「準備できたか?」
「もちろん!」
レオは夢美が身支度に時間がかかることも織り込んで余裕を持って彼女を起こした。
レオの介抱と質の良い睡眠により、夢美の体調はかなり回復していた。
シャワーを浴び、髪を乾かしパーマをかけ、カラーコンタクトを付けた夢美はすっかり他所行きモードだ。
しかし、レオは夢美の顔を心配そうに覗き込んだ。
「……顔色まだ悪いな」
「えっ、メイクでごまかしたつもりだったんだけど」
「よく見ればわかるよ。まあ、そのくらいなら大丈夫だろうけど」
レオもアイドル時代には、メイク担当に顔色をごまかすためのメイクをしてもらっていたことがある。それ故、顔色をメイクでごまかしていることを見破るくらいわけなかった。
「それじゃ、行くか」
「お、おう……」
炎上後に諸星に会って打ち合わせを行う。その事実に夢美は気後れしていた。
「大丈夫だ。諸星さんはライバーのことをよく考えてくれている人だ。誠心誠意謝れば気持ちは伝わるさ」
しっかりと戸締りを確認すると、レオと夢美はにじライブの事務所へと向かった。
「――さて、事情を説明していただけますね?」
「「(怖っ……)」」
事務所について会議室に通された二人は、いつも以上に圧を放つ諸星に気圧されていた。
そんな諸星の両脇には、目を泳がせる飯田、泣きすぎてメイクが崩れている四谷の二名がいた。
「あの、この度はご迷惑をおかけしてしまい申し訳ございませんでした!」
「俺も勝手な真似をしてしまい申し訳ございませんでした!」
そんな地獄のような光景の中、レオと夢美は深々と頭を下げた。
「それで?」
「ひっ」
ギロリと睨まれたことで、夢美は小さな悲鳴を上げる。
「大丈夫だから」
「うん……」
夢美にだけ聞こえるようにかけられたレオの言葉によって夢美は立ち直り、しっかりと諸星の目を見て事情を話した。
「今回の件はあたしが軽率にレオに電話をかけたことが原因です。いくら突然幼馴染設定を解消することに不満があったとはいえ、あのような配信上で行うべきやり取りではありませんでした。事務所のみなさんには今日まで支えていただいたのに、その信頼を裏切るようなことをしてしまい申し訳ございませんでした」
誠意を込めた夢美の謝罪。それに対して諸星はこめかみに手を当てながら、ため息をついて言った。
「はぁ……今回の件はこちらの非も大きいです。四谷がやらかしを期待して日本酒を渡したこと、最初に勝手な設定を用意したこと、それらに関してはこちらの責任です。それにお二人は白雪さんと違って何がいけなかったかわかっているようですし、これ以上は言いません」
名指しされたことで四谷はビクッと肩を震わせる。夢美の炎上後、四谷はこってりと諸星に絞られていた。
「とはいえ、茨木さんには今後、配信中の飲酒は控えていただきたいです。完璧なフォローができる人間がすぐ傍にいる状況ならば、その限りではありませんが」
一瞬だけレオの方を見た諸星は、改めて議題を今後についてに移した。
「問題はこれからです。正直言って、配信のアーカイブさえ残しておけば自動的に炎上騒ぎも収まるでしょう」
実状は仲の良い同期を心配しての行動でしたからね、と呟くと、諸星は続ける。
「茨木さんにはツウィッターアカウントで謝罪ツウィートをしていただくのがいいでしょう。内容としては、シンプルに獅子島さんと視聴者の方々に迷惑をかけてしまったことを謝罪するのがいいでしょうね」
そこまで言うと、諸星は先程から委縮してしまっているマネージャーの二人に話を振った。
「……飯田、四谷。黙っていないであなた達も意見を出しなさい」
「「は、はい!」」
完全に置物と化していた二人は諸星に促されてようやく意見を述べ始めた。
「やっぱり仲の良さをアピールすることは大事だと思います。茨木さんがツウィートしたら獅子島さんが引用リツウィートして、軽い感じで締めるのがいいと思います」
「獅子島さんが茨木さんに感謝していることを前面に押し出していくのも大事だと思います。茨木さんが酔って絡んだことが獅子島さんのプラスになったことは大きいですから」
「ええ、獅子島さんのチャンネルも現時点で登録者数三万人越えですからね」
「はえ……?」
唐突に飯田から告げられた事実に、レオは久しぶりに間抜けな声を出した。
「ちょ、ちょっと待ってください。三万人越え?」
「あれ、確認していなかったんですか? 獅子島さんのチャンネルと最初に出した歌動画、すごい勢いで伸びてますよ」
スマートフォンでU-tubeを立ち上げてチャンネルを確認すると、そこには〝チャンネル登録者数三万人〟と表示されていた。
そのうえ、いまいち伸びなかった一本目の歌動画〝ライオン・ソウル〟は既に四万再生を突破していた。にじライブに新たな伝説が生まれた瞬間である。
「マジか……」
「うわ、やっば。これならすぐに収益化できるんじゃない?」
「何か現実感ないな」
どこか夢見心地でレオは目の前の現実を信じられずにいた。
「音質が良くない環境であれほど見事に歌ったというのも大きかったのでしょう。次の配信は歌枠にすればこの勢いを保ったまま伸ばし続けられるでしょうね」
諸星はいつもの鉄仮面を崩し、笑顔を浮かべた。
「ひとまず、茨木さんは今日一日ゆっくりと体を休めてください。そして、獅子島さんは明日にでも配信で歌枠を行っていただけますか?」
もちろん、幼馴染のコラボで。
最後にそう締めくくると、諸星は夢美のツウィート内容を確認して打ち合わせを終わらせた。
[先日の配信においてレオや視聴者の皆様に迷惑をかけてしまい申し訳ございませんでした。
レオも「いいきっかけになった」と言ってくれ、この件は私達の間で解決しました。
なので妖精さんやレオのリスナーさん同士は喧嘩しないでくれると嬉しいです。
この度はお騒がせしてしまい申し訳ございませんでした]
[皆さん! 心配をおかけしてしまい申し訳ございません!
俺は今回の一件、夢美に感謝しかないので、どうか誤解のないようにお願いします!
明日にでも歌枠やるので、詳しい話もそちらでします!]
宣伝を混ぜつつ、しっかりと視聴者へ心配をかけてしまったことの謝罪をしたツウィートは瞬く間に拡散されたのであった。
こうして無事に炎上後の打ち合わせを終えたレオと夢美は会議室を出て、深呼吸をした。
「あー……疲れた」
「夢美、ちょっと待っててくれるか?」
「え? あ、うん。わかった」
レオは夢美を待たせると、会議室へと戻っていった。
「諸星さん」
「どうしました獅子島さん?」
「今回は本当にありがとうございました」
レオは会議室へ戻ると、一人で座っていた諸星へと頭を下げた。
「寝不足になるまで、炎上後の対応をしてくださっていたんですよね」
「っ、何故?」
「うまく隠してるつもりでしょうけど、目の下のクマすごいですよ」
今回の炎上騒ぎはそこまで騒ぎが大きくなる類のものではない。そんな炎上騒ぎで諸星ほどの人間が寝不足になるとしたら、原因は一つしかない。
「俺達が幼馴染の設定でもやっていけるように、今後の方針を練り直していたんじゃないんですか?」
「はぁ……獅子島さんは少し鈍感になった方がいいですよ」
こめかみに手を当てると、諸星はいたずらがバレた子供のようにバツが悪そうな表情を浮かべた。
「どうも私には威圧感があるようで、茨木さんには諭したつもりが、脅した感じになってしまいました。それが原因で余計に不満を抱かせたのではないかと思っただけです」
「大丈夫ですよ。確かに夢美の奴、諸星さんにビビってはいますが信頼もしていますよ」
「だといいのですが……」
力なく笑うと、諸星はレオに向き直って言った。
「獅子島さん、あなたは茨木さんを嫌いにならないであげてくださいね」
「はえ……?」
「コラボだっていいことばかりじゃないということです。今はそれだけ覚えておいてください」
「はあ、わかりました」
どこか引っかかるものを感じながら、レオは再度諸星に頭を下げて会議室を出た。
「諸星さんと何話してたの?」
「改めてお礼を言っただけだよ」
「それにしては、長かった気がするけど。ま、いっか」
レオがぼやかして言ったことは深く聞かない。夢美は無神経に見えて人との距離感を大事にする人間だった。
「今後は本当に気を付けないとね」
「ああ、炎上なんてしない方がいい」
今回の件で、自分達の行動の一つ一つが事務所の人間に及ぼす影響を再確認したレオと夢美は、改めて炎上は二度としないように気を付けることを誓った。
用事も済んだので、少し休んでから帰ることにした二人は休憩スペースへと向かった。
休憩スペースに着くと、二人の女性が席に座って何かを話していた。
「だからね、人の社会にはルールがあるんだよ? 遅刻しちゃったらいろんな人に迷惑がかかっちゃうんだよ?」
「いやー、わかってますよ? ただ体が言うことを聞かないんですよねー」
優しく諭すような声と、まるで反省していないような呑気な声。
その声には――特に優しく諭すような方の声には聞き覚えがあった。
「まひるちゃん?」
「およ?」
夢美が驚いて名前を呼んだことによって、茶色がかったポニーテールが特徴的な女性――白鳥まひるは会話を中断してレオと夢美の方を向いた。
「もしかしてレオ君とバラちゃん!?」
とたとたと二人の元へとまひるが駆け寄ってくる。
「はじめまして! 白鳥まひるだよ!」
「わ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛! ま゛ひ゛る゛ち゛ゃ゛ん゛た゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛! 」
「はじめまして、まひる先輩。獅子島レオです」
片や発狂しながら、片や落ち着いてまひるへと頭を下げる。
まひるの身長は夢美より低いが、諸星ほど低くはなかった。
顔つきもどちらかと言うと、大人びた印象を受けるのに纏う雰囲気はどこか幼い。ある意味諸星とは真逆の印象を受ける人物である。
「あれ、もしかして二人共年上だったかな? だったら敬語の方が良かったかな?」
「いいんだすよ! 全然フランクに接してくだしあ!」
「何でキーボードの誤変換みたいになってるんだよ……」
憧れのライバーの前で正気を保てていない夢美に呆れながらも、レオはまひるに自分達の年齢を告げた。
「俺達はどっちも二十五歳ですけど、まひる先輩は?」
「おー、五歳上かぁ」
「えっ、てことはまひる先輩ってデビューしたとき十代だったんですか」
「ギリギリだけどねぇ」
まひるがライバーデビューしたのは去年の春。先日一周年記念配信が行われたばかりである。
高校生のときからゲーム配信を行っていたまひるは、にじライブからのスカウトを受けてバーチャルライバーとしてデビューすることになったのであった。
「そんなことより、バラちゃん大丈夫だった?」
「ひゃい! 全然大丈夫です!」
憧れのライバーであるまひるに心配されたことで、夢美のテンションは最高潮に達していた。そんなまともに会話のできなくなっている夢美をフォローするように、レオは現状を説明した。
「ちょうど今打ち合わせが終わったところで、何とか丸く収まりそうですよ」
「そっかー……良かった」
二人のことを本当に心配していたまひるは安堵のため息をついた。
そんなやり取りを他所に、こそこそと休憩スペースを離れようとしている人間が一人。
「こら林檎ちゃん! 逃げないの!」
「……バレたかー」
まひるに咎められ顔を顰めながら戻ってきたのは、艶のある黒髪をハーフアップにまとめた丸顔が特徴的な女性だった。
「おー、炎上仲間のバラギじゃん。おはっぽー」
「その気の抜けるしゃべり方。まさか――」
「どもどもー、三日前に炎上した白雪林檎でーす。レオ君も、バラギも、同期同士よろー」
皆さん待望の林檎ちゃんが満を持して登場です。