それから授業が始まる一分前くらいになり、大牙さんが登校してきた。
「大牙さん、おはよう」
「おはよ」
隣の席に荷物を置いた大牙さんに挨拶をすると、短い挨拶が返ってきた。
やっぱり、どこか壁を感じるなぁ。
それからいつものように授業を終えると、大牙さんは挨拶をする前にさっさと帰ってしまう。
「乃尋さん。一緒に帰りましょう?」
「ごめん、今日はダンスレッスンで指摘されたところ復習したくてさ」
「相変わらず、ストイックですね。わかりました、それではまた明日!」
飛乱さんと別れ、教室の使用申請を亀梨先生に提出すると、私はスマートフォンで音源を流しなら今日先生から注意された動きを復習していく。
「そこのステップ、ワンテンポ遅れてんで」
「うわっ!?」
何度も繰り返し踊っていると、唐突に声をかけられた。
ダンスに集中していたため、驚いた私はその場で転んでしまった。
「ごめん、驚かせるつもりはなかったんやけど」
顔を上げてみると、そこには申し訳なさそうな表情を浮かべた大牙さんがいた。
驚いて倒れた私に大牙さんは手を差し伸べてくる。
「大丈夫。ちょっとビックリしただけだか、ら!」
手を借りて立ち上がると、大牙さんは大きくよろけてしまった。……私、そんなに重かったかな。いや、大牙さんが小柄なだけだ。そう信じたい。
「今日は帰ったんじゃなかったの?」
「亀梨先生に聞きたいことあったんやけど、A組の原先生ともめてたから戻ってきたんよ」
どうやら、亀梨先生が取り込み中で時間を潰すために戻ってきたようだ。
そういえば、大牙さんは亀梨先生のことを知っている様子だった。
「そういえば、亀梨先生とは知り合いなの?」
「……いや、ウチが一方的に知っとるだけや」
気になっていた亀梨先生との関係について尋ねてみたが、返ってきたのは歯切れの悪い言葉だった。
うん、これは確実に地雷案件だ。これ以上、踏み込まない方がいいだろう。
それにしてもA組の原先生との揉め事ってなんだろう。原先生もコンプラ関連の授業でたまに見かけるだけだし、元4DLIVEのマネージャーってことしか知らないんだよね。
「それより、ウチもここ使うてええ?」
「うん、もちろん」
大牙さんが午前中に自主練をしていたのは知っていたから時間を意図的にズラしていたのだが、私がいても練習できるならレッスン室を使うことには抵抗はないようだ。
飛乱さんは私のことをストイックだと言ってくれたが、大牙さんの方がよっぽどストイックである。
「しもうた。もう閉館時間や」
「あはは……お互い集中してやってたもんね」
気がつけば時間はもう日付が変わる直前。レッスン室がある校舎の閉館時間はもうすぐだ。
「亀梨先生に用事あるみたいだけど、良かったの?」
「まあ、今日じゃなくてもかまへんからな」
俯きながら力なく呟くと、大牙さんはハッとした表情を浮かべて小走りで掃除用具が置いてあるロッカーへ向かった。
「そんなんより、早う後片付けすんで。ウチは右半分やるから、英は左半分な」
ロッカーからモップを二つ取り出した大牙さんは私へモップを投げ渡してきた。それから、レッスン室のちょうど半分の辺りをモップでなぞって掃除の分担箇所を決めた。
「細か! いや、まあ、いいんだけど……」
細かい分担を決めることで揉め事を防ぐというのは分かるが、ここまでキッチリ決める人は初めて見たかもしれない。
それから私達は黙々とお互いの分担した範囲の床にモップをかけていく。
「前から思うとったけど、英って体幹ブレへんよなぁ。こんだけ踊っても息切れ一つせんし、案外フィジカル強いんか?」
レッスン室の床にモップをかけていると、唐突に大牙さんが話しかけてきた。
「意識したことはないけど、バイトで鍛えられたのかな」
ロープを利用したガラス清掃をやっていたおかげか、手首の力や体幹は自然と鍛えられていたのかもしれない。
実際、バイトを始めたときよりも筋力も増えた気がする。
「ほーん、そら鍛えられんでなぁ」
どこか納得したように大牙さんが頷くと会話が途切れる。
せっかくの機会だから、ここで会話を打ち切るのはもったいないと思い、私は意を決して大牙さんに話題を振ってみることにした。
「大牙さんって関西出身だったりする?」
「ああ、京都生まれの奈良育ちやで」
特に隠していたわけではないようで、大牙さんは素直に出身地を教えてくれた。
「元々こっちで暮らしてたの?」
「いや、バーチャル学園に通うために奈良から出てきたんや」
「えっ、わざわざ東京まで出てきたの」
合格通知から入学までそんなに期間は空いていなかったはずだ。その短い間に上京してきて環境を整えられたのは驚きである。
「ま、住み込みでのレッスンって聞いとったし、渡りに船やったで」
ほぼほぼ勢いで応募した私と違って、すごい覚悟である。
一体どうして大牙さんはそこまでしてVたれになりたいのかが気になった。
「大牙さんはどうしてVたれになりたいの?」
「ウチは元々Vtuberって存在が好きなんよ。そん中でも4DLIVEはV業界で一番発信力もあって、いろんなジャンルでの活動をしとる。せやからここが一番自分を表現できる思て、どないしても入りたかったんや」
遠い目をして大牙さんは答える。そこにはどこか寂しさのようなものが混じっているような気がした。
「なんべんも落ちてようやっと掴んだチャンスなんや。絶対ものにしたい」
大河さんはモップを握る力を強める。
きっと彼女は並々ならぬ覚悟にこの場に立っているのだろう。
「そういう英はどうなんや」
「私は推しのVたれの影響かな」
「推し?」
「うん、ブラック企業勤めで本当に辛かったとき、推しの配信を見たことで救われた。だから私も同じようにVたれになって誰かを救いたいって思ったんだ」
イシュリーが私を救ってくれた。
イシュリーが私に踏み出す勇気をくれた。
だから、私も誰かにとって救いになれればと思ったのだ。
「まあ、実際は全然ダメダメなんだけどね」
「ハッ、何がダメダメや」
私の言葉を聞いた大牙さんは吐き捨てるように告げる。
「謙遜も過ぎれば嫌味やで」
「え?」
思いも寄らなかった言葉をかけられ、思考が止まる。
「この前言うた分析力、積極的に学ぶ姿勢。結果がまだ出てへんだけで、どれも他の連中より秀でとる」
それに、と呆れた表情を浮かべると大牙さんは続ける。
「声もええしな」
一番自信のなかった部分を褒められたことで、私は頭に疑問符を浮かべる。
声がいいなんて生まれてこの方言われたことがなかったのだ。
「大牙さんだって声かわいいし、歌はうまいじゃん。私の声なんて低めで素人声過ぎるって朗読の授業で言われたくらいだよ?」
「アホ抜かせ。ボイトレじゃ低音も高音も綺麗に出すやんか。中途半端に声を作るからそんなん言われんねん。地声が低いのはアドや。滑舌を鍛えて、発声練習を続ければ将来性は圧倒的に他の連中より上やで」
「ちょ、大牙さん?」
すらすらと大牙さんは私の声の長所を並べ立てる。
「カワボもイケボも自由自在。ボイスや演劇系の売り方もできるし、歌かて技術を磨けば確実に歌うまライバー間違いなしや」
早口で捲し立てると、大牙さんは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「ったく、とんでもないライバルが潜んどったもんや」
大牙さんの言葉には慰めやお世辞などの雰囲気は一切なかった。
それにオタク特有の早口で告げられたこともあり、私は大牙さんから純粋に評価されているのだと理解できた。
「うへ、へへ……そんなに褒められると照れるね」
「は?」
どうしよう、口角が上がってしょうがない。
こんなすごい人から褒められたことなんて人生初なんじゃないだろうか。
「私、もっと頑張るね!」
「いや待て、何勘違いしとんねん」
誰よりもストイックでVたれとしての目標をしっかりと持っている大牙さんが私のことを褒めてくれた。
この嬉しい気持ちをどう表現したらいいのだろうか。
「よーし! 明日の授業もバッチリ決めるぞ!」
「話聞けや!」
確かな成長と大牙さんと仲良くなれたことに満足感を得て、私は帰宅するのであった。