次の日、私は常駐している現場でつなぎを着てガラス清掃作業にいそしんでいた。
今日は現場責任者が風邪で欠席しているため、代わりに社員の人が現場に入ってきた。
「ごめん、実は二日酔いで頭痛いから作業の方任せてもいいかしら?」
「大丈夫ですよ。ゴンドラ操作の方は私がやるので、地上監視をお願いします」
現場にやってきた女性社員の人はどうやら強制参加の飲み会でお酒を飲まされすぎたようだった。
それだけで私にとってはホワイトな職場でも、社員の人にとっては超絶ブラックな職場環境であることが窺える。
私にできることといえば、現場にいる間だけでも彼女が楽をできるように働くだけだ。
幸いゴンドラ免許は持っているため、私がメインの作業者になることは問題ない。
「それじゃあ、地上監視お願いしますね。今日は東面のガラスやる予定だったみたいなので」
「わかったわ」
私はいつものように屋上に上ると、設置されたゴンドラを動かして今日の作業位置へと持っていく。
今日ゴンドラに乗って作業するのは私と大学生のアルバイトである斎藤君。
彼も現場に常駐している作業員のため、既に苦手意識はない。
「斎藤君、準備はできた?」
「はい、問題ないです」
指さし呼称をしっかりやった後にゴンドラへと乗り込んで作業を開始する。
作業中、私は基本的に自発的に話しかけることはしない。
斎藤君も普段は地上監視員をしているため、休憩時間に少しだけ話をするくらいの仲だ。
「そういえば、今高さんってVたれ好きなんですか?」
「ふぁっつ!?」
まさか作業中話しかけられると思っていなかったため、操作盤に置いた手元が狂う。
ガコンッ、と下降中のゴンドラが急停止したことで、斎藤君は申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「急に話しかけてすみません……」
「だ、大丈夫だよ。ちょっとびっくりしただけだから」
本当は心臓が口から出るほど驚いているのだが、私は必死に平静を装って笑顔を浮かべた。
それから再びゴンドラを下降させて窓ガラスの前で止める。
「珍しいね。斎藤君が話しかけてくるなんて」
「すみません、ちょっとテンション上がってて」
「テンションが上がる?」
作業しながら会話をしていると、斎藤君が気になることを言った。
Vたれの話を振ってきたということは、内容もVたれ関連だろう。語り合ったことはないけど、斎藤君もVたれの推しがいたはずだ。
そんな彼にとって何かテンションの上がる話題なんてあっただろうか。
「さっき
「バーチャル、学園」
どくん、と鼓動が跳ね上がる。
4DLIVEは推しのイシュリーが所属しているバーチャルタレントグループ〝にじライブ〟の運営企業である。
V界隈でもトップクラスに大きな企業で有名であり、定期的にオーディションも行っている。
しかし、事務所が養成所を作るということは今までなかったのだ。
面白い人材を見つけるのではなく育てる。
挑戦的な活動を行う事務所だとは思っていたが、新たな方針を打ち立てて今日いきなり発表してくるなんて予想していなかった。
一つの歴史の転換期を目撃したような興奮が胸の奥から湧き上がってくる。
それと同時にある思いも湧き上がってきた。
[辛いとき、あなたの動画を見ていつも救われています。本当にありがとうございます]
昨日見かけたコメント。
あのときは私の成果ではないと釘を刺したが、一度抱いてしまった感情は消せなかった。
こんな無力で無価値な人間でも誰かを救うことができるのだろうか。
バイトを終えて帰宅した後もそんなしょうもない考えが常に脳を支配していた。
きっと一時の気の迷いだ。
言い訳をしながらも、バーチャル学園のホームページを開いてみる。
すると、どう見ても怪しいサイトのような作りのホームページが表示された。
「えぇ……」
さすがにこれには困惑してしまう。
運営しているのは4DLIVEだから疑う必要はないのだが、新しく立ち上げた一大プロジェクトにしては随分と魅力にかけるホームページである。
いや、むしろこのホームページを見てでも応募してくるような人材を求めているのだろうか。
世の中にはいい加減な気持ちで流行ってるコンテンツに乗っかる人間も多い。
そういう人間を振るい落とすためということならば納得である。
「って、何サイトチェックしてんの私!」
これではバーチャル学園に入学したがってるみたいではないか。
慌ててサイトを閉じると、そろそろ始まるイシュリーの配信を見ることにした。
今日は寄せられた匿名のお便りを呼んでいく配信だ。
イシュリーは辛辣なコメントとコントのようなやり取りを楽しみながらお便りを捌いていく。
彼女の小気味良い笑い声は私の心を癒してくれる。
【イシュリーさん、こんシュメルー! そういえば、バーチャル学園プロジェクトが発表されましたが、入学試験としてオーディションが行われるようです。イシュリーさんがもしタレントではなくこれから入学試験を受けるとしたら受かると思いますか?】
そのお便りを見た瞬間、あまりにもタイムリーな話題で心臓が締め付けられるような感覚を覚えた。
そんなお便りにイシュリーは笑顔で答えた。
『そうだねぇ、受かるかどうかわからないけど、挑戦はしてたと思うよ? 元々私がVになろうと思ったのも辛いときにVに救われて、私も同じように誰かを救えたらなーって思ったからだし』
[あー、あの件ね]
[そうだったのか]
[イシュリーにも辛い時期があったのか]
[今の子はあまり知らなそうなあれね]
イシュリーの言葉に、リスナー達は事情を知っている者と初めて知った者の二つに反応が別れた。
私もイシュリーが元々パワハラで問題になった事務所から転生してきたVたれであることは知っていた。
外野である私達には想像もできないとんでもない苦労を経験したことだけは理解できる。
だからこそ、こうして毎日楽しそうに笑って活動をしている彼女は推せるのだ。
『だからね、もし応募しようか迷ってる人がいれば臆さずに挑戦してみて欲しいとは思ってるよ。考よりGO! って感じでさ』
[考より行な]
[考よりGOのが勢いあって好き]
[でも、サイトの作りが怪しすぎるんだよなwww]
『あっはは! それはそう! マジでサイトもっとちゃんと作れないのかとは思うよね』
考よりGO。
その言葉が私の胸に突き刺さった。
私はいつだって二の足を踏んできた。
それはいつも何かをするときに考えすぎてしまうからだ。
勢いに任せた行動など、イシュリーの言葉に感化されて仕事を辞めてフリーターになったときくらいだ。
「……また勢いに任せてみてもいいのかな」
もしも、だ。
私がイシュリーに救われたみたいに、誰かを救えるのならば。
挑戦してみる価値はあるのではないだろうか。
「考よりGO、か」
気がつけば私は再びバーチャル学園のホームページを開いて、入学試験であるオーディション用の動画を作り、エントリーシートをびっしりと埋めて応募していた。
Vたれとしての名前はすぐに決まった。
画面の向こうにいる、まだ見ぬ辛い思いをしている〝あなたのヒーロー〟でありたい。
そんな思いを込めた付けた名前を私は書き込んだのだった。
こんばん山月裏話
超番外編の主人公である彼女はガラス清掃員のアルバイトをしております。
さて、こんばん山月本編にもガラス清掃員を経験した登場人物がいたような……?