チルノちゃん
「それで、私に用事って何?」
リグルは私に用事があって付いて来たのだ。その用事が何なのかもわからないし、何も聞いていない。せめてその用事が何なのか、にとりが寝ている今なら聞いても構わないはずだ。
「チルノ、読書感想文を書くための本を探しに大ちゃんの家に行ったんじゃないかと思ったんだけどどうだった?」
「…そこの所がはっきりしないんだ。行ったような気もするし、行っていない気もする」
「なんじゃあそりゃあ…。大ちゃんの家のポストに私からの手紙が入ってたはずなんだ。チルノ宛てに」
私は腕を組んで考える。そう言えばそんなものを見たような気がしなくもない。私は頷いた。
「ああ、確かに見た気がするよ。何だったかな。大ちゃんの家に私が探している様な本はないとか、何とかそんな内容だった気がする」
「それだ。大ちゃんはしっかりしてる様でぼーっとしている所があって、ポストに3日前の郵便物があったりすることがある。それでチルノに伝えるんだったらあそこがベストだと思ったんだ」
それなら正解かもしれない。あの手紙は確かに私の手に渡ったし、大ちゃんに読まれる事もなかった…はず。私が今思い出せる範囲だと、大ちゃんの誘いを断れず中に入った所までだ。そのあたりから記憶があいまいになっている。
私は覚えている限りの事を伝えると、リグルは考え込む。
「家の中に入ったのか。それなら、もしかしてアレも見ちゃった?」
アレ?何のことだか分からない。それに力作って?
「大ちゃんの家の中に入ったならすぐに目に入っただろ。増え続けるタイトルのない青緑の本。趣味で小説を書いてるって言ってなかった」
「…分からない。初めて聞いたよ」
リグルは困惑している。しばらくしているとにとりがこっちを向いた。
「お前、あの時中に入ったじゃないか。私から頼まれた仕事があるとかウソをついて逃げようとしてたけど」
そんな事、あったようななかったような…。無理に思い出そうとすると目の前にパチパチと星のようなものが浮かんでるような気がして来る。私は顔を振って気を取り直す。
にとりは這いずりながら何かを持って来た。青緑の本だ。これがリグルの言っている大ちゃんの本なんだろうか。
「これだよ。本当に見覚えないの?」
「いいや、ないよ」
「それはそうとどうしてにとりが持ってるんだよ」
「貸してくれるって言うんで借りたんだ」
にとりはその本を私に渡してくれた。一体どんな本なんだ?私は本を開いてみた。
私はどこまでも続く湖の上に立っていた。足元の水は叩けばパシャパシャと水飛沫を飛ばせるけど、立ってる位置より深く沈むことはない。地面がある訳でもなし、不思議な感覚だった。辺りを見渡していると、紙風船の大きさから私の身長を越えるほどの大きさの球体が水面から浮かんできた。
私はそれに触れてみると、ぶよぶよとしていた。これは一体なんだろう。ふと視界が霞んだ。私が目元をこすると手の甲が水にぬれる。自分が泣いている事に気付いた。
「涙…」
他の球体に触れる。私は急に胸が締め付けられた気分になってその場に膝をつく。
「う、うう……」
涙がボロボロと零れ落ちる。辛い。辛くて仕方がない。この気持ちを誰かに分かって欲しい。でも、この気持ちは自分の物ではない。何を悲しんでいるのか、何が辛いのか分からないからこの気持ちを解消できない。
この球体だ。この球体には哀しみが詰まっている。この球体は水面より出て、上空に向かって浮かんで行っている。空はどこまでも鉛色。暗くもないが、明るくもない。
「ルノちゃん…」
声のする方向を向いた。そこには真っ黒な影が立っていた。細かい物はまるで見えないが、その影が作る輪郭は紛れもなく大ちゃんだった。
「大ちゃん?」
「チルノちゃん」
私は大ちゃんの元に駆け寄った。
「大ちゃん、ここはどこ?」
「ここはね、終わりの先だよ」
そう言うと、大ちゃんの影は頭からボロボロと崩れ上空へ舞い上がっていった。
「大ちゃん、大ちゃん!!」
「………………」
「わああああああああああ!!!!」
私は起きた。辺りを見渡すと、にとりとリグルが驚いた表情で私を見ている。
「え、何?どこここ」
えっと、確か読書感想の朗読があって、リグルに用事があるって言われて…それで何だっけ。にとりが心配そうにハンカチを渡してきた。床に落ちる水滴を見て、今自分が泣いている事に気が付いた。
これまでの経緯をリグルとにとりから聞いた。それから、ぼんやり覚えている夢の内容を忘れないうちに二人に話した。
「…ううん、内容は気になるのに読むたびにこうなるんじゃ内容の知り様がない」
「実は私もそうなんだ。面白そうなら大量に刷って売り物にできないかと思って借りてきたんだ。で、読もうとした後の事は君らの知ってる通り」
「ふうん。それで、にとりは夢を見た?」
「いや、見てないよ」
夢は見てないのか。私はにとりに本を渡した。本をしまおうとすると私はそれを止めてにとりの顔をじっと見る。私の挙動に彼女は首をかしげたが、しばらくして意味を理解すると腕を組んだ。
「私に読めってか」
「私が本を見た時の状況が他人から見てどんな風なのか見てみたい」
「やだよ」
強情だな。一押ししてみるか。
「その本の調査、進むといいね」
私はリグルの肩を叩いてからこの店を出ようとする。この本はかなり特殊だ。調査に当たって下手に人に読ませていいやらも分からない。少なくともここには変な影響を受けずに読めるリグルとにとりと同じ反応をする私がいる。
その本が借り物と言う事も含め私達の協力なしの調査はさぞや骨が折れる事だろう。話によれば大ちゃん著書のあの本はかなりの数になる。売り物にできるのなら逃す手はないが、売り物にならないのであれば早く見切りを付けなければならない。
立ち去ろうとする私達をにとりは止めた。予想通りだ。
「わかった、わかったから…。でもあれだぞ。あんまり笑ったり、後までネタにしてからかったりしないと約束して」
「もちろん。秘密は共有と言う事で」
にとりはしぶしぶと本を読み始める。さて…。
1ページ目を開いたきり先へ進まない。2分ぐらい同じページを眺めていた。横から見ていたが、文字を追ってるようにも見えない。
「わああああああああああ!!!!」
にとりが叫んで出口に向かって走っていく。私達は追いかけた。彼女はドアを開けた先にある小石に躓いて倒れた。さっきとまるで同じだ。私は彼女を元の位置に戻してあげる。
しばらくするとにとりが起きた。
「ん…何で二人がここに?私は確かさっき…」
「にとりに用事があって来たんだけど、家の前で倒れてるのを発見して家の中に入れたんだ」
「(チルノがさっきの話を無かった事にしようとしている…)」
リグルの小声が聞こえたが気にしない。どうせにとりは今のやりとりを覚えていないんだし。私は元々の用事を果たすべくにとりにジェーンからもらったコインを見せた。にとりはしばらくそのコインを眺めていると、奥から何か本を持って来て見比べている。
本をその場に置くとにとりがこちらをジト目で見た。
「これ、フランス・フランって言う外の世界の通貨の一つだよ。こんなもの、どうしてチルノが持ってるのさ」
「この間、紅魔館に届け物をしに行ったでしょ。その時に会ったジェーンって子からもらったんだ。買い取るって言っても売らないよ」
にとりはしばらくその通過を眺めていたが私に返した。この通貨がないと、この間宿題のために借りた本が返せない。「もう戻る事はない」とか言いつつすぐに戻って来たので呆れられた。その時にこの通貨は返したのに、帰る前にまた私に渡したのだ。
あのジェーンって子は何を考えているかは分からない。
用事は済んだので私達は家に向かって歩きだす。にとりはまた横になった。
「にとり、その大ちゃんから借りた青緑の本は一人でいる時に見ちゃいけないよ」
「え、どうして?」
「倒れる前の最後の記憶、その本を読み始めたあたりじゃない?」
「…確かにそうだけどどうしてアンタが知ってるのさ」
私は店を出た。さっきは私達が通りかかったから良い物の、読むタイミングによっては危ないかもしれない。一応忠告はしたしこれで大丈夫に違いない。リグルがまだついて来るのがやや気になる。
「わああああああああ!!!!」
にとりの声が聞こえた。確かに一人の時に見ちゃいけないとは言ったけども…。私は咄嗟に家の前の小石を取った。しばらくすると走って来たにとりが出てくる。そして玄関の近く、小石があったはずの場所で同じように転んだ。一体何に躓いたんだ。
面倒くさいけどちゃんと説明しておく必要があるようだ。家に戻って全部説明した。ふとした拍子に本を開かれてもたまらないと思って本は縛っておいた。
「にわかには信じがたいけど…」
「それでリグル、結局この本ってどんな内容なの?」
「恋愛小説だよ。チルノと大ちゃんの」
「「!?!?」」
衝撃的だった。まさか、そんな事が…。てっきり魔導書的な何かだと思っていた。私とにとりは恋愛小説を読んで気絶したり記憶を無くしたりしていた訳か。
私とにとりは顔を合わせる。
「他の本は?」
「舞台設定だとかは違うけどあそこに並んでた青緑の本はほぼ全てチルノ と大ちゃんの恋愛小説だよ。本棚から適当に取って読んだ本の全て、2人が恋愛関係になる事だけは共通してた」
大ちゃん、まさか私の事が…。友達だとは思っていたけど、そんな風に意識した事はなかった。特別にアプローチして来てた様にも思えない。あるいはサインを見逃していただけなのか。
更に不思議なのはその気持ちを隠そうとしてる風でもない事だ。リグルやにとりに読ませている。また、私が大ちゃんの家に訪れた日も恐らく私は青緑の本を読んでいたはずだ。
私は一貫して本を読んだ直後に気絶している。にも関わらず、私が起きた時には家にいた。
「私、大ちゃんと話つけて来る」
「待って、話をつけるって?」
「わからないけど、このままでもいけないと思うんだ」
私はにとりとリグルをその場に置いて大ちゃんの家へ急いだ。