最近忙しい夢美と林檎であったが、今日は休みをとってとある二人を呼び出していた。
「お待たせしました!」
「ごめんなさい、ニノが迷子になっちゃって!」
「ちょ、相葉ちゃんだってマップ見ないで私についてきてたじゃん!」
「いいっていいって。私は遅刻に寛容だからさー」
「その分、遅刻もするけどね……」
夢美と林檎が呼び出したのは元々ウェンディとフィアを演じていた二宮日和と相葉美弥子だった。
相変わらず元気いっぱいといった様子の美弥子とは対照的に、日和の顔色は以前にも増して悪かった。
二人が席に着くのと同時に、素早くお冷が置かれる。
そんな仕事の早い喫茶店のマスターへ林檎は笑顔を浮かべて礼を述べた。
「酒井さん、今日はありがとねー。何か貸し切りにしてもらっちゃって悪いねー」
「いいんだよ。こちとら優菜さんには大恩があるんだから」
バッカスは昼に喫茶店を営みながら、夜は晩酌をしながらレオの配信を見るのが日課だった。
そんなあるとき、レオの十万人企画に参加して声を褒められた。さらにオーディションを受けないかと言われたことで、配信者になってみようと思い立って四期生のオーディションに応募したのだった。
「まさか、本当に喫茶店のマスターだったとは……」
「ははっ、別に経営難ってわけじゃないけどな」
渋い声が特徴的なバッカスの見た目はライバーほど歳をとっている印象はうけないが、その佇まいからは酸いも甘いも噛み分けた落ち着きが感じられた。
「あの、この度はっ、ご迷惑をおきゃ、おかけしてしまい、も、申し訳ございませんでした!」
「本っ当にごめんなさい!」
バッカスが魔王軍の話題で埋もれてしまったにじライブ四期生だと知ると、日和と美弥子は慌てて立ち上がって頭を下げた。
「いいんだよ。俺が未熟だっただけさ。むしろ、自分の対応力が足りないって思い知らされたし、これから頑張ろうって思えた。それより、大変だったろう? 君達は悪くないんだから自分を責めないようにね」
「「あ、ありがとうございます……」」
それに対して、バッカスは朗らかな笑みを浮かべて二人を気遣った。
温かい言葉をかけられた日和と美弥子は改めてバッカスに頭を下げると、夢美と林檎へ向き直った。
「えっと……それで、話って何ですか?」
夢美達が何を言うかおおよその予想がついているのか、美弥子は珍しく真剣な表情を浮かべて先を促す。
「まどろっこしいのは苦手だから単刀直入に言うよ。にじライブに来ない?」
夢美が日和と美弥子を直球でにじライブへと誘う。
「うーん……パスかなぁ」
「ご、ごご、ごめんなさい……」
それに対して美弥子は苦笑しながら、日和は酷く怯えながら勧誘を断った。
「その、理由を聞いてもいい?」
「理由、言う必要ある?」
夢美の問いに美弥子は冷ややかに答えた。
「私達がどんな目に遭ってきたかを考えればさ、企業Vに勧誘するって選択肢は出ないと思うんだけど」
美弥子が魔王軍を抜けてから彼女はずっと多くのVtuber企業からの勧誘を受けていた。
美弥子を勧誘したどの企業も簡単に数字が取れるという欲望が透けて見えていた。
「どいつもこいつも自分達は酷いことしないから、ってさ。もう、うんざりなんだよ。企業なんて信用できない。どこも一緒だよ……たとえにじライブがVtuber業界の優良企業だったとしても、それはVtuber業界での話でしょ?」
Vtuber企業はその全てが会社としての歴史の浅い企業だ。
それはにじライブとて例外ではない。
「にじライブは他がゴミ過ぎて相対的に良く見えてるだけだ。私は信用できない」
まるで野良猫のように警戒心を剥き出しにする美弥子。
手を伸ばせば今にも引っかいてきそうな美弥子に、夢美は躊躇わず手を伸ばし続けた。
「それは否定できないよ。だって、あたしも3D配信の企画で了承なしでバッタ食わされたからね」
「ちょ、由美子!」
いきなり表に出していない裏側の話をし始めたことで、林檎は焦ったように夢美を諫めようとする。
しかし、夢美は林檎に笑顔を浮かべて首を横に振ると、そのまま話を続けた。
「事務所の評判が悪くならないように事前に了承したことにしたけど、あれ本当はゲテモノでもオッケーってくらいの事前承諾しかしてなかったんだよ」
「なっ……」
夢美から告げられた事実に美弥子は絶句したあと、目を吊り上げて叫んだ。
「そんな目に遭ってどうして笑ってられんだよ!」
「だって、楽しいことの方が多いもん」
「へ?」
あっけらかんとした様子で告げた夢美に、美弥子は間抜けな声を零した。
「そりゃ、企業Vだしやりたいことだけやってらんないよ。結果的にあれはウケたし、企画を強行した連中は今ではすっかり怖ーい上司に絞られて真面目に頑張ってる。それにね、嫌なことがあっても助けてくれるマネージャーが私にはついてるんだ。だから、別に事務所のことは好きだよ。バッタ食わされたときも、虫が苦手なのに半分以上食べてくれたし」
それから夢美はどこか懐かし気にデビュー当時の頃の四谷を思い出しながら、笑顔を浮かべて続けた。
「そんなあたしが心から信頼するマネージャーだけど、収益化配信のときはあたしがやらかすこと期待して日本酒渡してきたんだよ? あり得なくない?」
「え、えぇ……?」
夢美のマネージャーである四谷のことは美弥子もよく知っている。四谷は勢いのあるライバーを的確に支える敏腕マネージャーという印象が強かったため、美弥子は困惑した表情を浮かべた。
「よっちんもさ、諸星さんにこっぴどく怒られて反省してからは、あたしのために必死に頑張ってくれてる。全力であたしを支えてくれる――だから背中を預けられる」
人間誰しも失敗はするものだ。
問題はそこで立ち止まるか、前に進むかである。
「自分の非を認めて前へ進むために一緒に成長してくれる事務所だから、あたしはにじライブが好きだし、楽しくライバーをやれてる。きっとみんな同じだよ」
でしょ? と、夢美が林檎に顔を向けると、林檎も弾けるような笑顔を浮かべて言った。
「ったりまえよー」
夢美と林檎はどこまでも事務所を信頼し、背中を預けて全力でライバーとして駆け抜けている。
そんな二人の姿を目の当たりにした美弥子は、握りしめた拳を解いて力を抜いて笑った。
「そっか……何かごめんなさい。ちょっと感情的になってた」
「いいっていいって。あんな目に遭ったらそのくらい慎重になった方がいいくらいだよ」
素直に頭を下げてくる美弥子に夢美は笑顔を浮かべた。
「ニノ?」
すっかり和らいだ空気の中、未だに暗い表情を浮かべてガタガタ震えている日和に、美弥子は怪訝な表情を浮かべた。
「でも、私っ……怖いんです……!」
目に涙を浮かべ日和は震えながらも、自分の気持ちを吐露した。
「もう誰にも怒鳴られたくない……!」
日和の脳内にバーチャルリンクでの日々がフラッシュバックする。
『二宮! てめぇ、また台詞噛んでるじゃねぇか! いい加減にしろ!』
『人と話すときは目を見て話せって言ってんだよ! このコミュ障が!』
『ったく、お前は何をやってもダメだな!』
『体調が悪い? 自己管理も仕事の内だろ! 会社舐めてんじゃねぇぞ!』
人見知りで人とのコミュニケーションが苦手だった日和は人一倍叱責を受ける機会が多かった。
そんな日和が魔王軍のウェンディとしてやってこれたのは優しく接してくれる仲間達がいたからだ。
「ニノ……」
日和が集中的に罵倒されていたことを知っている美弥子は痛ましげな表情を浮かべた。
「ねえ、日和ちゃん。マネージャーってさ、どこまでライバーを守ってくれると思う?」
「ふぇ?」
唐突に告げられた林檎の言葉に、日和はきょとんとした表情を浮かべる。
「普通さ、マネージャーっていっても精々スケジュール管理や配信の確認したり、案件持ってくる程度が仕事じゃない?」
「それは、そうだと思います……」
困惑しながらも日和は林檎の言葉に同意する。
自分達を必死に守ってくれたマネージャー阿佐ヶ谷が特別なのだ。
そんな人間そうそういるわけない、と日和は思っていた。
「私のマネージャーは箱入り娘のお嬢様で社会舐めきってる――昔の私みたいな人だった」
林檎は碌にサポートもできなかった当時の亀戸を思い出してほくそ笑む。
「でもさ、亀ちゃんは変わったんだ。私と全力で向き合うためにね」
それから、林檎は自分の卒業の真相について赤裸々に語った。
中学時代のカリューとの出来事。
両親との確執。
レオや夢美が地獄の底から救い出してくれたこと。
そして――亀戸が必死に駆けずり回って自分が卒業した表向きの理由である〝ゲーム配信の包括的許諾〟のほとんどをもぎ取ってきたことを。
「にじライブを卒業したとき、自分の将来も何もかもどうでもいいって思ってた。自分が存在していることが嫌になってた。何をしていても息苦しかった。でもね、にじライブのみんなが私を救ってくれた」
胸に手を当てて当時のことを噛み締めると、林檎はピアノを弾き終わった後のような眩い笑みを浮かべて言った。
「私はね、にじライブになら命だって預けられる。たとえ死んでも全力で生き返らせてくるような連中がたくさんいるからね」
「白雪さん……」
かつて心を閉ざし、闇の底に沈んでいた手越優菜はもういない。
憧れだった人間の過去、そして現在を知った日和の心に小さな火が灯った。
「ごめん! 遅くなった!」
「話は纏まりましたか?」
ちょうど日和と美弥子が夢美と林檎の勧誘の話をまともに聞く姿勢となったところで、慌ただしく喫茶店の扉が開いて四谷と亀戸が入ってきた。
「おっ、噂をすれば」
「待ってたよ! よっちん、亀ちゃん!」
信頼するマネージャー二人の登場に、夢美と林檎は笑顔を浮かべた。
何故なら、彼女達の後ろには少し痩せこけているが、瞳に力強さを宿した一人の青年が立っていたからである。
青年は日和と美弥子の元へ歩み寄ると、優しい表情を浮かべた。
「久しぶりだね、二宮さん、相葉さん」
「「あ、阿佐ヶ谷さん!?」」
阿佐ヶ谷勇司。
かつてバーチャルリンクに所属していた社員であり、魔王軍のマネージャーを務めていた男だ。
「紹介します! 今日付けでにじライブ株式会社マネジメント部所属となった阿佐ヶ谷勇司君です!」
「ちなみに教育担当は私です! ……まあ、そんなに教えられることはないんですけど」
「「えぇぇぇぇぇ!?」」
衝撃の展開に、日和も、美弥子も立ち上がって驚愕の叫び声をあげた。
「正直、四谷さんから誘いがあったとき、かなり迷ったんだけどさ……もう一度、一から頑張ってみたいと思ったんだ。にじライブでさ」
阿佐ヶ谷の瞳には一点の曇りもなく、バーチャルリンクで酷使されて痩せこけてはいるが、彼の言葉には力強さが宿っていた。
「無理にとは言わない。でも、もう一度君達をサポートさせてほしい。次は絶対に君達を守って見せるから」
「阿佐ヶ谷さん……」
また会えるとは思っていなかったマネージャーからの言葉に、美弥子は涙を流した。
「どうして……どうしてそこまでしてくれるんですか?」
嬉し涙を流しながらも困惑したように日和が問いかける。
それに対して四人は顔を見合わせて笑顔を浮かべた。
「んー、だってねぇ?」
「ですよね!」
「ええ、そうね」
「あはは、そうだね。だって――」
「「「「我らにじライブぞ?」」」」
四人そろって夢美のゴミカスと双璧をなす代名詞を告げる。
「ははっ、最高の事務所だよ、まったく……!」
そんな四人を見てバッカスは心から楽しそうに笑った。
唖然としている日和と美弥子へ夢美と林檎はそれぞれ取り出したチケットを渡した。
「これって」
「魔王軍感謝祭のチケット?」
「君達のリーダーを信じて」
「あいつはやるときはやる男だよー」
「ほら、阿佐ヶ谷君も」
「ありがとうございます!」
一通り目的を済ませた一同は改めてコーヒーや紅茶など、それぞれ飲み物を注文することにした。
バッカスが飲み物を用意する中、林檎は思い出したように日和へと告げた。
「あっ、そうだ。日和ちゃん。Apple Radioどうする?」
かつてした約束。
それに対して日和は満面の笑みを浮かべて答えた。
「行きます! たとえ何があろうとも命を懸けて絶対に出演します!」
日和の表情に怯えや恐怖はなく、彼女の笑顔は未来への希望へと満ち溢れていた。
それから三人