「拓哉先輩! 今日はありがとうございました!」
「こっちこそ、楽しかったよ……まさか自分のモデルでゲッダン始めるとは思わなかったけど」
レオは歌唱力に定評のある新人ライバー波風メロウとのオフコラボを行った。
配信中、レオは常にメロウに振り回され続けた――と、本人は思い込んでいるが、その実レオもメロウのすることをすぐに汲み取り、一緒に暴れていたので大概である。一緒になって自分のライブ2Dモデルをノリノリでぐるぐる回しながら全力でデュエットしている姿からは、レオがすっかりにじライブに染まりきったことがわかるだろう。
そんな二人のコラボは〝オタリア〟と呼ばれることになった。オタリアは海の獅子と呼ばれる鬣の生えたトドのような生物のことだ。
「それにしても、海荷ちゃんって本当に歌とか習ってないのか?」
スタジオからの帰り道。
レオは駅までメロウを送っていた。
「はい! 生まれてこの方習ったことないです!」
「それであの歌唱力なのか……」
波風メロウこと
レオが後天的に血のにじむ努力で歌唱力を手に入れたのに対し、メロウは純粋な才能でレオの近くに立っている。
そんなメロウを見て、レオは――
「はははっ、これからが楽しみだな!」
心底楽しそうに獰猛な笑みを浮かべた。
鍛えればどこまで伸びるのか。この先が楽しみで仕方がない。
久方ぶりに見つけた
「これからもよろしくな」
「はい!」
そんなレオの内心を知ってか知らでか、メロウは笑顔で元気よく返事をするのであった。
「そういえば、例の動画。もうすぐプレミア公開ですねぇ」
「……マジでけもみ先生には感謝しかないよ。こんな秒で仕事してくれたんだから」
「頼れるママですね!」
「ああ、そうだな……」
レオは目を閉じて静かにそのときを待った。
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櫻井翔子は昔から歌うことが好きだった。
テレビでいつも見かける年上のアイドル司馬拓哉。
彼の歌声は力強く、時に優しく、気分を上げたいときはいつだってSTEPのCDから曲を流していた。
司馬拓哉は世間では評判の悪いアイドルだったが、普段の行動から信じられないほどに楽しそうにステージで歌う姿は、翔子にとってはギャップも相まってとても魅力的に映っていた。
なけなしのお小遣いでチケットを購入して見たSTEPのステージはまるで夢のような時間だったと翔子は今でも思い出せる。
ちなみに、出待ちしていたファンがレオに塩をぶちまけられるところを動画で見た翔子は、腹が捩れるほど笑っていた。これでこそシバタクだ、と。
彼の歌を聞くと笑顔になれた。
だから、自分も歌で人を笑顔にしたい。段々と翔子はそんな風に思うようになった。
それは中学高校と変わらず、ずっとボイストレーニングを繰り返してきた翔子の歌唱力は周囲とは一線を画すものへと成長していった。
高校生のとき、翔子は歌い手という存在を知ることになる。
推しだった拓哉の引退で塞ぎ込んでいた翔子は素人でも、歌で有名になり多くの人間を魅了している歌い手がカバーした曲を聞き、その歌唱力に圧倒された。
プロじゃなくてもこんなにも歌が上手い人がいる。
もしかしたら、自分が歌い手として有名になればシバタクにも声が届くかもしれない。
そう思った翔子は歌い手になることを決意し、両親に頼み込んで機材を購入してもらった。
抜群の歌唱力を誇った翔子は〝くろ犬子〟という名前で様々な歌を歌い続けたが、いまいち鳴かず飛ばずの時期が続いた。
翔子が歌い手として活動を始めた頃には、既に歌い手文化は根付き、知名度の高い歌い手以外は埋もれがちな時代だった。
くろ犬子の視聴者から〝ここ最近の歌い手で一番うまい〟と言われ、歌ってみた動画を投稿する度に〝もっと評価されるべき〟というタグがついた。
自分を評価してくれる人間がいるのは嬉しいことだ。
でも、もっと有名にならなければあの人へ届かない!
それから翔子は今一伸びない歌い手活動に息苦しさを感じるようになった。
「私、誰かを笑顔にできてるのかな……」
いつからだろうか。歌うことが息苦しくなったのは。
心にぽっかりと穴が開いたような感覚を抱いたまま歌い手活動を続けていた翔子の元へ転機が訪れる。
『くろ犬子様
はじめまして。
Vtuberに興味はありませんか?』
Vtuber企業からのスカウト。
真面目に話を聞いてみても怪しさしかなかったが、そんなことは翔子にはどうでも良かった。
Vtuber業界はようやく波に乗り始めた頃だ。
うまくいけばのし上がれる!
意を決して飛び込んだVtuber業界にて、翔子は見事花開くことになる。
魔王軍土の四天王ノーム・アースディ。
他の四天王とは違い、抜群の歌唱力を活かして魔王軍の存在を人間に知らしめる任を受けた大地の神獣。
そんな設定でデビューした翔子は案の定バズりにバズった。
気の良い仲間達にも恵まれ、また楽しく歌えるようになった。
そんなあるとき、翔子の元へ一大ニュースが耳に入った。
あのシバタクがVに転生したというのだ。
どうせデマだろうと〝獅子島レオ〟の投稿した動画を開き、翔子は驚きのあまりスマートフォンを落とした。
声は現役当時よりも低くなっているが、歌い方のわずかな癖などで獅子島レオは司馬拓哉だと翔子にはわかった。半分以上はそうであってほしいという願望も混じっていたことは否めないが。
そんなVとして復活した推しが自分のグループのリーダーとコラボすると聞いたときは、どうして自分じゃないんだと憤った。Vtuberとしてのイメージを守るため、生配信慣れしていない翔子は事務所から出演を許されなかったのだ。
「司、司! レオ君とコラボしたんだよね!?」
結局、サタンから情報を待つことしかできなかった翔子は、事務所の収録の際にサタンに真っ先に詰め寄ってレオのことを確認した。
翔子がシバタク推しだったという話は聞いていたため、サタンは笑顔を浮かべて答えた。
「ああ、凄い人だったよ。さすが元トップアイドルって感じだった。あー、そうだ。獅子島さん、魔王軍の動画よく見るんだってさ。特にデビュー前から翔子さんの歌はよく聞いてたらしいよ」
「ぁはあ! やったぁぁぁ!」
サタンからもたらされた言葉に、翔子がどれだけ救われたか他の者にはわからないだろう。
ずっと届けたかった歌声は、間違いなく推しの元へと届いていたのだ。
これからもどんどん歌い続けてたくさんの人を笑顔にしよう――そう思っていた。
マイペースで掴みどころない翔子は、嫌味を言われてもそれが嫌味だとわからずに首を傾げたりすることも多く、魔王軍の中では一番パワハラの被害が少なかった。
周囲の機微に疎い翔子だったが、大切な仲間達が疲弊していることは理解していた。
だから自分達を道具のように扱う事務所への不信感から、段々と事務所に言われて歌うことが嫌になっていた。
そして、翔子が最も望んでいたステージでのライブ〝魔王軍感謝祭〟の話が持ち上がっても彼女の心は一ミリも動かなかった。
待ち望んでいたはずのステージだった。
それに喜びを感じられないことを理解した瞬間、翔子の心に再び穴が開いた。
サラ、ウェンディ、フィア、大切な仲間達が次々に去っていく。
全員でステージに立てるのならば全力で歌うのもやぶさかでもない。
そう思っていた翔子が感謝祭前に事務所を辞める決意をしたのは至極当然のことだった。
サタンを一人置いていくことに罪悪感はあったが、もう半分以上入れ替わったメンバーと一緒に魔王軍で活動していく気は起きなかった。
事務所を辞めてから歌う気力も起きず、翔子はアルバイト先と自宅を往復するだけの日々を送っていた。
かろうじてレオの配信は追っていたが、もう二度と会うことはないと思うだけで虚しくなるばかりだった。
「ただいまー……」
今日も一人、誰もいない自室に帰ると、翔子は郵便受けに入っていた封筒を乱雑にテーブルの上にぶちまける。
パソコンを立ち上げると、適当にネットサーフィンをしていく。
そんなときだった。
動画サイトU-tubeの通知で、レオの歌ってみた動画がプレミア公開される旨が知らされる。
「へえ、またこれ歌うんだ」
レオが歌った曲は、身バレ騒動の後に行われた3D配信のラストで、袁傪達の声を集めて全員が一丸となって歌った曲だ。
実は翔子もサビ部分の音声募集には音声を送っていたため、レオの3D配信を見ていた彼女は涙を流しながらレオのライブを見ていた。
そんな一曲を歌ってみた動画で出す。
ごくりと唾を飲み込み、翔子は緊張した様子で動画の待機所を開いた。
動画の待機所には既に多くのコメントが流れていた。
[その声は、我が友……]
[その声は、我が友……]
[その声は、我が友……]
[ご機嫌な李蝶楽しみ]
[今回の動画のイラスト、絶対けもみ先生だよな!]
[これは期待]
[まさかママに依頼するとは]
[思い入れのある曲だから気合が違うな]
多くの待機コメントに混じってレオの歌ってみた動画への本気度を感じ取った袁傪達が期待に胸を膨らませている。
そして、ついに動画のプレミア公開が始まった。
『ゴキゲンな蝶になって~♪ きらめく風に乗って~♪ 今すぐ君に会いに行こう~♪』
[ゴキゲンな李蝶きちゃ!]
[やっぱりこの絵はけもみ先生だ!]
[最強最高の組み合わせ]
キャラクターデザインを担当したイラストレーターが本人の動画用のイラストを描くということは、実はあまり多くない。
それ故に、レオの今回の歌ってみた動画にかける本気度が画面越しにひしひしと伝わってきたのだ。
そして、レオが全力で突っ走ったままサビに差し掛かったとき、ステージで歌うレオを見ている一人の少女の姿というイラストが映し出される。
『無限大な~夢のあとの~♪ 何もない世の中じゃ~♪ そうさ愛しい~♪ 想いも負けそうになるけど♪』
[無限大なあああああああああああ]
[無限大なあああああああああああ]
[無限大なあああああああああああ]
[あれ、この子誰だ?]
[何かあの子に似てるような……]
[まさか……!]
その少女のデザインを見て翔子は目を見開いた。
「これって……!」
そこには
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……
「なあ、海荷ちゃん。空虚な心を埋めてくれるのは何だと思う?」
「うぇ? そうですねぇ、楽しかったときの思い出、とかですかね?」
「まあ、それも一つの答えだとは思うけどさ、俺はこう思うんだ。空虚な心を埋めてくれるもの、それは――魂を揺さぶるような推しの歌声だ」
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「On My Love~♪」
[88888888]
[88888888]
[88888888]
[88888888]
[これってたぶんあれだよな?]
[まーたレオ君が歌で誰かを救おうとしてる]
[相変わらずのぐう聖ライオンで安心した]
歌ってみた動画を最後まで視聴した翔子の両目からボロボロと大粒の涙が零れ落ちる。
空っぽだった心の穴はいつの間にか塞がり、心の底から自分も歌いたいという熱い思いが溢れてくる。
間違いなくイラストを描いたのは自分のママでもあったイラストレーターけもみだ。
念のために概要欄を確認しようとしたとき、ある一文が翔子の目に留まった。
[我、にじライブぞ?]
「ぐすっ……こんなの見せられて、立ち止まれるわけないじゃん」
涙を拭うと翔子は衝動のままにマイクを手に取り、レオと同じ曲を歌った。
胸が熱くなるような衝動が沸き上がってくるのはいつぶりだろうか。
そのまま一曲歌い終わって少し落ち着いた翔子は、紅茶を入れてテーブルにマグカップを置いた。
そして、あるものに気がついた。
「ぷっ、くくっ……あははっ……!」
それを目にした途端、翔子は声を上げて笑い始めた。
乱雑に投げ捨てた封筒の中から、魔王軍の紋章が印字された封筒を手に取り中身を取り出す。
そこには、魔王軍感謝祭のチケットが封入されていた。
「ひぃひー……まったく、かっこつけが過ぎるよ……
先程とは違い、翔子は笑いすぎて瞳から零れ落ちた涙を拭うのだった。
そして、また一人