その日ペリーヌはルーデルを連れてガリアの首都パリにあるル・セリエと言う食堂に来ていた。半地下になっている店の扉の前で、ペリーヌは立ち止まり緊張を紛らわす為に大きく深呼吸をしていた。
ガリアにおけるド・ゴールの暴走を止める為にペリーヌが行おうとしている事は、一歩間違えばガリアが更に分裂するかもしれない事だからだ。
「何が起ころうとも私とクロステルマンがいればなんの問題もない。そう緊張するな」
「き、緊張などしていませんわ」
「なら早く入ればいいだろう。さっきから何度も深呼吸しているだけで一向に入ろうとしないじゃないか」
ペリーヌは扉の前でした深呼吸は一度ではない。緊張を紛らわすためとはいえ、そう何度も深呼吸してはその効果も無くなる。そうルーデルが指摘すると、ペリーヌは恥ずかしそうに頬を赤くして乱暴な手つきで店の扉を開けた。
「いつまで経っても入ってこないから帰るつもりなのかと思ったよ」
そう言ったのは白髪の混じった初老の老紳士だった。半地下になっているこの店内からは扉の外の様子は分からないはずだ。だと言うのにペリーヌが入店を躊躇っていた事を知っていると言う事は、店外に彼の手の者がいたのだろうとペリーヌは思った。
「そちらが指定した場所ですから、さぞ格式高い店なのだろうと思いましてドレスコードの確認に手間取っただけですわ」
薄暗くて暗く、人がペリーヌ達と老紳士しかいない事を除けばただの大衆食堂にしか見えないこの店にドレスコードなどあるはずないが、緊張していたと思われたくなかったペリーヌは苦し紛れにそういった。
「最低限のドレスコードは守れているように思うが」
「私ではなくルーデルさんですわ。昔は軍服で全てが片付きましたけど、今はそうではありませんから、ドレスコードが守れているか何度も確認していましたの」
ルーデルも格式高い店での会食はウィッチ時代に何度か経験している、だがそれらのドレスコードは軍服を着れば済む話であり、退役後にその経験はなかった。
店の前でまごついていた原因を押し付けられたルーデルは不機嫌そうに鼻を鳴らしたが、一先ずこの場では追求しないことにしたようだった。
「ふむ、そうだったのか。だが安心するといい。見ての通りドレスコードなどという堅苦しい物とは無縁な店だ。楽にするといい」
促されてペリーヌが席につき、店員に飲み物を注文するとようやく本格的な会談が始まった。
「ところで私は貴方の名前を知らないのですが、伺ってもよろしいかしら?」
「教授と仲間内では呼ばれている。あいにく本名は立場上明かさないから、貴女もそう呼んでもらいたい」
「……私は信用できないと?」
「そうでない。仲間内でさえ私の本名を知っている者はいないはずだ。なんせそう言う組織だからな」
ただ名前を明かさないだけなら信用されていない、交渉に値しないと思われているとも受け取れるが、仲間内でさえ本名を知らないのであれば意味合いは変わってくる。
「貴方なりに信用をしましたと言う事ですのね、教授」
「そう受け取ってもらえると嬉しい限りだ」
教授の言う事が全て本心から来るものかどうか、ペリーヌには分からなかった。なにせ相手は戦争以前から政治の世界にいた人間だ。ペリーヌのような小娘を騙す事くらい造作もないだろう。だがある程度相手を信用をしなければ交渉というものは成り立たない。教授に対する疑いの気持ちを一先ず全て消し去り、ペリーヌは口を開いた。
「私の要求は簡単ですわ。ド・ゴールが南北間で対立を起こしているのを止めるために、王党派には南部から手を引いて欲しいのですわ」
ガリアが王政から共和政に変わって数十年が経つが、それでも尚王政に戻りたいと言う勢力は一定数存在する。その中心人物の一人が教授と呼ばれるこの老紳士であった。
「おかしな事を言う。南部と我々を結びつけたのは他でもないガリア政府、ひいてはド・ゴールだ。奴が南部の連中と我々を、いや奴に反抗的な者達を弾圧したのが全ての始まりだ。手を引けと言うのなら政府が我々に対する弾圧をやめる事から始めなければ道理がない」
王党派は王政時代にあった諜報組織が母体になっているとも言われ、裏社会では強い影響力があった。ネウロイによるガリア北部の陥落や多頭政府の時代があったせいでガリアの政府組織は国力の割に脆弱だ。特に諜報面に関しては政府の正式な組織ではないはずの王党派が牛耳るほどに弱かった。
それをド・ゴールが危険視するのは無理からぬ話ではあるが、弾圧したのは完全に悪手だったとペリーヌは考えていた。
「正しくその通りですわね。ですが私は今回政府の人間としてではなく、その政府に危険視された人間としてきていますの。政府については話さないでくださいまし」
「なるほど、野暮な事を言った。君も不本意も又、我々とは違った形で不本意な立場にいるのだったな」
全てを知っていると言わんばかりの言動に、ペリーヌは内心眉をひそめた。こちらは相手の事をほとんど知らないと言うのに、相手には一方的に知られていると言うのは心理的にくるものがある。
「私は王党派には南部から手を引き、代わりに私と組んでもらいたと思っていますわ」
「……なるほど、南北間の対立によりガリアが割れる可能性を幾分か減らすと言う事か」
その提案は教授には意外なものだったようで、驚いた様子を見せた。もっとも、それが本心からくるものなのどうかまではペリーヌには計りかねた。
「南北の対立だけだと武力により別れることも考えられますが、そこに第三勢力が割って入れば、迂闊に暴力に訴える事が難しくなります。第三勢力に美味しいところを奪われるかもしれませんから」
王党派は南部勢力と結びついているが、両者はド・ゴールによって無理矢理結びつけられた関係だ。第三勢力としてガリアでやっていけるのならば両者の結びつきを解く事はできるとペリーヌは考えた。
「面白い考えだが、それは無理だな」
「何故ですか? 私に近い議員も幾人かはついてくるはずですわよ。それに王党派議員が加われば十分第三勢力としてやっていけるはずですわ」
教授の返答は意外なものだった。一桁台とはいえ王党派も議席は持っている。そこにペリーヌとそれに近い議員が合流すれば、議会で単独過半数のド・ゴールでも無視できない勢力となる。
「王党派には時間がないのだよ。時が経つにつれ王家がいた時代のことを知る人間は減り、民衆からはその存在感が消えていく。まだ辛うじて王族があった頃の名残がある今この瞬間が最後のチャンスなのだ」
「だからこそ、今私と組んでド・ゴールを止めればいいではないですか。王家を復活させる事までは約束できませんが、ド・ゴールへの対抗馬に王党派の名前が上がれば世間にも貴方方の事が認知されて、ひいては王政の復活に近づけますわ」
「どんなに強力な戦艦でも、沈み始めてはそれを覆す手段はないのだ。認めたくはないが、王族の存在というものを多くのガリア人は忘れつつある。今更我々が存在感を示したところで王政への復帰を望む声は起きないだろう。むしろド・ゴールが独裁的な権力を得ようとして、それを排除する事は国王という絶対的な権力者の擁立を妨げる要因になりうる。我々王党派が大義をなすには長い雌伏が必要になるだろう」
いまだに国民はド・ゴールが独裁者になりつつある事に気付いていないが、それに気がつくのはそう先の事ではない。共和政から王政に変わるのならともかく、間に独裁政を入れてはそれに近い政体の王政など受け入れられるはずがないと言うのが教授の主張だった。
「ではこのまま南部と組んで武力による変革を望むと言う事ですか?」
「穏やかではないな。我々が政府に対抗しうる武力を一体どうやって手にすると言うのだ。それとも何か我々がそのような事をしようとしている証拠でもあるのかな?」
南部勢力が海外勢力からの支援を受けて武装しているのは間違いないとペリーヌは考えていた。明確な証拠はないが、旧ヴィシー政権の要人が忙しなく動き回っている事と、南部系の議員がカールスラントやブリタニアなどの大使館によく出入りしていると言う情報をここに着く前に掴んでいたからだ。
「明確な証拠はありません。ですが私は確信しています。今ここで止めなければそう遠くない未来にガリアが分断する事になると」
ペリーヌの言葉に教授は暫く考えると口を開き問いかけた。
「君は不本意な形で政府に所属する事になったはずだ。だと言うのにどうしてそこまで必死になれるのかね? いっその事全てを無視して君の屋敷を守る事に集中すれば良いのに」
「政府の為ではありませんわ。せっかく私達が必死の思いで手にした平和を、くだらない政治闘争などで台無しにされたくないだけですわ」
流石に後書きのネタもないなぁ。