林檎の担当へ戻ることになった亀戸は張り切っていた。
営業部の先輩に同行して必死に駆け回った甲斐あって、権利関係の厳しいゲームの実況許可も取れた。もちろん、林檎の望むもの全てとはいかなかったが、それでも大きな一歩だろう。
自分だってやれる。
確かな成果を得た亀戸は自分に自信を持ち始めていた。
「また残業ですか?」
「諸星部長!」
いつものように残業している亀戸を心配して諸星が様子を見にきた。
諸星に委縮していた頃とは違い、亀戸は嬉しそうに顔を上げた。
「大丈夫です! もうすぐ上がれるので!」
「それは良かった。張り切るのも結構ですが、部下が残業すると私の評価が下がるので、ほどほどにしてください」
「す、すみません」
「安心してください。一割冗談です」
「何だ良か――って、九割本気じゃないですか!」
すっかり元気になった亀戸を見て、諸星は安心したように笑顔を浮かべた。
「白雪さんの10万人企画は実現できそうですか?」
「……正直、本人の意思次第なところはあると思います」
亀戸は林檎に登録者数10万人記念としてピアノの演奏配信を提案した。
当然、林檎はこれを拒否したが、亀戸はそんな彼女を煽りに煽った。
『あれ? 自信がないんですか?』
『そりゃプロの演奏ほどではないでしょうけど、絶対ウケますって』
『まあ、嫌なら無理にとはいいません。バズるよりも白雪さんの気持ちが一番大事ですから』
「しかしまあ、よくもあそこまで白雪さんを煽れましたね……」
「もう嫌われてもいいや、って勢いでぶつからないと白雪さんには響きませんから」
林檎が自分のために行ったことに対して、褒められたり感謝されることが苦手なことは経験上、亀戸も理解していた。
どういう人間を林檎が好むか。答えは簡単だ。嫌われても構わないくらいの勢いで自分にぶつかってくる人間だ。
「しかし、彼女の決意が固まるのには時間がかかると思いますよ?」
「大丈夫です。元々きちんと告知をしない、ほぼ不定期配信と化している白雪さんの配信頻度が落ちたところで、視聴者の方々は何とも思いませんから」
「まあ、彼女のリスナーはよく訓練されていますからね……」
こめかみに手を当てると、諸星はため息をついた。
「ですが、もし白雪さんがピアノを辞めていたらどうするつもりだったんですか」
「ああ、それはないです」
「は?」
さも当然のように言ってのける亀戸に、諸星は珍しく間抜けな声を零した。
「白雪さんの小指の力の強さから、今も毎日ピアノを弾いていることはわかっていましたから。ほら、白雪さんって退屈なときに、小指をとんとんテーブルに打ち付ける癖があるじゃないですか。あんなカツーン! って音が鳴るのは小指の力が強い証拠ですよ」
「そこまで……」
亀戸は林檎の担当を外されてから、仕事と並行して必死に〝手越優菜〟と〝ゆなっしー〟のことを調べていた。
林檎は幼少期から数々のピアノコンクールで優秀な成績を収めていた。
高校時代もピアノこそ弾かなくなったが、吹奏楽部に所属していた。
実況者ゆなっしーとしての活動上、音楽にまつわる活動はしていなかったが、格闘ゲームやFPSでの器用な指さばきは、ピアノで培われたものが活かされているのではないかと亀戸は考えていた。
全てを総合して亀戸が出した答えはこうだ。
林檎はピアノが好きだが、人前では弾きたがらない。母親が世界的に有名なピアニスト故に、天才ピアニストの娘というレッテルを貼られて自分の努力が評価されないから。
しかし、未練があるから今もピアノは弾き続けているし、音楽からもあまり離れたくないから高校時代に吹奏楽部に所属していた。
実況者を始めたのは匿名で活動して、大物芸能人と世界的に有名なピアニストの娘ということを隠して自分自身の努力で得た成果が欲しかったから。
亀戸の考察は全て正解だった。このことから、彼女がどれだけ林檎のことを理解しようと努力していたかがわかるだろう。
亀戸は反省を活かし、手越優菜のことも、ゆなっしーのことも、白雪林檎のことも、しっかりと見ていたのであった。
「亀戸さん、うちの部署に来た時とは見違えるほど成長しましたね」
「……そんなことないです」
諸星の言葉に亀戸は俯いて自嘲した。
「私みたいな中途半端で常識もない人間。親会社の社長の娘じゃなきゃ会社にいられなかったですから」
にじライブの親会社〝First lab〟の社長、
周囲は当然、亀戸のことなど腫れ物扱いである。
仕事自体は真面目にやるが、一向に成長しない親会社の社長令嬢。そんな存在、疎まれて当然だった。
そんな中でも亀戸の心が折れなかったのは、他の社員に接するのと同じように接してくれた同期である飯田と四谷、そして、どんなときも自分を厳しく叱咤してくれた諸星の存在があったからだ。
「正直、私も白雪さんと同じで周りがどうなろうと知ったことじゃないって気持ちがあったとは思います。でも、今はこんな私を見捨てないでくれた人達のために頑張りたいと思っています」
強い意志を感じさせる瞳を見て、諸星は驚いたように目を見開いた後、優しい笑顔を浮かべた。
「亀戸さん、あなたなら必ず白雪さんのサポートができるはずです。ですから、体を壊さない程度に頑張ってください」
「はい! あ、何かお手伝いすることは――」
「いいからさっさと上がりなさい」
「お先に失礼致します!」
慌てて日報を書いて送信すると、亀戸は元気よく退勤していった。
「あの子、本当に成長したなぁ……」
いつも自信なさげに背中を丸めていた亀戸は、背筋を伸ばしてきびきびと歩いている。そんな部下の背中を見て、諸星は感慨深そうに呟いた。
「また残業かい?」
亀戸と入れ替わるようにある人物が入ってきたことで、諸星は緩んだ表情を咄嗟に引き締めた。
「立ち聞きですか? 趣味が悪いですよ、綿貫社長」
諸星達マネージャー陣が所属するメディア本部へとやってきたのは、にじライブの社長である
「悪いね。君の様子を見に来たら偶然聞こえてきたものだから」
「私の様子を見に来る暇があるなら、もっと別のことをした方が有意義なのでは?」
「こいつは手厳しい」
おどけたように笑うと、綿貫は普段と違い整理整頓された亀戸のデスクを見て諸星へと尋ねた。
「亀戸君は大丈夫そうかい?」
「ええ、張り切りすぎて空回りするきらいはありますが、あの熱意は白雪さんにも伝わると思います」
元々二人は似ているところがありますし、と呟くと諸星は楽しそうに笑った。
「それにしても、一マネージャーである彼女を気にかけすぎじゃないですか」
「その言葉、そっくりそのまま返すよ。それに彼女は特別だからね。何せ親会社の社長令嬢だ。丁重に扱わなくてはこっちが危うい」
「私は贔屓などしていませんが」
「そりゃ君はマネージャー陣全員を平等に気にかけて教育しているからね」
メディア本部部長様様だね、と綿貫は楽しそうに笑った。
「それにしてもまた太ったのではないですか? いい加減、ダイエットしたらどうですか?」
諸星は昔よりも下っ腹が出てきた綿貫の腹回りを見て顔を顰めた。
「ゲーム会社や音楽関係者との会食が多くてね……」
「少しは運動してください。あなたに倒れられたら私が困るんですから」
「ははは、耳が痛いよ」
綿貫と諸星の会話は社長と部長というよりも、昔からの友人のようなやり取りだった。
「けど、早くこの会社を理想の会社に成長させたいからね。多少は自分を犠牲にしないとやってられないよ」
「ライバー達が自由に楽しく配信活動を行える環境を提供する会社。確かにまだまだ及ばないところは多いですし」
「業績は右肩上がりだが、うちが子会社化してからまだそんなに経ってないからね」
綿貫と諸星は二人同時にため息をついた。
にじライブの親会社〝First lab〟は有名なIT企業だ。
元々First labは誰でも手軽にVtuberになれるアプリ〝二次元LIVE〟を開発していた。
当時、アプリのテスターとして三人のライバー〝竹取かぐや〟〝竜宮乙姫〟〝狸山勝輝〟は誕生した。そうこの三人はただのテスターだったのだ。
そんなただのテスターであったはずの三人が、本格的にライバーとして活動していくことになった。
原因は、かぐやの爆発的な人気だった。
たった一ヶ月で登録者数を10万人まで増やし、その後も勢いが衰えることなくぐんぐんと伸びていく彼女を見て、会社は方針を変えた。
アプリを売るのではなく、自社開発のアプリを使用してライバーを売り出す。
かぐやの人気が大企業の方針を変えたのだ。
その後、アプリの名前はよりキャッチーな〝にじライブ〟という名前に変わり、その名前がプロジェクトの名前へと変わった。
現在のにじライブは、そのときのプロジェクトメンバーを集めて作られた部署が子会社として設立されたものなのだ。
当然、綿貫と諸星も当時プロジェクトの最前線にいた人間であり、First lab社長のすすめもあり、綿貫は会社の社長、諸星はメディア本部というマネージャー陣を含めたライバーのサポートを行う部署の部長に就任したのであった。
がむしゃらに突っ走ってきた過去を振り返りながらも、ふと綿貫は諸星へと問いかける。
「……寂しくはないかい?」
「何ですか、藪から棒に」
「いや、ふと思ってね」
「……ウサギじゃないんですから、寂しくて死んだりなんてしませんよ」
「ま、大丈夫ならそれでいいんだ。辛くなったらいつでも相談しなよ」
飄々とした様子でメディア本部を去る綿貫の背中を見て、どこかおかしそうに諸星は小さく吹き出した。
地味に亀ちゃんのフルネーム初出回
一応、飯田ァとよっちんもフルネームは考えてありますが、出す機会がなくてズルズルとここまで……。
たぶん、また裏方回を書いたときに出します。