茨木夢美にとってバーチャルライバーは憧れの存在だった。
にじライブ二期生である〝
にじライブの中でも、竹取かぐやに次いで二番目にチャンネル登録者数の多いまひるは、とにかく明るく元気さが売りなライバーだ。
白銀の髪をサイドテールにまとめた幼い外見をしている彼女は話し方も子供っぽく、かぐやと同じ高校生という設定が逆の意味で疑われるほどだ。
配信内容はゲーム配信が主で、たまに雑談をやったりしているが、ゲーム配信では悉く不憫な目にあって悲鳴を上げている様子が切り抜き動画で上がっている。
『こんまひ、こんまひ! こんまひー! どうも、白鳥まひるです!』
まひる三段活用と言われる挨拶は、夢美にとって聞いているだけで元気になれる活力源とも言えるものだ。
ライバーとしてのデビューが決まり、夢美は夢を見ているような気持ちだった。
もらったイラストは自分も好きな有名イラストレーターのもので、設定画をもらった時点で夢美は部屋の中で一人狂気乱舞していた。
どんな設定にしようかな。どんな風に配信していこうかな。
そんな風にドキドキとワクワクが止まらなかった。
結局どういう方針でやっていくかにあたり、夢美は自分が憧れたまひるを真似ることにした。
こんな可愛くてみんなに愛されるライバーになりたい。
夢美は何度もまひるの配信のアーカイブを見返した。
「あー、あー……あ、あ、あー……うん、声の高さはこんな感じかな」
入念にチューニングを繰り返していた夢美はU-tubeの通知が来ていることに気がつく。
「あっ、レオの初配信もう始まってた」
新しく作成した〝茨木夢美-Ibaragi Yumi-〟のチャンネルには登録したにじライブ所属のライバーのチャンネルが表示されている。
現在配信しているのは、レオのチャンネルのみだ。新人のデビューに辺り、時間が被らないように先輩達は気を使っていたのだ。
『まあ、そんな傲慢な態度で生きていたため、とうとうライオンになっちゃいまして……。現在は人間に戻るために謙虚な姿勢で歌配信をメインに活動していき、いつかは武道館で歌うことが夢です』
[七 つ の 大 罪]
[ライオン・シンの獅子島レオ]
[そうきたかwww]
[ライオンになっちゃいまして、というパワーワード]
[やはり貴様もにじライブか……]
「おー盛り上がってる盛り上がってる」
お通夜のような空気になっていたらどうしようと思っていたが、配信は絶賛盛り上がっているようで、夢美はほっと胸を撫で下ろした。
幼馴染という設定でデビューすることになった元アイドル獅子島レオ。陽キャやリア充が嫌いな夢美にしては珍しく、彼は関わって嫌な気持ちにならないイケメンだった。
「地元も同じだしやっぱ同小かねぇ」
小学校の頃など碌な思い出がない夢美にとって、わざわざ実家に帰ってアルバムを漁るような真似はする気が起きなかった。
どのみち面識はないから初対面と変わらん。
そう結論付けた夢美は再びレオの配信を見ることにした。
『オーディション受かったときに、俺の生い立ちが山月記の李徴と似てるって話になったんですよ。そしたら担当の人が『では、山月李徴という名前で挨拶は『袁傪のみんなー、こんばん山月ー!』という感じでいきましょう』て言いだして……』
[草]
[こんばん山月wwwww]
[さすがにじライブ]
「ぎゃっははははは! 山月記! 山月記だって! てか、マジかよにじライブ! こんばん山月って! 気ぃ狂ってんなぁ!」
レオの配信を見ながら夢美は、部屋の中で下品な笑い声をあげて大はしゃぎしていた。
『この後の夢美ちゃんの放送もぜひ見ていってくださいね』
[きっとバ美肉した袁傪なんだろうな]
[バ美肉袁傪は草]
[バ美肉袁傪というパワーワード]
「誰がバ美肉袁傪じゃい!」
高校を卒業してからずっと一人暮らしだった夢美は独り言が多かった。
そして、レオの配信を見ていた夢美はあることに気がついた。
「っと、やべやべ……あ、あー……う゛んっ、うん、はじめまして、はじめまして、あー、あー……はじめましてぇ、茨木夢美でぇすっ!」
よし、これならいける。
チューニングは完了した。ふわふわした雰囲気のBGMも用意した。配信内で使う画像なども用意した。台本もきっちり用意した。
配信経験のない自分がまともに話せるわけがないことは重々承知。これを読むだけでは朗読会だろうが、そんなもの知ったことか。大事なのは〝可愛い茨木夢美〟で無事に配信を終わることだ。
「うっ、ぷっ…………」
緊張のあまりせり上がってきたものを気合で飲み込み、配信ボタンを押した夢美は、
「はじめましてぇ、茨木夢美でぇすっ」
緊張し過ぎて声が上ずった。もう止まれないし、やるしかない。
[こんばんわ!]
[こんばんわー!]
[あら可愛い]
開始直後、大量のコメントが流れて頭が混乱する。
レオの配信のときも凄かったが、それとは比べ物にならない量のコメントが流れてきたのだ。
「わっ、コメントがすごい! たくさん!」
まずい、開始十秒でどこ読んでるかわからんくなった。
急いで大学ノートに書き殴った台本の上部を確認する。台本の横にはナンバリングがしてあったため、元の場所にはすぐに戻ることができた。
よくやった、ナイス! ナンバリングをした自分に感謝しながら、夢美は慌てて台本を目で追った。
「ジャジャーン! 今日のために自己紹介用の画像を作りました!」
公式プロフィールをコピペしてフリーイラスト切り貼りしただけのもんだけどな。
心の中でそう毒づくと、夢美はあらかじめ用意していた画像を表示した。
[えらい]
[結構凝ってるやん]
[しっかり者だなー]
嘘だろお前ら。と思いながらも、夢美は台本を読み続ける。
「森の奥で暮らす女の子。魔女の呪いにより長い眠りに着いてしまったが、夢を見ている間は体を動かすことができる。いつか自分を起こしに来てくれる王子様を待っている。というわけで、ね。はい、こんな感じのプロフィールになっております」
そのまま文章を読むことしかできなくてすまん。夢美は心の中で視聴者達に詫びた。
[ほー、今は夢を見ている状態というわけか]
[今回はファンシーな面子が多いな]
「それでね、みんな。あたしのことは、どんな呼び方で呼びたい?」
[夢美ちゃん]
[普通に夢美ちゃん]
[茨木ちゃん]
[バラギ]
「バラギ? えー、やだよ可愛くないもん!」
可愛い文字列に紛れる濁点だらけの愛称に反射的に拒否反応が出る。
夢美はこの呼び方だけは定着させないことを固く心に誓った。
「それでね。今後はいろいろやっていきたいなーって思ってて、特にゲーム配信とかすごいやりたいと思ってます。えへへっ」
会話の中身のなさを適当に笑ってごまかす。それでも、コメントは絶えず流れ続けていた。
[かわいい]
[かわいい]
[かわいい]
ごめんな。話に中身なさ過ぎてそれしか感想出てこないよな。
何度目になるかわからない心の中での謝罪を繰り返し、夢美はまた台本を読み進めた。
特に大きなトラブルが起きることもなく配信は順調に進み、質問コーナーへと移った。
「じゃあ、事前に募集してた質問に応えていきます!」
もちろん、質問は事前に読み込んで回答も既に用意してある。
[憧れてるライバーはいる?]
「もちろん、あたしの憧れはまひるちゃん! あっ、みんなも知ってると思うけど、白鳥まひるちゃんのことですよ?」
[真面目でいい子だなぁ]
[清楚だ……]
[にじライブの真面目枠やね]
コメント欄はしっかりと、夢美に騙されている。
「いつも明るくて元気で……辛いときとか、いつだってまひるちゃんの『こんまひ、こんまひ! こんまひー! どうも、白鳥まひるです!』って挨拶に元気もらってたんです」
[似てて草]
[いい話だなー]
「あたしね、元気っ娘なロリ大好きなんですよ!」
一瞬、時間が止まった気がした。
[えっ]
[???]
[ロリ?]
「あっ、違ぇわ。そうじゃない」
[「違ぇわ」]
[あれ?]
[違ぇわwww]
コメント欄も怪訝な様子で彼女の失言を拾った。
「ち、違うよ? 今のは、その、ね?」
[やはり貴様もにじライブだったか]
[焦っててかわいい]
[正体表したね]
[カミングアウト助かる]
「違うから! まひるちゃんは大好きだけど、そういう変な目で見てないから」
[白鳥まひる:呼んだー?]
慌てて先程のロリコン発言を撤回しようとしたところで、憧れの先輩ライバー白鳥まひるが現れた。
「ぎゃ、きゃぁぁぁぁぁ! まひるちゃん!?」
既の所で汚い声が出ることは回避する。夢美は咄嗟に声を抑えた自分を褒めてやりたい気持ちだった。
[すごい声出てて草]
[そりゃ推しがデビュー後の初配信に来たらこうなる]
台本は叫び声を上げたのと同時に吹っ飛んだ。
ずっと前からあなたの配信を見ていました。いつも元気をくれてありがとうございます。あなたに憧れてライバーになりました。これからも応援しています。
伝えたい思いは溢れるが、言葉にすることはできない。出てくるのは、こひゅ、という間抜けな音を立てる空気だけだ。
何とか言葉を紡がなければ――
「えと、その、何ていうか――す、すすす、好きです!」
出てきたことばは、シンプルな告白の言葉だった。
[初手告白は草]
[大胆な告白は女の子の特権]
[白鳥まひる:わーいやったー! まひるも夢美ちゃんのこと好きだよ!]
「あ、ああ、ああ、ありがとごじゃます!」
[限界化してるwww]
[なんかむしろ親近感沸いたわ]
[てぇてぇ]
それから何をどう話したか、夢美は覚えていない。
「本日はあたしの配信を見に来てくれてありがとうございます! 良かったらチャンネル登録とベルマークの登録をお願いします! またねー!」
[お疲れ様でしたー!]
[お疲れ様でしたー!]
[お疲れ様でしたー!]
最後に可愛いBGMを流しながら数秒待って配信を切ると、夢美はその場に力なくへたり込んだ。
「はあぁぁぁ……マジで緊張した……」
しばらく深呼吸をして呼吸を整えると、夢美はまずい点を改善するため、自分の配信のアーカイブを見返すことにした。
余談だが、夢美は一度も猫を被っているときの自分を客観的に見たことがない。
その結果――
「スゥ――――ッ……」
嫌な汗が全身から噴き出してきた夢美はベッドへと飛び込んで枕に顔を埋めた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛! 緊張し過ぎで吐息多い! 途中でまひるちゃん来て限界オタクになってるし! えへへ、じゃねぇよ! 媚びた笑い方キモい! こんなの嫌だぁぁぁぁぁ!」
どうか、変な女だと思われていませんように!
一縷の望みを託してSNSで〝茨木夢美〟をエゴサーチすると、「かわいい」「ロリコンだけどかわいい」「ポストまひるちゃん」「ゆみまひてぇてぇ」などと、夢美はちょっと変なところがあるが、むしろ親近感が沸いて可愛いという評価をされていた。
「大丈夫、大丈夫……地声は出てないし、みんなも可愛いって言ってたし、オタクっぽいところはむしろ視聴者には高評価なはず。そうだよ、案外無難にやれてるよ。なんならレオの方が色物枠っぽくなってるし」
一週間後、レオの存在感をかき消すレベルの色物枠になることを彼女はまだ知らない。