林檎は歓喜した。
必ず、大切な同期を全力で応援しなければならぬと決意した。
林檎には妊娠の苦労がわからぬ。
林檎は、彼氏ができたばかりである。
人の恋愛を楽しみ、自分が結婚する未来など想像せずに暮して来た。
けれどもてぇてぇに対しては、人一倍に敏感であった。
「というわけで、拓哉はにじレコステージと音楽ライブに、由美子は妊娠生活に集中してねー。あとは全部私が引き受けるからさー」
『本当にごめんね、優菜ちゃん』
『俺達は助かるけど……いいのか?』
「いいも何も、私にとっちゃあんた達二人の時間が減る方が死活問題だってー。妊娠の大変さは知らないけど、元々ヘラりやすい由美子は傍に拓哉がいる方がいいでしょー?」
夢美がイベントを欠席することで、予定していた枠にそれなりに穴が開いた。
ただでさえ修羅場な事務所内で悲鳴が上がる中、代わりのイベント企画と出演者を引っ提げて現れたのが林檎だった。
林檎はカリュー経由でラウタンから新婚旅行の期間に何があったかは聞いていた。
もしものことがあれば、と事前に二人をサポートできるように動いていたのだ。
夢美の妊娠は事務所内でも知っている者は僅かで、表向きは体調不良ということになっている。
そこで林檎は、四期生や二期生の中でも交流のある者に声をかけて企画をまとめあげて事務所へ提案をしたのだ。当然、声をかけられたライバー達は二つ返事で林檎の提案に乗った。
マネージャである亀戸や阿佐ヶ谷も全面的に協力したため、現場の混乱は最小限に留められたと言っても過言ではないだろう。
「それに私がメインで入ることで不満は減るし、イベントで前に出る機会が少ない子のチャンスにも繋がるでしょー」
『『でも、それじゃそっちの負担が――』』
「黙らっしゃい! 拓哉はこの前、スタバさんに『奥さんいるんだから無茶しちゃいかんよ』って怒られたばかりでしょー! 二人共、人の心配する前に自分の心配しなー!」
それだけ伝えると、林檎は一方的に通話を切った。
スマートフォンをベッドに放り投げ、天井を仰ぎ見ながら呟いた。
「妊娠かぁ……てぇてぇ……」
林檎はレオや夢美に出会うまで、ずっと一人で生きていくことになるのだろうと思っていた。
愛とか夢とか、そんなもの自分が持てるとは思っていなかったのだ。
「あの二人は何度だって私を救いに来てくれた。だから私も何度だって救うんだ」
林檎は決意を込めたように呟くと、ピアノに向かう。
鍵盤に指を置き、静かに音色を奏で始める。
林檎が弾いている曲は、母親である郁恵が一番初めに教えてくれた曲だった。
自分の原点。ピアノを楽しんで弾くということ。
その思いを胸に刻みつけると、林檎はスマートフォンを拾ってある人物へと通話をかけた。
『手越さん、どうしたの? 何か困りごと?』
「さやっち、久しぶりー。困りごとってわけじゃないないんだけどさー」
通話をかけた相手は、かつて林檎とカリューの関係に亀裂を入れた三人の同級生の一人、矢作紗耶香だった。
現在では、林檎が彼女達を許し、ネットの裏事情に詳しい三人に何かと頼み事をする場面も増えており、中学生のときからは考えられないほどに良好な関係を築いていた。
「今度、かおりんとつっちー集められるー?」
『手越さんの頼みなら二人共断らないと思うけど……』
どうして自分達三人を集める必要があるのか。
林檎の思惑がわからずに、紗耶香は怪訝な表情を浮かべていた。
「頼みっていうか、一緒に行こうって提案。結構覚悟がいることだから強制するつもりはない」
『えっ、それってまさか』
「うん、環奈と環奈の両親に昔のこと謝りに行こうと思うんだ」
それは林檎がVtuberとして――いや、白雪林檎として仲間と共に夢を抱いて進むために必要なケジメだった。
『絶対に二人も来させる。私達もカリューさんに謝る機会をもらえるのなら、絶対に行く』
「わかった。予定はカンナとこっちで調整しておくね」
紗耶香との通話を切ると、林檎はどこか緊張したようすでカリューへと両親を含めて謝罪に行きたいという旨のメッセージを送信するのであった。