茹だるような暑さの中、祖父から送られてきた段ボールを紐解く。露に濡れる果肉の詰まった西瓜に夕日が影を落としていた。就活の資料と都会の残滓に雑然と埋もれた部屋の中に、果実の瑞々しい匂いが郷の何処までも広がる畑の風景を一瞬垣間見せてくれる。それが何故だかとてもやるせなくて、小ぢんまりとした冷蔵庫の中に詰め込んだ。
最後に祖父の元を訪ねたのはいつの事だっただろうか。ヒートアイランドだか何だか知らないが、こんな品の無い暑さではなくて。確かに彼処には『夏』があった。空で燦然と輝く日が落ちてゆくのを名残惜しみながら家路につく、そんな夏が。
午前三時、どうしても目が冴えてメールボックスを覗く。何回見てもあるのは顔も名前も朧げな誰かの祈り。溜息混じりに家を出る。気晴らしに、と出かけても特に目的がある訳でもない。薄暗い通りをただひた歩く。歩くという行為に集中している今だけは何も考えずに済む。薄暗い路地裏を歩いていた。脳髄の奥深くに残った柑橘色のアルコールが、星光る淡い藍色をぼやかす。夜明け前の街には見捨てられたものが転がっている。
道の端で啜り泣く女、猫の喧嘩、踏み潰された缶チューハイ。
終電だとか、皺くちゃの履歴書だとか、自分自身だとか。
そんなもの全てを視界の端に追いやりながら、夏の夜を歩く。蒸し暑いだけの都会の夏を。カブトムシも線香花火も祭り囃子も何もない、そんな八月。
じじっ、と何かを非難するような音が足元で響く。目をやると
コンビニで買った棒アイスを取り出す。一口囓ると広がる清涼感と安っぽい甘み。幼い頃から何も変わっていない味を「不味い」と感じるようになったのは自分が変わってしまったからだろうか。
炎天下の中、友人と駄菓子屋で分け合ったそれが世界で一番美味しいと感じていた頃に戻りたい。はずれ、と刻まれた棒をごみ箱に投げ捨てる。
家に帰るなり万年床へ倒れ込む。付けっぱなしのクーラーが黴臭い風を送ってくる。窓の外から薄っすらと聞こえてくる救急車のサイレンに目を閉じた。
夏は日陰になった縁側で寝るのが好きだった、そんな取り留めもない事を思い出す。そこだけ風が通っていていつでもひんやりとしている。風鈴がいつも揺れている。先客の猫が僕を数瞬だけ眺める。氷水でたっぷり満たしてあるバケツの中には西瓜が冷えている。遠くで蝉が鳴いている。
決して何か間違えている訳ではない。この生活が普通なのだ。ワンルームのマンションで、湿った布団に包まりながら寝付けない夜を明かす。皆そうなんだ。なのに、涙が溢れる。
かつん、と軽い音が響く。何事かと身体を起こすと、窓ガラスにカブトムシが張り付いていた。そっと窓を開けて手を伸ばす。何故か逃げ出す様子もなく、されるがままになっている彼を机の上に乗せた。ふと思い立って冷蔵庫から西瓜を取り出すと、二切れほど切り出す。赤い果汁が机の上にぽたりと伝った。口いっぱいに広がる夏を種ごと飲み込みながら皿に載せたもう一切れをカブトムシの方にそっと置く。のろのろと丘のような果肉を登りながら汁を啜る彼を眺めていると、僕は数年ぶりに蒸し暑さの中に涼風が通るような思い出に身を浸せたのだ。