メイド喫茶〝Love and Peach〟。
秋葉原に多数存在するメイド喫茶の一つだ。
大人気のメイド喫茶というわけではないが、〝Love and Peach〟はそこそこ繁盛している部類に入る店舗だった。
〝Love and Peach〟はメイド服にこだわりを持ち、特別なサービスがあるわけではなく、メイドが一般的な飲食店と同様に食事を提供する店舗だ。
値段もリーズナブルで本物に近いメイドを味わえることもあり、他のメイド喫茶とは違った人気を博していた。
「ふぅ……今日も平和だ……」
そんなメイド喫茶の裏手でキッチン担当をしている青年、名板赤哉こと
「智也ー。ホールの片付け終わったぞー」
「ああ、聖羅さん。お疲れ様です」
智也がぼんやりと空を仰いでいると、本格的なメイド服に身を包んだ女性、吉備津桃華こと
「珍しいな、智也が紙巻吸ってるなんて」
「ちょっと昔を思い出しまして、ね」
赤哉は喫煙の際にはいつも水たばこを吸っていた。
特に飲食店のキッチンをやっていることもあり、ここ数年は紙巻たばこは控えていたのだ。
「昔ねぇ……一本くれよ」
「どうぞ」
「サンキュ」
赤哉の表情から、彼の過去を知る桃華は神妙な面持ちになり、たばこを要求した。
慣れた手つきで桃華が咥えたたばこに火をつけると、赤哉は
「聖羅、お前は今幸せか?」
「……どうしたんですか藪から棒に。幸せに決まってるでしょう?」
桃華も赤哉に合わせて、昔のような御淑やかな口調で答えた。
「地獄の底にいた私をあなたが救いだしてくれた。今、私が良い暮らしをできるのは智也さんのおかげですよ」
「バカ言え、先に救われたのは俺の方だ」
口に溜まった煙を吐き出すと、赤哉は笑顔を浮かべた。
「養護施設に寄付していたのは父です。それにあれは決して綺麗な金銭じゃなかった。養護施設への寄付も税金対策に過ぎません」
「理由はどうあれ俺は救われた。だから多額の借金を背負ったあんたを救ったのは借りを返したに過ぎない」
桃華はかつて大企業の社長令嬢だった。
だが、会社が倒産してからはどん底に突き落とされた。
桃華の両親は桃華名義で多額の借金をしており、桃華は借金を返済するために歌舞伎町のキャバクラで働いていた。
そのとき、赤哉と再会したのだ。
赤哉は桃華の働いていた店の管理をしていた。
桃華の現状を知った赤哉は桃華を地獄の底から救い出すために奔走していたのだ。
「組を抜けて後悔していないんですか?」
「鬼島の親父には感謝している。けど、このご時世、まっとうなシノギじゃ食っていけない。今じゃ組も解体してるくらいだ。ああ、組のみんなは介護関係のところに就職したらしいぞ」
「よく再就職できましたねぇ」
「ま、親父の人徳だな」
昔を懐かしむように、家族のような存在だった面々を思い浮かべて寂し気に笑うと、赤哉は話題を変えた。
「しっかしまあ、借金返すためにVtuberになろうなんて、あのときの俺達はなかなか追い詰められていたよな」
「企業Vでこんな経歴持ってるの私達くらいでしょうね」
「小指がきちんとあったのが効いたのかねぇ」
「そんなわけないでしょうが」
冗談めかして二人で笑った後、赤哉はにじライブの面接を受けたときのことを思い出した。
「俺達を採用してくれた内海さんには頭が上がらないよ」
「ええ、あの人もなかなかに狂っていますよね」
「あの時点でカタギとはいえ、普通一発で落ちるよなぁ」
二人は経歴的に採用されるかどうかは賭けだった。
それでも、二人の必死さが伝わったこともあり、内海は二人を採用したのだ。
もちろん、ライバーとしての適性があったからという前提はあるが。
「……どうにかならないもんかな」
「……内海さんの復帰、ですか。それは難しいのでは?」
「本人のメンタルの問題もあるからなぁ。でも、無理じゃない」
赤哉はそう告げると、吸い終わったたばこを灰皿に捨てて、新しいたばこに火をつけた。
「ま、なるようになりますよ」
「だな。あ、もう一本くれ」
「残念、オイル切れです」
「バーカ、火種ならそこにあるだろ」
口調を普段のものに戻すと、桃華は新しいたばこを咥え、赤哉の吸っているたばこに自分の咥えているたばこをくっつけて火をもらった。
穏やかな時間を楽しむようにたばこを吸っていた二人だったが、そこに一人のメイドが怒ったようにやってきた。
「ちょっと、二人共ー! 早く着替えてくれないと店閉められないんですけど!」
「ああ、美帆さん。ごめんなさい、これ吸ったら着替えますよ」
「おいおい、美帆ー。ヤニくらいゆっくり吸わせろって」
鶴野紫恩こと
紫恩はマイペースな二人に呆れたようにため息をつくと、ニヤリと笑って告げた。
「それと、潤佳から連絡きてるよ。作戦会議、だってさ」
「ほう、それはそれは……」
「ついに私らも動くときってか?」
まひるからの連絡。
それが何を意味するか、赤哉も桃華も即座に理解した。
「受けた恩はしっかり返す。倍返しだ! ってね」
「あんたホントにそのドラマ好きだよな……」
「いいじゃないですか。鶴の倍返しって語呂いいですし」
「そういう問題じゃねぇだろ」
赤哉と紫恩に呆れたように苦笑すると、桃華は吸い終わったたばこを灰皿に捨てた。
「ったく、誰かのために動くなんて柄じゃないんだがなぁ」
「僕達もすっかり三期生の影響を受けちゃってますね」
「レオ君とバラギが白雪を連れ戻したのは伝説だからね。本当にあいつらやべーもんね!」
林檎がライバーに復帰した当時のことを振り返りながら三人は笑顔を浮かべて店内に戻っていく。
その最中、赤哉は神妙な面持ちで桃華に尋ねた。
「聖羅さん、いいんですか? あなたはタマのことまだ許せてないんでしょう」
「けっ、タマの奴は嫌いだよ。だけど、姫ちんのためなら使えるもんは何でも使ってやらぁ」
吐き捨てるようにそう言うと、桃華はどこか寂し気な表情を浮かべた。
「……あいつがハンプのアドバイスをちゃんと聞いてくれてれば違ったのかねぇ」
複雑な感情を抱いているかつての同期に思いを馳せると、桃華は急ぎ足で更衣室へと向かうのであった。