「どうしてここに? 下のセキュリティは?」
「あー、下から部屋番号で呼び出そうと思ったけど、ちょうど入ってく人いたから一緒に入ったわ」
「いや、それ泥棒の手口……」
「それよりあんたいいとこ引っ越したわねー。港区でこんなマンション高かったんじゃない?」
「まあ、いろいろあってな……」
玄関先で会話を続けるレオは歯切れ悪く答える。
わざわざ自分の様子を見に来てくれた姉を追い返すわけにもいかず、かといって夢美が部屋にいる状況をどう説明したものかと迷っていたのだ。
「おっ、良い匂いするわね。今日はカレー?」
「ま、まあね」
「ん?」
そこで静香は自分の足下に可愛らしいサンダルが置いてあるのを目敏く見つけた。
「誰かいるの?」
「あー、何というか、そのー……」
「ほほーう……」
狼狽えるレオを見て静香は確信した。これは女だと。
「……しっかりと挨拶しないとね」
「ちょ!?」
軽く身なりを整えると、静香は靴を脱いでレオの部屋へと上がった。
「おかえりー。結局誰だった……の?」
スマートフォンをいじっていた夢美は、足音が近づいてきたことでレオが戻ってきたと思い顔を上げるが、知らない女性が目の前にいたことで目を白黒させた。
「はじめまして、拓哉の姉の司馬静香と申します。いつも愚弟がお世話になっております」
「へ?」
「あー……
レオに本名の名前を呼ばれたことで、夢美は状況を理解して慌てて立ち上がり、静香に挨拶をした。
「は、はじめまして中居由美子です。あの、えっと、その、レ――拓哉とは同じ小学校だっただけで、決して付き合っているというわけでは……!」
「由美子? 同じ小学校? あー! もしかして由美ちゃん!?」
「はえ?」
静香は目を輝かせると、夢美の方へ駆け寄って抱きついた。
「わー! こんなに綺麗になっちゃってもう! 肌荒れはもう大丈夫なの?」
「えーと……あ、はい! 高校生くらいから完全に大丈夫になりました!」
「良かった……むしろ、私より綺麗なんじゃない? 本当に見違えたわねー」
本当に嬉しそうにしている静香の反応は、夢美のことを昔から知っていた人間の反応に間違いない。
レオは確認のために夢美に視線を送るが、夢美は静香に抱きつかれながらも首を横に振った。
「ね、姉さん、由美子と知り合いだったのか?」
「知り合いも何も小学校で同じクラブだったもの。由美ちゃん、私のこと覚えてないかな? 三桜小のパソコンクラブの二学年上の司馬静香」
レオと夢美の小学校には、四年生からクラブ活動に所属するルールがあった。夢美は周囲から菌扱いされていたこともあり、料理クラブなどの衛生面に関わるクラブは避け、パソコンクラブに所属していた。ちなみにレオはスポーツクラブに所属していた。
そこまで言われたところで、夢美はたった一年だけ、同じクラブに所属していた、唯一自分に優しくしてくれた先輩の存在を思い出した。
「あー! もしかして先輩ですか!? お久しぶりです!」
「思い出した!? 本当に久しぶりねー!」
かつて世話になった先輩との感動の再会。夢美も静香のことを思い出したことで満面の笑みを浮かべたが、レオは困惑するばかりだった。
「まさか二人が付き合うとは思わなかったわ。うんうん、姉さんは嬉しいわ」
「いえ、だから付き合っているわけじゃ……」
「照れなくてもいいのよー。付き合ってもいない男の部屋ですっぴんかつ部屋着でくつろいで、手料理を振る舞うなんて普通しないじゃない」
((言われてみれば確かに……!))
静香に指摘されたことで、レオと夢美は自分達の置かれた状況が特殊であることをようやく自覚した。慣れとは怖いものである。
「レ――拓哉、ちょっと」
話がまずい方向に進みそうな空気を感じた夢美はレオを部屋の端まで連れて行って小声で話し始めた。
「……お姉さんにライバーやってること言ってないの?」
「……言うタイミングがなかったから言ってないんだ。姉さんは結婚して家出てたし」
「じゃあ、今から事情を全部話せよ……!」
「いや、身内バレはちょっと……」
「言ってる場合か……! このままだと、あんたの両親にあたし達が付き合ってるって報告されるじゃん……!」
夢美としてはこれ以上外堀が固まるのは防ぎたいところだった。レオの両親だけでなく、自分の両親にまで伝わった日には結婚まで秒読みである。最終的にはいろいろ面倒になり、レオとならまあいいか、と自分が流されそうなことも理由の一つであるのだが。
夢美はあくまでも、レオとは仲の良い同期でありたいと思っている。視聴者達も求めているのは、自然な距離感で仲の良い自分達であり、本当に結婚することは望んでいない――と、夢美は考えていた。
二人がこそこそと話している様子を見て、静香はどこか呆れたようにため息をついた。
「拓哉のことだから、どうせお母さん達には話してないんでしょ? 気まずいのはわかるけど、ちゃんと会って話しなさいよ?」
両親の話題を出されたことで、レオは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「あんた両親と仲悪いの?」
「いや……まあ、な」
「拓哉がアイドルだったのは由美ちゃんも知ってるでしょ?」
「ええ、まあ」
歯切れの悪いレオの代わりに静香が説明する。
「このバカ、現役時代はとことん調子に乗っててね。お母さん達にも偉そうな態度とってたのよ。何か注意しようものなら『文句があるなら俺より稼いでから言えば?』とかほざく始末でね」
「うっわ」
「…………いや、まあ、うん」
とてもじゃないが育ててくれた親に対する態度とは思えないレオの当時の発言に、夢美は引いていた。レオもそれはわかっているのか、気まずそうに目を伏せた。
「お母さん達もこいつがなまじ稼いでくる分、強くは言えなくてね。拓哉が芸能界に居場所がなくなってやめたときも責任感じちゃってさ」
もっと息子の態度を強く諫めていれば。
アイドルをやめて抜け殻のようになったレオを見ていた両親は、増長した息子を止められなかったことを深く後悔していた。
「で、拓哉は拓哉でさんざん強気な態度を取っていた分、お母さん達といるのは気まずくて、逃げるように一人暮らしをしてるってわけ。お母さんから聞いたけど、あんた家出てから一度も実家帰ってないんでしょ? 毎月毎月、口座にお金だけ振り込まれてるって嘆いてたわよ」
「……今更どの面下げて会えばいいんだよ」
「その無駄に整った面下げて会えばいいのよ。ったく、肝心なところでヘタレなんだから」
いまだに実家に帰ることを渋るレオに、静香は呆れたようにため息をついた。
「そういえば、拓哉。あんた今何やってるの?」
「ユ、ユーチューバー的な……痛っ」
「……おいコラ」
あくまでもライバーであることを隠そうとするレオ。そんな彼の背中の皮を不満そうな表情で夢美はつねった。
「へー、私U-tubeはニヤニヤ時代の実況者の動画しか見ないのよねー。あんた有名なの?」
「登録者数はまあ、それなりに……」
10万人はそれなりどころではない。
歯切れの悪いレオに、静香は察したように言った。
「ま、私に見られるのも気まずいだろうし、探さないでおくわ」
「……助かる」
「てか、あんたユーチューバーなら〝ゆなっしー〟が今何してるか知らない?」
レオがユーチューバー(本当はバーチャルライバーだが)だと知った静香は、自分が気に入っていた実況者のことをレオに聞いた。
「ゆなっしー?」
「ニヤニヤ動画で凄い好きだった実況者なんだけど、活動休止してるみたいでさー。名前変えてU-tubeで活動してたりしないかなって。あの人の動画、編集も丁寧で凄い好きだったんだけどなぁ……」
「わかった。知り合いに元実況者だった奴がいるし、今度聞いてみるよ」
ちなみに、レオは知り合いの元実況者――林檎がそのゆなっしー本人であることは知らない。
「ま、何にせよ、元気そうで安心したわ。由美ちゃんにも会えたし」
穏やかな笑みを浮かべると、静香は玄関の方へと歩き出す。
「今日はたまたまこの辺で仕事があったから寄ったけど、次からはきちんと連絡してから来るようにするわ。若いお二人の邪魔しちゃ悪いし」
「姉さん、俺達本当に付き合ってるわけじゃなくて……」
「わかってるわかってる。今はそういうことにしといてあげる」
((全然わかってない!))
「じゃ、また来るわ。由美ちゃんも、今日は久しぶりに会えて嬉しかったわ」
「あ、はい! あたしも嬉しかったです!」
最後に、お母さん達には自分で言うのよー、と言葉を残して静香は帰っていった。
ドアが閉まり、しばしの沈黙の後、夢美はレオに貼り付けたような笑顔を浮かべていった。
「ねえ、何かあたしに言うことない?」
「……マジでごめん」
怒りのオーラを纏いながら笑顔で仁王立ちする夢美に、レオはただただ謝罪するのであった。
尊大な羞恥心「やあ」