「――――ハッ!」
誰もいなくなった会社のデスク。
そこで目が覚めたかぐやは額に手を当てて天井を仰いだ。
「あかん……寝てもうた……」
かぐやは仕事中に寝落ちしていた。
残業中のこととはいえ、業務中に寝落ちするなど久しくなかったことだった。
最近は自分のマネージャーとなった飯田のおかげで、ライバーとしての仕事量は激減したが、ワーカホリックなかぐやは結局部長としての業務を遅くまで行っていた。
元々キャパシティーオーバーな仕事が減ったところで、オーバーしていることには変わりないのである。
溜まりに溜まった疲れが噴き出したことで意識が飛ぶ。それはかぐやが思っている以上に危険なことだった。
「それにしても懐かしい夢見たな……」
かぐやはまひると出会ったときのことを思い出し、表情に影を落とした。
あの無邪気な笑顔にどれだけ支えられていたのだろうか。
思い返せば、どれだけまひるに救われていたかわからない。
「頼んだで、林檎」
スタジオで何が起きたかをRINEで聞いていたかぐやは、今最も頼りになる後輩に願いを託していた。
林檎からは[この件は私に任せてください]と簡潔なメッセージが来たことで、今回の件を林檎に任せることに決めたのだ。
「ん?」
ふと、背中に温かい何かがかけられていることに気が付く。
それは、いつも自分を心配してくれるかつての同期愛用のブランケットだった。
「乙姫……」
目尻に浮かびかけた涙を気合で引っ込めると、かぐやは再び仕事に取り掛かった。
「……で、何で優菜さんと僕が一緒に食事することになってるんですか?」
スタジオ近くのレストランにやってきたサタンは、複雑そうな表情を浮かべて目の前にいる人物、白雪林檎へ問いかける。
「さっきのお詫びだってー」
「お詫び?」
「他企業Vのプライベートな事情はあんな関係者がたくさんいるところでするべき話じゃなかった……あの時は感情的になってた、ごめんなさい」
林檎は心からサタンに謝罪すると、深々と頭を下げた。そんな林檎を見てサタンは意外そうに呟いた。
「謝罪……できたんですね」
「……あんたは私を何だと思ってるのかなー?」
配信に遅刻しようが謝らないようなライバー。そんなイメージが強い林檎ではあるが、引退からの復帰後は一度も遅刻していない。事務所に送られてくるファンレターなどにも小まめに目を通していたり、オフコラボの際は他のライバーに対して自分から挨拶に行っていたりする。そういったちょっとしたエピソードがたまに他のライバーから語られるため「これだから小人はやめられねぇぜ!」と小人達はたびたび呟いているのだ。
「それで、司君はいつまで思春期を引っ張る気?」
「いきなりぶっこんできますね……」
ゲンナリとした表情を浮かべると、サタンは林檎に誤魔化しは効かないことを悟って語り始めた。
「……ずっと謝ろうと思っていたんです。自分が周囲とうまくいかないことを姉ちゃんのせいにして、当たり散らして傷つけていたこと」
サタンは小学校のときからずっと姉であるまひると一緒にいた。
仲の良い異性の姉弟がいると、高確率で同級生に揶揄われる。
中学に上がってもそれは続いた。何かあるたびに姉の話題を出されて揶揄われる。それはサタンにとって苦痛以外の何物でもなかった。
口を開けば「あんな可愛い姉ちゃんいていいよな」「姉ちゃん紹介してくれよ」などと言われ、ゲームをやっていても「おっ、普段から姉ちゃんと遊んでるだけあってうまいな」と揶揄われてサタンは友人関係をバッサリと切り捨てた。
何をしても姉の影が付き纏うことに耐え切れなかったのだ。
「あるとき、姉ちゃんに昔のように一緒にゲームをやらないかと誘われました。一人でゲームをやり込むようになった僕は腕も上がってて姉ちゃんを完封して、いい気になって言っちゃったんです――何も考えずにボタン押してるだけで何が楽しいんだかって」
「うわー……」
「皮肉ですよね、まさに自分が今そんな状態になっているなんて……優菜さんは気づいてますよね?」
「まあねー」
サタンの現状をそれとなく察していた林檎は、痛ましげな表情を浮かべる。
「事務所の方針がある限り僕は姉ちゃんと昔のようにゲームをすることはできません。何より……あんな態度をとっていた癖に、姉ちゃんにゲームが下手なことがバレるのが怖い」
「別に下手じゃないと思うけどねー」
「下手ですよ。少なくともゲームが売りの配信をする人間にしては限りなく」
サタンはそう言うと、歯を食いしばり俯いた。
そんなサタンにため息をつくと林檎は容赦なくデコピンをかました。
「痛っ!?」
余談だが、日頃ピアノで鍛えられた林檎の指の力は常人よりもはるかに強い。鍛え上げられた指から放たれる威力のデコピンにサタンは悶絶した。
「どうして男共はこうもいっちょ前にプライドばっか高い連中ばっかりなんだろうねー。
「いや、李徴るって何ですか……」
真っ赤な跡が付いた額を押さえながらサタンは怪訝な表情を浮かべた。その目にはあまりの痛さに涙が浮かんでいる。
「潤佳は司君のクソみたいなプライドの元になってるゲームの腕前なんて求めてないっての。むしろいらない。あの子はただあんたと楽しく遊びたいだけ。本当にそれだけなんだよ」
林檎は怒気を隠そうともせずに、容赦なくサタンの傷を抉る。
サタンの境遇には同情するが、自分の大切な後輩であり、先輩であり、姉であるまひるを傷つけた。その癖、未だにくだらないプライドが原因で踏み出せずにいる男に、林檎が容赦などするわけがなかった。
「大体自分の都合で八つ当たりしておきながら、自分のプライドが邪魔して謝れないとか何様だよ。あんたも辛かったかもしれないけど、潤佳はそれ以上に辛かったんだからね? 同じ高校に進学したり、ゲーム実況について調べたりさー。どうしてそんな遠回りなやり方しかできないわけ? 伝わってないんだよ。あの子、バカだから言葉にしないとわかんないの。弟ならそのくらいわかるでしょうが……ま、私もあんまり人のことは言えないけどさ」
「うぐっ……」
自分が姉にしてきた仕打ちや自分の愚かさを改めて言葉にされたことで、サタンは精神的苦痛に顔を歪めた。
ふぅ、と一通り言いたいことを言い終えた林檎は優しい表情を浮かべてサタンへと告げる。
「でもまあ、今すぐに今までの自分を受け入れて変われとまで言わないよ。あんたの場合、事務所の事情もあるだろうからねー」
「……すみません」
「だから現状維持をしつつ仲直りする方法ならアドバイスしてあげる――ただ約束して。もう潤佳に冷たい態度をとらないって」
そう告げると、林檎は真剣な眼差しでサタンを見据えた。
林檎の真っ直ぐな思いを受け取ったサタンは、表情を引き締めて答える。
「約束します!」
「なら指切りしよーよ。ほら」
小指を出してくる林檎に、若干照れながらもサタンは自分の小指を絡ませる。
林檎はニヤリと笑うと、サタンと絡ませた小指に思いっきり力を込めた。
……何度も言うが、日頃ピアノで鍛えられた林檎の指の力は常人よりもはるかに強い。
「痛っあ゛ぁ゛!?」
案の定、小指に激しい痛みを覚えたサタンは悶絶することになるのであった。
「あれれー、普段からコントローラのボタンを押して鍛えられた指なのに貧弱過ぎなーい?」
「こ、この女……」
「あれあれー、そんな態度とっていいのかなー? アドバイスしてあげないよーん」
「ぐ、ぐぎぎ……」
いつかの意趣返しとまひるを傷つけた分とばかりに行った報復に、サタンは悔し気に顔を歪めた。
そんな林檎とサタンのやり取りをちらちらと見ていた周囲は思った。
――あの彼氏完全に彼女の尻に敷かれているな、と。
林檎「なんだァ?てめェ……(指グシャァ)」