さっそく翌日からバーチャル学園での授業は始まった。
カリキュラム表で確認したところ、今日の授業は座学のコンプライアンスに関する授業だった。
コンプライアンス。言葉一つで簡単に炎上してしまう昨今のSNS界隈ではとても重要な項目だ。
元々Vたれの前身となったVtuberは、アンダーグラウンドのコンテンツとして楽しまれていたが、今ではどのジャンルでも見かけるほどにメジャーコンテンツに発展した。
露出が増えるということは、必然的にアンチやVたれを好きではなく、目に入るだけでも不快という人間の目に止まる確率も高まる。
アングラでは許されていた発言も、今ではもう許されなくなった。
アイドルや俳優、声優が配信者になるのと逆に、Vたれは配信者がマルチタレントとして世に出ていったこともあり、その辺りのライン引きが曖昧になってしまっていることもあるのだろう。
「今日はコンプライアンスに関する重要性の講義を始めます」
「あれ、亀梨先生が授業やるんですか?」
教壇に立った亀梨先生を見て、飛乱さんは私も思っていた疑問を口に出した。
「授業は基本的に4DLIVEの社員や専門の講師の方を呼んで行う予定です。この手のVたれとしての心構え的なジャンルはアタシも詳しいですから、頻繁に教鞭を執ることになるかと思います」
「……そらあんたはこの手のことには詳しいやろな」
今、右隣からボソッと何か聞こえた気がする。
やっぱり、大牙さんって亀梨先生と知り合いなのかな?
「まずVたれに限らず、ネットでの軽率な発言による炎上であなた達が思いつくのはどんなことですか?」
先生の問いにみんなが一斉に考え込む。
炎上と聞いて思い浮かぶのはやはり差別的な発言だろうか。
特にネットミームでは、ネタだからと許されているだけでかなり尖った単語を見かける。
「やはり職業差別に繋がるような発言でしょうか」
「性差別とか障害者差別とかも炎上してますよね」
飛乱さんはガンガン積極的に発言していく。
こういうとき、彼女のような積極的な姿勢は素直に尊敬する。
私なんてみんなの前で発言するのは、崖から飛び降りるくらい勇気がいるというのに。
「……同僚や仲間を貶める発言とかじゃないですか」
飛乱さんに乗っかる形で他の生徒も発言する中、珍しく大牙さんが亀梨さんを真っ直ぐに見据えて告げる。
大牙さんの意見を聞いた亀梨先生は目をすっと細めた。
「そうですね。炎上は本人にその意思がなくとも周りが勝手に騒ぎ立てて起こることがほとんど。今、大牙さんが言ったケースだと、貶められたとされる本人が否定すればことは収まります」
そこで言葉を句切ると、亀梨先生は声のトーンを低くして答える。
「ですが、本人に反省の意思がないどころか、意図的に相手を貶めた場合、待っているのは破滅です」
当然である。
人はポーズだけでも反省を求める。それがないと来れば、自称正義の味方による吊し上げが始まるのだ。
「承認欲求に取り付かれれば、コントロールがきかずに過激な行動も自ずと増えていく。短期的に見れば見る人は増えるかもしれないけど、長期的に見ればその行動はあなた達の未来を蝕んでいく」
Vたれも芸能人と同じ人気商売だ。それもネットを利用したものである以上、目先の人気に目が眩むのはよくあることだと思う。
「一部例外として、ラインを完璧に見極めて過激な行動をすることを当然と思わせ、炎上しない立ち回りができるタレントもいますけどね」
この人はこのくらいのことをする。むしろ、それを見に来ているまである。
そんなリスナー側が抱くイメージが、本人の防火装置になっているということだろうか。
私の脳内に緩い笑顔を浮かべた某焼き林檎が過ぎった。
「あくまで候補生であるあなた達に、最初からそこまで求める気はありません。企業としては、炎上の可能性が高い人材を育成したいわけではないので」
雑談をそう言って締め括ると、亀梨先生は全員に〝不適切発言集〟と書かれた冊子を配った。
「これは4DLIVEのタレント全員に配られている不適切発言をまとめた資料です。作ったのはマネジメント部門のリーダーをしている社員になります」
さらっと渡されたが、これはとんでもないお宝なのではないだろうか。
4DLIVEがVたれと共に歩み、築き上げてきた知見。
それを得られることに、改めて私はすごい場所に来たのだと自覚させられる。
中を覗いてみると、具体的な差別的な発言から言葉のニュアンスを柔らかく言い換える例文までびっしりと記載されていた。
パラパラと目を通していると、再び飛乱さんが発言をした。
「あの、禁止用語に入っている〝チー牛〟という単語は先日誰か言ってませんでしたか?」
チー牛とは、ネットミームの一種であり、〝チーズ牛丼食ってそう〟というイラストをから流行った世間一般で言う陰キャを揶揄する言葉だ。
悪い意味で子供っぽい表情、髪もセットせずに眼鏡をかけている男性という該当する人間が多い特徴で描かれていたこともあり、この発言は当時物議を醸し出した。
実際に、この単語を公式番組などで発言して炎上した人物も存在している。
「あれは発言者と言われた方の関係性故に問題ないケースです」
飛乱さんが例に挙げたケースで言えば、仲の良さ故にあからさまな悪口を言ったというケースだ。
「発言者もこの発言を〝普通だったら言ってはいけない発言〟として扱っていました」
「つまり、仲の良い二人がプロレスとして使う分には問題ないということでしょうか?」
「ケースバイケースではありますが、少なくともチー牛はその前提があれば使っても問題ない発言ということになります」
よく見れば、チー牛は自虐として使う場合は問題ないとも記載されていた。
不特定多数の者へ向けての発言や、当人がいない場合に使うと問題があるということだろう。
「さて、一通り話したところでグループワークをやっていきましょう」
グループワークという言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になる。
ただの講義だと思って完全に油断していた。
『あっ、今高さんは大丈夫だから』
『発表はこっちでやっとくね』
蘇る大学のときのトラウマ。
グループワーク系の授業は何もしなくていい代わりに、同じグループになった子達に煙たがられてたんだよね……。
「今から二人一組のチームを決めて、禁止用語を使った場合でも炎上しないシチュエーションを話し合ってもらいます」
お願いします神様。どうか、飛乱さんと同じチームにしてください!
「……よろしく」
「くじ運、エグぅ……」
よりにもよって同じグループになったのは、初対面の挨拶で失敗した大牙さんだった。
しかし授業である以上、泣き言も言っていられない。
「とりあえず、全員のVたれが炎上するときのイメージを共有したいんだけど、どうかな?」
こう見えてもブラック企業時代でこの手のことはさんざんやらされた。
圧をかけられて自主的にいろんなセミナーに参加した経験は無駄ではないのだ。
「やっぱり本人は意図してない発言が違う意味に捉えられたときとか?」
話を振ると大牙さんはしっかり答えてくれた。よし、掴みは悪くない。
「私的には、コラボよりもソロのときでの発言の方が炎上してるイメージがあるかな」
「確かに。ソロ配信やとフォローできる人もいないから、炎上しやすいかも」
コラボ配信の場合は片方がやらかしても、もう一人がフォローすることができる。
ソロ配信の場合は、あまり尖った発言をするとリスナーが心配することはあれど、ノータイムでのフォローを入れるのは不可能に近い。
「禁止用語を使っても炎上しないケース。それってソロの場合はリスナーとの距離感をしっかり掴んでいる場合、コラボの場合はコラボ相手がツッコミを入れてくれることを理解している場合だと思うんだけど、どうかな?」
「つまり、ツッコミの有無が大事ってことか?」
大牙さんは私の言いたいことしっかりと言語化してくれた。
「うん、ツッコミ役がしっかりしていればギャグに昇華できるから炎上しない。今まで禁止用語を使っても炎上しないケースってそういう側面もあったと思うんだ」
「ほなら、それをベースに考えていけばいいってわけね」
大牙さんは徐に支給されたペンとノートに可愛らしい丸文字で内容をまとめていく。
面倒な議事録係を進んでやってくれるなんて、なんていい子なのだろうか。
それから発表も大牙さんがやってくれることになり、初回の授業は何事もなく無事に終了するのであった。