今日は夢美とまひるのユニット〝pretty thorn〟のCD発売イベントの日だ。
会場は池袋の商業施設内の噴水広場。
以前、カリューがイベントを行い、林檎がカリューと再会した場所でもある。
因縁の場所でありながらも、再びかつての親友と巡り合えた場所。
そこで行われる寂しさを埋めてくれた元後輩の現先輩と、自分を救ってくれた大切な同期がミニライブを行う。
当然、林檎に行かないという選択肢はなかった。
そして、今日は同期であるレオ――とではなく、サタンと共に池袋へとやってきていた。
「ったく、何で私が……」
「嫌なら別に一緒に来なくていいですよ。僕は元々一人で見に来る予定だったんで」
「別に嫌とは言ってないでしょー」
林檎とサタンはお互いに顰めっ面を浮かべながらも商業施設内を共に歩く。
「潤佳めー……」
珍しく可愛らしさを前面に押し出した格好の林檎は、その服装とは対照的に終始不機嫌そうだった。
林檎は自分達のライブの前に、サタンの気が紛れるように一緒に遊んで欲しいとまひるに頼み込まれていた。
「何か姉ちゃんの友達と二人きりにされたような気まずさがあるんですけど……」
「うっさいなー、前も一緒にご飯いったでしょー? あれと同じだよ」
「いや、いきましたけども……」
林檎の言葉に返事をするサタンの表情には覇気がない。
半ば予想通りの状態に陥っているサタンに、林檎は深いため息をついた。
「……思ったより元気なさそうじゃん」
「そんなことないですよ。姉ちゃんが〝任せて〟って言ってくれたんです。
いまだに俯いたままのサタンを見て、いい加減苛立ちが最高潮に達した林檎は乱暴にサタンの手を取ると走り出した。
「たぁー! もう! うじうじしてないで一緒に来る!」
「えっ、ちょ、優菜さん!?」
それから林檎は商業施設内でひたすらサタンを連れ回した。
「あっはっは、体細いから似合わなー!」
「ガリガリで悪かったですね! こちとらゲームばっかで運動とか全然してないですよ!」
服屋に到着した林檎は、サタンに似合いそうな服を宛がい、試着のたびに似合っていないことを笑った。
そんな自分をいじり倒して笑う林檎に、サタンは恨みがましい視線を向けながら問いかけた。
「……優菜さんは服見なくていいんですか?」
「私はパーカーとTシャツとジーパンくらいしか着ないからねー」
「今日の服はどうしたんですか?」
「オーダーメイドで頼んだ奴」
「うわ出た、お嬢様――あだっ!?」
林檎は膨れっ面でサタンの脛を軽く蹴った。
「別に安くやってくれるところもあるからねー?」
「絶対安くないでしょ、それ……」
――凄く似合ってて綺麗です。
頭に浮かんだ言葉をサタンはぐっと飲み込む。
昔のこともあり、素直に褒めることが癪だったサタンは、ため息をついて林檎から視線を外した。
それから大人気モンスター育成ゲームのシリーズのショップが立ち並ぶフロアに到着すると、林檎は感慨深そうに言った。
「懐かしいね。ここで司君とポンちゃんに会ったんだよね」
「そんなこともありましたね。あの後すぐに卒業発表しててビックリしましたよ」
「ま、いろいろあったからねー」
カリューと再会した当時のことを思い出し、林檎は苦笑した。
あの頃の自分は、本当に自分のことが嫌いでしょうがなかった。
でも、今は違う大切な仲間達が傍にいて支えてくれる。
だから、前を向いていられる。
「ちょっと休憩しよっか」
「そうですね。結構歩き回りましたし」
林檎の提案にサタンが乗り、二人はお昼も兼ねて洋食屋に入った。
「おっ、ここのオムライス結構いけるなー」
「そりゃオムライスの店ですからね……」
特に会話らしい会話もなく、林檎とサタンはもくもくと注文したオムライスを頬張る。
いい加減無言の空間に耐えられなくなった林檎は、痺れを切らしたようにサタンへと告げた。
「あのさー、何かしゃべってよ」
「そう言われても、こっちだって急に一緒に遊ぶことになって困惑してるんですよ」
「そんな見た目なんだから女の子と遊びに行ったことくらいあるでしょ?」
「金髪に染めたのはどっかの誰かさんがすすめたからですよ。魔王軍のみんな以外で女子と出かけたことなんてありませんって」
「ほ? どっかの誰かさんって……あ」
サタンの言葉に思い当たる節があったのか、林檎は表情を硬直させて冷や汗を流した。
林檎のその反応を見たサタンは、珍しく意地の悪い笑みを浮かべて、饒舌に語り出した。
「ええ、それはそれは性格の悪い先輩がいましてね。いやぁ、本当に悪女でしたよ。人のことさんざん魅了しておいてどん底に突き落とすなんて本当に性格悪いですよねぇ。いやぁ参った参った。その先輩に乗せられたせいで今やこんなイキリオタクですよ」
「んなっ、勝手に惚れたのはそっちでしょー! 責任転嫁すん、なー……」
林檎はむっとした表情を浮かべてサタンに言い返そうとして、しまったという表情を浮かべた。
「やっぱり、優菜さんだったんですね」
「……いつから気づいてたの?」
「この場所で再会したときからです」
「言えよ!」
「あなたから思い出すまでは言うつもりはありませんでしたよ。何か負けた気がするので」
勝ち誇った表情を浮かべるサタンとは対照的に、林檎は「うぐぐ」と悔し気な表情を浮かべた。
「この前の炎上騒動といい、文化祭のときといい、あんたはヒールを演じないといけない病気にでもかかってるんですか?」
「うっさいなー、あのときと今回は違うっての」
「確かに。あのときと違って優菜さん、毎日楽しそうですもんね……本当に」
ライバーとして楽しそうに活動する林檎やまひるなど、にじライブのライバーの様子はサタンも配信でよく見ていた。
こんな風に自分も自由に楽しくやりたい。そんな風に考えたことも一度や二度じゃない。
和解できた姉が手を差し伸べてきてくれた。でも、その手を取ることをサタンは迷っていた。
「はぁ……司君さー、二代目の子達のこと心配してるでしょ」
「どうしてそれを」
「猿にでもわかるよ。優しい君があの場所に残る理由なんてそれくらいでしょ?」
サタンはたとえ元魔王軍のメンバーがにじライブに行くことを決意しても、自分がにじライブに行くことを躊躇する理由があった。
魔王軍が好きで終わらせたくない。
そんな自分と同じ考えを持ち、自分達を心から慕ってくれた魔王軍の二代目の声優達が心配でしょうがなかったのだ。
「ネットでも未だにうちの事務所は炎上しています。その火の粉は新声優にも降り注いでいます。こんな状況で僕まで事務所を辞めてしまったら……そう思うと、前に進めないんです」
魔王軍の二代目声優達は魔王軍が好きで、自分の好きなコンテンツを終わらせたくないと、地獄に飛び込んできた。
それは悲しいことにサタンの身動きを封じる結果になってしまっていた。
大切なもののために行動を起こせるような人間だ。
滅多にお目にかかれない良い子達だとサタンも接していて感じた。
だからこそ、彼女達を見捨てることなど出来るはずもなかったのだ。
そんな雁字搦めになったサタンに、林檎は心底呆れたように言った。
「司君さぁ……うちの事務所、舐めてない?」
「え?」
「あんたにはどんな言葉をかけても足りないってことがよーくわかった。だから、私からこれ以上は言わない。あとは見るだけでいい」
会計を済ませて噴水広場に向かうと、既に大勢の人達が集まっていた。
夢美とまひるのユニット〝pretty thorn〟のCD発売イベントがもう始まろうとしていたのだ。
噴水広場の巨大な液晶パネルが付くと、そこにはアイドル衣装の3Dモデルの夢美とまひるの姿があった。
これで、にじライブのライバーで3Dモデルを二種類持っているのは、かぐやに続いて三人目となった。四人目が誰になるかは言うまでもないことだろう。
『みんなー! 今日は〝pretty thorn〟の初イベントに来てくれてありがとー!』
『うおおおおおおお! まひるちゃぁぁぁぁぁん!』
まひるの声に反応して周囲から野太い声があがる。
『お前らァァァ! メジャーデビューじゃゴルァァァァァ!』
『バラギ! バラギ! バラギ!』
清楚さの欠片もない夢美の声に呼応するように会場でバラギコールが巻き起こる。
それからオープニングトークもそこそもに、夢美とまひるはCDに収録されているオリジナル曲を歌うことにした。
『それじゃあ、そろそろデビューシングル歌っちゃう?』
『オッケー! いくよまひるちゃん!』
『『〝可愛いバラには棘がある〟!』』
夢美とまひるのユニットのオリジナル曲である〝可愛いバラには棘がある〟はまひるの可愛らしさと夢美のカッコいい声が合わさったパワフルな曲だった。
歌詞にはお互いの代名詞である台詞などが散りばめられ、中には合いの手のようにそのまま台詞が入っている部分もあった。
『こんまひ、こんまひ! こんまひー!』
『あ゛あ゛、ゴミカスゥゥゥゥゥ!』
ネタ曲と思いきや、テンポのいい疾走感のある曲のため、この曲が発表されてから何度もリピートしてしまう雛鳥と妖精が続出していた。
作曲者が有名なアニメソングを手がけていることもあり、にじライブがいかに本気でこの二人をプロデュースしたかが伺い知れるだろう。
「やっぱ、すごいや……」
「だよねー……」
レベルの高いダンスと歌を披露する夢美とまひるの姿に、林檎とサタンは感嘆のため息を零した。
二人はすっかり〝pretty thorn〟に魅了されていた。
それから曲が終わり、次には収録されているカバー曲を歌う。その予定のはずだった。
『みんな! こっからはまひるの我儘で一曲だけどうしても歌いたい曲を歌おうと思います!』
『おい、お前ら! まひるちゃんのソロだぞ! 耳の穴かっぽじって聞けよ!』
しかし、唐突にまひるがソロで曲を歌うという宣言に、周囲がざわつき始める。
勘の良いファンはもう気づき始めており、黙って腕を組んで頷いている者も多く見受けられた。
「司君、よく見ておきなよ」
「まさか……!」
サタンはまひるが何のためにソロで歌うのか勘づき言葉を失った。
『それじゃあいくよ! 〝オツキミリサイタル〟!』
まひるが歌う曲は有名なボカロPの楽曲であり、大人気のこの楽曲のシリーズはアニメにもなったほどだった。
明るいまひるにピッタリなその曲は、落ち込む男の子を励ます内容の楽曲だった。
『もう、どうやったって無駄かもな♪ 泣きそうな顔見ていた♪ 諦めないでよ、みたいな言葉じゃ全然足りない!』
まひるはステージの中央で楽しそうに飛び跳ねて歌う。
今回歌わない夢美は、まひるの周囲を面白おかしい動きで飛び跳ねていた。
『信じる、君だから♪ 本気の声出して♪ 絶対ダメなんかじゃない! 君が望めば、また出会える!♪』
「………………」
サタンはただただまひるが歌うのを黙って見ており、イベントが終わったあとも一歩も動けずに呆然と立ち尽くしていた。
そして、林檎もそんなサタンに何を言うでもなく黙って傍に立ち続けた。
やっと口を開いたサタンは、困惑しながらも林檎に問いかける。
「優菜さん、これメジャーデビューが叶って初のイベントですよね?」
「うん」
「レコード会社も絡んでて、二人の裁量だけで好き勝手していい場じゃないですよね?」
「うん」
「このライブのために姉ちゃんと由美子さんは一生懸命頑張ってきたんですよね?」
「うん」
「それでも事務所やレコード会社の人とも話し合って、この暴挙に出たんですよね?」
「うん、そうだよ。本当に、君のお姉ちゃんは無茶をするよねー」
にひひっ、と笑うと林檎はサタンの正面に立って告げる。
「私達が常識に囚われるわけないじゃん。だって――」
「我、にじライブぞ――ですよね」
「ほ?」
言おうとしていた台詞を取られた林檎は、虚を突かれたように間抜けな声を零した。
そして、正面にいるサタンの表情を見て、柔らかい笑みを浮かべた。
「優菜さん。僕やりますよ」
「うん、君なら絶対できる。だから、見せてよ。魔王、ここにありってとこをさ」
「ええ、やってやりますよ……!」
サタンの表情に迷いはなかった。
――魔王サタン・ルシファナが今、覚醒する。
さあ、出陣のときだ