真・女神転生Ⅲ DEEP WONDERFUL JOURNEY 作:明日歩
人間と呼ばれる種を完全に拒絶する氷の洞窟がある。力弱き悪魔の住処だ。
ここ数日、その洞窟に住む悪魔達は恐怖に震えていた。少しずつだが確実に、同胞の数が減っているのだ。勿論悪魔と人間の死生観には大きな違いがあり、争い自体珍しい事では無い。別の個体ではあるが、時が経てば直ぐに増える。ここは特に弱く思慮の浅いものが多い事から、普段であれば気にしない者も多い。だが、そんな悪魔達でも『同胞を積極的に殺している刺青の悪魔がいる!』『目の前で友達が殺された!』『日に日に力をつけている!』と噂が飛び交い始めると、次は自分の番ではないかと怯えだしていた。
そしてそれは真実であり、それを証明するかのように洞窟の広間は血飛沫で彩られている。辺りには元々噂話に興じていた数体の悪魔が、必死の抵抗も空しく地面に転がっていた。無残な姿は徐々にマガツヒへと還って行く。飛び散った血痕も消えて行き、シミが残るようなことはなかった。
戦闘痕と共に唯一残った女悪魔は、荒く肩を上下させながら辺りに揺蕩う赤い光を吸収していく。
「はぁ、はぁ、危なかった・・・でも、やった甲斐はあった」
ミノリは今の戦闘でレベルが上がったことを確信し、その表情を喜色に染める。多少泥で汚れているものの、息が整わず荒く呼吸する姿は艶かしい。メリハリのある体を伝う玉の汗と頬に張り付く美しい黒髪が、見るものに十分な獣欲を抱かせる。自らの容姿に自覚のないその無防備な姿は非常に危なげであるが、幸いな事に悪魔は近くにいない。
「そろそろ、行くべきなのかな・・・」
彼女は不安そうにそう呟くと、何もない空間から紫がかった石を取り出し、迷いなく握り砕いた。抵抗なく砕けた石はその場で暖かな光を放ち煙の様に消える。後に残ったのは、かすり傷どころか赤み1つない綺麗な姿だった。
「宝玉は1つだけど、魔石の在庫は大丈夫」
ミノリはアイテムを入れている不思議な空間に手を入れながら言う。数日に亘る探索で怪我こそしたものの殆どが打身や火傷であり、四肢や臓器を失うほどの大怪我をした時に備えて宝玉は残してあった。HPという明確な数値がない以上、魔石を何個も使うだけで回復できるかわからないからだ。
「アークエンジェルとオニ以外に気を付けるのがいたかな・・・」
彼女は不思議な空間から手を抜くと、これから向かう先のことで考えをまとめる為、あえて口に出していく。
「エンジェルのハマとディブクのドルミナーは対処不能だから絶対に戦わない」
真っ先に思い出したのは探索中に洞窟内で見かけた悪魔達。未だに戦闘を行わない理由は1撃で魔を破る神聖な魔法を警戒した事と、眠むらされて袋叩きにされることを恐れたからである。数は少ないものの初めて天使エンジェルの後姿を見たときは、自分より格として劣っていることを理解していながら全力で逃げ出した。悪霊ディブクとは1度だけ戦闘を行ったが、その際にドルミナーを掛けられたのだ。1体であった事と偶然回避できたことから生き延びたが、それからは見かけても絶対に手を出さない様にしている。
「道順は大丈夫、あとは・・・」
ミノリは大きく息を吐き、洞窟の下に広がる戦場を思い出す。確認の為に踏み入れ、直ぐに引き返した場所であり、本来であればまだまだ向かいたくはない。だが数日間の探索により行き詰った事と、最近悪魔達が集団で行動することが多くなったことから戦闘自体が難しくなってきたのだ。
「最初に比べて明らかに楽にはなったけどさ」
先日の戦闘で凶鳥オンモラキから放たれたアギは、レベルアップを重ねたことで保有する魔力の量が上がり、最早腕で受ける事もできるようになっていた。しかし数の暴力は怖く、何度か危ない状況に陥ったことで先に進むこと決めたのだ。
「後は・・・オリアスさえ何とかなれば」
ミノリにとって1番の懸念は堕天使オリアスであった。本編中で初見のプレイヤーを驚かせた強力で凶悪な悪魔である。未だに接触したことはないが、探索中に何度も感じた恐ろしい悪魔の気配は、オリアスだと半ば確信している。今は逃げられているが、狡猾な悪魔相手にこれから先も大丈夫とは言えない以上、力をつける為に先へ進みたかったのだ。
「行くか」
深呼吸をすると努めて明るい声を上げ、両手で頬を叩くことで不安を押し殺す。ミノリの足取りは決して軽いものではない。だが地獄の先に広がる新天地に、心だけは歓喜に震えていたのだった。
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「思ったより熱いな」
ごうごうと燃え盛る瓦礫の街並みを踏み締め、ミノリは諦観から独り言ちる。鼻を衝く異臭は、最早何が焼けた臭いなのか判別すらできない。だが臭気よりも気になるのは煙による息苦しさだった。
「火災の時は煙の方が圧倒的に怖いって話だったけど、どうすりゃ良いんだよこんなの。ハンカチすらないんだぞ・・・」
もう5年以上前に受けた資格講習のことを思い出すが、想像を絶する状況に対する策は一切浮かばない。彼女は深い溜息を吐くと改めて辺りを見回すが、その度に地面へ転がる大きな炭が目に入る。
「これが明日の我が身だったら笑えねえぞ、くそっ・・・」
炭の正体は人間だった。年齢も性別も関係なく、殆どが胎児の様に蹲って死んでいる。火から追われたにしろ、煙に巻かれたにしろ、恐怖に震えた事だけは痛いほどに伝わってくる。
「一酸化炭素中毒で動けない所に火が襲い掛かってきて、長い間恐怖体験するんだったか? 俺は・・・どうなるんだろうな」
生焼けの死体を見る度に吐き気を堪え、抱き合った親子の死体を見る度に家族を思い出す。しかし、同時にずっと考えていた。この姿の俺を家族は何と言うのだろうかと。
「止めよう、この状況で心まで折れると本当に死ぬ」
拳を握り締め、何か別のことを考えようと辺りを見回す。不幸中の幸いだろうか、彼女は悪魔の気配を感じて崩れた建物に身を隠す。現われたのは火の玉からネズミの頭と手足に尻尾を出し、空をふよふよと浮かぶ魔獣カソであった。
「冗談だろ・・・」
だが問題はそこではない。彼女は目を見開くと、自らの心臓が跳ねるのを自覚する。カソと一緒になって歩いてくるのは真っ赤な肌と尖った牙を持ち、男時代の自分と比べるまでもないほど肥大した筋肉に特徴的な角を付けた身長2mほどの巨人、妖鬼オニであったからだ。全身を恐怖で震わせ、嫌な汗を掻く。
「いwn8あ@p?」
「rおqv7/!」
悪魔達は何かを話しているが、それを終えるとオニがいきなり右手に持つ鈍色の鈍器を足元の炭へ振り下ろした。
「ッ!?」
凶器が死体に叩き付けられる瞬間、ミノリは悲鳴を押し殺して目を逸らした。聞こえる破砕音に吐き気を堪える。叩き飽きたのか音が変わり、恐る恐る視線を戻した先でオニは地面や瓦礫を打ち付けて遊んでいる。隣のカソは迷惑そうにしているが、逃げることはない。
「どうする? 退路があるうちに引くか?」
物理攻撃しか持たないミノリは仕掛けない事を即決したが、上階へ撤退するかを悩む。オニ自体戦闘力や狂暴性が高い事は予想していたが、それ以外の悪魔であれば決して戦えないことはないからだ。
そしてその僅かな時間が彼女に悲劇を生む。
ミノリが来た方角からでジャリジャリと力強い足音が聞こえてきたのだ。明らかに重量のある音に汗が吹き出し、ゆっくりと後ろを振り返る。
「やられた・・・」
彼女が絞り出すようにそう呟く。視線の先にはこちらを見て下卑た表情を浮かべる1体のオニ。ぶつかり合った視線は後の戦いを予感させるが、それは最悪の形を成していく。
「最初からグルかよお前ら」
愚策だとわかりながらも振り返った先で、先ほどまで暴れていたオニがこちらを見て腹を押さえて笑っていた。近づいてこないのは余裕だろう。隣にいたカソはミノリを横目に新たなオニへと向かっていく。1歩ずつ近づいてくるオニは口の端から零れる涎を左腕で拭う。
そう、悪魔達こそ彼女を先に見つけていたのだ。異形らしく瓦礫の悪路を先回りし、これ見よがしに暴れることで注目を集める。破壊音は後ろから迫るオニの気配や足音をギリギリまで隠した。それを理解したミノリはゲームではない悪魔の狡猾さに戦慄する。
「行けるか!?」
上階への撤退を決めるのに時間はかからなかった。両手を握り締めると先手必勝とばかりにオニへと立ち向かい、右手で顔を殴りつける。少なくても速さの面ではミノリに軍配が上がり、オニが行動するよりは早く動いた。
「硬ってぇ!?」
予想以上の感触に驚愕する。言うと同時にこちらを鋭く睨みつけるオニに対して、次の手を打った。立ち上がる際左手に握り込んでいた細かな砂利を顔へと撒いたのだ。目に砂の入ったオニは痛みから両手で顔を抑えて蹲り、ミノリはその横を全力で駆け出そうとする。
「しまった!!」
彼女を止めたのは右から足元へと向けられた1発の火球であった。体制を崩しながら今度はミノリが元凶の悪魔であるカソを睨みつける。
「え?」
何とか立て直したのだが、次に感じたのは両膝の裏を何かが掬った感触と、浮遊感であった。
「ぐっ!」
そして背中から後頭部へ走る衝撃を受けて、ミノリはようやく自分が仰向けに倒れたことに気が付く。痛みを堪えて目を開いた先には赤く燃える空と、それよりも赤い肌をしたオニが立っていた。視線だけを左に向けると、右手を肩の高さで上げながら振り切っているもう1体のオニ。振り返って顔を見せるが、目をつぶっていることから、こちらが砂をかけた個体であることが窺える。
膝をついていたオニが、剛腕で両足を後ろから払った。
事実としてはこれだけなのだが、目前に死の迫った彼女は状況を把握しきれずに混乱する。
「がぁっ!」
ミノリを覗き込むだけから漸く戦闘に加わったオニが、容赦なく腹部を踏みつける。苦悶の声は彼らのお気に召したようで、3体の悪魔は嬉々として笑っていた。そのまま2度3度と嬲るように踏みつけられ、激痛から体がくの字に浮き上がる。腹部への攻撃故意識は薄れず、鈍痛が体を支配していくにつれて今度こそダメかと絶望に染まり出す。
「はぁっ、はぁ、さっさと殺せよ低能ど――――え?」
それはいきなりの事だった。辺りにバチバチと轟音が鳴り響き、空が裂け、とてつもなく大きな灰色の塊が現れたのだ。アントリアにいた全ての悪魔が呆然と空を見上げる。現われた人工物を見てある者は喜び、ある者は怒り、ある者は哀しみ、ある者は恐れた。
それはミノリたちを囲む悪魔達も同様であり、ストレンジジャーニーの知識を持つが故にそれの正体を理解し、彼女は冷静に空を見上げる。空を指さすオニや警戒からか毛を逆立てているのか、火玉を大きくさせたカソを尻目に脱出の機会を窺おうとした。
「y8ん@¥qw!!」
「/あ「6($s~!!」
「=、え+pうwj!!」
悪魔達が恐怖に震え、お互いに叫びあう。それは空を浮かぶ箱舟に恐怖したからではない。最も浅いアントリアにいながらもわかる、もっと深い所から感じるおびただしい量の魔力、マガツヒの奔流を感じたからだ。
全身が総毛立つのはミノリも同じだった。目を開けられないほどに空が光り、人生で1度も聞いたことの無い大きな雷鳴が走る。彼女はその雷に込められた魔力に最高位の地母神という恐ろしさを魅せられる。例え自分が100人いても敵わないであろう強大さに、心を震わせたのだ。
そして、その時は訪れた。天は、大いなる意志は彼女を見放してはいなかったのだ。
怒れる母への恐怖から、悪魔達が一目散に逃げ出す。何処に隠れていたのか、大勢の悪魔が雪崩の様に戦場の奥地や端へと走り出す。ミノリを追い詰めていたカソやオニ達でさえ、脇目も振らず駆け出した。
「あぁ、くそ! 本当に間が悪い奴だな俺は・・・」
彼女は痛む腹部を抑えながらやっとのことで体を起こすと、悪魔達とは別の方向へと歩き出した。
「2隻いた。たぶんレッドスプライトとブルージェットだ・・・」
歩きながら取り出した魔石を砕き、傷を治すと同時に駆け出す。
「急げ俺、間に合わなくなる!」
ミノリは不時着した彼らを襲う凶事を思い出し戦慄する。間に合わなければ大勢の命が失われ、協力が得られなければ自分自身どうなるか分かったものではない。だが、満足に眠る事さえできないこの地で、悪魔しかいないこの地で、人間に会えるかもしれないという希望は、彼女が想像していたよりも大きな原動力となって体を動かす。
悪魔よりも悪魔らしくマガツヒを集めていた1匹の悪魔は今、他者の命に対して焦燥に満ちた表情を浮かべている。
そのある意味で利己的な生き方は、まるで人間のようだった。