Vの者!~挨拶はこんばん山月!~   作:サニキ リオ

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シリアスさんがアップを始めました。


【変化】大切に思う心

「ったく、何で今日に限って朝から打ち合わせやるかなー。亀ちゃんも容赦なくモーニングコールするようになったし……」

 

 林檎はブツブツと文句を言いながら、先程まで打ち合わせを行っていた会議室を出る。

 本来ならば打ち合わせは通話で済ませればいいのだが、亀戸が通話だと林檎に途中で切られるからと、わざわざ事務所まで呼び出したのだ。

 

「何度言われても、配信上でピアノは弾かないってのに……」

 

 亀戸はどこから調べ上げたのか、自分がピアノをまだ弾いていることを知っていた。

 林檎の担当を外れてから必死に自分のことを理解しようとしていたと察した林檎は、亀戸への評価を大きく上方修正した。

 

 しかし、だ。それはそれ、これはこれだ。

 

 林檎としては、配信上でピアノを弾く気はないのである。

 林檎自身も配信上でピアノを弾くことで配信が盛り上がることは理解できる。

 幼少期からピアノに関する一切の努力を周囲から認められなかった林檎にとって、ピアノの腕は自分の実力とは思えなくなっていたため、亀戸の提案に頷くことはできなかった。

 ピアノに関しては、親の遺伝と教育があってこその腕前。配信上では自分の力だけでやっていきたいと考えていた林檎にとって、ピアノを弾くことはどうしても許容できないことだったのだ。

 林檎の複雑な心情を慮ってか、亀戸も強要はしていない。あくまでも煽って反応を見つつ、本当にダメなラインを見極めていた。

 亀戸は「小人達は訓練されていますから焦らなくても大丈夫ですよ」と言ったが、いつまでも配信をせずに、ツウィッターの投稿で小人達と絡んでごまかすわけにはいかない。

 

「どうしたもんかなー……」

 

 一息つこうと、林檎は飲み物を買って休憩スペースに座った。

 だらけた様子で、林檎は退屈そうに小指をとんとんとテーブルに打ち付ける。

 誰もいない休憩スペースにはカツーン! という音が響いているのだが、林檎にとっては日常茶飯事のため、何とも思わなかった。

 

「何か凄い音しなかった?」

「ちょっと見てみますか」

 

 そんなとき、二人の男女が休憩スペースにやってきた。

 女性の方は、流れるような艶のある黒髪が特徴的で、水色のブラウスに、白のリボンベルト付きのロングスカートを着こなしている清楚な美人。

 男性の方は、全体的にダボっとした服装で、原宿を歩いていそうな大学生のような印象を受ける。

 どう見てもにじライブの社員ではない出で立ちに林檎は困惑する。おそらくはライバーなのだろうが、会ったことはない。

 

「えっと……?」

「あ、初めまして、吉備津桃華です」

「うっそ、桃タロス?」

 

 困惑していると、清楚な美人――下ネタ魔人として有名なライバー吉備津桃華が挨拶をしてきた。

 普段の配信と、リアルでの見た目のギャップに林檎は目を白黒させる。

 それから、林檎は桃華の隣にいる男性へと目線を移した。

 

「ということは、隣の人って……」

「初めまして、名板赤哉です。白雪林檎さん、ですよね?」

 

 名板赤哉。桃華とのコラボが多い二期生の男性ライバーだ。荒々しい見た目に反して丁寧な口調で話すため、女性人気の高いライバーでもある。

 一見、ただの優しい男性ライバーと思われがちではあるが、マナーの悪いリスナーにはとことん厳しく接したり、優しいだけの人間ではない。

 また鬼という人外設定も持っていたり、清楚()な女性ライバーが相方だったりと、何かとレオとの共通点の多い人物でもある。

 

「あー、はじめまして白雪林檎ですー」

「えっ、白雪ってこんなに可愛かったの!?」

 

 林檎もお嬢様育ちのため、外見からは上品さや可愛らしさが溢れている。服装こそ緩めのパーカーとジーンズという格好だが、その所作からは上品さがどことなく感じ取れるのだ。

 

「いやー、その言葉そのまま返しますよー。あの下ネタ魔人がこんな美人とか詐欺もいいとこっすよー」

 

 桃花の見た目は雑誌でモデルをやっていると言われても違和感のない見た目をしている。こんな美人があの下ネタ魔人だとは夢にも思わないだろう。

 

「ふふん、まあね!」

「ホント見た目だけは完璧ですからね。見た目だけは」

「何で二回言うんだよ!」

「理由の説明、必要ですか?」

 

 見た目が良くて中身が残念、という点においては夢美と似ていると感じた林檎だったが、ギャップの振れ幅で言えば桃花の方が酷いと感じていた。

 

「にしても、白雪は何してたの?」

「あー、ちょっと打ち合わせで疲れちゃって休憩してたんすよー。でまあ、手持無沙汰だったからつい癖で小指をとんとんやっちゃって」

「「小指であの音鳴るの!?」」

 

 桃花と赤哉は驚いたように声を上げた。

 

「というか、暇なら配信すればいいじゃん」

「別に手持無沙汰なだけで暇じゃないっすよー。この後、レオやバラギと遊ぶ約束が――やば、約束の時間!」

 

 今日は朝の打ち合わせの後に、池袋でレオや夢美と遊ぶ約束をしていた。

 事務所がある新宿から池袋までの時間を瞬時に計算した林檎は慌てて休憩スペースを飛び出していった。

 

「何か白雪って待ち合わせの時間とか気にしないタイプだと思ってたけど……」

「はははっ、友人は大切にする子なんですよきっと」

 

 慌てて走り去る林檎の背中を見て、桃花と赤哉は微笑ましいものを見るように笑った。

 

 ――急がないと遅刻する。

 

 普段なら絶対に思い浮かぶはずのない考えが浮かび、林檎は事務所の廊下を駆け抜ける。

 

「うわっ!?」

「きゃ!?」

 

 そのまま慌てて前方をよく確認していなかった林檎は、曲がり角で誰かとぶつかってしまった。

 

「痛た……」

「大丈夫?」

 

 尻もちをついてしまった林檎へぶつかった相手は心配そうに手を差し伸べた。

 

「あっ、内海さん。ごめんなさい。急いでて前見てませんでした」

「いいのよ。私も不注意だったから」

 

 林檎がぶつかった相手は、総務部でライバーの採用や社員の勤怠管理などを業務行っている内海光(うちうみひかり)だった。

 林檎にスカウトのメールを送ったのも彼女であり、ライバーとしての契約を結ぶ際に林檎が世話になった人物でもある。ちなみに、夢美の二次面接を担当したのも内海である。

 

「それにしても、そんなに急いでどうしたの?」

「ちょっと、レオや夢美と約束があって……」

「あら、あの白雪さんが約束の時間を気にするなんてよっぽど仲良くなったのね」

「別にそんなんじゃ……」

 

 くすくすと上品に笑う内海を見て、林檎は拗ねたように頬を膨らませる。

 

「恥ずかしがらなくてもいいじゃない。同期を大切に思えるのは素敵なことよ?」

「……大切、か」

 

 林檎は内海の言葉に自嘲するように呟く。

 

「私に人を大切に思う心なんてありませんよ。そんなもの、とっくに壊れてるんですから」

「……白雪さん」

 

 林檎の言葉は否定も肯定も求めていないただの自己完結の言葉だった。

 たとえ今の彼女に何を言おうが、彼女の中で答えが出てしまっている以上、どんな言葉も響かない。

 それでも、内海ははっきりと林檎に告げた。

 

「あなたの心は壊れてなんかいないわ」

 

 表情に影を落とす林檎に、内海は諭すように声をかける。

 

「何もかも信じられなくなって、何かを好きになるのが怖いのはわかるわ。でもね、何でもかんでも嫌ってばかりじゃ前に進めないわ。誰かを好きな心まで否定してしまったら、きっと本当に心が壊れてしまうもの」

「内海さん?」

「あなたが自分自身を嫌いだったとしても、私も、諸星さんも、亀戸さんも、獅子島君や茨木さんも、みんなあなたのことが好きなのよ。今は信じられなくてもそれだけは忘れないで」

 

 自分の思いを林檎に伝えると、内海は悪戯っぽく笑った。

 

「それより、急いでるんじゃないの?」

「あー! そうだった! すみません、私はこれで失礼します!」

 

 自分が急いでいるということを思い出した林檎は、内海に改めて頭を下げて事務所を後にした。

 

「嫌ってばかりじゃ前に進めない、か。はぁ……私も人のことは言えないわね」

 




林檎の心情解説パート2

林檎がレオと夢美に心を開きかけているのはもうお分かりだと思いますが、林檎は二人の勢いを利用しようと〝仲良しごっこ〟を始めました。
そのかいあって、ぐんぐんと登録者数を伸ばしてさらに二人と絡んでいった結果――普通に二人のことが友人として好きになってしまったという感じです。

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