

 麻雀が楽しいと心からの笑顔で言える今の自分を、永遠に失ってしまわないためにも。

 サイコロを振りながらも大抵の相手にならば勝てるだけの実力が、彼女には備わっているのだから。

 

 

「あの、小鍛治プロ」

 

 ある程度状況が落ち着いたあと、原村さんから声をかけられた。

 原村父と一緒に帰ることになって帰り支度をしていたと思ったけれど、終わったんだろうか?

 

「こちらの事情に巻き込んでしまって、申し訳ありませんでした」

「ううん、こちらこそ。なんかあんまり役に立てなくてごめんね……」

「いえ。そんなことはありませんでしたよ」

 

 外部の人間に向けては滅多に表情を変えたりしない彼女だが、仲間内にそうするように、ふわりと柔らかく微笑む。

 原村さんの態度を変えるなんて、それほどまでに役に立つようなことを何かしただろうか?

 

「父が黙り込んだということは、何かしら感じるものがあったという証拠ですから」

「そうなの?」

「はい。気に入らないことには即座に反論するタイプの人なので」

 

 きっぱりと頷いてそんなことを言う原村さんだけど、やっぱり父娘なんだなと別の部分で納得してしまう。

 ともあれ、今回の親子の対話をきっかけに二人が歩み寄ることができるのであれば何よりだと思う。

 

「では、本日はこれで失礼させて頂きます。残りの時間、頑張ってください」

「うん。ありがとう、お疲れさま」

 

 

 

 壁掛け時計の長針が、午後九時の訪れを指し示す。

 これによりようやく私服に着替える時がやってきて、若干名残惜しくも感じてしまう猫耳カチューシャを外して机の上に置いた。

 なんでもメイド服は今回の記念に貰えるらしいので、手渡された紙袋にきちんと畳んで押し込めておく。

 貰ったところで今後活かせる場面が出てくることはないと思うけども。記念品という意味では、とてもありがたい存在であることに間違いはないだろう。

 手荷物を持ってフロアに戻ると、既に着替え終わっていた片岡さんと京太郎君、宮永さんの三人がテーブル席に座って談笑していた。

 

「あ、小鍛治プロ。お疲れさまだじぇ」

「お疲れさまです、師匠」

「お疲れさまでした」

「みんなもお疲れ様」

 

 こちらに気が付いた片岡さんたちが手を振ってくれたので、小さく手を振って返しておく。

 靖子ちゃんと竹井さんの二人は、対局が終わったあとに連れ立って帰宅したのを確認済みだからいいとして。

 残っているはずのこーこちゃんの姿が見えないのは少し気になる。何処にいったんだろう?

 キョロキョロと周りを見回していると、店長とこーこちゃん、二人が事務室から揃って出てきた。

 

「これでほんまに今日の仕事はおしまいじゃ。小鍛治プロ、色々と慣れんことまでやってもろうて、お疲れさんでした」

「染谷さんもね。正直今までやってきた仕事の中でダントツで疲れたけど……まぁ、いい経験だったと思うよ」

「ほうか。そう言ってもらえたらこっちとしても満足じゃ。のう、福与アナ」

「うんうん。すこやんが色んなジャンルで戦えることも分かったし、収穫としては十分すぎる程だったね」

 

 ニカっと笑うその表情からは、あまり良い予感はしてこない。

 今日はこれで終わりだろうけど、今後また似たような展開になるなんてことは……ないよね?

 全国津々浦々の高校でこんなことをさせられていてはさすがに身が持たないし、全国各地で出没する猫耳メイド雀士なんて肩書きが付くのはイヤ過ぎる。

 

「そういえば、次の取材に行く学校はもう決まってるんですか?」

 

 私が一人で戦々恐々としていると、寛いでいた三人組も帰り支度をした状態でこちらの話に加わってきた。

 

「一応候補は絞ってあるけど、本決まりってワケじゃないんだよねー。白糸台か、新道寺あたりか……」

「個人戦一位の学校の次だから、普通に団体戦優勝校に行くもんだと思ってたじぇ」

「阿知賀かぁ……それもありっちゃありなんだけどね。原村さんと繋がりもあるし」

「もしかして候補の高校は清澄の誰かと繋がりのある相手がおる学校を選らんどるっちゅーことなんか?」

「あっ、新道寺は花田先輩か!」

「白糸台はお姉ちゃんだね」

「せーかーい。やっぱ番組的にも話の持って行き方的にそういうのあったほうがいいしね」

 

 お察しの通り、次に赴くことになる学校は、清澄との関連を匂わせる場所に行こうということになっている。

 宮永咲の姉、宮永照を擁する西東京の強豪白糸台高校。

 原村和と片岡優希の中学時代の先輩、花田煌が所属している北九州最強の新道寺女子高校。

 加えて、原村和が小学校高学年から中学時代を過ごしたとされる、今年度団体戦優勝の阿知賀女子学院。

 今のところの候補地はこの辺りか。奇しくも全校ともに清澄とは反対側のブロックで戦った準決勝進出校なんだよね。

 

「ちなみに、すこやんが行ってみたい学校っていったら次は何処?」

「なんだか前と同じパターンで、言ったらそこに決まっちゃいそうな気もするけど……個人的には阿知賀、かな」

「おおっと、さすがすこやん。目玉の学校両方とも序盤に消化するとか番組編成担当泣かせだね!」

「だったら最初から順番ちゃんと決めとくべきだと思うよ? 相手の学校の都合だってあるんだろうし」

「なんのなんの。そのあたりはバッチリ私たちにお任せあれってね!」

「……まぁ、どっちにしろ任せるしかないんだけどさ」

 

 日本全国をダーツで旅する人も居るくらいだし、それに比べたらまだマシかと自分を納得させるしかない私ではあるけれど。

 ――後日。

 この行き当たりばったりな計画によって、いったい誰が泣きを見ているのか。

 その現実を目の当たりにすることになろうとは、さすがの私でも予見することは適わなかった。

 




色々と突っ込みどころ満載な感じになりましたが、清澄編はとりあえずここで区切りとなります。
次回『第07局:旋風@伝説を担う少女たちの翼』。ご期待くださいませ

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