狩生環奈は普通の女子中学生だった。
真面目で、努力家。見た目も可愛く、男子に告白されたことだって何度もあった。
そんな彼女が目下目の敵にしている存在がいた。
「ちょっと手越さん! 今日はあなたが日直でしょ! 次の授業が始まる前に黒板を消さなきゃだめじゃない!」
「えー、面倒臭いなぁ……てか、もう狩生さんが消しちゃったじゃん」
「あなたがいつまで経っても消さないから仕方なく消してるの!」
容姿端麗、成績優秀。その二つの特徴を併せ持つ存在であり、環奈よりも男女共に人気がある人物――手越優菜だ。
「まーた狩生さんが手越さんに絡んでるよ」
「本当、怖いもの知らずよねぇ」
「まあ、何だかんだでああしてフォローしてたりするから憎めないよな。口うるさいけど」
真面目な環奈とは違い、不真面目の権化のような優菜はまさに対極の存在だった。
環奈は口うるさいが、ただ注意するだけではなく何だかんだで自分には利益がないのに手伝ってくれたりすることもあり、真面目過ぎるけど優しいという印象を持たれていた。
中でも、掃除をさぼって遊んでいた男子達を注意したときの話は同学年の間では有名だった。環奈は注意されて嫌そうな顔をする男子に言った。
「遊びたいなら掃除を終わらせてからすればいいでしょ? ほら、私も手伝うから。早く終わらせよ?」
そう言って、掃除当番でもないのに真っ先に掃除を始めた環奈に男子達はハートを射抜かれた。
勉強に関してもわからないところがあれば丁寧に教えてくれる。
困っていることがあれば、積極的に手伝ってくれる。
所属している陸上部にも一生懸命励んでいる。
まさに優等生の中の優等生だ。
彼女の欠点を上げるとすれば、注意するときの口調がキツイことと、短気であることだろう。
そんな彼女にとって天敵ともいえる存在が優菜だった。
芸能界の大御所である手越武蔵と、世界的に有名なピアニスト内藤郁恵の娘である優菜は、とにかく周囲からちやほやされていた。
男子はもちろん女子も甘えてくる優菜を小動物のように可愛がっていた。
そんな優菜の周囲に寄ってくるのは〝芸能人の娘と友達の自分〟というブランドが欲しい者達ばかりだ。いや、それが目的の者しかいなかった。
「……くだらな」
いつものように友人達に囲まれてへらへらと笑っている優菜を見て、環奈は今日も顔を顰める。
――どうしてあんないい加減な奴が私よりも上にいるんだ。
負けず嫌いだった環奈は努力しても届かない位置にいる優菜に嫉妬していた。
これがまだ自分と同じように努力している人間だったらまだ納得はできただろう。
だが、芸能人の娘で、ピアニストの娘という肩書を利用し、普段からいい加減で不真面目な人間が自分よりも上にいることが環奈は許せなかった。
優菜のやることなすこと全てが気に食わなかった環奈は事あるごとに、優菜に噛みついていた。
そんなわけで、今日も今日とて環奈は優菜に噛みついていた。
「手越さん! 今日は掃除当番の日でしょ!」
「……見つかったかー」
こっそりと教室から出ようとしていた優菜は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて言い訳を並べ立てた。
「一日くらい掃除しなくても変わんないって。教室使うのは私達だし、別にいいでしょ。そもそも他の人もサボってるしさー。私一人でやれっていうの?」
「だったら私も手伝うわ」
「そうなるよねー……たぁー! もう面倒臭いなー!」
半ば環奈の返答を予測していた優菜は、面倒くさそうに頭をガシガシと掻いた。
二人で掃除を始めてから数分。
黙々と掃除することに飽き始めた優菜は環奈に話しかけた。
「ホント、狩生さんって謎だよねー。何で嫌いな相手にここまで絡むかなー」
「嫌われてる自覚があるなら直しなさいよ……」
自分が嫌われているという自覚があっても尚、いつもと変わらずに接してくる優菜に環奈は呆れたようにため息をついた。
「何で私が人に合わせなきゃいけないのー? 私は私のやりたいようにやるだけ。それで嫌われるならそれでいいよーだ」
「どこまでもマイペースね……」
「それに昔から寄ってくるか陰口叩かれるかの二択だったからねー。私を嫌ってる連中なんて所詮パパやママに怯えて手が出せない小物だったし、そこに脳のリソース割くの無駄じゃん」
「まあ、確かにね」
環奈は優菜の言葉に、どこか納得したような表情を浮かべる。
「だから狩生さんがこうして真正面からぶつかってくるのマジで謎なんだよねー。パパやママが怖くないの?」
優菜の心からの疑問に対し、環奈は強気な表情を浮かべると、それを鼻で笑った。
「はっ、くだらな」
「ほ?」
「私はあんたの存在そのものが気に食わないの! いい? 人の社会にはルールがあるの! それを守らない人間が、頑張ってる私よりも成績は良いし、見た目だって可愛くて、私の手の届かないところにいるなんて認められるわけないでしょ! ああ、もう! 要するにくだらない嫉妬よ、嫉妬!」
いつも以上に声を荒げると、環奈はイライラをぶつけるように叫んだ。
「芸能人の娘? 世界的ピアニストの娘? そんなの関係ないわ! 私はクズ丸出しのあなた自身が嫌いなのよ!」
嘘偽りなく狩生環奈は手越優菜を嫌悪している。
そんな宣言を聞いた優菜は――学校では一度も見せたことがない笑顔を浮かべた。
「にひひっ……そっかそっかー」
「何笑ってるのよ。わけわかんない……」
自分を嫌いと言われて嬉しそうにする優菜に、環奈は困惑しながらも思った。
この子、こんな風に笑えるんだ、と。
それから数週間が過ぎた。
優菜は自分のグループをほったらかして、環奈に積極的に絡むようになった。
「狩生さーん。数学のテスト何点だった?」
「……97点」
「えー! どこ間違えたの! 教えて教えてー!」
「だー、もう! 鬱陶しい! 大問3の(2)方程式の問題よ!」
「うっそ、あそこ間違えるようなとこあったー?」
「ケアレスミスよ、ケアレスミス!」
「あっははー! 言い訳乙! ちなみに私は100点ねー」
「言われなくても返却されたとき、先生が褒めてたから知ってるわよ!」
テスト返却の際、必ずといって良いほど環奈は優菜に煽られた。
「良かったらケアレスミスしない方法教えてあげようか?」
「余計なお世話よ――――!」
いつの間にか、騒がしいこの二人のやり取りはクラス内の名物となっていた。
環奈が優菜のことを嫌いなのには変わりはない。
しかし、傍から見ればどう見ても仲が良いようにしか見えなかった。
二人の関係性に変化があってから、しばらく経った。
纏わり付いてくる優菜を撒いて、帰路に就こうとしていた環奈は自分と仲の良いグループが集まって何かを話しているのを見つけた。
「みんな今帰り?」
「あ、環奈! 手越さんはどうしたの?」
「……やっと撒いたとこよ」
「大変だねー」
どっと疲れたような表情を浮かべる環奈を見て、友人達は揃って苦笑した。
「にしても、手越さんってホント自分勝手だよねー」
「わかる。環奈が迷惑してるって気がつかないのかな?」
「てか、嫌われてる相手にあそこまで絡むってヤバくない? メンタルどうなってんだか」
日頃、環奈が苦労する様子を見ていたからか、友人達は優菜の悪口で盛り上がり出す。
「まあ、マイペースだとは思うけど……」
「そんなレベルじゃないでしょ、アレは」
「やっぱ親が芸能人だとああいう風になるのかねー」
「てか、可愛い可愛いって言われているけど、あんな丸顔一歩間違えればただのデブだし」
「どうせ、芸能人の娘じゃなければ見向きもされないっつーの」
あはは、と笑い合う友人達に、環奈は表情に影を落として言った。
「……そういうのやめない?」
「「「え?」」」
まさか被害者である環奈から優菜を庇うような発言が出てくると思ってなかった友人達は、驚いたように固まった。
「確かに手越さんは自分勝手なところがある。でもね、こうやって陰口を言うのはよくないと思う。私だって迷惑ってほどじゃないからさ」
「私達そういうつもりじゃ……」
「とにかく、陰口はなしで」
「わ、わかったよ」
環奈に窘められた友人達は、逃げるようにその場から立ち去った。
「まったく、文句があれば本人に言えばいいのに……」
呆れたように狩生が呟くと、後ろから噂の人物に声をかけられた。
「よっ」
環奈の後ろには、飄々とした様子で優菜が立っていた。
「手越さん、見てたの?」
「まあねー。あんなの言わせておけばいいのに」
「私が嫌なの。手越さんをバカにされると、手越さんに負けてる自分までバカにされてるような気がしてカッとなっただけよ」
迷惑ってほどじゃないと言った自分の言葉を聞かれていたからか、環奈はバツが悪そうに顔を顰めた。
そんな環奈を見て、優菜は楽しそうに笑って言った。
「ねえ、狩生さん。今日は部活ないでしょ? 今から寄り道しよー」
「寄り道は校則で禁止されているわ」
「じゃあ、言い方を変えよっか。私はこれから寄り道をするけど、止めなくて良いの?」
校則やルールについて口うるさく注意していることを逆手に取った言葉に、環奈はため息をついて了承した。
「はぁ……行くわ。あくまでもあなたを止めるため、だけど」
「はい、よく出来ましたー」
心底楽しそうに笑う優菜に連れられる形で、環奈は初めて寄り道をすることになったのであった。
しっかりとバックボーン作りこんだせいか、配信ネタまでなかなかたどり着けなくて申し訳ないです……。