文化祭実行員の傍ら司は隙を見ては空き教室へと通っていた。
名前も知らない先輩だったが、動画編集や配信機材についてやけに詳しかったのだ。
自分が来ても邪険にせずにアドバイスをくれる美人の先輩。
友達どころか女性関係に縁のなかった司が先輩に惹かれるのは時間の問題だ。
そのうえ司は基本的に女性の実況者を見ないこともあり、彼女の正体にはまったく気がついていなかった。
「やっぱり配信機材って高いんですね……」
「自作でPC組めるようになったんだから費用はだいぶ抑えられてると思うけどねー」
「とはいえ、小遣いだけじゃ限界が……」
今日も司は仕事をしている振りでうまく文化祭実行委員を抜け出してきていた。
周囲は文化祭の準備で賑わっている。
だというのに、この二人だけはまったくといいほど周囲の喧噪から隔絶された時間を過ごしていた。
「よし、じゃあ君が文化祭のミスターコンテストで優勝したら先輩が配信機材一式をプレゼントしてしんぜよう」
「いや、こんな陰キャ眼鏡が優勝なんてできるわけないでしょう……」
「えー、素材は悪くないんだから磨けばいけるってー! 何なら、後夜祭のキャンプファイヤーでフォークダンス踊ってあげてもいいよーん」
憧れている先輩に褒められて悪い気はしなかった。
何だかんだで姉と同様に単純だった司は先輩の言葉に乗せられた。
このとき、浮かれていた司は先輩が浮かべる寂し気な表情にはまったく気がつくことはなかった。
それから司は見た目に気を使うようになった。
おしゃれ以前に清潔感が大事だと先輩からのアドバイスもあり、服装、髪形なども整えた司は見違えるほど格好良くなった。
潤佳も司も両親共に容姿が整っていたこともあり、遺伝子的には優秀だったのだ。
司としては配信機材よりも、憧れの先輩とキャンプファイヤーでフォークダンスを踊れる方が重要だった。
司は実況、配信知識の勉強も、自分磨きも一生懸命に頑張った。
こんなにも何かに必死になるのは久しぶりだった。
先輩への想いとは別に、自分がこんなにも努力できる人間だと思いだした司は嫌でしょうがなかった文化祭に少しばかり感謝した。
「……悪いね、司君。私は借りを返したいだけなんだ」
日に日に生き生きとした表情を浮かべる司とは対照的に、先輩は暗い表情を浮かべて呟く。
窓の外を見てみれば文化祭実行委員のメンバーと打ち解けた様子の司の姿が見える。
「ったく、潤佳の弟だからって距離の詰め方ミスったかなー……ふぅあぁぁぁ……」
退屈そうに大きなあくびをすると、今日も先輩――手越優菜は空き教室で司を寝ながら待つのであった。
文化祭実行員が忙しくなっても司は足しげく優菜の元へと通った。
友人も増え、司の人間関係は急速に充実していった。
何かに一生懸命になることの楽しさを思い出させてくれた先輩。
司にとって学生時代の思い出と聞かれればこのときのことを答えるだろう。
それほどまでに司は優菜と過ごす時間が好きだった。
そして、文化祭当日。
司は煌びやかな衣装を纏ったまま優菜が待っている空き教室へとやってきた。
「先輩、優勝しましたよ!」
「……おめでとー」
満面の笑みを浮かべる司とは対照的に、優菜の表情は暗かった。
「はい、これ。約束の配信機材一式」
「ほ、本当に用意してくれてたんですね。ありがとうございます……!」
優菜ならば本当にくれるだろうとは思っていたが、高価で手が出なかった機材の現物を見ると気が引けてしまったのだ。
「高かったんじゃないですか?」
「いーの、いーの。うちは金持ちだから」
「それじゃあ遠慮なくいただきます!」
優菜が何てことないように手をひらひらさせたことで、司は本当に気を使わなくてよいのだと判断して機材を鞄へとしまった。
それから、司は本題に入ることにした。
「それで、その」
後夜祭、一緒に踊ってくれませんか。
その一言がなかなか出てこない。
そんな司の様子を見て、優菜は憂鬱そうにため息をついた。
「はぁ……あのさー、何か勘違いしてない?」
「えっ」
勇気を出して言葉を紡ごうとしていた矢先、優菜の言葉に司は冷や水を浴びせられたような気分になった。
優菜は大きく息を吸って呼吸を整えると、努めて悪そうな笑みを浮かべた。
「あんなの冗談に決まってんじゃーん。君があまりにも一生懸命だったから機材くらいは用意してあげたってだけよー」
「な、何を、言ってるんですか……」
急に豹変した優菜の態度に司はたじろぐ。
いつも眠そうにとろんとした目は見開かれ、深い闇を感じさせる瞳が司を捉える。
「あっはは、見た目を整えたところであたしは陰キャとキャンプファイヤーでフォークダンス踊りませーん! ねえ、もっと女子を見る目を養った方がいいよー? こーんな性悪女のおもちゃにされてちゃ、将来が不安になっちゃうねー」
優菜は高笑いをすると、一歩前に出て司に向けていった。
「私レベルの女子振り向かせたかったら、付け焼刃じゃなくてもっと自分を磨いてみたら? あっ、でも、ゲーム配信もやりたいから無理かぁ……」
わざとらしく司を小バカにしたように笑うと、優菜は言葉を続けた。
「ま、真の陽キャはゲームやってても映えるからねー。あんたが夢見るゲーム配信者だってトップはコミュ力あるし、今のままの君じゃ無理だよねー」
司は煽り耐性が低く、挑発されれば乗ってくる。
そんな性格を優菜は潤佳と出会ったときから聞かされていた。
意外と負けん気の強い潤佳と同じように、司は反射的に優菜の挑発に答えていた。
「やってやる! あんたが後から泣いて後悔するほどビッグなゲーム配信者になってやるよ!」
「へー、そりゃまた大きく出たねー――やれるもんならやってみなー」
「楽しかったよー。あんたとの青春ごっこ」
「クソがァ! あんたみたいな性悪女碌な目に遭わねぇよ、バ――――カ!」
小学生のような罵倒をしながら司は空き教室を出ていった。
その背中を見送ると、優菜は小さく笑みを浮かべて呟いた。
「頑張れ、司君……もう君は陰キャなんかじゃないんだから」
自分と長く付き合ってくには司は純真過ぎだ。
優菜は人間関係を築く上で、必要以上に自分を慕ってくる人間は一定の期間で切り捨てるようにしていたのだ。
そうしなければ、潤佳のようにいつまでも自分に囚われてしまう。
悪い気はしないが、それはきっと潤佳のためにならない。
優菜はそう考えていた。
司に対しては、優菜は後輩の弟以上の感情は抱けなかった。
可愛い後輩の弟でもあるし、これがきっかけで姉と和解してくれればと優菜は心から願う。
姉と同じ景色を見て、自分に自信が付いた今ならばきっと……。
「うーん……なーんか、こういうのも慣れてきたなー」
そして、酷い振舞いをしたというのに、不思議と心はまったく痛まなかった。
この司にとってトラウマとなった思い出を、優菜は綺麗さっぱり忘れてしまうのであった。