一人のイベントスタッフが会場内をあちらこちらへと駆け回る。
彼はどのスタッフよりもせわしなく駆け回り、主役が最高のステージに立てるように尽力していた。
「黒岩社長」
「松本、俺は黒岩でも社長でもない。いわっちだ」
「そうでしたね。それを言うなら僕もここじゃ松本じゃなくて白夜ですよ」
本番前、最終調整も終わった状態のいわっちこと元バーチャルリンク社長である黒岩に白夜が話しかけた。
「最近どうですか?」
「急にデビュー当時みたいな口下手になったな。どうした?」
「懐かしいっすね。初コラボの天気デッキ」
白夜は魔王軍時代、魔王軍の代表として一番コラボする機会が多かった。
白夜自身、元々コミュニケーション能力が抜群に高い方ではなかったため、デビュー当時はコラボのたびに空気が重くなったこともあったのだ。
懐かしい記憶に苦笑すると、白夜は改めていわっちに今までどうしていたのかを尋ねた。
いわっちがバーチャルリンクの社長を退いた後、彼はにじライブの事務所に顔を出してそれ以来消息不明となっていた。
白夜や他の魔王軍メンバーからも連絡を取るような間柄ではなかったため、彼が何をしていたかは誰も知らなかったのだ。
「いえ、あんなことがあったのでどうしていたのか気になりまして」
「あんなことをしでかしたのに、普通に暮らしていて悪かったな……」
白夜の問いに対して、いわっちは自嘲するようにため息をつく。
「……本来ならもっと地獄を見るべきだったんだろうな」
確認の手は止めずに、いわっちは独り言のように呟いた。
「綿貫、お前らとの器の違いを知り、会社も失い、残ったのは惨めさだけだった。働く気にもならずにしばらくは呆然としていた。しかし、とうとう金もなくなって、家賃も払えなくなった。家賃の安いボロアパートに引っ越して、その日暮らしのバイト生活の始まりだ」
「一大コンテンツを作り上げた社長とは思えない転落っぷりっすね」
「俺達の企画を一大コンテンツにしたのは君達だろうが」
白夜の言葉に苦笑すると、いわっちは続ける。
「元々個人でMMOのリアルマネートレードで稼いだあぶく銭を元にバーチャルリンクを仲間と作った。はっきり言って成り立ちもクソだが企画もクソだったよ。演者舐めんなって話だ。普通に考えりゃ、あんな条件でまだ先の見えないVtuberになろうとする優秀な人材なんていないはずだった」
いわっち自身、あの頃は自分が天才だと思い込んでいた節があったため気が付かなかったが、思い返せば会社は名前だけのペーパーカンパニーで、片っ端からそこそこ人気な生主達にダイレクトメッセージを送り続けていたのだ。
胡散臭い会社だと、掲示板でさらされることなら日常的だった。
「だが、右も左もわからない中、胡散臭さを無視して新しい世界に飛び込む奴らがいた」
白夜をはじめとして、サーラ、レイン、リーフェ、つばさの五人はバーチャルリンクのVtuberになり、大ブレイクを果たした。
いわっちの失態はそれを全て自分の手柄だと思い込んだことだった。
「君達は〝素質があった〟からブレイクしたんだよ。俺がすごかったんじゃない。そんなことに気が付くまで多くの人間を壊して、何もかも失った。他人も巻き込んでる当たりタチが悪いったらありゃしない。こうして夢の舞台の一端を担っているのも分不相応って迷うくらいだ」
「何かいわっちさん、自虐しすぎじゃないっすか?」
「耳障りだったら悪かったな。どうにもこうしてないと落ち着かなくてな」
「そういや、レオさんもタマさんもよく昔の話をすると自虐多めになる気が……」
白夜は過去のしくじりが原因でどん底を経験した人間の共通点に思い当たり苦笑した。
「だけどな。そんな俺にも声をかけてくれた奴らがいた」
「そういえば、いわっちさんの会社の人達って……」
「ああ、バーチャルリンクが俺の独裁になり始めた頃に去っていった奴らだよ」
バーチャルリンクを結成した当時は、自分達が立ち上げた企画で稼げるようになりたいという純粋な夢を見る者が多くいた。
しかし、魔王軍チャンネルがブレイクしたことで増長したいわっちに愛想をつかしたメンバーは、バーチャルリンクを退職後にイベント運営を行っているサークルを立ち上げた。
「俺がド派手に燃えて消えていったのは見てたらしくてな。ボロアパートで酒浸りになってた俺に連絡してきたんだ。何度も断ったが、どうしてもと拝み倒されてな。最初は起業するにあたってのアドバイスとかをしてたんだが、気が付いたら担ぎ上げられてた」
サークルにいわっちが加わってからは早かった。
冷静にものを見れるようになった黒岩のマーケティング能力は高く、サークルが企業になるまで時間はかからなかった。
「人は足りない、金は足りない。俺も借金まみれだが、今は楽しいよ」
「そうですか。何か安心しました」
白夜はいわっちが自然な笑みを浮かべるところを初めて見た。
何年も共にやってきたが、ついぞ見ることはなかった表情。
自分の矮小さを知り、新たな夢を追い始めたいわっちの姿は眩しく感じた。
たとえ過去に辛い仕打ちを受けた憎い相手だろうと、今の白夜は笑って共に酒を酌み交わしたいと思えた。
「今でも君達の顔を見ると罪悪感に押し潰されそうになる。そんな権利はないとわかっていてもな」
だけどな、といわっちは続けた。
「これは俺が君達にしてしまった贖罪じゃない。俺が仲間にしてもらったように、〝恩〟を君達に送りたいんだ。今はそんな気持ちでやらせてもらっている」
「いわっちさん……」
いわっちの決意を秘めた瞳を見た白夜は胸に熱いものがこみ上げてきた。
「それじゃ、久しぶりに魔王軍チャンネルのときのタッグといきますか」
「デビュー当時を思い出すな」
そう告げると、いわっちは振り返って他のメンバーにも声をかけた。
「緊張なんてする必要はない。最高の舞台に、最高の人材……あとは君達が全力で楽しめばいい。そうすれば最高の結果が付いてくる」
そこには笑顔を浮かべた元魔王軍のメンバー、現シューベルト魔法学園のメンバーがいた。
「元社長のお墨付きとは心強いわね」
「あれ、黒岩社長見ても動悸がしない……」
「黒い部分が漂白されてトラウマ対象じゃなくなったんじゃない?」
「サンキューいわっち、イェーイ!」
四人が笑顔を浮かべていると、本番が始まる合図が入る。
「それじゃあ……久々に魔王復活といこうか!」
「「「「御意!」」」」
威風堂々とした姿でステージへと昇っていく五人を見て、いわっちは自然と笑みを零していた。
「綿貫、やっと俺にもわかったよ」
華々しくイベントの開会宣言をしたかつてのライバルへと思いを馳せる。
「彼らは紛れもなく、替えの効かない最高の存在だよ」
さんざん回り道をしてしまったが、ようやくいわっちにもVtuberの演者がいかにかけがえのない存在か理解することができたのだ。
いわっちは彼らがステージに立ったことを確認すると、感傷に浸る間もなくすぐに自分の仕事を全うするために動き始めるのであった。