シズクが意識を回復したのは、ホワイトアウトする直前だった。
負傷から復活した四人が呻き声を上げながら立ち上がり、ユージオとカーディナルの元に歩み寄った。
「キリト、この人は一体・・・」
「名前はカーディナル。え〜っと・・・簡単に言うと、200年前のアドミニストレータとの戦いで追放されたもう一人の最高司祭だ。頼りになる味方だよ。カセドラルに侵入した俺達を助けてくれて、ここまで導いてくれたんだ。」
「今までご苦労じゃったな。シズクとやら」
「別に俺は何も成せていない。結局の所、俺はキリトを当てにして同じ
「何を言うておる!イーディスもアリスも、よくぞ剣を取ってくれたな。お主が奮起しなければ今この場にキリトとユージオ、アリスの三人しか居らんかったのだ。心強い事よ」
「それでも、あの様だけどな・・・・カーディナル、あの蜘蛛にフラクトライトは?」
「いや。お主の世界の言葉を借りれば、シャーロットはNPCと同じ存在じゃ」
悲痛な表情で俯きながら訊ねるシズクに対して、カーディナルはかぶりを振って答えた。キリトはシャーロットの最期を思い出しながら、悔しさを滲ませるように拳を握って、なおも問いただした
「・・・シャーロットは俺を救ってくれた。俺のために自分を犠牲にしたんだ。フラクトライトがある訳でもないのに、どうしてここまで・・・・・」
「こやつはもう200年も生きておった。その間ずっとわしと語らい、多くの人間達を見守ってきたのじゃ。お主に張り付いてからでも早2年。それほどの時を過ごせば、たとえフラクトライトを持たずとも・・・たとえその知性の本質が入力と出力データの蓄積に過ぎなくとも、そこに真実の心が宿ることだってあるのじゃ・・・」
シャーロット亡骸が眠るローブの裾に手を添えながらカーディナルが言うと、キリトは静かに目を閉じて彼女の冥福を祈った。そしてカーディナルは視線を鋭くすると、宙に浮かぶ自分の分身を睨みつけながら叫んだ
「そう!時として愛すら宿るのじゃ!貴様には永遠に理解できぬことであろうがな!アドミニストレータ!虚ろなる者よ!」
「ふん、来ると思っていたわ。その坊や達をいじめていれば、いつかはカビ臭い穴倉からゴキブリのように這い出てくるものだとね。それと、私だって愛だの恋だのを理解しようとしたのよ?そこのサンプルケースを見てね」
「少し黙れ・・・・」
「嫌よ、喋らせてもらうわ。・・・来ると思っていたわ。その坊や達をいじめていれば、いつかはカビ臭い穴倉からゴキブリのように這い出てくるものだとね」
アドミニストレータは鋭く睨むカーディナルの視線を見下しながら、未だかつてないほどの魔性に染まった笑いを見せた。そして数百年ぶりに及ぶ再会に、アドミニストレータは心を躍らせるように全身を打ち震わせていた。
「フンッ、しばらく見ぬうちに随分と人間の真似が上手くなったものじゃな」
「あら?そういうおチビさんこそ、その可笑しな喋り方は何のつもりなのかしら?」
「歳を取った故な。相応の喋り方に変えただけじゃ」
因縁の宿敵を前にして口調に力がこもるカーディナルに対し、アドミニストレータの声はどこまでも冷ややかだった。しかしキリトら五人との会話の時のような無感情な口調ではなくなり、どこか歓喜しているように口元から微笑が漏れていた。
「うふふふ。喋り方は変わっても、200年前私の前に連れて来られた時の心細そうに震える面影は残っているみたいね。ねぇ・・・『リセリス』ちゃん?」
「わしをその名で呼ぶなクィネラ!わしの名はカーディナル!貴様を消し去るためにのみ存在するプログラムじゃ!」
彼女の元の名を口にしたのであろうアドミニストレータに対し、カーディナルは声高に新たな自分の存在を謳った。そして彼女を生み出した支配者は、可笑しそうに笑いながら自分も同じように名乗った。
「あはは、そうだったわね。そして私はアドミニストレータ。全てのプログラムを管理する者。迎えに行くのが遅れて悪かったわねおチビさん。あなたを歓迎するための術式を用意するのに、ちょっと手間取っちゃったものだから」
そう言うとアドミニストレータは高速で神聖術の式句を詠唱し、仕上げに指を軽く鳴らした。するとその瞬間に、大広間の窓から覗いていた夜空が更にどす黒い闇に支配され、床に足を付いているキリト達は体が少し浮いたように感じ、シズクは何かを感じとった様に叫ぶ。
「アドレスを切り離したか!」
「ご明察、前回からの反省点よ。200年前あと一息で殺せるという所でお前を取り逃がしたのは、確かに私の失点だったわ。あの黴臭い穴倉を非連続アドレスに設置したのは、私自身だものね?だから今回は、その失敗から学ぶことにしたの。いつかお前を誘い出せたら、今度はこっち側に閉じ込めてあげようって。鼠を狩る猫のいる檻にね」
それは窓の外の世界ではなく、世界とこのカセドラル最上階との接続の切断を意味していた。世界からただ一点だけ切り離されたこの空間でアドミニストレータは、狡猾な自分に酔いしれるようにくつくつと笑った。カーディナルは彼女の笑い方に軽く舌打ちすると、負けじと勝ち誇ったように鼻で笑って言った。
「ふん、それは結構なことじゃな。けれどこの状況ではどちらの陣営が猫で、どちらが鼠かわからぬと思うが?なにせ我々は6人。そして貴様は一人なのじゃからな」
「その計算はちょっとだけ間違っているわね。正しくは6人対『300人』なのよ。私を加えなくてもね」
「・・・さ、300人?」
アドミニストレータの口にした言葉の意味が分からず、キリトが怪訝そうにその人数を繰り返した。だが彼と違ってカーディナルはその意味を一瞬で理解すると、血相を変えて声を震わせた。
「まさか、貴様・・・!なんと・・・なんと非道な真似を!その者達は本来貴様が守るべき民ではないのか!?」
「民・・・民って・・・人間!?」
「それがアドミニストレータが導き出したダークテリトリーからの侵攻を防ぐ、最終負荷実験に対する答えだ!アイツにとって守るべき対象は人間である必要がないのさ!!」
カーディナルの言葉をうわ言のように呟いていたユージオが、その意味に気づいて声を荒げた。キリトとアリスの理解が漸く追いつき、低くどすの利いた声音で言い切るシズクに五人は注目した。
「ちょっシズクどういうこと!?」
「あら、もう隠すことはしないの?なら説明してあげなさいな」
驚くイーディスを見下しながら、彼女は下らない質問だと言わんばかりに笑って言う。
「言われずとも。支配者であるアドミニストレータにとって下界に存在するのが人間か物かの違いだ、整合騎士を繋ぎとして作り上げたソードゴーレム・・・それも試作品でダークテリトリーの総侵攻を乗り切るのに人界の総人口の半分をソードゴーレムに変換する心算だ!!」
「そうよ、正解!貴方を分析して、未来を知るのも悪くないかも知れないわね」
「ついでに言えば、ゴーレムが“人”と知った以上、カーディナルには破壊できない。ソレが狙いだろう?クィネラ!!」
シズクの語ったアドミニストレータの邪悪な思想に絶句した。もはや桁が違った。目の前の敵は、四万人という膨大な人の命をまるで自分の物としか思っていなかった。彼女は自分への恐怖に慄く5人を見下ろしながら微笑んだ
「どう?これで満足したかしらアリスちゃん。そんなに心配しなくても、あなたの大事な人界はちゃんと守られるわよ。半分という僅かながらも尊い犠牲の上に、ね」
「・・・最高司祭様・・・最早あなたに人の言葉は届かない。故に神聖術師として訊ねます。その人形を象る30本の剣、その所有者はどこにいるのです!?」
一度は恐怖に言葉を失っていたアリスだったが、再び口を開いてからは決して剣の巨人とアドミニストレータに萎縮することはなく、堂々たる立ち振る舞いで彼女に真っ向から物申した。
「たとえ最高司祭様が、完全支配の及ぶ剣は一本のみという原則を破れたとしても、その次の理は破れないのです。記憶解放を行うには剣と主の間に強固な絆が必要となります。ですがその人形を形作る剣の源が罪なき民達だと言うのなら、司祭様が剣に愛されているはずがない!」
「ふふっ、本当に決まりごとに従順な子ねアリスちゃんは。いいわ、教えてあげる。答えはアリスちゃん達の目の前にあるわ」
「め、目の前じゃと?それは一体、どういう・・・」
そう言うとアドミニストレータは右手を上に掲げ、数多の星と神が描かれた天蓋を指差した。しかしそこには何が現れるでもなく、変わらず星が輝いているだけでキリト、アリス、イーディス、カーディナルは首を傾げたが、その中でユージオとシズクだけがそれを見て声を震わせながら呟いた。
「そ、そうか・・・そうだったのか・・・!あの天井の水晶、あれはただの飾りじゃない。」
「整合騎士から奪った記憶かっ!!」
「まさか、これが・・・全部・・・!?」
「おのれクィネラ!貴様はどこまで人を弄ぶつもりなのじゃ!」
そしてそれが、モジュールの差し込まれていた場所に元々あった場所だと理解するのに、そう時間はかからなかった。カーディナルはその事実に歯噛みすると、怒りのままに声を荒げた。
「シンセサイズの秘儀で抜き取った記憶ピースを精神原型に挿入すれば、それを疑似的な人間ユニットとして扱うことは可能じゃ。しかしその知性は極めて限定され、とても武装完全支配術などという高度なコマンドを行使することはできん」
「じゃが、記憶ピースとリンクする時の情報が重複する場合は別じゃ。すなわち・・・整合騎士達から奪った記憶に刻まれた愛する人間達をリソースとして剣を作った・・・そういうことじゃな!?アドミニストレータ!」
カーディナルは床に杖を突き立てながらアドミニストレータに迫ると、銀の瞳でその怒りを見下ろす彼女は、それすらも余興であるかのように醜く笑った。
「えぇ、その通りよ。騎士達の模擬人格が望む願いはたった一つ。記憶してる誰かに触れたい。抱きしめたい。自分のものにしたい。そういう醜い欲望がこの剣の人形を動かしてるの」
「貴女は可哀想だよ・・・」
「いまさら何?気の迷いで見逃したのに、支配者である私に説教をたれるつもり?」
「愛は支配じゃないよ!!そんな俗語で汚して良い言葉じゃ・・・感情じゃないんだ!!!」
シズクの足元、床に突きたてた幻狼刀からクーが現れて醜く、満足げに笑うアドミニストレータに吼えた。神獣としてアドミニストレータがカーディナルと最初の戦った200年前、否。それ以前から人々の営みを見守ってきたクーにとってもアドミニストレータの言葉は耐え難いものだった。
クーの登場に眼を丸くしたキリトとユージオ、シズクの剣となった経緯を聞いたことのあるアリス。何より当事者だったイーディスは見ていた。結果的に命を落すことになろうとも、神獣は人の為に敵対者へ襲いかかった。
「同じ事よ?愚かな獣。愛は支配であり欲望でもある。その実態はフラクトライトから出力される信号に過ぎない。私はただ、最大級の強度を持つその信号を効率よく利用しただけよ」
クーの怒りを全く意に介さないアドミニストレータは、両の掌をソードゴーレムに向けて差し伸べると、揺るがない己の勝利を確信したかのように高らかに謳った。
「そこのおちびちゃんに出来たのは精々、無力な子どもを2、3人籠絡する程度。でも私は違うわ。私が作った人形には、記憶フラグメントも含めれば300ユニット以上もの欲望のエネルギーが満ち溢れている!」
「そして、カーディナルには破壊できない。これはさっき俺が言ったな!?」
「ええ、その通り!その事実を知った今、この世界の人の営みを是とするお前には決して人形を破壊できないということよ!なぜなら人形の剣たちは、形を変えただけの生きた人間なのだから!」
アドミニストレータはカーディナルを指で差しながら、毒にも等しい言葉を吐いた。大広間にその宣告が尾を引くように残響する中で次にカーディナルが発した声は、奇妙なほどに穏やかだった。
「あぁ、そうじゃな。わしに人は殺せぬ。その制約だけは絶対に破れぬ。人ならぬ身の貴様を殺すためだけに、200年の時を経て術を練り上げてきたが、どうやら無駄だったようじゃ」
「くくっ、くくくっ・・・なんて愚かで、なんて滑稽なのかしら。お前ももうこの世界の真実の姿を知っているはずなのに。そこに存在する命とやらが、書き換え可能なデータの集合に過ぎないということを。それでもなおそのデータを人間と認識し、殺人禁止の制約に縛られるなんて・・・・・・・・」
「違うな。彼らは間違いなく人だとも、クィネラよ」
愉悦に浸りながら語るアドミニストレータを、カーディナルはピシャリと塞き止めた。そして深く息を吸うと、今度は自分の番だとばかりに一息で言った。
「アンダーワールドに生きる人々は、我々が失ってしまった真の感情を持っている。笑い、悲しみ、喜び、愛する心をな。人が人であるために、それ以上の何が必要であろうか。故にワシは、彼らが人であると心の底から信じ、来たる敗北を誇りと共に受け入れよう」
「か、カーディナル・・・何言って・・・」
敗北、という彼女の言葉がキリトの耳にベッタリとへばりつき、嫌な悪寒が背中をなぞった。ユージオとアリスとイーディスも同様にその予感を感じ取ったらしく生唾を飲み込んだが、その予感は次のカーディナルの言葉で明確な形となった。
「じゃから、ワシの命はくれてやる。代わりに、この若者たちの命は奪わんでやってくれ」