ネウロイがいなくなった直後の数年を、人々の多くは平和だったと振り返る。世界に争いはなく、戦時中と比べて死者は減り、身寄りをなくす子供も格段に減った。成程、世界は平和なのだろう。だがそれは人々の多くが世界の端役でしかなかったからこその感想でしかない。
私自身は歴史の端役でしかなかったが、幸運な事に大役を果たした人物の屋敷に住んでいた私は、その一端に触れる事ができた。
「クロステルマンさん、お客さんが来ましたよ」
「ありがとうございます、ニールマンさん。応接室にお通してお茶をお出ししておいてくださいまし」
「それはリーネさんが今してくれてます」
「あら、そうですの。では支度してすぐに向かいますわ」
憂鬱そうにのそのそと支度を始めるペリーヌを尻目に部屋を出ると、ニールマンは訪問者の事を思い出した。
「こんにちわ。家主はご在宅かな?」
そう言って供も連れずに訪ねてきたのは自由ガリア政府首班、シャルル・ド・ゴールだった。彼はガリア解放後に政治、軍事両方の最高責任者となり、名実ともにガリアの最高権力者となった人物だ。
ネウロイとの戦争終結直前に、最高権力者が軍の最高指揮官を兼ねるのは如何なものかという意見がガリア政府や他の同盟国から出始めた事で軍の最高責任者である事を放棄し、政治家一本で歩み始めたが、それでもその権力は絶大だった。
そんな彼が早々に軍を辞めて隠居しているペリーヌの屋敷を訪ねる事は、一見すると不可思議な事に感じるが、この屋敷に住んで多少事情を知っているニールマンからすれば、きな臭い話が行われるのであろう事は簡単に予想できた。
そしてジャーナリストとして、なんとかそれを文章に書き起こせないか試みる事は当然の帰結だった。
「ガリアの最高権力者と言っても、北部ガリアで絶大な支持を集めていると言うだけで、南部ガリアは王党派やペタン将軍の率いた旧ヴィシー政権はが未だに強い力を持っている。官僚とかはド・ゴール将軍を支持する人が多いけど、南部に限定すれば意外と支持率は低い。その点、クロステルマンさんはガリア全土で人気の高いウィッチだし、人格者としても知られている。引き込んで自分の支持率を上げたいのかな?」
考えをまとめるために声に出しながらメモを取るが、ニールマンはなんとなくそうではない気がした。ペリーヌは来客と聞いて、誰が来たのか尋ねる事をしなかった。それはつまり今日の来客が事前にアポイントを取った上でのものという事であり、更にはその内容も決まっていると言う事になる。
「同じ屋敷に住んでいるのに私にそれが伝えられていなかったと言う事は、秘匿性が高い内容の話をするつもりが高い。だけど私がド・ゴールさんと出会った事に対してクロステルマンさんが危機感を持っていないあたり、案外伝え忘れていたとか、伝える必要がないと思っていただけなのかもしれない」
可能性はいくらでも考えつくが、ガリアの最高権力者がたった一人でペリーヌに会いに来たと言う時点でただ事ではない事は確かだ。
いずれにせよ、ジャーナリストとしてこの不可思議な状況に興味が湧かないはずがなく、ニールマンは会談の様子を知るために応接室に向かった。
「ここから先は立ち入り禁止ですよ、ニールマンさん」
ニールマンの試みは応接室の前にいたリーネによって妨げられる事になった。
「子供ならともかく、この屋敷に大人が立ち入り禁止になっている場所はないはずですよ」
「そうですね。だけど今回に限っては、ここから先はニールマンさんとルーデルさんは立ち入り禁止です」
「ルーデルさんは何となくわかりますけど、私もですか?」
ド・ゴールという要人との会談が重要でないはずがなく、それを邪魔しそうな子供達やルーデルが立ち入り禁止にされるのは理解できる。だがどちらかと言えばまともな部類に入るニールマンが立ち入り禁止にされる事が理解できなかった。
「今回の会談は秘匿性の高いものです。ジャーナリストはたとえ身内だろうと立ち入り禁止です」
「秘匿性が高い割に、ド・ゴールさんが来た事は隠さないんですね」
「……ペリーヌさん自身はこの地を離れるつもりはないみたいですから、今回の要請は断るつもりみたいです。だから情報の秘匿もしなくていいと言う考えみたいですね」
ペリーヌは情報の秘匿に頓着しない。ならば誰が頓着しているのか、その答えは自ずと理解できた。
「ド・ゴールさんは今回の件を断らせるつもりはない。そしてペリーヌさんが承諾するまで何度でも会いに来るつもりだと言う事ですか」
「そうです。ですから、敵対的な陣営にこの事を知られて、ペリーヌさんを取り込まれるわけにはいかないんでしょうね」
ド・ゴールに敵対するものは多い。ガリアは戦時に様々な勢力に分裂し、個別にネウロイに対して対抗した。その中でも特に大きかったのがド・ゴール率いる自由ガリア政府であり、それに続いて大きかったのがヴィシー政権、王党派だった。
他にもガリアの植民地を中心に疎開した人物たちがそれぞれに亡命政府を名乗り、その名残でガリア政府内では未だに小さな権力闘争が繰り返されている。
「ガリア政府は概ねド・ゴールさんをトップとする事で合意しています。ですけど、少しでも隙を見せればそれをひっくり返そうとする人はいくらでもいる」
だがド・ゴールの失脚がペリーヌに不利益をもたらすかと言えば、答えはないだ。現在ペリーヌに政府から何か援助をされているわけではなく、軍人としてもらっていた給料や年金を元手に屋敷を運営している。それに加えて住人の元ウィッチ達の個人的な寄付で辛うじて今の生活を賄えている。
「リーネさんはクロステルマンさんが今回の要請を受けた方がいいと思っているんですね」
「……どうしてそう思うんですか?」
「秘匿性が高いと言いながら、クロステルマンさんは今回の事の秘匿には頓着しない。なら立ち入り禁止禁止にしていると言うのは変な話です」
思い返せばリーネはペリーヌが立ち入り禁止にしたとは言わなかった。おそらく立ち入り禁止処置はリーナの独断だろう。そう判断してニールマンは畳み掛けた。
「立ち入り禁止に家主がしていないなら、私がお茶請けを持っていって偶然話を聞くみたいな事があってもいいんじゃないですか?」
その言葉にリーネはニールマンを睨みつけた。
「ニールマンさん、私はペリーヌさんが今回の話を受けるべきだと思っているんです。邪魔をしないでください」
「本人は望んでいないのにですか?」
「たとえ望まずとも、今のままだとこの生活はいずれ破綻してしまいますその時に誰かに助けを求めるのなら、今ド・ゴールの手を取った方がマシです」
ネウロイを倒した事でかつてほど身寄りのない子供が増える事は無くなった。だがそれは今いる身寄りのない子供が減る事には繋がらない。ペリーヌの屋敷の噂は大きく広がり、身寄りのない子供達が少しずつ増えている。遠くない未来、今の生活が破綻を迎える予感をペリーヌ達は感じていた。
「クロステルマンさんを犠牲にして今の生活を続けるつもりですか?」
リーネらしくない考えだとニールマンは思った。他者を犠牲にしてまで今の生活を続けるような狡賢さとリーネは無縁な人物と言うのがリーネに対するニールマンの評価だった。
「私達を頼って来る子供達の為にも……」
そこまで言うと諦めたようにリーネは首を横に振った。
「何を言おうともただの言い訳にしかなりませんね」
自分でもらしくないと言う思いがあるのだろう。ため息を吐いた。
「いずれにせよ、可能なら早く決めて欲しいんです。子供達を政争に巻き込んで欲しくないですから」
「政争?」
「ガリアは激しい権力闘争のただ中にあります。市井からの人気が高いペリーヌさんを味方に引き入れる事は、権力を握るにあたり大きな意義があります。おそらくこれからも様々な権力者がペリーヌさん似合いに来るはずですよ」
ネウロイがいなくなり、ルーデルさんが望んだ世界平和が実現したと思っていた。実際、表面上は極めて平和な世の中だった。
だけどその裏側では全く逆、平和とは言い難い世界が展開されている。水面では美しい姿を晒す白鳥が、水面下では激しく足をばたつかせているような。一見すると綺麗でも、真の姿は残酷な事を私はこの時初めて気が付いた。
ウィッチってあまり病気とかならずに身体が丈夫そうですけど、花粉とかにもなんでしょうか。だとしたらすごく羨ましいんですけど