「見たか奴らの驚いた顔を!」
ヴィーナを呷りながらゲラゲラと笑うのは一仕事終えてきたアウロラだ。
「スコープがありませんから表情までは流石に分かりません」
「それもそうだな。お前の腕が良すぎてつい忘れてしまっていた」
アウロラは機嫌良さそうにもう一度ヴィーナを呷った。
「今の攻撃でバルトランドの進行は止まるでしょうか」
「止まるはずがない。私達は百人以上のバルトランド兵を死傷させたが後方にはその百倍以上のバルトランド軍がいるんだ。あの程度で止まるはずがない」
アウロラの言葉にシニは頷いた。
「バルトランドの足が止まらないのならば、止めなければなりません」
「その通りだ。ここは一つ、スオムス名物のサウナでもてなしてやろう」
そう言ってアウロラは凶悪な笑みを浮かべた。
アウロラ達が撃退した一個大隊はスオムスに対抗すべくバルトランド北方に配置されているバルトランド陸軍第六師団隷下の部隊だった。
すぐ後ろには第六師団本隊が控えているがこれを撃退するのはアウロラ達の兵力だけでは不可能に近い。それはバルトランドとてよくわかっている。
故にたった百人程度の損失で進軍を止めるはずがなく、アウロラ達に追いつき撃破すべく進軍を続けていた。
「いたぞ!」
そんなバルトランド軍の前に、アウロラは再び堂々と姿を現した。
「懲りない奴らだな。あれだけの被害を受けてまだ帰らないのか」
現在のバルトランドとスオムスの兵力差は絶大だ。アウロラ達により百人を超える死傷者が出たとは言え、バルトランドがまだまだ優勢だ。ここで引くはずがない。
「次はあの程度の被害ではないぞ。師団丸ごとスオムスの養分となってもらうが、その覚悟があるのなら進むといい」
アウロラの挑発に対して、バルトランドは銃弾で答えた。しかしそんなものに当たるアウロラではない。サッと身を翻すと森の中に姿を消した。
たった一人の人間を追うために師団を動かすほどバルトランドも余裕はない。一隊を追手に差し向けようとしたがそれより先にどこからともなく狙撃され三人が崩れ落ちた。
誰かが「狙撃だ!」と叫び、森へ逃げ込めと言う誰かの言葉で兵士達はアウロラが潜む森に一斉に逃げ込んだ。
それがバルトランドにとって真の地獄の始まりだった。
逃げ込んだバルトランド軍は第六師団の一部でしかなかったが、部隊の統制を取り戻すため、一時的にその場にとどまることになった。しかしそれは最悪の行動だった。
アウロラがなぜ一人で師団相手に仕掛けてきたのか、バルトランド軍はそれをは良く考えるべきだった。
暫くして突然北以外の全ての方角から火の手が上がった。
「山火事か!?」
「いや、これは敵の攻撃だ!!」
バルトランドに対して再び仕掛ける前、アウロラは部下にバルトランド軍が停止するであろう場所の周囲に燃料など可燃性の物資をばら撒き火事を起こすよう指示していた。
「北の方はまだ火の手が上がっていない。一度退避するぞ!!」
それはアウロラとバルトランドの兵士たちが逃げ込んだ森だったが、選択の余地はなかった。バルトランド軍は一斉に森に向かって移動を開始した。
慌てた様子のバルトランド軍に対してはどこからともなく銃弾が飛んできて少なくない被害を出すがそれも森に逃げ込めば止んだ。だが逃げるために最低限の物資しか持ち出せずに多くの武器弾薬、食料が灰となった。
「火の手がこっちまで迫ってきている!」
「とにかく逃げ続けるんだ!!」
散り散りになりながら逃げるバルトランド軍の前に、突如開けた空間が現れた。
「あそこなら火の手が来ない。あそこて火事をやり過ごすぞ!」
それは、何気ない一言だった。
「……なぁ、ここってなんでこんなに開てんだろうな」
「なんでって……」
「森の中にこんなに広い空間、普通あるか?」
兵士の会話を聞いていた一人の指揮官がなんだか嫌な予感してきたな、と言うと背嚢から地図を取り出して現在地を確認し始めた。
「た、大変だ……!!」
「どうしたんですか?」
「すぐにここにいる連中を移動させるぞ!」
「移動させるって言ったってもう周りは殆ど火に囲まれてますよ」
「まだ火の手が来てない場所があるだろ!!」
指揮官の言葉に内心嫌がりながらも渋々命令に従い周囲の兵士たちに移動を伝えようとした時だった、突然大きな爆発音が鳴り響き地面が揺れた。
いや、地面だと思っていたそれは地面ではなかった。凍った湖の上に雪が積もりっていただけなのた。つまり、今バルトランド軍の兵士達がいるのは湖の上だったのだ。だが幸運なことに、いまの爆発では氷が完全に割れる事はなかった。アウロラ達はそれをするだけの十分な爆薬を持っていなかったのだ。
「た、助かった……」
「すぐに移動するぞ! ここにいたら冷たい湖の中で凍え死ぬ事になる!」
「り、了解!!」
バルトランドにとってアウロラ達は爆薬を持っていなかった事は幸運だった。だがその幸運が何度も続くはずがない。
バルトランドにとって不幸だったのはこのスオムス北部に航空機を展開する事ができなかった事だった。飛行場がなく、航続距離も短い為仕方のない事ではあるが、その条件はスオムスもあまり変わらない。バルトランドはそう考えていた。
「飛行機だ!」
叫び声に空を見上げると、二機の爆撃機がこちらに向かって飛んできていた。
「伏せろ!」
塹壕もない場所でそんな事をしても意味はないが、やらないよりはマシ。それくらいのつもりでその場に伏せたが、結果的に爆弾は外れた。
しかし着弾場所は湖の上。アウロラ達が持っていた爆薬よりも強力な爆弾が湖に着弾すればどうなるか。
「み、湖の氷が……!」
無事だった氷が大きな音を立てて破れ、幾人ものバルトランド軍兵士が湖に落ちていく。助け出され、氷の上に登る者もいるがずぶ濡れの濡れた状態では凍死するのは明らかだ。燃える森に近づき服を乾かせばいいと気がついた者もいたが、そこに辿り着く前に力尽きるものが殆どだった。
後の調査でこの湖では千人を超えるバルトランド軍兵士が死亡したと言われている。
アウロラと第六師団の戦いは全体で見れば、第六師団の死傷者は千百二十六人。だが行方不明者は二千人を超え、その中には師団長含む第六師団司令部もいたため第六師団は後退を余儀なくされた。
火をつけるのに参加した兵士を含めなければ、直接参加した兵力はアウロラとシニの二人だけ。それだけの人数で師団を追い返した事は歴史上類を見ない大勝利と言えた。
「奴ら、私達のプレゼントは気に入ってくれたかな」
「隊長が自ら用意したんですから気に入らないわけがありません」
「だといいんだがな」
ヴィーナを呷るとアウロラは胡乱げにため息を吐いた。
「問題はこの捕虜どもだな」
森に逃げ込んだバルトランド軍は散り散りになった。行方不明者の多くはスオムスの養分となるか、湖の底に眠っているが中にはアウロラ達の捕虜になった者もいた。その数なんと三百五十七人。その中には第六師団師団長の姿もあった。
「今回の行動でしばらく追撃はないだろう。その間にできる限り後退したいが……」
「捕虜を連れていてはその速度は遅くなります」
「ああ。だからと言ってここで放り出しても凍死するだけだしな」
アウロラの部隊は五百二十七人。その三分のニを超える捕虜を抱えての行軍は控えめに言っても大変だった。
「流石に今回の攻撃でバルトランド軍の行動も鈍化するはずだ。仕方がないからこいつらを連れでイナリまで引き返すぞ。もちろん、運ぶための車両は要請しておく」
ここで解放しても死ぬだけだと分かっている人間を放り出すほどアウロラは非情ではなかった。渋々ではあるがイナリまでバルトランド軍の捕虜を連れ帰る事にした。
できる事なら現地に行って視察して、冬のフィンランドもといスオムスがどうなっているのか知りたいです。