佐藤と一夏が食事をしている中、彼は何をしていたのだろうか……
「あら、随分と早いわね蛇鴉。サボりなんてあなたらしくないわよ?」
屋根を走り川を飛び越え、閉館して利用者のいない図書館に帰ってきたらアンジーさんにいきなりそう言われた。
「アンジーさん、今はそれより重要なことがある。『K博士』と話させてもらいたい」
「……へぇ、珍しいわね。あなたがわざわざあの人に会いに行くなんて」
私の言葉で真面目な雰囲気を纏った彼女と共に、エレベーターへ入る。
普段はF1〜F3までのボタンしか無いのだが、私たちの視界にはずらりと、
その内の一つ——『K博士の象牙の塔』をアンジーさんがタップする。天井から出てきた吊り革を強く握った次の瞬間、エレベーターが高速で移動し始めて私達はおみくじの棒のように激しく揺さぶられた。
上へ下へ、右へ左へ、挙げ句の果てには斜めまで動くのだ。一分ほど経った頃にやっと止まり、それから降りた私は少々目眩がしていた。
「相変わらず、このエレベーターの乗り心地はとてもじゃないが良い物とは言えないな。少し頭がクラクラするな」
「どうして……あなたは……平気……なのかしらっ……ね……」
「さぁ? 私自身、完璧に自分のことを把握している訳ではないんでね。むしろどうしてか教えてもらいたい程さ」
「はぁ……はぁ…………記憶喪失ってのは、本当に厄介ね」
顔色の悪い彼女とこんな会話を交わしながら廊下を歩いて行き、部屋の入り口であるドアをノックする。
ガタゴトと物を整理する音が聞こえてから、ドアが開かれる。そこから覗いているのは、燻んだ翡翠色の髪に無精髭を生やし、赤いゴーグルを付けた五十路手前の男の顔だ。
「……誰かと思えば、蛇鴉か。なんの用だ?」
「お久しぶりです、K博士。少し、お話ししたいことがありまして」
「私は同伴です」
「……お、アンちゃんも来てるのか。こりゃまた珍しいな」
部屋に踏み入った私達は、左右に並ぶ書類の大山脈に苦戦した。何せ、私の背より高い山がいくつもあるのだ。私より背の低い教授がどうやって積んだのかも謎だし、崩れていないのは奇跡としか思えない。というか、下手したらこの人だけで日本の紙の数%を使っていそうな量である。
ある程度進んだ所で、4人掛けのテーブルに辿り着いた。……妙な埃の積もり方からして、さっきの音はこれから書類を退かす時の音だったのだろうか。頭の片隅で考えながら、私達は椅子に座る。
私は右側でアンジーさんが左、博士は私の向かい側といった感じだ。
「さて、と……で、話ってのはどんなもんだ?」
「それは、かくかくしかじかでして——」
事の成り行きを順序立てて彼らに説明する。一通り言った後、アンジーさんは目を見開き、博士は右手を顎に当てていた。物事を考えている時の彼の癖だ。
「まさか、そんなことがあったなんてね……流石に想像して無かったわ」
「勿論、私もです。佐藤巧の尾行だけかと思いきや、織斑一夏の誘拐が起こった上に相手は謎の技術を使っているんですから」
「あー……まぁ、とりあえず佐藤やブリュンヒルデの弟のことは置いとくとして、だ。例の誘拐犯どもが姿を消した時、何か前兆みたいなもんはあったか?」
「それが、少なくとも私が体験した限りだと全く無くてですね……謎の光や音と言った分かりやすい物はありませんでしたね」
あぁ、思い出すだけで頭が痛くなってくる。あの変な奴らも問題だが、そもそも何故私は佐藤達を助けてしまったのだろうか。しかも、妙にキザったらしい言動をしていた気もする……本当に謎だ。
「うーむ……それじゃあ、アプローチ変えてみるか。鴉、そん時って何か普段と違う物ってあったか?」
「違う物…………例えば
思い返してみると、今日は風がかなり強く、雲が非常に少なかった。太陽光そのものは
「一応、妙に雲が少ない日ではありましたが——」
「なるほどな。それじゃ次の質問だ。月は出ていたか?」
「……何故、月なんだ?」
疑問に思いながらも、記憶の中を探ってみる。月、月……月か——
「あぁ、確かに出ていたな。それも、滅多に見られないスーパームンかつ満月だったような気がするよ」
「……よし、大体わかったぞ」
「いやそれだけの情報で分かる物ですか!?」
すかさずアンジーさんのツッコミが入った。確かに、この程度の情報で突き止めることは出来ないだろう。——そう、
この男、K博士は私が属する組織が使用する数々のMUSTの大半を考案した大天才であり、縁の下の力持ちの一人とも言える存在なのだ。そんな彼が『分かった』と言うのだ。それを信じない手はない。
「あくまで推測だが————相手の技術は
「熱光学迷彩か……確かに、その手の技術なら前兆の発生しようも無いな。私が使っていたコートもそんな感じなのか?」
「あ、遮眼に関しちゃちょっと違うな。秘密道具で例えるなら、相手のは『透明マント』、遮眼は『石ころ帽子』って感じだ」
「なるほど、分かりやすいわね。……と言うか、どっちにしろとんだオーバーテクノロジーね。まるでアニメだわ……」
アンジーさんがやれやれといった感じでそう言うと、博士は彼女の方に素早く首を向けて熱弁し始めた。
「アニメだって? いいや、アニメじゃ無い、
「そう言われてみると、反論できないわね。ほんと、数年前じゃ考えられなかった世界よね……いい意味でも、悪い意味でも」
アンジーさんがそう呟く。あぁ、全くもってその通りだ。
確かに、数年前と比べればこの世界の技術は飛躍的に向上したし、治せなかった病気が治療できるようになったり、様々な発明が世界の至る所で生み出されている。
でも、それと同時に女尊男卑が生まれて流行り、表沙汰にならない犯罪——組織的な人身売買等がいい例だ——が裏の世界で今まで以上に横行するようになり、私や霞野さん達の『仕事』は年々増える一方である。
果たして、今の世の中は昔より良くなったと言えるのだろうか——そんなことを、ついつい考えてしまう私だった。
「あ、ところでなんだが鴉。今日はその仮面とコート、俺に預けてもらえるか?」
「ふむ、何か問題でもあるんですか?」
「いやなに、例の巨漢に攻撃を受け止められてただろ? 本来ならあの攻撃は決まってなきゃおかしいからな。念の為、色々と再検証しないといけないと思ってんだ」
博士の言い分に私は納得して、椅子の背もたれに掛けておいたコートを博士に渡し、次いで仮面を取り外そう——として、ふと沸いた疑問について彼に尋ねる。
「博士、仮面まで預かるのは何故なんだ?」
「ああ、それに関しては、そろそろ一回メンテナンスする必要があると思ってな。何せ、お前さんは道具使いが結構荒い方だからな。今のデザインになる前の時に、真っ二つになったアレを持ってきた時にゃ怒る所じゃなかったしな」
「まぁ、そうだな。……というか、あのデザインを考えたのは誰なんだ? いくらなんでも黒くてメカメカしい
「ああもう、そっち方面の話はもういいでしょ二人とも! とにかく、もうさっさと帰りましょう、宇野くん」
私達の話が長引きそうなのを感じ取ったアンジーさんが間に割って入り、私の首根っこを掴んでドアの方へと歩き始めた。……またあのエレベーターに乗るとなると、少々気が滅入るな。
「あばよ、宇野! 仮面は明日には返せるぜ!」
「ありがとう、K博士。それじゃ、また明日」
その後は、行きと同じようにエレベーターで滅茶苦茶にされながら図書館まで帰った。……後で薬局に行って酔い止めを買っておくべきだな、これは。
そんなかんなで、図書館から薬局に寄ったりスーパーに寄ったりして、なんとか家まで帰ってきた。あぁ、未だに軽い目眩が続いている。
少し気持ち悪いので、寝る前に薬を飲んでおこう。今はまず、食事にありつきたい気分なんだ。
そう思いながら、レジ袋から買ってきた物を取り出す。鉄火巻、きゅうり、納豆巻きの三種類の寿司が入ったお得パックである。後は、常備してあるインスタントの胡麻ワカメスープをお椀に入れてお湯を注げば、お手軽夕食の完成だ。
醤油を小皿へ注ぎ、まずは鉄火巻を一つ食べる。……うん、少々筋があることを除けば食べ慣れたいつもの味である。
次はきゅうりを。時間が経っている為に少し柔らかくなってしまっているが普通に美味しい味だ。……納豆に関しては、十人食べたら十人が同じ感想を言うぐらいありきたりな味だった。
そして、ワカメが完全に戻りきったスープを一啜り。あぁ、冷えた体が段々と温まっていくのがよく分かる。
その後はささっと食べ終えて、シャワーを浴びるだけで済ましてから酔い止めを飲んで、寝室へ直行して倒れるように眠りについた。
——今になって思えば、ここで酔い止めを飲んだことがこの先の『俺』の未来が変わった原因の原因と言えるだろう。何せ、
???「お、開いてんじゃ〜ん」
主人公の家に不法侵入したのは一体誰なんでしょうね
ご精読、ありがとうございました。感想、誤字報告もよろしくお願いします。