カタカタカタ
目の前のスクリーンに映る書類には、よくわからない文章が並んである。
カタカタカタ
その文章に並んで、この手によって更に別の文章が打ち込まれる。
次へ、そしてまた次へと。
この書類は完成した、しかしまた別の書類があるが、その前に参照していた資料を脇にどける。
ふと、左手首に巻かれた小さな腕時計を見る。
ついさっき見たよりも、分針が数歩先に進んでいるだけだった。
「……」
次。
仕切りに囲われた作業スペースは、静かだった。
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家に帰ってきた。
時刻は10時。今日はまあ、終電を気にしなくていい時間帯に帰れたから、マシだ。
この家はアパートの一室。何もない部屋に、中央に置かれたパソコン。その正面に布団が一枚。シャワーで湿った髪をそのままに、そのスペースに腰を下ろした。
メールをチェックすると、上司から送られたデータ。
「……」
僕は無言で、仕事を再開した。
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確か何と言ったっけ。Jojaコーポレーションだったっけ。
多岐に渡る事業に触れ、その殆どで多くの収益を得ているのは、数年働いてきた僕なら当然知っている
事業内容はエネルギー生産もとい電力発電。海上陸上そして上空での運送や交易。身近なところだと日用品や飲食物の販売だったか。清涼飲料水だかエナジードリンクだか曖昧な物だけど、Jojaコーラなんんかも有名だ。僕も毎日3缶飲んでいると思う。
そんな大企業だ。
そこで働けるということは大きな名誉だ。
給料も安いし、待遇も、労働環境も酷いけれど、それを上回るほどの名誉。ほまれ。そういうのがある。
……らしい。
僕には、この「名誉」という物を認識できなかった。
社内教育の間でも、この言葉は多く出てくる。
会社の利益に繋がる行為を行う事が、名誉である。利益を得ることが名誉である。社会貢献が。お客様が。何が。ああだ。
カタ……。
頭が動かなくなって来た。
キーボードに打ち付ける指の力も、弱い。僕は傍らに置かれたコーラを一口飲む。
「……ない」
なかった。そういえばこの缶は飲み干したままだった。
新しく缶を補給するために、冷蔵庫の方へ向かった。
その時、たまたま触れたマグネットが外れて、そこに留められていた手紙が落ちる。
なんだ。
そう思って拾い上げた手紙は……。
「これ、は」
数秒間、動かない頭が必死になって記憶を探り始めた。普段無気力に稼働する脳が、珍しく。
そうだ、これは昔、社会に出る前、おじいちゃんがくれた……。
────「いつか、社会に出た時。そして心の輝きを失った時。その生活を変えたいと思った時……それを読んでごらん」
────「だから、今は開けずに取っておくんだよ。……ノア」
「……心の輝き」
そういえば、僕は昔ほど笑う事がなかった。いや、ここ数年笑った記憶がない。
髪を切るという行為を忘れるぐらい、酷い生活をしている。食事ももっぱら栄養食の類だ。心の輝きどころか、生物としてすらも危うい。
「ああ。懐かしい、な」
すっかり古びた手紙を、蝋封を割いて開く。
中には、二枚の紙と、写真が入っていた。
「……おじいちゃん」
『かわいい孫よ。
私の言いつけを守ってくれたかい? それを守った上でこれを読んでいるということは、ノアはきっと、日々の暮らしを変えたいと願ったんだろう。
私も、同じことを考えた。ずっと昔、私は人とのつながり、自然とのつながりを見失ってしまったんだ。
これが、生きる上で最も大事なことで、そして既に失くしてしまった事に気づいた時、本当の居場所という物を求めた。
それが、スターデューバレー。ノアが幼い頃、あそこに居た頃の話を、何度か話した事があったね』
スターデューバレー。今までこの手紙とともに忘れていた、しかし記憶の奥底で留められていた、おじいちゃんの昔話。
おじいちゃんは、不思議な生き物と出会った物語ばかりを話すから、作り話だと決め付けていたけれど。
『その町の離れにある土地、その権利書を同封しておいた。
その土地の名前はまだ秘密だけど、あそこは私の誇りと喜びそのものだ。きっと気に入る筈だよ。
もし暮らしを変えるという意思が変わらないなら、この場所に来なさい。
私の一番大切な宝物を、私の一番大切な孫に譲ろう。行ってきなさい、そして、幸せになりなさい。
おじいちゃんより。 愛を込めて。
追伸:もし心細かったら、番号を書いておくからルイスさんに連絡しなさい。彼が元気だったら、よろしく伝えておいておくれ』
……退職届の書き方、なんだっけな。
髪も整えようかな。服は何があったっけ。
スターデューバレー。
その名を聞いてその光景を想像するだけで、僕は夢から覚めた気がした。
ブラック企業勤めの描写は、殆ど想像によるものです。