松本司は家族で一緒に過ごす時間が好きだった。
特に姉とゲームをしているときは、時間を忘れるくらいゲームに熱中できた。
学校から帰ればすぐに家庭用ゲーム機の電源を入れる毎日。
それがどんなに幸せな時間だったか、司は今でも思い出せる。
しかし、そんな時間も長くは続かなかった。
「姉ちゃん、今日は友達が来るからどっか行ってて」
司は姉である潤佳を煙たがるようになったからだ。
司はいつも潤佳と一緒にいた。
それを友人達に揶揄われるようになったのだ。
司はそれがどうしようもなく嫌だった。
「ねえ、ちゃんと風呂入ってる?」
「入ってるけど?」
「うわぁ! お前姉ちゃんと風呂入ってるのかよ!」
「……そういうのかよ。入ってないよ」
「うわっ、風呂入ってねぇのかよ! 汚ぇ!」
「チッ……どっち答えてもダメじゃんか」
小学校高学年になった辺りからこの手のいじりは増えてきた。
これは異性の学年の近い姉がいる者にとっては避けられない出来事といってもいいだろう。
他にも同じように姉がいる者も揶揄われることはあったが、特に司が揶揄われたのには理由がある。
「司ー! リコーダー貸して!」
「司ー! 体操着貸して!」
「司ー! 書道セット貸して!」
姉である潤佳はとにかく忘れ物が多かった。
ことあるごとに司の元へ来ては道具を借りていく。
潤佳が司の元へ道具を借りに来ることは一種の名物と化していたのだ。
どんどん加速していく姉いじり。
司が周囲の人間関係に嫌気が差すまでにそう時間はかからなかった。
そのまま近くの中学に入学してからも、司に対する姉いじりは続いた。
コミュニケーションの一環、ただのいじり、そんな大義名分で行われるものは司にとってはただただ怠いやり取りでしかなかった。
「クソ、クソ、クソ! クソが!」
学校生活で溜まったストレスを発散させるように司はゲームに没頭した。
友達を家に呼ぶこともなく、罵詈雑言を吐きながらただただ毎日ゲームをする。
そんな司を潤佳は放っておけなかった。
「司、一緒にゲームしない?」
「……ああ、いいよ」
ある日、潤佳の提案で大人気だったモンスター育成ゲームの通信対戦をすることになった。
司は自分が友人にいじられることになった元凶である潤佳をゲームでボコボコにすれば多少は気が晴れると思っていたのだ。
そして、司は容赦なく考え抜いた構築で潤佳のモンスター達をボコボコにした。
「えっ……」
「はっ、やっぱ姉貴は弱いな。そうやって何も考えずにボタン押してるだけで何が楽しいんだか。少しは頭使ったら?」
有無を言わさず完封されたことで、潤佳は茫然とゲーム画面を眺める。
そんな潤佳に司は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「ゲームはみんなで遊んだ方が楽しいじゃん」
「みんな? みんなねぇ……みんなって誰のことを指してるんだか。くだらな……」
つい潤佳が口にした言葉に、司は嫌悪感を露わにして、それ以降は潤佳と口を利かなくなった。
自分を苦しめていたはずの潤佳をゲームで完封しても、司の心の中の靄はより一層濃くなった。
悲しそうな表情で自分を見る姉の顔。
それがどうしても司の頭から離れなかったのだ。
自分は何かを間違えてしまったのではないか。
そんな疑念が頭をよぎったが、ゲームで全力を出して相手に勝つことは間違いじゃない。
そうやって自分を納得させると、司はますますゲームに没頭した。
ゲームに没頭する中で司はプロゲーマーという存在を知った。
自分の好きなFPSのゲームで世界大会に出場するほどの強者タマキンスカイウォーカー。
彼のゲーム配信を見ていた司はプロゲーマーに憧れた。
勉強などそっちのけでゲームばっかりしていた司だが、プロを目指してゲームをするということは想像以上に大変だった。
頑張っても勝てない。
勝てなければ楽しくない。
好きなゲームが楽しくなくなっていく。
そこで司は気づいてしまった。
自分はそこまでゲームがうまくはない――頭がよくないのだと。
『はっ、やっぱ姉貴は弱いな。そうやって何も考えずにボタン押してるだけで何が楽しいんだか。少しは頭使ったら?』
いつか潤佳に告げた言葉が自分へと返ってくる。
司のゲームスタイルはひたすらプレイして学ぶという愚直な努力を繰り返すスタイルだ。
頭の回転が速い方ではなかった司は、努力でゲームの腕を補おうとしていたのだ。
「もう、いっか……」
結局、司は自分の限界を悟り目標を諦めた。
それから今更になって姉に対して申し訳ないという感情が芽生え始めたのだ。
素直に謝って昔のようにゲームで一緒に遊ぶ。
それが一番であることは司もわかっていたはずだったのに、どうしても素直になれなかった。
拗らせに拗らせた司は姉との接し方がわからなくなっていたのだ。
謝ることができないまま司は潤佳と同じ高校へと進学した。
姉だけでなく友人すらも切り捨ててきた司は友人を作ることもままならず、昼休みに机にうつ伏せになるだけの学生生活を送っていた。
周囲の男子が髪をいじったり、制服を着崩したりしている中、司は特に容姿に関しては何もすることはなく授業も真面目に受けていた。
かといって成績が良いかと言われればそんなことはなく、成績は中の下。
体育ではいつも余り者同士で組まされ、司は思った。
自分には何もない。
情熱を持ってやっていたゲームもただ黙々と作業をする類のゲームをやるようになり、楽しいことがまるでない。
司には周囲が楽しそうにしていることが不思議でしょうがなかった。
そんな司に転機が訪れる。
体調不良を口実に学校を休んだ際に、文化祭実行委員にされてしまったのだ。
要するに面倒事を押し付けられたのである。
イベントごとが嫌いだった司にとって文化祭など、前日は授業を合法的にサボれて当日は出席をとって帰るだけのものでしかなかった。
嫌々参加した実行委員会でも、特に交流をすることなく司は指示された仕事をこなすだけだった。
仕事をする振りでもして空き教室でサボってゲームでもしよう。
そうやって適当な理由をつけて実行委員の仕事をサボろうとしたときだった。
「んー……君、誰?」
空き教室には先客がいた。
気怠げな表情を浮かべるその女子は整った顔立ちをしており、スタイルも良かった。
胸のリボンを見れば司の二個上であることを示す色。
「い、いい、一年の松本司でしゅ」
容姿端麗な先輩に見とれていた司はしどろもどろになりながらも自己紹介をした。
「松本、司? ……あー、君がそうかー。眼鏡かけてたんだねー」
三年生の先輩は司の顔を見ると、どこか納得した表情を浮かべた。
「悪いけど、ここは私の寝床だから出てってねー」
「ぼ、僕は文化祭実行委員の仕事で来てるんです! あなたこそ出ていったらどうなんですか」
身勝手な理由で空き教室を追い出されそうになり、司は自分のことを棚に上げて先輩を糾弾した。
「真面目だねー。文化祭なんて陽キャがバカ騒ぎするだけのイベントでしょうに」
吐き捨てるように窓の外を眺めながらそういった先輩に、司は少しだけ親近感を覚えた。
「……先輩はどうしてここに?」
「今日は家に両親が帰ってくるから文化祭準備を口実にここに居座ってるだけ。本当は帰って動画編集とかしたいんだけどねー」
先輩が何気なく告げた〝動画編集〟という言葉に司は引っ掛かりを覚えた。
「動画編集?」
「そ――動画編集」
にひひっ、と笑うと先輩は怪訝な表情を浮かべる司にある動画を見せてきた。
それはゲーム実況者まっちゃの動画だった。
「これはそこまで人気の実況者じゃないけど、プレイがへたくそでもなかなか面白いんだよねー」
「この声……!」
動画から聞こえてくる声は聞き間違えようもない。
誰よりも聞き慣れた姉である松本潤佳の声だった。
「ま、ゲームを楽しくプレイしている様子を見て楽しむ人もいるってわけ」
「僕、は……」
こうして高校で出会った謎の先輩がきっかけで司はゲーム実況者になることを決意するのであった。
謎の先輩……一体何林檎なんだ……