サタンとサラはにじライブ公式番組であるハンプ亭道場の収録のためににじライブのスタジオへ来ていた。
「……やっぱりこっちのスタジオは心が落ち着きますね」
「……そうね」
スタジオに到着してからもサタンとサラの表情は暗い。
別に彼らはにじライブのスタジオが嫌いというわけではない。
むしろ、居心地が良すぎることが問題だった。
「智花さん、魔王軍は今にじライブのおかげもあってかなり状況はよくなりつつあります。だから――」
「わかってる。私だって魔王軍のみんなやアニメーションチームのみんなは好きなの。これを機に状況が良くなれば、ね?」
表情に影を落としながらも、サラはサタンを安心させるように笑った。
「それと司君も無理は禁物だよ。私なんかよりもあなたの方がスケジュールキツイでしょ?」
「……僕はまだ大丈夫です。それに僕は――吾輩は魔王だぞ? 弱音なんぞ吐かぬわ」
「ならアタシも全力で付いていくゾ」
いつものロールプレイをしながら決意を告げるサタンに苦笑すると、サラもロールプレイの口調で答えた。
それからサタンとサラはにじライブスタッフやレギュラーであるハンプ、林檎と挨拶をしていた。
「初めまして、バーチャルリンク所属のサタン・ルシファナです。本日は宜しくお願い致します」
「同じくバーチャルリンク所属のサラ・マンドラです。本日は宜しくお願い致します」
「おー、二人共待ってたよー。サラちゃんは久しぶりだねー」
「林檎ちゃん、久しぶり! この前は体調崩しててコラボできなかった分、今日は頑張るよ!」
「…………」
笑顔を浮かべて挨拶をする林檎とは対照的に、ハンプはサタンとサラを見て絶句していた。
「ハンプどうしたのー?」
「いや、すまん。何かイメージとだいぶ違ったもんで」
金髪に染めた髪とダメージジーンズに左耳にはピアス。目つきの悪さも手伝って、サタンの見た目は初見だと近寄り難さを感じるのである。
そして、サラの方はVネックのロングワンピースの上からデニムのジャケットを着ており、林檎に負けず劣らずのスタイルをしていた。
魔王軍のサラ・マンドラは小柄だが魔王軍一の怪力と戦闘力を誇るというキャラのため、現実とのギャップが凄いことになっているのだ。
「魔王様はイキリオタクかと思いきや礼儀正しいし、サラちゃんは大人のお姉さんだもんねー」
「誰がイキリオタクですか!」
「えー君のお姉ちゃんから聞いた話だと――」
「やめろやめろ! 悪魔かあんたは!」
「ふふっ……」
魔王に悪魔と言われる焼き林檎。そんな光景にサラはクスッと小さく笑った。
「ああ、紹介が遅れました。俺はハンプ亭ダンプ。今日はよろしくお願いします」
ハンプが自己紹介をすると、怪訝な表情を浮かべてハンプの顔を見つめていたサタンは目を見開いて叫んだ。
「もしかして、タマキンスカイウォーカーさんですか!?」
タマキンスカイウォーカーこと、
ゲーム配信者であり、FPSでは世界ランカーになったことのあるプロゲーマーの名前である。
そして、まひるが実況者を始めたときに、ゲーム配信に興味を持ったサタンが目標とした人物でもあった。
「えっ、そんなに凄い方だったんですか?」
「サラさん、知らないんですか!? この人は俺達キッズをFPSの世界へいざなった人ですよ!」
「へ、へぇ、そうなんだ」
興奮したように鼻息荒く語るサタンに、サラは若干引き気味に相槌を打った。
サラはFPSが苦手なのである。
ハンプの以前使用していた名前を聞いた林檎は腹を抱えて笑っていた。
「た、タマキンッ! スカイ、ウォーカーッ……!」
「笑うなぁ! 俺だって適当に着けた名前で世界大会行くとは思ってなかったんだよ!」
ハンプは適当に付けたハンドルネームで有名になってしまい、それ以降そのままその名前を使っている内に改名時を逃してしまったのだ。
「お会いできて光栄です!」
「こちらこそ、男性Vの道を切り開いた一人である魔王様に会えて光栄だよ」
黎明期の代表的な男性Vtuberと言われて人が思い浮かべるのは、基本的にサタン・ルシファナ、狸山勝輝、の二人である。
バーチャル四天王である〝バーチャル美少女受肉おじさん〟は性別こそ男性だが、Vtuberとしては女性なので男性Vtuberと呼ぶかは微妙なラインである。
サタンは男性Vtuberにしては珍しく特に炎上もせずに高い人気を誇っていた。
そんなサタンがVtuberとしてデビューしたのは高校生のときだ。
実はサタンはVtuberとしての歴でいえば姉であるまひるよりも先輩なのである。
「あ、あとでサインください!」
「ははっ、俺のサインなんかで良ければいくらでも書くよ」
「何かデジャブだなー……」
Vtuberとしては先輩であるはずの魔王軍のメンバーだが、何かとVtuberとしては後輩であるにじライブのライバーのファンであるパターンが多い。これは魔王軍のメンバーの平均年齢が低いことも原因の一つだろう。
初対面のハンプを前にはしゃぐサタンを見てサラはどこか吹っ切れたような表情を浮かべていた。
それから収録は順調に進み、休憩を挟んだときにサラはスタジオのソファで疲れたようにため息をついていた。
最近、体調を崩しがちなことに加えて〝ハンプ亭道場〟の収録では全身トラッキングを使用した収録を行う。
魔王軍チャンネルでは、こうした全身トラッキングを使用することはなく、基本的に先に作られた3Dアニメーションに声をつけるという形をとっている。
そのため、出来るだけ普段の〝サラ・マンドラ〟らしく飛び跳ねたり動き回っていたこともあり、サラはいつも以上に疲弊していた。
そんなサラを気遣ってハンプが彼女の元にやってきて声をかけた。
「サラさん、大丈夫ですか?」
「……はは、このくらいへっちゃらダゾ」
全くへっちゃらじゃなさそうに力なく答えるサラに、一瞬だけ険しい表情を浮かべるとハンプは待機しているスタッフへと声をかけた。
「すみませーん! サラさんの体調が優れないので一旦撮影止めてもらっていいですか!」
「了解でーす!」
「ちょ!?」
ハンプの言葉に即答するスタッフにサラは絶句した。
出演者の体調が優れないから撮影を止める。
当たり前のことのはずなのに、今まで経験したことがない対応にサラは困惑していたのだ。
「慣れないことをすれば疲れるもんだ。せっかくのコラボ収録なんだ。最高のものにしたいだろう?」
優しく微笑みながらそう言うと、ハンプはサラへと入れたばかりの紅茶を手渡した。
ちなみに、この紅茶は林檎がいつも現場に持ってくる茶葉のため、それなりに値が張る茶葉でスタッフからも好評の一品だ。
「ハンプさん。ありがとうございます――じゃなくて、ありがとうダゾ」
「カメラ止まってるときくらい素でいいよ。その方がリラックスできるだろ?」
「では、お言葉に甘えて。あ、おいしい……」
ハンプから受け取った紅茶を口に含んだサラは心地良い香りに顔を綻ばせた。
それからサラは改めてハンプに頭を下げた。
「お礼が遅くなりましたが、剣盾杯のときはありがとうございました。私の拙い解説を補足してくれて、あのときは助かりました」
サラは以前にじライブ剣盾杯Bブロックの司会を務めたときにハンプに解説を補足してもらったことがあった。
魔王軍のサラ・マンドラとしてはゲームをプレイしていることになっているが、サラ本人の知識はストーリーをクリアして終わる程度のものだったため、ハンプの解説にサラは助けられていたのだ。
「何、オタク君が勝手に出しゃばっただけだ。それより、ちょっと横になった方がいいんじゃないか?」
「いやいや、さすがにそこまで弱ってないですって!」
これ以上迷惑をかけてたまるかと言わんばかりに、サラは首を勢いよく横に振った。
そんなサラを見て、ハンプは苦笑しながら言った。
「ロールプレイありだと何かと疲れるよな」
「ええ、まあ……」
「俺も結構ロールプレイありなライバーなんでわかるよ。最近は結構崩してきてるけど、デビュー当時は結構苦労したよ」
ハンプは普段、オタクを過剰演出したような話し方をしている。
最近は、語尾を〝ですな〟などにする程度で落ち着いているが、デビュー当時はテンションの高いオタク口調な手足の生えたタマゴというとんでもない色物枠だったのだ。
ちなみにハンプの登録者数は四十万人と、にじライブの男性ライバーの中でもかなり上位に食い込む。
重厚なオタク知識や説明のうまさ、そして何より元プロゲーマーとしてのゲームの腕。
それらが二期生ハンプ亭ダンプの人気の理由だった。
「ふふふ……何かハンプさんって思ってたよりもコミュ力高いんですね。配信ではよく陰キャを自称していたので意外でした」
「あー、まあ、何ていうか、俺は同じ世界の住人なら結構話せるんだよ。ほら、結構サラさんもオタクだろ?」
「私みたいなニワカがオタクだなんておこがましいですよ」
「や、その考え方の時点で結構オタクだから」
少しずつ元気が出来てきたサラはそのままハンプと楽し気に談笑を始めた。
元々サラは動画編集、音声のMIX、そして声劇と幅広いジャンルで活動していた。
そのためサラはかなり機材オタクなところがあり、ハンプとの会話はオタク特有の早口になりながらも盛り上がっていたのだ。
「……はっ! 新たなてぇてぇの予感!」
「あんたはニュータイプか何かか……」
スタジオの端でサタンと話しながら紅茶を飲んでいた林檎が急に立ち上がったことで、サタンは呆れたように砂糖を多めに入れた甘めのミルクティーを飲み干すのであった。