来宮美晴の(非)日常 作:斎草
「動かない」のテイストで書こうと思った話
岸辺が体験したエレベーターにまつわる怪談
「露伴先生、こんな噂知ってます?」
カフェ・ドゥ・マゴ。通勤通学客に人気のあるカフェだ。
岸辺露伴と来宮美晴は夕飯の食材を買う前にそこで茶をしばいていたが、不意に美晴がアイスココアのグラスを置いて露伴を見つめる。
「亀友、"連れてかれる"って」
「また始まったな。君のホラ話」
露伴はコーヒーの入ったカップを受け皿に置きながら溜息を吐いた。というのも来宮美晴、彼女はホラーやオカルトが大好物なのだ。そういった噂話には目がない。
「大体そんなの、リアリティに欠けるんだよ。どれもこれも蓋を開ければ曖昧なものばかりで話にならん。聞く前から分かるぞ、ツマラン話だと」
「だからそれを検証しに行きましょうって話じゃあないですか!」
美晴がパンパンとテーブルを叩いて目を輝かせている。対する露伴はジトッとした目で彼女を見つめていて、普段の彼らを知っている人物ならば"いつもと逆のようだ"、そう思うだろう。
「検証〜〜?1人で行けよ」
サクッと露伴の持つフォークがタルトを一口サイズに切り分ける。その興味なさげな彼の態度に向かいの彼女はシュンと眉を下げていた。
「露伴先生は私がもし万が一いなくなってもいいんですね……」
「??」
タルトを咀嚼しながら、露伴は疑問符を浮かべて彼女を見つめる。
そりゃあ美晴がいなくなるなんて露伴にとっては耐えられない事だ。2人は別に愛し合っている仲ではないが、互いに恋人や家族と同じように、或いはそれ以上に大切に想っている相手である。
だから、彼は先を促すように見つめていた。
「亀友のエレベーターに乗って地下駐車場に行こうとすると、稀に"何処か"へ連れて行かれるそうなんです。諸説あるんですけど、墓地だったり河原だったり……でも共通するのはどの風景も"夜"のように真っ暗な事なんです」
時刻は17時半。夕方だが夏の暑さのせいか、じっとりとした汗が滲む。
「エレベーターに戻らないと、一生その空間に閉じ込めれてしまう……っていう噂で」
「おいおいおいおい……!分かったぞ、エレベーターに戻らないと帰ってこれないってヤツだろ?じゃあどうしてその話が君の耳に入るんだよ。今ので一気に興が削がれたぞ」
エレベーターに戻れば大丈夫という事。それは即ちそうやって帰ってきた者がいるという事だが、なぜ"戻らないと一生その空間に閉じ込められてしまう"とそいつが分かるのだろう。それにこんなありきたりな話、聞き飽きたも同然だ。諸説あるとか曖昧な時点で終わってる。——なんて思っていたが。
「あら。"ちょっとは興味持っていただけていた"っていう感じの言い方ですね、露伴先生。だったら検証しに行きましょうよ、どうせ"ただのホラ話"です。私達これから食材買いに亀友行くんですよ?」
ふふ、と美晴は目を細めて笑っていた。
「地下駐車場に車を停めて、帰りにエレベーター使えばいいだけの話じゃあないですか」
美晴のヤツ、わがままが上手くなったな。
対する露伴はフゥー……と長い溜息を吐いていた。
亀友で夕飯の買い物を済ませ、露伴と美晴は地下駐車場に行くためにエレベーターに乗り込んだ。その時ちょうど他に人は居らず、露伴が"閉"ボタンを押すと途端に美晴がソワソワと体を揺らし始める。
「いいかい。このエレベーターは日常的にぼくらも使っている。だが今までそんな事はなかっただろう」
「でもそういう噂話を聞いてフラグが立つっていうのは、定番ですよ」
エレベーターの扉が閉まり、ふっと降り始める感覚が体を伝う。
「定番、ね……そういうところなんだよな、この手の話は」
本当にありがちでありきたりな話。先程の話もいろんな話が巡り巡って杜王町流にアレンジされたに過ぎない。
エレベーターの階表示が"1"から黒点を3個ほど通過して"地下"に光を灯していく。それをボケッと見上げながら今日の夕飯の事を考えていた。
「……露伴先生」
そこで不意に美晴が声を上げる。
「……変ですよ。長くないですか?エレベーター、まだ動いてますよね」
確かに言われてみれば、エレベーターが止まる時のあの独特の感覚がまだ体に伝わってきていない。そう、エレベーターはまだ動いている。扉も開かない。しかし、階表示は"地下"に光を灯している。
「ほー、良かったじゃあないか。君が行きたがっていた"何処か"に行ける……、……」
ほんの少し感じた恐怖を和らげようと露伴は隣にいる美晴に視線を転じるが、彼女は俯いて口を一文字に結んでいた。
さては来宮美晴、怖がっているな。本当にこうなるとは思っていなかったに違いない。
露伴はそう即座に思い至って溜息を吐く。
「おいおい、君が言い始めたんだぜ?その君が怖がるのかい。ちょいとおかしな話じゃあないか?」
そう言いながらも彼は非常電話の受話器を持ち上げボタンを押す。
恐らく、彼女はただ普通に地下駐車場に降りていって「なんだー、やっぱり噂話は噂話でしたね」なんて言って笑いたかっただけなのだろう。季節は夏、オカルトホラーや都市伝説が最も輝く季節だ。岸辺露伴のところにも読み切りでホラー漫画の依頼がこないだあったばかりで、世間はそういった非日常的な刺激を欲しているのだとざっくり思っていた。
露伴は寄り添ってきた美晴を片腕で抱き寄せながら、コール音だけが鳴り響く受話器を耳に当てている。しかしやはりと言ったところか、どこにも繋がらない。
「露伴先生……」
「分かってる。さっきの文句でチャラにしてやるよ。今はここからどうやって出るか考えよう」
夏の密室。じっとりまた汗が滲む。受話器を戻し、周囲をぐるりと見回すと突如ガタンッ!と音を立て、地震のような衝撃が体を揺らした。
そして扉が、チンと音を鳴らしてからゆっくりといつもの調子で開かれる。
「ここは……」
正面に立ち、まず視界に入ったのは薄闇の中に広がる河原だった。穏やかに流れ、蛍の光が舞い踊り、草が風で擦れる音が聞こえる。対岸には土手が見え、それより先は見えなかった。
「お……降りてはだめだ。すぐ上に戻るぞ。そういう話だったな」
露伴はすぐ脇にあるエレベーターのボタンに手を伸ばそうとした。しかし——、
「だめです。もう降りちゃってます、私達……」
「なにッ……」
気付けば今し方まで乗っていたエレベーターが"なくなっていた"。2人に気取られる事なく、まるで最初からそこにはなかったかのように忽然と姿を消していて、辺りもいつの間にか先程まであったエレベーター内部の電灯の光がなくなった事で薄闇に覆われていた。
「……エレベーターを……探すぞ。そうすれば帰れるんだろう?簡単な話だ」
美晴を抱き寄せた手でポンポンと叩いてやると、彼女は潤んだ瞳でひとつ頷いてくれた。
本当に彼女1人で行かせたなら、彼女はここから一歩も動けなかっただろう。露伴は寄り添っていた体を離し、代わりに彼女としっかり手を繋ぐとまずは背後にある土手を登っていった。
「河原に、墓地……君が言った通りだな」
土手を登って適当なあぜ道に入ると、すぐ脇に墓地が見え始めた。諸説あるとは言っていたが、体験者達(と便宜上言っておく)が見た場所はどうやら同じ場所のようだ。
「先生、見てください。灯りがたくさん見えますよ」
美晴が指差す前方を見ると、確かにほんの少し先に複数の灯りが連なるのが見える。
(はて、ちょっと目を離した隙にあんなに灯るものか?)
しかし不思議な事だ。露伴は今脇に見える墓地に視線を向けるために顔を動かしていたが、その一瞬のうちに前方に灯りが、あんなにたくさん灯ったのだ。見間違いでなく、墓地に目を向けるまでは辺りは薄闇に覆われていたというのに。
「あれ、お祭りの屋台じゃあないですか?行ってみましょうよ」
「ちょ、美晴!」
彼女の手がするりと露伴の手から離れ、その彼女は薄闇に溶けるかのようにあぜ道を走っていく。
先程まであんなに怖がっていたのに、今日の来宮美晴は何かおかしい。それはカフェで茶をしばいていた時からそうだった。
「おい、待てよ美晴!」
しかし今彼女を見失うのはまずい。露伴は考える間もないまま夢中で美晴を追いかけた。
ドンドンと太鼓の音が灯りに近付くに連れて大きくなっていく。そうして神社の鳥居の下までやって来ると、来宮美晴は彼を振り返りながら口元に弧を描いていた。
「露伴先生。りんご飴、奢ってくれませんか?」
ちょいちょい、と彼女はりんご飴の屋台に並ぶそれを指差してからその屋台に近付いていく。
「……そうしたら、君は"来宮美晴"に化けるのをやめてくれるのか」
屋台のりんご飴を手に取り、彼女は息を切らしながら己を睨み付ける彼を見つめる。
「ぼくは美晴にヘブンズ・ドアーを使いたくないんだ。例え偽物でもね、誓いを破るようで嫌なんだよ」
露伴は彼女に詰め寄り、両肩を爪を立てるように力を入れて掴む。それでも彼女は顔色ひとつ変える事はなく、持っていたりんご飴を力が抜けたかのようにポロリと手放した。
「なにが目的だ?ぼくを大切な人に化けてまでここに連れてきたお前の目的はなんだ?」
カシャ、とりんご飴が地面に落ちる。それを合図にするように、彼女は露伴の手から逃れて一目散に神社の境内まで走った。
「待てッ!!」
その背を追うように露伴も駆け出す。こんな事許しておけるはずがない。この岸辺露伴を、よりによって来宮美晴に化けて騙すなんて。
おかしいと思っていた。全部全部、わがままが上手い来宮美晴なんて来宮美晴ではないのだ。彼女はもっと甘え下手で、わがままなんて言えるタイプじゃあないのだ。それに彼女はアイスココアよりアイスティーが好きなのだ。分かっている。己は来宮美晴と毎日嫌でも顔を合わせるような、一言では言い表せない間柄なのだから。
「"ヘブンズ・ドアー"ッ!!」
手を伸ばせばその背に届く位置まで距離を詰め、露伴はスタンドを発動させて彼女の心の扉を開かせた。バラバラと音を立ててページが捲られ、それは風を切るたびにはためく。
「チッ、やはり気分が悪いッ…!だがやらせてもらうッ!」
"自分の体は鳥居まで吹っ飛ぶ"。そう彼女のページに書き込んでやるとその体は瞬く間に露伴の背後にある鳥居の方までビュンッと吹き飛んで行った。それを尻目に目の前にまで迫る神社の本殿を見る。
「あの本殿の中だなッ!?あの中にエレベーターがあるんだなッ!?」
恐らく彼女はエレベーターに乗りたかったのだ。だがなぜそうしたかったのか、今は考える時間がない。
本殿まで辿り着き扉を開け放つと、そこには御神体の代わりにエレベーターが祀ってあった。その異様な雰囲気に若干気圧されたが、すぐに駆け寄ると"昇"ボタンを押す。
「くそッ、早く…!」
階表示がないエレベーターの前で落ち着かない様子で足踏みをする。早くしないと彼女が追いついて来るかもしれない。あの偽物の来宮美晴をもう視界にすら入れたくない。
「そのエレベーターはッ……」
早くカゴが来ないか待っていたが、不意に彼女の声が背後から聞こえて恐る恐るそちらを振り向く。
「そのエレベーターは私が乗るんだッ!!岸辺露伴、あんたがここに残るんだよッ!!あんたが残るんだーッ!!」
来宮美晴の姿をした"彼女"が、金切声を響かせながら掴み掛かる勢いで露伴に迫っていく。
早すぎる——。思わずエレベーターの扉に背を付けて恐怖で目を見開いていると、チンと音が響いてその扉が大きく口を開けた。
「悪いが乗るのはぼく1人だ。本性を現したのが運の尽きだったなァ〜ッ…!」
ぐらりとエレベーターの中に倒れる視界の中、露伴はだめ押しに開かれっぱなしの彼女の"扉"に命令を書き加える。
「"君は一生エレベーターに乗る事は出来ない"。そう書き込ませてもらったよ……」
偽物と確信を得られたなら、気分は悪いがもう躊躇う必要はない。
パタン。
2つの"扉"は岸辺露伴の目の前で同時に閉められた。
動き出すエレベーターの中、彼は尻餅をついたまま息を切らし、階表示をぼんやりと見上げていた。
チン。
程なくして扉が開かれると、2人分の人間の脚が視界に入りその人物を見上げる。
「ろ、露伴先生!?何やってるんですか!?」
そこにいたのは来宮美晴と東方仗助で、2人は目を丸く見開きながらエレベーターの中に入り彼を引っ張り起こした。
「何やってる、っつーかよォー……露伴先生、あんた今どこから来たんだ…?」
閉まる扉。階表示は矢印の"上"に光を灯しながら"地下"から"1"に光を移動させていく。仗助は眉を潜めながらその表示に視線を向けていた。
「どこからって……聞いてくれよ。信じられないかもしれないが、今とんでもない場所に行ってしまっていた」
しどろもどろになりながら露伴は2人に先程まで行っていた不気味な場所の話をしようと口を開きかけるが、ふとある事に気付いて思い直す。
「いや……待て仗助。君の質問も変だぞ。"どこから来たんだ"って……まるでぼくがおかしな場所に行っていた事を知っているような言い方じゃあないか。上階から来たとは思わなかったのか?」
階表示は"2"を指し、扉がチンと音を立てた後に開かれ3人で外に出て来るとそれを振り返った。
「だって露伴先生……このエレベーター、昇り専用ですよ。このエレベーターで下の階に降りる事は出来ないんです」
美晴が指差すのと同時に扉が閉まり、"昇り専用"という張り紙が姿を現す。ボタンもこのエレベーターの各階の入口には"昇"しかなく、カゴは各階に来ると他の階からの昇りの指示があるまでは動かない仕組みになっている。
先程までいたのは地下だった。亀友には地下に駐輪場もあるので、美晴がそこに自転車を停めたからこのエレベーターで彼らは上階へ上がろうとしていたのだ。だが昇り専用であるはずのエレベーターは岸辺露伴を"何処からか"運んできた。だからこそ仗助は"どこから来たんだ"と問い掛けたのだ。
「……そんな事より美晴。お前"本物の美晴"か?」
「えっ?」
露伴はずずいっと美晴に詰め寄る。先程の"彼女"にはヘブンズ・ドアーでエレベーターを使えないように書き込んだが、万が一の事もある。もう何かが美晴に化けるなんていうのは御免だ。
「身長157cm、スリーサイズ80・58・83!この岸辺露伴の給仕係の来宮美晴かッ!?」
彼女の肩をガシッと掴み尋問するように揺さぶるが、次の瞬間頭をガシリと掴まれ両頬をギュッと片手で握るように顔が窄められる。
「露伴ンンッ!テメー公衆の面前で美晴ちゃんの…ッ!!」
「なにがあったか知らないけど、そういうのやめてくださいッ…!」
見ると頭を掴んでいるのは仗助、頬を握っているのは美晴であり、2人とも顔が赤く染まっていた。どうやらこの反応なら目の前の美晴や仗助は本物で間違いなさそうだ。
しかし仗助の言った通り、ここは亀友マーケットという地元民が多く利用する場所だ。騒ぎを大きくするわけにいかない。観念するように露伴が首をブンブンと横に振ると2人は彼を解放し、溜息を吐く。
「それで、とんでもない場所ってなんですか?話くらいなら聞きますけど……」
そうして3人でそこにあったベンチに座り、露伴は先程の体験を2人に話し始めた。
きっとあの"来宮美晴の姿をした彼女"は生霊だったのだ。生霊としてこの現世に降り立ち、美晴に化けて露伴を"あちら"に誘い込んだのだ。あのエレベーターに乗りたがっていたのは恐らく、"誰かをあちらに誘い込む事で、自分はその誰かに成り代わって新しい人生を歩む事が出来るから"なのだろう。美晴に化けたのは露伴を騙すための能力で、彼女はエレベーターに乗ったら"岸辺露伴に成り代わる"つもりでいたのだ。
そしてそのエレベーターに乗れるのはあの祭りの日だけなのだろう。だからあんなに必死こいていたのだ。
「ま、美晴に化けるならもっと上手くやれとは思ったけどな……」
仗助は美晴とは逆でホラーの類が苦手なようでゾッと体を震わせていた。
今回岸辺露伴が助かったのはスタンド能力のおかげでもあるが、来宮美晴の事を骨の髄まで知り尽くしていたからだ。それこそ、彼女の恋人である東方仗助よりも彼女を知っている。そうでなければ彼女はまんまと露伴を騙し、成り代わってのうのうと暮らし始めていただろう。
「私、結構ホラーやオカルトには強い方だと思ってましたけど……私に化けて露伴先生を騙すなんて、怖いなんてモンじゃあないですよ……」
美晴も己の肩を抱いて震えていた。無理もない。まさか露伴を騙すために己が利用されるなんて思ってもない事だっただろうから。
「俺、しばらくエレベーター乗んのやーめよ……」
「ぼくもしばらくはいいかな……」
「私もやめとくわ……少なくとも夏が終わるまでは」
きっと今もどこかで、あの場所に誰かを誘い込んで騙し、成り代わった輩が何食わぬ顔で歩いている。
時刻は18時50分。陽もとっぷりと暮れて窓の外は夜の帳が降り始めていた。