内海光は昔から何に対しても寛容な人間だった。
普通の人ならば他人のせいにするような場面も、自分が悪いと考え他人を責めることをしなかった。
当然、周囲の人間達は内海を器の大きいできた人間だと評価する。
いつだって友人の中心で内海は朗らかな笑みを浮かべていた。
優しい家族、優しい友人。
優しい世界で生きてきた内海は、人とは腹を割って話せばわかりあえるものだと本気で信じていた。
中学高校のときもいじめや陰口とは無縁の生活を送っていた内海は真っ直ぐな性格のまま育った。
癒し系の愛され女子。
内海の周囲の評価はそんなものだった。
だが、常に自分を下げて周りを上げてきた内海は、そうやって過ごすうちに自己評価が低くなっていた。
悪いのは自分。自分に落ち度があるから相手が不快になる。
だから、改善すべきは常に自分。
小さなものでも負の感情を一人で抱え込み、内海の心は本人も気がつかない内に疲弊していた。
社会人になってからはそれが顕著に出ることになる。
特にやりたいこともなかった内海は、内定が取れた企業の中でも条件のいい会社に就職した。
人より仕事も早く、常に笑顔を絶やさず気遣いもできる。
内海は職場でいつも好かれていた。
頼まれたことは断らず、多少の無茶でも引き受けて何とかしてくれる。
内海が部署の駆け込み寺になったは当然のことだった。
「はぁ……今日も残業かぁ……」
出退勤の確認、請求処理、給与の確認、交通費申請、総務の仕事では会社の資金運用に関わる仕事が多い。
上長確認が必要なものも多く存在するため、期限までに仕事を終わらせるためには他の社員の協力が不可欠だ。
しかし、期限を守らない人間というのは往々にして存在する。
そういった人間の杜撰なスケジュール管理のシワ寄せは、全て総務へと向かう。
総務の中でも、毅然とした態度で断ることができず何でも引き受けてしまう内海は特にその煽りを受けていた。
「内海さん、お疲れ様です」
「ああ、諸星さん。遅くまでお疲れ様です」
「それはお互い様でしょう」
いつものように内海が残業していると、関西支部から転属になった諸星香澄が声をかけてきた。
内海は諸星に対して苦手意識を持っていた。
見た目は社会人とは思えないほど幼い印象を受けるが、諸星の醸し出すできる女オーラは近寄りがたさを感じるのだ。
そんな内心はおくびにも出さず、内海は笑顔で諸星の用件を尋ねた。
「それで、どうしましたか?」
「いえ、特に用があるというわけではないのですが……」
歯切れ悪くそう言うと、諸星はコーヒーを差し出した。
「これを、私に?」
「え、ええ、内海さんにはいつもお世話になっていますし……」
そう言ってぎこちない笑顔を浮かべる諸星を見て、内海は諸星への印象が変わった。
人付き合いが苦手なだけで、本当は優しい人なのだと。
それから、内海は諸星とたまにランチに行くほどには仲良くなった。
諸星と仲良くなってからしばらく経ち、内海にとって人生を大きく変える出来事が起こる。
「みなさん、本日はお集りいただきありがとうございます。この度、誰でもVtuberになれるアプリ〝二次元LIVE(仮)〟についてご提案させていただきます」
それは諸星が提案するVtuber、正確にはバーチャルライバーになれるアプリのテスターになるというものだった。
それなりにアニメやゲームなども好きだったこともあり、内海は興味本位でこの話を受けた。
何より、あの諸星の提案である。
きっと成功して大きなことになるという確信めいたものを内海は感じていたのだ。
「竜宮乙姫、か……」
内海の担当するライバー〝竜宮乙姫〟は、浦島太郎の乙姫がモチーフの女子高生としてキャラ設定を組まれた。
初配信の際、彼女の清らかな声や話し方に魅入られる人間が大勢いた。
登録者数が一定以上いないと配信できないこともあり、かぐや達一期生は単発の動画などで人気を集めた後で配信を開始する予定だったが、かぐやが最初からバズったこともあり、すぐに配信を開始することになったのだ。
こうして内海は、にじライブ所属ライバー〝竜宮乙姫〟として配信活動を始めることになった。
「はじめまして、竜宮おと――あっ、ちょっと、えっ? これどうなってるんですか?」
[はい、もう可愛い]
[これは清楚]
[こんどこそ清楚]
[きっと清楚に違いない]
[コメント欄、かぐやちゃんのせいで疑心暗鬼になってて草]
乙姫は最初から2Dモデルの表示を間違え、モデルが消えたり出たりしていた。
配信慣れしていないこともあり、初々しい乙姫に早速視聴者は心を掴まれていた。
ただかぐやがあっという間に〝やべー奴〟や〝清楚()〟と認定されたこともあり、乙姫も同類なのではないかと疑われてはいた。
「あの、ごめんなさい。ちょっと待っていただけますか? あっ、これで大丈夫そうですね」
何とか設定がうまくいくと、乙姫は声を整えて自己紹介をした。
「取り乱してしまい申し訳ありません。改めまして竜宮乙姫と申します……うふふっ、ごめんなさい。ちょっと緊張してしまって何を話そうとしていたか飛んでしまいました」
[かわいい]
[やっとVtuber界に清楚(真)が……?]
[これは間違いなく清楚]
不慣れながらも一生懸命に配信を行った乙姫は、あっという間に人気Vtuberの仲間入りを果たした。
面白いかぐや、可愛い乙姫、珍しい男性枠でトークのうまい勝輝。
個々の能力が高かったことも相まって〝にじライブプロジェクト〟はしばらくすると軌道に乗った。
一期生が伸びていく間にもいろいろなことがあった。
かぐやがバーチャル四天王である坂東イルカとコラボをして話題になった。
乙姫がVtuber界でも稀有な清楚枠であるため話題になった。
勝輝はかぐやや乙姫とコラボして早速炎上したり、トラブルもあったが話題になった。
それから、会社からの予算も増やしてもらえることになったため、勢いがある内にライバーを募集しようという話になった。
こうして一期生ライバーとしての活動の傍ら、三人は二期生の募集を開始した。
採用関係のメールは全て内海が管理していたが、スカウトはかぐやがネットで活動している配信者やゲーム実況者からスカウトできる人材をピックアップしたのだ。
それ以外のメンバーも内海が面接を担当して一般公募という形でも公募することになったのだった。
「付き合ってもらっちゃってごめんなさいね」
「いいのいいのー! 私も体重絞らなきゃいけないし!」
クリスマスも終わり、年末も差し迫った頃。
内海はまひると共にスポーツジムに通っていた。
まひるはライブに向けて体重を落とすため、内海は最近太り気味なのを気にしてのことだった。
「……内海さんはライブ出ないの?」
「うふふっ、私はもう表に出る人間じゃないもの」
まひるが暗に「竜宮乙姫として復活する気はないのか?」と尋ねると、内海はそれをやんわりと否定した。
「さ、そろそろ動きましょうか!」
会話を打ち切るようにして内海は再びトレーニングマシンの方へと向かった。
その背中を見送るまひるは、先ほどRINEでメッセージがきたスマートフォンを握りしめていた。
「……タマちゃん、まひるに任せて」
内海の表情に迷いがあった。
彼女も心の奥ではライバーに復帰したがっているのだと、まひるは確信するのであった。