セキュリティ絶対突破するマン.EXE   作:エターナルマン.EXE

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 (本編進める以外の話が書きたいけど教育回以外の具体的な)ネタがない。
 分不相応なペースで書くと無理が出てくるということですね。

 誤字報告ありがとうございます。


X7話 鏡の湖

 ポケットから小銭を掴みだした手が、顔が映るほどに磨かれたカウンターの上で逆さにして無造作に開かれた。

 窓一つなく、暖色のランプだけが薄明るく照らす店内で、空のグラスを拭く白衣の若い男が、小銭の落ちるちゃりちゃりという音の出どころに目をやる。渡の他にはまともな客などおらず、出入りもなく、音楽などもかけていないため、それで小銭の音が余計によく通っていた。

 次に、小銭を置いた子供を見た。席に置かれたマグカップには、口をつけた跡はあるものの、中は熱いコーヒーがなみなみと注がれている。

 

「どこへ行くんだ?」

 

 持ったものを置かず、手だけ止めて、男は渡に問いかけた。まだほとんど残っているじゃないか、とはわざわざ言わなかった。

 

「ちょっと涼みに」

 

 隣の席に置いてあった鞄のベルトを持ち上げて肩にかけ、渡は男に目も合わせずにそう言った。男が何も言わず、グラス拭きを再開するのを見て、渡はそれ以上断らずに出ていくことにした。

 ドアの取っ手を掴んで押すとドアベルが鳴り、ドアの開いた隙間から外の明かりが差し込んで、暗闇で顔に懐中電灯の光を当てられたように、眩しさに目を伏せて顔をしかめた。

 渡は生来、ピカピカに明るい空間は苦手で、私室の照明も弱めにしているくらいなので、こういう時に人一倍眩しく感じるものだった。

 光に遅れて流れ込んできた乾いた空気が全身の肌を滑って通り抜けると爽やかで、同時に、瞼を押さえつける光の当たる所はじんわりと温められた。

 1歩2歩と外に足を踏み出すと、分厚く柔らかいものを踏む感触があり、サクサクという音が足元からした。

 薄目を開けて下を向いて歩いていき、次第に目が慣れてくると、そこからほんの十数歩先に湖があった。行き過ぎると落ちるところだったな、と思った。電柱に当たるのとどっちが嫌なのだろうか、とも思った。

 

 いい景色だ、と左右を見回す。くるぶしより少し高い草は視界の端までずっと生い茂り、地平線になって消えていた。風が吹けば地上に緑色の濃淡で波が立ち、ざあざあと鳴りもした。

 地平線を境にした上半分は、白い雲が流れる青空がどこまでも広がっていた。これだけ晴れていれば鳥の一羽や二羽くらい飛んでいてもバチが当たらなそうなものだが、本当に雲以外には何もない青空だった。たまに吹き下ろす風が涼しい。

 目の前に向き直れば、緑の折り紙の上に丸い手鏡を乗せたように、湖が草原にぽっかり穴を空けている。大きな湖だった。果てしないという程ではなく、何歩か下がって前を向いていれば全貌が視界に収まるくらいのものだった。深さも4、5メートルといったところに見えた。

 

 湖の水はごく透き通っていて、膝をついて顔を近づけて覗き込むなどする必要もなく、立ったままでも底まで見通すことができた。赤、青、黄、緑、淡い色、濃い色、明るい色、暗い色。環境を選ぶはずの魚が、こんなに色とりどり、ひとところにあるものかと、渡は目を瞬いた。

 いや、よく見れば、水底で揺れる水草や、じっと動かない石、時々小さく舞う砂までもが、魚たちと同じように鮮やかに色付いている。

 情報過多な水中の景色は、油の中にビー玉や植物を入れて作る人工のインテリアを連想させたが、これは手に持って傾けたりせずとも、中の魚が自由に泳ぎ回っているので、やはり違う、と渡は思った。ただ思っている間にも、魚はあちらからこちらへとすいすい泳いでいる。

 

 見ているうち、ここで釣りでもすれば、さぞ楽しいのではないか、と思った。そう思ったところで、そういえば、もうここで魚を釣ったことがあったか、と思い直した。

 やはりこれだけ澄んだ湖では釣り針にかかる魚は少ないのだろう、傍らのクーラーボックスは決して空ではないのだが、釣果が芳しくなかったのは確かだと、今思い出した。

 

 ぼーっと湖を見ているうち、水は冷たいだろうかとふと思って、湖のそばに屈んで右手の人差指をぽつっと入れると、途端に、乾いた絵の具が水に溶け出すようにして、指から肌色の汚れた煙が滲み出した。

 

 わっと慌てて引き抜く。すると、渡は水の中にいた。息ができなくなったわけでも、目を開けていられなくなったわけでも、水が冷たくてたまらないわけでもなかったが、ただ、水に体を取られていた。

 足はついていない。浮力と重力が全く相殺しあっているかのように、高さを保って浮遊している。半袖のシャツが上下にゆっくり揺れ、捲れ上がったりぴったり張り付いたりした。

 反射的にもがき、手足が水をかくが、それはどうしてか、体の位置を動かしてくれない。水中特有の重い手応えを手先足先にはっきり感じてはいるし、揺らした水が底の砂を巻き上げもしている。水の透き通り加減のおかげで、それがよく見えた。

 見えないし触れない、刺されても痛くない、そんな虫ピンでその場に留められているように、ただただ体がその場から動かなかった。

 

 全身から滲み出す汚れた煙の隙間から、湖の様子が見えた。魚たちは煙から逃げるようにして飛んでいったり、戸惑うようにぐるぐる回ったり、ほんの数匹、追い立てられるようにしてこちらへ向かってきたものは、渡の体をかすめたりした。

 魚が煙を割きながら顔に近付いた時は叫びそうになったが、その声は喉から泡として出ていき、水面へと真っ直ぐ上っていっただけだった。

 

 次第に渡は冷静になってきたが、状況は変わらない。むしろ、湖は渡から滲み出し続ける煙で汚れていくばかりで、一定の緊張はあった。腹を上にして浮かんでいく魚を不思議と見かけなかったが、湖の変わりようが惨憺たる有様なのは間違いなかった。

 上まで泳いで湖から出ることもできない今、渡は、動けない自分のことより、魚たちに悪いと思った。不思議と、いつまでもここから出られないのか、という考えや恐怖はなかった。

 色とりどりの魚や、その下にあるこれまた色とりどりの背景が目に入っていて、そのことだけを考えていた。

 

 視界が濁っていく中、突如、渡は巨人につまみ上げられるようにしてそこから消えた。

 

 湖の水ではなく寝汗にまみれた状態で、渡は自室のベッドの上で目を覚ました。もう、鏡子が朝食を準備している時間だった。




 「2」をおさらいしているとオフィシャルの設定がまた危なっかしくなってきました。
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