白銀の旅路 作:塩山葵
抑えきれない歓声。終わりなき人の活気。その場にいる人という人が熱を上げ、無心にその中心から目を離せない。
巨獣が倒れる。人を容易く凌駕しているであろうその屈強な獣が、向かい合う相手を前に力尽き倒れ臥す。
『ガラルチャンピオンダンデっ!! これでオノノクスを失い残り一体となりましたっ!! やはり彼女の切り札。彼女を無敵たらしめるガブリアスは、あの無敗の男の名すら葬り去ってしまうのかぁ!?』
興奮を抑えきれない実況の力強い言葉。それが彼の──無敗の男の、あるはずのない敗北を強く予感させる。
戦う者と近いようで限りなく遠い、その観客席から見守る彼を追いかけるファンにも不安という空気が少しずつ溢れていく。
『地方交流エキシビジョンマッチもいよいよ最終局!! シンオウが誇る最強のチャンピオンシロナ!! ガラルの生ける伝説ダンデ!! この一戦はどちらが勝利しても永く語られる伝説となることでしょう!!』
されど彼らは知っている。この男の最高の格好良さを知っている。
彼とて人間。危機に陥ることもあった。最強として多くの壁に立ちはだかった場面だって当然存在した。
──しかし、だからこそ。こういう場面で彼はいつも。ガラルが、我らが誇るあの
『チャンピオンタイムを楽しめっ──!!』
彼の目からは諦めなど感じない。絶望など見えることはない。
無限に燃える真っ赤な闘志。向けるは美しく強い──一つの伝説。
ダンデがボールを投げる。出てくるのは彼の象徴。何よりも共にあるべき相棒。
彼の闘志と変わらず燃えるそいつが場に出た時、その日最高潮の歓声の嵐が巻き起こる。
そして、そして──。
「起きろごらー!」
「!?」
その怒声とともに布団を引っぺがされる。おそらく母が開けたのであろう窓から吹く冷たい風が眠気を強引に剥がそうとしてくる。
……寒っ。冗談抜きで寒い。
別に冬ではないけれど、元が寒いのだからもう寒くて仕方がない。起きかけの脳では寒いとしか表現できないくらい寒い。
コタツが欲しい。なければ布団を返して欲しい。ていうかもう一眠りしたい。あぁ、どうして叩き起こされているのか。
「もうとっくに九時過ぎてるわよ! 今日はナナカマド博士の所行くんじゃないの!?」
ナナカマド……博士……? ……あっ、ああっっ!!
「どうして早く起こしてくれなかったのさ! 起こしてって言ったじゃないか!」
「起こしたわよ!! もう三回も起こしたわよ! けど『もう五分……』って言って寝直したのはあんたでしょ!?」
……そういえばそんな気がする。ぼんやりと覚えてる……気がする。微妙だが。
「ほらっ! 待たせちゃまずいならとっとと準備して行きなさい!」
動き始めたのは母の怒号を聞くよりも一瞬前であった。すぐに顔を洗い、身なりを整えリビングに向かう。テーブルの上に置かれていたパンを急いで齧り、強引に胃の中に入れていく。
「行ってきまーす!」
消化する暇すら与えず食事を終え、最速で着替えた後家から飛び出す少年。
雲も少なく、差し込んでくる陽の光がなんとも心地良い──言うなればピクニック日和。
だがそんなことを気にする余裕はなかった。老人の散歩のように浸っていたら、ただでさえ遅刻中の現状を悪化させることにしかならないのだ。
「いっそげー!」
身軽な走りで見慣れた地元の町を駆け抜けていく。
焦る彼には目的があった。例え足が砕けようとも進まなくてはいけない重要で大切な理由が。
それはこのあたり、この地方──この世界に住む少年少女の大部分が心待ちにしているであろう一つの区切り。
ある者にとっては始まり。ある者にとっては出会い。ある者にとっては試練。
多くの可能性を秘め、多くの未来を創り出せる旅立ちの開始地点。
十歳。ポケモンを個人で持てる境界線。
ポケモントレーナーを目指すこの少年の名はプラム。彼もまた、胸の内に夢を持つ一人の若者である。
「ふむ。それで寝癖をつけたまま、君は来たというのかね?」
「それでも遅刻してしまったんですけどね。すいませんナナカマド博士」
「気にしなくてもいいとは言わん。大事なのは、どうしたら次に生かせるかということだ」
全力で201番道路を抜けた甲斐もなく、残念ながら予定時間より三十分ほど遅れて到着した俺に、いつものような厳しい声で窘めてくる老人。
この人こそナナカマド博士。ポケモンについて研究している博士であり、昔からの知り合いである。
「……ふむ。私からの注意はほどほどにしておこう。それでどうだ? 体調はどうだ?」
「大丈夫ですよ。昨日の夜くらいには、もう熱は引いてましたし」
「なら良い。今日は君にとって大事な日。体調は万全であればなお良い」
ナナカマド博士の言う通りだ。今日は一生の内で五指に入るであろう重大な日だ。
……本当のことを言うなら昨日なのだが、本当に残念ながら、体調を崩し布団の中で唸っていたのだ。
「──それで、ポケモンくれるんですよね?」
「……う、うむ。付いてきたまえ」
少し困ったような声を出しながら付いてくるように言ってくるナナカマド博士。
……どうしたんだろうか。何か言いにくいことでもあるのだろうか。
「……昨日出会った少年達。そしてプラム。君に授ける分を考慮したとして、問題無いはずであったのだ」
「は、はあ?」
「しかし昨日、一人の少女が訪れた。君と同じ、トレーナーになりたいという子がな」
……なんか、すっごく嫌な予感がするが、この博士は何を言いたいのだろうか。
「ということは、ポケモンいないんですか?」
「いるにはいる。しかし少し気難しいポケモンなのだ。君のような今日ポケモンを持つ子には余り向かないかもしれん」
気難しいポケモンかぁ。一体どんなやつなんだろう。
基本そこまで冗談を言わない博士がそんなことを言うのだ。ちょっとどころではないのかもしれない。
……ともかく、見てみないことには何も始まらない。どんなポケモンでも、会ってみなければ何も始まらないのだ。
研究所の少し広い部屋に到着する。ナナカマド博士が白衣のポケットからモンスターボールを取り出し、一呼吸入れた後、少し離れた位置に軽く放る。
光と共にボールの中から現れた一匹のポケモン。整った茶色と白の毛に覆われた四足の獣。
──イーブイ。そう呼ばれるポケモンであった。