サーシャがもたらした情報は、オラーシャ政府に関するものだけではなかった。ペテルブルク臨時政府の部隊配置や編成といった今現在、喉から手が出るほど欲しいものまであった。
「私がペテルブルク臨時政府の極秘資料を盗み見た事は彼らもわかっているはずです。ですから、この配置は厳密には正しいとは言えません」
「だからと言って、ほんの数時間足らずで大幅に配置を変更することも難しい。その情報は、十分スオムスの利益になる。おかげでわたしが上層部にサーシャの亡命を認めさせるのが楽になったよ」
スオムス政府の中には、サーシャの亡命を認める事に慎重な声も多かった。しかし、サーシャがもたらした情報は、そんなスオムス政府の慎重な人間さえも動かすほど、貴重なものばかりだった。
「オラーシャに関する事の多くは、私が引退する前の情報でしたけどね」
「それでも十分さ。多少古くても、オラーシャの反乱対処マニュアルを得られた事は大きいからな」
サーシャの情報によると、オラーシャの反乱対処マニュアルには、いくつかの中小規模な反乱がオラーシャ各地で起きた場合や、大規模な反乱一つないし二つと、それに呼応した小規模な反乱に対する対応策は策定されていたが、大規模な反乱がいくつも起きた際の対処法はなかった。
広大な領土を持つオラーシャでは、そもそも反乱が起きないよう、統治には細心の注意を払っている。反乱対処マニュアルがあった事自体が奇跡に等しい。あるいはこういった周到な対策が、オラーシャを大国たらしめているのかもしれない。
「それと、サーシャ引退前のオラーシャの上層部がスオムスをどう思っているのか知れたのも大きな収穫さ」
スオムス政府がサーシャの亡命を許可した最も大きな原因がそれだった。オラーシャ政府がスオムスをどう思っているのか。それは今後のスオムスの外交方針を決める指標になる。対等なパートナーなのか、捨て石か、あるいは敵として認識しているのか。
「対カールスラントを想定した時、北方からの奇襲を避けるための防波堤。ある程度の戦力が必要だが、必要以上に支援して力をつけすぎると、オラーシャにとっても脅威とみなさざるを得ないだったか」
オラーシャにとって、バルトランドのスオムス侵攻はカールスラントとオラーシャの開戦の合図となるはずだった。
しかしそれは、内乱の気配により延期され、バルトランドがただスオムスに侵攻しただけという結果にとどまった。
「オラーシャとカールスラントがある程度の力を持っている限りは、スオムスは大人しくしている。その考えは多分間違っていないと思う」
エイラ自身は、他国に対して戦争を仕掛けるなど考えてもいなかったが、政治家というものはわからない。ふとした瞬間に、それまで友好的だった国に対しても突如として牙を向くこともある。
「スオムスはペテルブルク臨時政府に対して戦争を仕掛けましたが、どこまで進むつもりだと思いますか?」
スオムス戦線では負けているとはいえ、ペテルブルク臨時政府の支配領域はノヴゴロドの一部にまで伸びている。それらを丸々獲得して、後のオラーシャとの交渉を優位に進めるつもりなのか、はたまたペテルブルクまで獲得して良しとするつもりなのか。
「そんなの知るかよ。わたしはどうやらスオムス政府から信用されてないみたいだからな。なんの情報も降りてきてないよ」
バルトランドとの終戦以来、エイラと政府の交流は減っていた。ムルマンスクが必要だという事は共有されていたが、侵攻する事までは知らされておらず、今の状況はエイラにとっても寝耳に水といってよかった。さらに最近では、一部の軍人がエイラを飛び越えて何やら政府と密談している節もあり、軍の内部でさえエイラの思い通りにならない節があった。
「その割に、私の亡命を認めさせた上に、大佐なんて大層な階級を用意できるんですね」
サーシャは亡命が認められると同時に、スオムス魔導軍大佐の地位と、エイラ直属の参謀の地位を与えられていた。
「ウィッチは貴重だからな。私の下につけたのは、サーシャが変な気を起こした時に対応させるつもりなんだろ」
「今のスオムスで、私が暴れた時に止められるのはエイラさんしかいませんし、妥当な判断ですね」
エイラの言葉に、サーシャは納得したように頷いた。
「いくら上層部から疎まれて情報がないと言っても、腐ってもスオムス軍の総司令官。今後の展望について多少は想像がついているのではありませんか?」
サーシャの問いかけに、エイラは考えるそぶりを見せた後に口を開いた。
「バルトランドの軍備の解体を一時的に停止している話は聞いているか?」
「バルトランド国内に失業者が溢れることを避けるために、段階的に進めていく事になったんでしたね」
当初は対オラーシャを想定して、急速に進めるはずだったバルトランドの無力化は、バルトランド政府が王族の追放と共和制への移行を宣言した事で、手心を加えられることになった。スオムス軍のバルトランド国内への駐留と、軍需物資の保有制限、いくつかの軍需工場の閉鎖という条件があったが、バルトランド政府はそれを受け入れた。
「わたしはそれに関して、事前に何の説明も受けていない。私に対する上からの信用なんてその程度のものなんだよ。だから今後の展望なんてものは、本当にわたしの想像でしかない。それでもいいか?」
「構いません。今は政府が何を考えているのか、それを考えましょう」
一人で考えるよりも、二人で考えた方が何事も上手くいくだろう。そう考えて頷くと、エイラは話し始めた。
「スオムスに必要なものは他国の影響を受けない、外洋に面した港だ。その条件を満たすものはオラーシャとバルトランドにあるから、この二カ国から手に入れる必要がある」
「バルトランドから手に入れることができないならオラーシャから手に入れる。ムルマンスクにはそんな考えから侵攻したんでしょうね」
「そうだろうな。ムルマンスクに関してはこれでかろうじて説明がつくんだけど、問題はペテルブルクだ」
ペテルブルクもまた、スオムス同様他国の影響を大きく受ける港だ。ここを手に入れても、スオムスにはあまりメリットがない。ペテルブルクと引き換えに、オラーシャからムルマンスクを手に入れる、と言うのであれば納得できる。しかしムルマンスクは軍隊で奪いにいっている。ペテルブルクを交渉材料と考えていたのなら、こんなことはしないだろう。
「ペテルブルク臨時政府との戦いは、もっと別の目的があると考えるべきですね」
別の目的と聞いてエイラには一つ心当たりがあった。
「宣戦布告こそしていないが、スオムスとオラーシャは戦争状態にあると言っていい。そこから考えると、ヘルシンキの安全も欲しいのかもしれないな」
ヘルシンキがあるスオムス湾は、ペテルブルクの他にリバウなどのいくつかの主要な都市が面していて、オラーシャにその意思があれば容易に攻撃できる関係にある。それだけでなく、南方に工業地帯や人口が集中するスオムスは、オラーシャがいくら友好的であろうとも脅威としてある程度の備えをしなければならない。
もしも、この南方の脅威を排除できるとすれば、スオムスはどんな手を使ってでも実行しようとするだろう。
「オラーシャが脅威であることはわたしも認識しているけど、今回の反乱にかこつけて侵攻するほどのことかと言われると正直首を傾げざるを得ないんだよな」
オラーシャが脅威なのは事実だが、だからといって弱っているところに付け込んで攻めるほどかというと、エイラとしては首を傾げさるを得なかった。
「最新のストライカーや戦闘機、戦車などをスオムスには提供していましたからね。脅威ということを差し引いても、あまりある利益をオラーシャは与えていたはずです」
「サーシャの言う通りだな。スオムスはオラーシャを怖がっていたけど、オラーシャはスオムスの事を重要視していて、むしろ優遇していたと言っていい。スオムス政府の行動は悪戯に平和を乱すだけの行為になっているような気がするな」
「どうやら、私達二人くらいではスオムス政府の高尚な考えは到底理解できないようですね」
サーシャとしても、平和にペテルブルクで暮らせていればそれでよかったはずなのに、それを乱されたことにいくらか思うところがある様子だった。
「まったくだ。元帥だなんて言われるようになっても、結局は上の連中に振り回される」
そう言ってエイラは肩をすくめた。
魔法力があることについて、ずっと軍事ばかりに目を向けていましたが、軍事技術とは最終的には民間に転用される技術です。と言う事はこの世界、魔法力を使ったなんかよくわからん面白い物とかあるのでは?
一番ありそうなのは、魔導針関連でしょうか。あの世界の魔法だと一番研究が進んだそうですし、時代が進めば何か作られてそう。具体的には何も思い浮かばないけど。