ほとんど勢いに任せて応募したというのに一次審査を通過した。
久しく成功を経験していなかっただけに、あっさり審査を通ったことに拓哉は驚きを隠せなかった。
もしかしたら俺は、本気を出せばまだまだやれるのではないだろうか。
そんな風に伸びかけた天狗の鼻は、挫折という経験が抑えてくれた。
もう一度訪れたチャンス。それをくだらないプライドで不意にするほど拓哉はバカではなかった。
改めて気を引き締めると、拓哉は空いている日程を採用担当へと送った。
二次審査当日。
スーツを着込み、美容院で頭髪も整えた拓哉は、さながら入社面接へ向かう就活生のような面持ちでにじライブの事務所がある新宿へと向かった。
にじライブの事務所へ到着すると、受付のタブレットPCで採用担当者を呼び出す。
「お世話になっております。〝にじライブ三期生募集オーディション〟の二次選考で参りました司馬拓哉です」
『お待ちしておりました。入口のソファーにお掛けになってお待ちください』
凛とした透き通るような声でそう案内した採用担当者の言葉通りにソファーに座る。いいソファーを使用しているからか、座り心地の良さに少しだけ緊張がほぐれた。
拓哉が心を落ち着かせようと深呼吸していると、長い黒髪と鋭い目つきが特徴的な女性がやってきた。
「お世話になっております。司馬拓哉です。本日は宜しくお願い致します」
「宜しくお願い致します。それではご案内させていただきます」
慌てて立ち上がって挨拶をした拓哉に対して、採用担当者は表情をピクリとも動かさずに丁寧に応じた。
立ち上がってみると、採用担当者の身長は拓哉の胸の辺りまでしかなかった。拓哉の身長が百七十後半であることを考慮すると、彼女の身長は百五十もないだろう。
幼い外見とは対照的に大人びた印象を受ける採用担当者に連れられ、事務所の会議室のような部屋に案内された拓哉は改めて気を引き締めた。
「本日面接を担当させていただきます。にじライブメディア本部、
「ちょ、頂戴致します」
諸星と名乗った採用担当者から名刺を受け取ると、そこには部長の二文字が記載されていた。
一見二十五歳である自分よりも遥かに幼く見える諸星が部長。面接へと気持ちを切り替えた拓哉の脳が再び混乱し始める。
それでも、そこは元アイドル。不測の事態は慣れっこだ。
諸星からされる質問に一つ一つしっかりと答えていく。
表情の変わらない諸星だが、反応からして手応えはある。
そう感じた拓哉は、自分を大きく見せることはせず、誠実に自分のこれまでの経歴を赤裸々に語った。
「司馬さんは元アイドルという経歴をお持ちですよね。有名なグループだったこともあり、ある程度は私も存じ上げておりますが、アイドル活動をやめてしばらく経つのに現在弊社のライバーを志望する理由をお聞かせ願いますでしょうか?」
「前置きが長くなっても構いませんか?」
「ええ、構いませんよ」
「それでは……私は小学校の頃に同級生とした約束がきっかけで、誰かを笑顔にできる人間になることが夢でした。きっかけは姉が勝手に応募して書類選考に通ったことですが、アイドルなら人に夢を与えられる、そう考えました。そして、目標として武道館でライブするようなアイドルになることを目指しました」
「……家族が応募してアイドルになるって話、本当にあるんですね」
諸星は相変わらずの無表情だが、声の抑揚からして驚いている様子だった。
「ええ、そんなきっかけから始まったアイドル時代ですが、驚くほどに順調に事は進みました。中学一年生でいきなりデビューして、すぐにCDを出すことができました。シャイニーズ事務所にしては珍しく、先輩アイドルのバックダンサーをしていた時期はかなり短かったと思います。小さなライブを繰り返してメディアへの露出も増えていって、オリコン一位を取ったこともありました」
もちろんグループで、と拓哉は付け加えて続けた。
「ですが、そのときの私は天狗になっていたのでしょうね……。調子に乗り出して態度が悪くなっていき、後輩を顎で使う。売れている当時の私はそんな人間でした。そのせいで周囲から味方がいなくなって、気がつけば一人になっていました。アイドルを引退してからは何の変化もない毎日を過ごして、現在はフリーターをしています。自業自得だ、しょうがない、もういいや。自分の夢なんてとっくに消えていると思っていました――ついこの前までは」
そこで言葉を切ると、拓哉は強い意志を込めて真っ直ぐに諸星の瞳を見据えて言った。
「先日御社に所属しているライバーの竹取かぐやさんのライブを見て思ったんです。もう一度輝きたいって。またあんな舞台に立ちたいって」
しばしの静寂の後、会議室にゴクリという拓哉の唾を飲み込む音が響く。
ひと時も拓哉から目を離さなかった諸星は、ゆっくりと穏やかな口調で話し始めた。
「そうですか……では、最後に配信をしている体で、好きなものについて話が途切れるまで話してください」
「好きなもの……」
配信している体、と言われ反射的にカメラが回ったときのような感覚を覚えた。アイドル時代にテレビ番組に出演していたときに身に付いた本番モードに頭が切り替わる感覚だ。
「はい、それでは今日は俺の大好きなバーチャルライバー竹取かぐやさんについて話していこうと思います」
「……ほう」
すっ、と諸星の目が鋭くなる。
「きっかけは友人に勧められた【汚い言葉を使ったら即終了の清楚配信】の切り抜き動画だったんですけど、本編に行ってみると、この配信がまた面白くて――」
それから拓哉は二時間、ノンストップで竹取かぐやについて語り尽くした。
「竹取かぐやさんは、俺にとって忘れていた夢を思い出させてくれた希望の光です。だから、今度は自分が輝いて俺みたいにくすぶっている誰かの光になりたい。そう思わせてくれた大好きなライバーさんです」
最後に拓哉はそうまとめた。二時間も止まらずに語り尽くすなど、限界オタクもいいところである。
だが諸星はふぅ、と短く息をつくだけで、嫌悪感を示すことはなかった。むしろ、その逆だった。
「……なるほど、ありがとうございます。合否は後日改めて通達――というのも効率が悪いので、このままお話を進めさせていただいても構いませんか?」
「………………………………はえ?」
拓哉の人生の中でこれほど間抜けな声が出たことはないだろう。
あまりの事態に呆ける拓哉を見て、諸星は初めてくすっと笑って話を続けた。
「合格、ということです。もしこの後に予定が入っていなければ、そのまま――」
「もちろん、全然暇なので構いません! ……でも、そんなに簡単に合否を決めてもいいんですか?」
「私が面接を担当する場合、最終的な合否は事務所から一任されているので問題ありません」
この若さで部長を任されているだけあって諸星はそうとう会社から信頼されているのだろう。
諸星の会社での立ち位置を理解した拓哉はごくりと唾を飲み込むと、単刀直入に聞いた。
「私のライバーとしての姿はどのような姿になるのでしょう?」
「司馬さんは一般枠なので、デザインはこれから発注することになります」
にじライブには、一般応募枠以外にも実況者からスカウトされてライバーになった者もいる。
特ににじライブが本格的にVtuber事業に力を入れ始めた頃にデビューした二期生のほとんどは、実況者上がりだ。
「その前にこちらに署名と捺印をお願いします」
本格的な打ち合わせになる前に、一枚の用紙を取り出した。
それはにじライブとのライバー契約を結ぶための契約書だった。
「面接には印鑑を持ってきてほしいってまさか……」
「元々会議で司馬さんの採用はほぼ決定していました。ただ大半が過去のアイドルとしての実績からの判断だったため、私がこの目で確かめることになりました。もちろん、結果は過去の経験からなる現在を評価しての合格です」
最終決定権を諸星が持つ。その本当の意味を理解した拓哉は改めて諸星への評価を上方修正した。拓哉が諸星の眼鏡にかなわなかった場合、過去の経歴だけで採用しようとしていた役員を抑えてまで、諸星は拓哉を不合格にするつもりだったのだ。
「ありがとうございます」
真摯に一人の人間と向き合う姿勢を感じ取った拓哉は自然と頭を垂れていた。
「これが私の仕事ですから」
諸星の表情は相変わらずの鉄仮面だったが、その声音は初対面のときよりも優しかった。
印鑑を押した契約書を受け取った諸星は確かに、と呟くと、そのまま今後の話を始めた。
「まず、ご自分で使用したい名前などはありますか?」
「名前、ですか」
基本的にネットでの活動を主体とするVtuberは本名を使用しない。
かつてVtuberの歴史を切り開いたと言われる〝バーチャル四天王〟も本名以外で活動している。
もちろん、彼女達からすれば〝中の人〟などおらず、自分は自分だという主張はあるだろうが、声を提供している人間というものはどうしても存在する。
つまり、バーチャル空間に存在する側と人間としての本体は切り離して考えなければいけないのだ。
「すみません、全く思い浮かびません……」
拓哉の場合、昔のあだ名である〝シバタク〟という名前を仮で使用してオーディションへ申し込んだため、本命の名前を決めていなかった。世間でも認知されていたシバタクという名前を使用するのは当然NGだ。
「そういえば、司馬さんはライオンが好きでしたよね」
「よくご存じですね」
テレビに出ていた頃ならまだしも、すっかり世間で存在が忘れられつつある拓哉プロフィールをさらっと覚えている諸星に拓哉は驚きを隠せなかった。
「昔、Mスタで言ったでしょう。当時リアルタイムで見ていたので」
当の諸星は何でもないことのように言ってのけた。拓哉としては諸星が何歳なのか気になってしょうがなかった。
「ライオンをモチーフにしてはいかがでしょう。髪型もどこかライオンっぽいですし」
「いや、これは短い髪を整髪料でセットしただけなのですが……」
謎のライオン推しに困惑していると、諸星はライオンをモチーフにすることのメリットを提示し始めた。
「ライオンモチーフならグッズを作りやすいですし、デザインもしやすいですよ」
「な、生々しい話ですね」
思ったよりも現金な話が出てきて拓哉の顔が引き攣る。
「それに司馬さんは歌配信メインのライバーを希望されてますし、ライオンは〝力強い咆哮〟のイメージがあって悪くないと思います」
「なるほど一理ある、のか?」
何だかんだで推しに弱い拓哉であった。
「とりあえず、名前が思い浮かばないなら設定から詰めていきましょう」
ライバーとしての名前は一旦置いておき、諸星の提案で設定を詰めていくことになった。
「これは個人的な意見ですが、司馬さんは演じるよりも素の自分を出した方が人気が出ると思います」
「素の自分、ですか。ドラマの経験はありますけど、ずっと続けていくなら確かに素の方がいいかもしれませんね」
余談ではあるが、拓哉が出演したドラマは悉く高視聴率を叩き出している。
「例えば、元アイドルだったが成功続きで傲慢になり、周囲とうまくいかなくなって挫折してしまったという設定はどうでしょう?」
「それはそのまま過ぎませんか!?」
「むしろ、そのままやからええんじゃないですか!」
諸星の言葉に熱が籠る。敬語が崩れ、方言が顔を出したことに気がついた諸星は慌てて咳ばらいをしてごまかした。
「――っん、ファンはライバーに夢を見せてくれる〝非現実感〟と身近な存在に感じる〝現実感〟を求めます。嘘の中にはほんの少しの真実を混ぜるといい、と言うでしょう」
「いや、嘘偽りない主成分真実の設定になってるんですが」
事実、アイドルだった頃の拓哉はプライドが高く、周囲との軋轢も多かった。
「では、元アイドルだったが、傲慢故にライオンになってしまったというのはどうでしょう?」
「いや、それ山月記じゃないですか!」
しかも、ライオンじゃなくてトラだし、と呟いた拓哉に対して諸星は無表情のままに言った。
「司馬さん、七つの大罪で傲慢を象徴する動物はライオンなんですよ」
「俺が言いたいのはそういうことではないのですが……」
まともな人だと思っていたのに。
拓哉の中で完璧なビジネスウーマンである諸星のイメージが音を立てて崩れ落ちた。
「ライオンの獣人になってしまって元に戻るために謙虚な姿勢で一から歌配信を始めた、という流れなら自然だと思いますよ」
自然とは? という言葉を拓哉は既の所で飲み込んだ。
「でもまあ、凄くにじライブのライバーっぽい設定だと思います」
いい意味でも悪い意味でもぶっ飛んだライバーの多いにじライブには、人外のライバーも多い。魑魅魍魎が跋扈する配信界隈で輝くためにも悪くはない設定である。
「では、山月李徴という名前で挨拶は『袁傪のみんなー、こんばん山月ー!』という感じでいきましょう」
「嫌ですよ!? 絶対色物枠じゃないですか!」
諸星のぶっ飛んだ提案を拓哉は反射的に拒絶していた。そして、諸星演じるバーチャルライバー〝山月李徴〟のクオリティはとても高かった。
「えっ、でも、たぶん視聴者のみんなに『その声は、我が友、李徴子ではないか?』ってツッコミを入れてもらえますよ?」
「……すみません脳が付いていけないので、山月記ネタはいったんおいておきましょう」
名前、挨拶、視聴者との定番のやり取り、その全てを一気に決められる上に、ネタで知名度を稼げそうという点においては拓哉も〝山月李徴〟に魅力を感じていた。
だが、どうしても許容できないことがあった。
「山月記モチーフでやったら絶対に歌動画だけ伸びなくなる……!」
なまじ自分が李徴に近い人生を歩んでいるが故に、直感的にそんな気がしてしまったのだ。
李徴を却下するため拓哉の頭脳が全力で回り始める。そんな拓哉にパッと語感の良い名前が思い浮かんだ。
「し、獅子島レオなんてどうでしょう?」
「獅子島レオ、ですか。響きは悪くないですね」
李徴ほどのインパクトはないですが、と呟いた諸星の言葉を拓哉は聞かなかったことにした。
「それでは、これから宜しくお願い致します。獅子島さん」
この日より、夢破れた元アイドル司馬拓哉はにじライブ所属のバーチャルライバー獅子島レオとなった。
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