竹取かぐやは竜宮乙姫にとって大切な同期だった。
三人しかいない同期であり、にじライブプロジェクト立ち上げから苦楽を共にしてきた仲間。
それは今でも変わっていない。
たとえ、ライバーを辞めてもずっと表舞台で会社を引っ張ってきた存在なのだ。
特にかぐやは、無茶をしてもそれがまかり通ってしまう能力を持ち合わせていたこともあり、常日頃から乙姫に心配をかけていた。
乙姫が注意をするたびにかぐやが言い訳をする。
特にかぐやが正体を隠して標準語かつ険しい顔で話していたこともあり、周囲からは〝諸星香澄と内海光は仲が悪い〟と思われることもあったくらいだ。
実際のところ、仲が悪いとまでは言わないが、乙姫は引退後かぐやと個人的なことで関わることは避けていた。
それほどまでに彼女の心が負った傷は深かった。
当然、一緒にライバーが自由に活動できる会社を作りたかったからこそ、総務部という会社の屋台骨にあたる部署を引き受けたわけだが、一個人として深く関われば昔を思い出して辛い思いをする。
乙姫は逃げた。
自分からも、過去の仲間からも向き合うことから逃げていた。
しかし、三期生を採用してから、彼らの壁にぶつかりながらも、逃げずに立ち向かう姿に心の中で燻ってた炎に火がついた。
このままじゃダメだ。
それは、内海光として会社を支えてきたからこそ思ったことだった。
決意をするのには時間がかかったが、乙姫は表舞台に戻ることを望んだ。
そして、頼もしい後輩達にあるお願いをした。
ライブの枠を譲ってくれないか、と。
これほど大規模なライブとなれば、出演者の枠は限られている。
特にソロパートは知名度を上げるうえでも、確保しておきたい枠。
たとえ、レオや夢美のようにメジャーデビューしており、元々ソロパートが複数あったとしてもおいそれと譲れるものではない。
それを二人はあっさりと譲った。
レオと夢美もまた普段から経理のことなどで乙姫には世話になっている身だ。
さらには、二人の恋愛事情に関して協力もしてくれている。
事務所全体が盛り上がるためには乙姫の存在は必要不可欠だと思っていたこともあり、レオも夢美も自分の枠を譲ることに躊躇いはなかった。
今日に至るまで、乙姫は多くの人に助けられたと思っている。
二期生を中心となって集めていたまひる。
タマの受け皿となってくれた赤哉、桃華。
今でも自分を慕い続けてくれている二期生達。
何度でも困難を乗り越え、勇気を与えてくれた三期生、四期生達。
社長という大変な立場にありながらも、昔と変わらず気を利かせてくれる勝輝。
今も尚振り返らずに前を向き進み続けているかぐや。
そして、自分の罪と向き合い背中を押してくれたタマ。
彼らの誰もが乙姫に助けられたと思っているからこそ、力を貸してくれたのだ。
箱根タマが悪意を周囲にばら撒き、悪意によって破滅したように。
竜宮乙姫が善意を周囲に振りまいていたことにより、彼女は救われるのだ。
「……準備はいい、姫ちん」
「ええ、ありがとう。まひるちゃん」
乙姫復帰計画の首謀者であるまひると流れを確認しながらも、乙姫は一部のスタッフとトラッキングの最終調整を行っていた。
まひるももう出番を終え、乙姫のサポートに回っている。
「でも、かっちゃんと一緒じゃなくて良かったの?」
「さすがにかぐやちゃんとかっちゃんのデュエットだったら割り込んでも連携が取れないわ。元々デュエットとしても歌える――いえ、歌った経験のある曲だからこそできるの」
「そういえば、あの歌ってみたって姫ちんのチャンネルでもトップクラスの再生数だったっけ」
残るかぐやの出番はラストの一曲のみ。
アンコールを除けば、かぐやもこのステージでの出番はそれが最後だった。
「それにしても、久しぶりに見たよ! 姫ちんの3Dモデル!」
「長いことデータの海に沈んでたものね」
テスト用のモニターに映る自分の姿を見て、まひるは心から嬉しそうにはしゃぎ始める。
「……久しぶりね」
画面の向こうの自分自身に向かってそう告げると、乙姫は気合を入れなおした。
かぐやはライブの準備を進めていく中で、スタッフ、ライバー含め自分に何か隠し事をしている空気を敏感に感じ取っていた。
「ライブ本番にドッキリやろなぁ……」
自分に内緒で進めている計画を察してしまったことにかぐやは小さな罪悪感を覚えていた。
隠してあったプレゼントを見つけてしまった気分である。
しかし、かぐやはその中身が自分が何度も望み手に入らなかったものだということを知らない。
大トリを任されたとあって、かぐやは張り切っていた。
ドッキリが仕掛けられているかもしれないということもあり、どんな状況にも対応できるように入念に準備をしていた。
どんなドッキリが来るのか。
それに対して、どういう反応が一番盛り上がるか。
心に染みついた芸人魂はある意味、ドッキリの本当の目的を悟らせないという意味ではいい方へと作用していた。
「やあ、かぐや君」
「おっ、かっちゃん。初めての表舞台はどうや?」
明後日の方へと思考を巡らせていたかぐやの元へ息も絶え絶えの勝輝がやってくる。
「……さすがに堪えるね。ライブから数日はお休みをもらわないとキツイよ」
「おかげでそのタヌキみたいな腹は引っ込んだみたいやけどな」
「リバウンドしないことを祈るよ」
勝輝は3D化を迎える前に社長に就任し、ライバー活動を休業した。
最近は配信頻度を徐々に増やしているとはいえ、3Dモデルを利用したライブステージは未知の領域だった。
酒とタバコと運動不足のトリプルコンボを決めていることもあり、勝輝の体力は限界を迎えていた。
「今は休んどき。ウチがライブで盛り上げとる間に回復すればええ」
「悪いけど、そうさせてもらうよ。……あとは見守るだけだからね」
地べたに座り込みながらも勝輝はそう答えた。
そして、ついにかぐやの出番がやってきた。
かぐやは表舞台から去ってしまった乙姫の思いと、表舞台に戻ってきてくれた勝輝の思いを背負いステージに立った。
「はいはい、こんバンチョー! 戻ってきたで! 長いようで短かったライブもこれで最後や! 全力出し切れやァ!」
『うおおおおおおお!』
[最後はやっぱバンチョー!]
[安定のバンチョー]
[にじライブを締めるのはバンチョーじゃないと]
会場もコメント欄も最高に盛り上がっているこの瞬間、今にもかぐやが歌う準備をしているときだった。
ピンポンパンポーン、というアナウンス用の音声が流れ、かぐやは何となくドッキリが始まったことを理解した。
「ちょ、ミスってアナウンスの音声流したの誰やァ!」
[草]
[キレんなw]
[いや、バンチョーちょっと笑っちゃってるじゃん]
こういった場合、かぐやはふざけて過剰にキレるのがお約束である。
つい笑いがこぼれてしまったが、その笑みは一瞬にして消えることとなる。
『もう、かぐやちゃん。そんなに怒らないでもいいじゃない』
「は?」
[!?!?!?!?]
[この声って!]
[姫ちん!?]
聞き間違えるはずがない。
清楚で慈愛に満ち溢れた声。
特にお笑い方面のドッキリを想定していたかぐやは、横っ面を引っ叩かれたような衝撃を受けていた。
会場も困惑からどよめきの声が広がっている。
「いやいやいやいやいや!」
[バンチョーが珍しくパニクってる]
[かわいい]
[最近声で出てくること多いし、激励メッセージとか?]
コメント欄では、早くもこの後の展開の予想がされていた。
最近、乙姫はたまにはであるが声だけで配信に浮上することがあった。
そのため、コメント欄でも乙姫本人が来ているのではなく、録音したメッセージを流しているのだと思っていたのだ。
だが、その予想は大きく裏切られることになる。
『おお!?』
会場から歓喜の混じったうめき声が漏れる。
「ご無沙汰してます!」
なぜなら、ステージ上には紛れもない乙姫本人が登場したからである。
「は!? ちょ、えっ、いやいやいや……はぁ!?」
会場に乙姫が来ていることを知っていたかぐやは、彼女が何を思ってステージに現れたか理解できずにパニックを起こしていた。
普段からあらゆるトラブルに対処して笑いへ変えてきたかぐやが動揺している。
その事実に観客も視聴者達も、これがかぐやの全く想定していなかった事態だと理解し始めていた。
思考がショートしているかぐやを置いて、乙姫は悪戯っぽい笑みを浮かべると、観客の方へと向き直った。
「みなさーん、おは竜宮~!」
『おはりゅーぐー!』
[おはりゅーぐー!]
[おはりゅーぐー!]
[おはりゅーぐー!]
[まさか、また姫ちんのおは竜宮が聞けるなんて……]
[嘘、だろ]
[まさかのサプライズゲスト]
コメント欄は歓喜のコメントで溢れた。
会場も先ほどとは比べ物にならないほどのどよめきの声が溢れている。
「この場を借りてみなさんに大事な報告があります!」
まだこの場限りのサプライズゲストと思われている乙姫は、高らかに宣言する。
「私、竜宮乙姫は本日より正式ににじライブのライバーとして復帰致します!」
一瞬、静寂が訪れた。
誰もが言葉を失ってしまうほどに、乙姫のその宣言は考えられないものだったからだ。
「かぐやちゃん、ただいま」
「乙、姫」
かぐやの方を向いて満面の笑みを浮かべ、乙姫は自分が表舞台に戻ってきたことを告げた。
『姫ちぃぃぃぃぃぃぃぃぃん!』
[うおおおおおおおお!]
[復帰だと!?]
[マジか!?]
[とんでもないサプライズ]
割れんばかりの歓声が会場に轟く。
竜宮乙姫の復帰。
そのニュースはSNSを駆け巡り、あっという間に拡散される。
この日のトレンドを乙姫関連のワードが独占したのは言うまでもないことだろう。
それと同時に配信アーカイブや投稿動画のみが残された乙姫のチャンネルの登録者数があっという間に増加していく。
その勢いは留まることを知らなかった。
「というわけで、かぐやちゃん! この後のソロ曲お邪魔しても――」
「乙姫ぇぇぇぇぇ!」
乙姫の言葉を遮り、かぐやは力いっぱい乙姫を抱きしめた。
「もう泣かないで……ありがとう、ずっと待っててくれて」
「当たり前や!」
[ダメだ、泣く]
[あれ画面が霞んで見えない……]
[姫ちん……!]
[帰ってこれるなんて思わなかった……]
泣きじゃくるかぐやに抱き着かれながらも、乙姫は観客と画面の向こうの視聴者へと感謝の言葉を述べる。
「みなさん、こうして私が帰ってこれたのも信じて待っていてくれたみなさんのおかげです。詳しい話はまた後日、私のチャンネルで枠をとってお話します……だから、来てくれるかな?」
『当たり前だァ!』
[いくしかねぇよなぁ!?]
[待機所一番乗りしてやるぜ!]
[これは最高のお知らせ]
乙姫は後日改めて復帰配信を行うことを告げると、かぐやへと向き直った。
「さて、かぐやちゃん。急で申し訳ないんだけど、一緒に歌っていい?」
「断るわけないやろ……でも、いけるんか?」
乙姫は今までのブランクがある。
いきなり歌って踊れるのか、というかぐやの問いに、乙姫は不敵に笑った。
「うふふっ、私を誰だと思っているの?」
勇気を与えてくれた後輩の姿を思い浮かべる。
すると、自然とかぐやへ告げるべき言葉が思い浮かんできた。
「我、にじライブぞ?」
誰もが忘れそうになる事実。
誰よりも清楚で優しいと讃えられる竜宮乙姫もまた、狂人の集うにじライブ一期生なのだ。
乙姫の言葉を聞いたかぐやは口元を一瞬だけ緩ませると、獰猛な笑みを浮かべた。
「いっくでー!」
「いきますよー!」
「「ロキ!」」
こうして久方ぶりのかぐやと乙姫のデュエットは、にじライブのライブ史上最高の盛り上がりを見せた。
今回のライブでは、ライバーのステージ一つ一つが今までの最高を塗り替えるレベルのものだった。
にじライブに限界などない。
そう思えるほどに、クオリティが高いライブステージだったのだ。
そして、かぐやと乙姫が歌い終わり、最後にはアンコールの時間がやってくる。
会場が振動するほどの大合唱でアンコールを要求され、ステージ上に参加している全てのライバーが現れた。
「みんなアンコールありがとうな!」
「さあ、これが本当に本当の最後」
「〝V-Sign〟!」
[VSきちゃあああ!]
[にじライブと言ったらこれだよなぁ!]
[姫ちんも歌うのか!]
にじライブを代表する曲〝V-Sign〟を参加者全員で歌い上げる。
「「「いつでまでも、どこまでも、続いていく!」」」
Cメロの一番気持ちがこもる部分はかぐや、乙姫、勝輝の三人で歌い上げる。
『さあ、掲げろ~V-Sign!』
最後にライバー全員で曲を歌い終え、歓声に包まれながら全員が感謝の言葉を述べていく。
全員の姿が消えていく中、ステージ上の巨大モニターにあるイラストが表示される。
そのイラストは、にじライブのライバー全員が描かれたイラストだった。
中心に書かれた〝おかえり〟の四文字。
乙姫はそのイラストを見た瞬間、堪えていた涙が一気に溢れ出した。
その絵柄はどこかで見たことがあるようで、どれにも当てはまらないという印象を受ける絵柄だった。
誰かの絵に似ているようで、誰の絵にも似ていない。
ぼんやりしている絵柄の中でも確かに感じられるのは、にじライブへの愛。
それは偽物に囚われ、あがき苦しんだ一人のライバーが掴んだ確かな本物だった。
補足ですが、この復帰するときの流れだけを切り抜き動画はすぐに公式アカウントから上げられており、より話題になるのでした。
さあ、長かった五章も次でラストです!