「…………おはよ――おろろろろっ!」
インターフォンが鳴ってから数分。バタバタと慌ただしい音が止むのと同時にドアが開いて、夢美が顔を出してビニール袋に嘔吐した。
出会い頭に嘔吐する瞬間を見せつけられたレオは、複雑な感情を押し殺して声をかけた。
「……おはよう。その、大丈夫か?」
「……死ぬほど気持ち悪い」
「だろうな」
せめて吐き終わってから出ればいいのに。レオはそんな言葉を飲み込んだ。
「ちょっと話せるか?」
「あたしも、そう、思ってたけど……ごめん、余裕が、な゛い゛……!」
顔を青白くした夢美は室内――というよりトイレの方へと駆け込んでいく。
「お゛え゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛……!」
勝手に上がるのもどうかと思ったが、このまま二日酔いの夢美を放っておくわけにもいかず、レオは夢美の部屋に上がることにした。
「まったく、ペース考えずに日本酒グビグビ飲んだらこうなるだろ」
「た゛っ゛て゛お゛い゛し゛か゛っ゛た゛ん゛た゛も゛ん゛!」
レオは炎上した後の対応について話し合うつもりだったのだが、予想以上に夢美の状態が酷かったため、ひたすら背中をさすり続けた。
それから数時間、レオの的確な介抱により、何とか夢美は会話できる程度には回復した。
大学時代、ダンスサークルという名の飲みサークルに所属していたこともあって、レオは酔っ払いの扱いに慣れていたのだ。レオ自身、上戸だったということもあり、専ら飲み会では介抱ばかりしていた。
レオが買ってきたスポーツドリンクを口にした夢美は、まだ青白さの残る顔で申し訳なさそうにレオに礼を述べた。
「……ありがとね。マジで助かったわ」
「いや、配信であんな飲み方してる時点で予想はできてたからな」
実際は予想を遥かに超える惨憺たる状態であったが。
そして、惨憺たる状態だったのは夢美だけではない。
「あ、ごめん。ちょっと散らかってるけど楽にしていいよ」
「ちょっと?」
夢美の部屋はエナジードリンクの缶や宅配の段ボール、カップ焼きそばの容器や剥がした蓋が散乱していた。
壁紙やカーテンの色や柄から、辛うじて女の子らしさが感じられるのが救いと言えるだろうか。
レオは予想外の汚部屋具合にかなり引いていた。
「……まさか調理器具がないとは思わなかったよ」
「自炊って料理できないと結局金かかるやん? なら、最初からない方がいいと思ってさ」
「それっぽいこと言ってるけど、お前の場合、料理のできるできない以前の問題だと思うけど」
確かに分量や値段などを考えずに購入して自炊しても、食材を余らせたりしてコストパフォーマンスは悪い。
案外、米だけを炊いて総菜を買ってきた方が良かったりするのだが、夢美の場合は炊飯器すらなかったのであった。
「とりあえず、味噌汁作っておいたから飲め」
「まさか、親以外に作ってもらった味噌汁を飲むことになるとは思わんかったわ」
レオは自分の部屋であらかじめ作っていた具なしのシジミの味噌汁を持ってきていた。ちなみに夢美の部屋には食器すらなかったため、現在彼女はレオのお椀を使って味噌汁を飲んでいる。
「あぁぁぁ……染みるわぁ」
「ひとまずは大丈夫そうだな」
夢美の容体がだいぶ落ち着いたことを確認すると、おそらく現状を把握していないであろう彼女へ炎上関連の話をすることにした。
「簡潔に言う。お前、炎上してるぞ」
「ぶふっ!」
「……すまん。タイミングが悪かった」
炎上、という単語を聞いた瞬間、夢美は飲んでいた味噌汁を噴き出した。
顔面に味噌汁を浴びたレオは、タイミングを誤ったことを後悔した。
「うわっ、ごめん!」
「気にしないでくれ。それよりも炎上の方が問題だ」
持ってきていたタオルで顔を拭くと、レオは冷静に現状を語り始めた。
「まず、炎上の原因は三つ。酔った勢いで同期のライバーに面倒な絡み方をしたこと、配信上で伸び悩んでいる同期に説教をしたこと、同期が嫌がっていることを強要したこと。主な火種はこれだな。そこに俺と夢美の視聴者がお互いに喧嘩になって、Vtuberの炎上特集で稼いでるユーチューバーにも目をつけられてあれよあれよと炎上だ」
理不尽極まりないけどな、とレオは最後に締めくくった。
レオから現状を聞かされた夢美は二日酔いで青白くなった顔をさらに青くさせた。
「あの、その、昨日は――」
「その先は言うな。俺は気にしてない。むしろ感謝してる」
レオは夢美の謝罪を遮ると、真っ直ぐに彼女を見据えて言った。
「夢美、お前が謝る相手は俺じゃない。マネさんを含めた事務所側だ」
謝らなきゃいけないのは俺もなんだけど、と言ってレオは続ける。
「俺達は事務所の方針に逆らった。確かに事務所のやり方に納得いかない部分はあったかもしれない。だけど、俺達ライバーは自分の意見と事務所の方針の間で折り合いをつけて活動しなくちゃいけないんだ。しかも、俺達で絡むのはやめることを了承したその日のうちにこのやらかしだ。マネさん達もてんやわんやだろうよ」
「だったら、こんなことしてる場合じゃないんじゃ……?」
「一度状況を整理しないと、パニックになって対応を間違いかねないだろ。それに夢美は二日酔いでそれどころじゃなかったからな。そういうわけで今からマネさんにきちんと謝罪の電話を入れるぞ」
「うん、わかった」
こうして二人はそれぞれのマネージャーへ謝罪の電話を入れることにした。
「お疲れ様です、獅子島です。朝早くに申し訳ございません」
『獅子島さん!? お疲れ様です!』
「飯田さん、昨日は申し訳ございませんでした。夢美と絡まない方針に決まったばかりなのに、このようなことになってしまって」
『あの状況では仕方なかったと思います。それに獅子島さんが殻を破るきっかけになったのならば、それ自体は喜ばしいことですし』
ただ私が何のサポートもできなかったのは残念ですが、と飯田は電話口の向こうで苦笑した。
「今日は諸星さんを交えた打ち合わせがありますよね。そこに夢美も交えて今後の話をすることは可能でしょうか?」
『ついさっき、諸星部長からその話をされたところです。しかし、茨木さんはあんな飲み方をして大丈夫なのでしょうか?』
「さっき話した感じではだいぶ落ち着いていたので、問題ありませんよ」
『……幼馴染設定をすすめた私が言うのもなんですが、本当に仲良いですよね』
「思ったよりも気が合うってだけですよ」
ひとまず、夢美を交えて打ち合わせをすることが決まり、レオは飯田との通話を切った。
「そっちはどうだった?」
「……逆に謝られた。四谷さん、あたしが酔えば面白いことになるかもしれないって、どこかで期待して日本酒渡したみたいでさ。電話口の向こうでボロ泣きしてて、何かもう気の毒だったわ」
自分の浅慮が原因で担当ライバーが炎上したとなれば、申し訳なさで泣きもするだろう。
しかし、レオと夢美はそれだけではないと感じていた。
「「絶対諸星さんがブチ切れてる」」
あの威圧感の塊のような小さなキャリアウーマンが、怒髪天を衝くかの如く怒り狂っているのは容易に想像できた。
レオと夢美は、表情を一切変えずに淡々と正論で四谷をタコ殴りにしている諸星の様子が目に浮かび、身震いした。
「しかし、打ち合わせは決まったけど、どうしようか……」
状況が整理できたからか、絶賛炎上中の夢美は落ち着いていた。
「アーカイブって、消した方がいいよね?」
「いや、アーカイブは残しておいた方がいい」
「えっ、何で? アーカイブ残してたらどんどん切り抜き動画作られちゃうじゃん」
「どうせ、たくさん切り抜かれてるんだから焼け石に水だ」
現在、夢美の炎上騒ぎを取り扱ったネット記事や動画では、レオに対して説教している様子や山月記ネタを強要している場面の動画で溢れている。
これらは全て残っている配信のアーカイブを編集して作った動画だ。
「こういうときに大事なのは信頼できる情報ソースだ。悪意を持って切り抜かれた動画しか残っていない状況だと言い訳できないだろ? あの配信はお前が俺を心配した結果、酒が入っていたこともあって気持ちが暴走して起きたことだ。そもそも俺達の仲が良いことは配信の後半を見てればサルでもわかる――って、何赤くなってんの?」
「や、改めて言われると照れるっていうか……」
酒が抜けて素面になった夢美は、自分がレオのことを心から心配していたことがバレて照れていた。
そんな夢美の様子は一旦捨て置いたレオはそのまま説明を続けた。
「少し待てば、俺達のファンが擁護するために正しい情報を拡散してくれる。俺達がやるべきことは事務所と相談したうえで情報を発信して〝茨木夢美は獅子島レオを心から想って行動して空回りしてしまった〟という共通認識を視聴者に持たせることだ」
「う゛、お゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛………………!」
何度も自分の本心をレオに告げられたことで、夢美は足場のない部屋にうずくまることになった。
「……てか、なんか慣れてるね」
「そりゃ芸能界にいたからな。いろいろ痛い目は見てる」
「さすが元アイドル。発言の重みが違うわ……ふぁ、あぁぁぁ……」
レオに感心していると、碌に睡眠を取れていなかった夢美は眠そうにあくびをした。
「ひとまず、まだ本調子じゃないんだから夢美は寝てろよ。時間になったら起こしてやるから」
「わー至れり尽くせり……」
レオの言葉にふにゃふにゃとした笑顔を浮かべると、限界がきたのか夢美はその場で眠ってしまった。
「いや、カギ閉める前に寝るなよ……というか、男がいる横で爆睡するなっての」
散らかり放題のこの部屋で鍵を見つけることは困難を極める。
ため息をついたレオは顔を赤らめながらベッド(らしき場所)まで夢美を運ぶと、そっと布団をかけるのであった。
ラブコメがアップを始めました。