来宮美晴の(非)日常 作:斎草
本編1話で契約を交わした岸辺来宮。その直後にあった空白の中の時間の話。
「さて、家の中は一通り案内し終えたかな」
岸辺露伴は今し方その場で雇った給仕係——来宮美晴の方を振り返る。
7LDKという広さ、今日全て覚えてもらうのは難しいだろうが、じきに慣れるだろう。露伴は最後にそこにあった扉を開くと、中に彼女を招き入れた。
「ここが君の部屋になる。広さは8畳だからちょいと狭いが……」
「いえ、8畳もあれば十分ですよ……!」
今まで使われてなかった、少し埃っぽい部屋を前に美晴はブンブンと首を横に振る。外観からして豪邸のように大きかったがまさかここまでとは。引っ越してくる前の家だって美晴の自室は5畳ほどだったのだから、言葉通り十分過ぎる。
露伴はその謙虚な態度にひとつ頷き、「ここは後で掃除しとくよ」と彼女の肩をポンと叩いてから仕事部屋の方へ案内した。
「じゃあ君の部屋に置く家具を決めようか。いつまでもがらんどうでは何かと不便だからな。まずベッドや机、照明は必要だろ?」
仕事机のそばに使っていない椅子を引き寄せて美晴を座らせ、自分はいつもの椅子に腰掛けるとカタログを何冊か彼女に渡す。開いてみるとなぜか日本語ではなく英語で書かれていた。
「これなんてどう?有名なブランドの物なんだが、寝心地もいいし一級ホテルでも使われているベッドだ。ぼくの寝室にも置いてある」
彼が指差すベッド。値段がドル表示で日本円だといくらになるのか分からないが、その語り口から恐らくとんでもない値段のものだろう。
「ああ、君は女の子だしこっちの方が好きかな?ロマンがあるよね」
スイ、と動く指を視線で追いかけるとそこには天蓋付きのベッドの写真があった。これもドル表示だがとんでもない値段である事は間違いない。
「照明もほら……これは映画で使われていた物のレプリカだ。机も見てみろ、これはあの有名な——」
「き、岸辺先生ッ!」
置いてけぼりにしながらペラペラと喋る露伴を、美晴は声を上げる事で止める。それを受けて彼は目を丸く見張っていた。
「あの、私にそんなにお金掛けなくていいんで…!言ってしまえば居候なんですから、恐れ多すぎます!」
そう、露伴が彼女に渡したカタログは全て高級家具のものだ。どれもドル表示だが一級ホテルのベッドと同じような桁の値段が付いている。
「? これくらいぼくの稼ぎならどうって事ない。君には家事の全てをお願いするんだから、待遇としては安すぎるくらいだが」
「金銭感覚おかしすぎます…!普通の暮らしをさせてください…!」
来宮美晴、15歳。来月には高校一年生になる。ただの小娘にこの高級家具……恐らく美晴のような性格なら、使うのすら恐れ多くて床で寝るなんて事になりかねない。
露伴は少し考えた後に、別のカタログを出した。
「ならこっちはどう?これはレプリカでもなんでもない、ただの海外製の家具のカタログなんだけど」
「だーかーらー…ッ!」
そこまでしてもらう必要はないと言っているのに、この岸辺露伴という男は美晴の言っている事をまるで理解していないようだった。
「ホームセンター!ホームセンターに行かせてください…!」
先程渡されたカタログを突っ返すように押しつけて息をゼェゼェと切らしている彼女を見て、やはり露伴は疑問符を頭に浮かべている。
「そんな安っぽいモンでいいのか?」
「そっちの方が落ち着くので!」
ギッと音を立てながら背もたれに寄り掛かり、フゥー……と困ったように長い溜息を吐く露伴。なんとまぁ欲のない娘だこと。しかし彼女が落ち着く環境を整えてやるのも雇い主の務めであり、そうするのがいいと彼女が言うなら無理強いは出来ない。少なくとも彼女が高校を卒業するまではここに置くつもりでいるのだし。
今週分の仕事は終わっているので、露伴は明日ホームセンターに連れて行くと彼女と約束を交わし、この日は2人で部屋の掃除をする事にした。
翌日。
「いたた……」
「だからあれほど寝室のベッドを貸してやると言ったのに……」
ホームセンターへ向かう車内、後部座席でまだ調子が悪そうに肩を押さえている美晴をバックミラー越しに見て露伴は溜息を吐いた。
昨夜露伴は疲れているであろう美晴を寝室の大きなベッドに寝かせようとしたが、彼女は断固拒否を貫き自室になる予定の何もない部屋で夜を明かしたのだ。寝室のベッドはちょうど彼が最初に勧めた有名ブランドの一級ベッドで、彼女にとっては恐れ多くて触る事も出来ない代物だったらしい。
文字通り床で寝た彼女は体を痛め、今朝の仕事は満足にこなせていなかった。結局洗濯機の使い方や掃除をお願いする部屋の案内だけ済ませ、朝食も露伴が作ったのだが、こうしてホームセンターに行く事だけは美晴も今日がいいと言っていたので連れ出している次第だ。
「まったく、大事な体を痛めてちゃ話にならん。ベッドだけは今日決めてもらわないとな」
それでも届くのは早くても明日になるだろうが。何にしても給仕係の仕事は体が1番大事だ。毎朝こうではいつまで経っても仕事を始められない。ネタのために雇ったが、こうも使い勝手の悪いものだったのかと露伴は眉間にシワを寄せる。
そんなこんなでS市内にあるホームセンターまで辿り着くと車を停め、早速店内へと入っていった。
「うわー…!」
広い店内に並ぶ様々な商品。家具は勿論アウトドア用品やDIY用品、自転車まで多く取り扱っており、そのどれもに美晴は目を輝かせては手に取って眺めたりしていた。
(しっかり者だと思っていたが所詮ガキンチョか……こんなモンで喜ぶなんて)
安っぽいデザインの亀のぬいぐるみを手に、触り心地を確認している美晴を見て己も隣にあった兎のぬいぐるみを手に取って眺める。
「なぁ、まずはベッドだろ?早く選んでしまおう」
ぬいぐるみを棚に戻し、美晴の肩をトントン叩く。ベッドだけでも今日中に購入して、なるべく早く届けてもらわなくてはならない。露伴がさっさとベッドコーナーへ歩を進めると、美晴も亀のぬいぐるみを手にしながらその背中を追いかけていった。
「ン、ここにも立派なのが売ってるじゃあないか……品揃えがいいな」
立派なフレームに高級マットレス。それを包むなめらかな肌触りのシーツ。露伴は1番高いセットのベッドをさわさわと触り、軽く腰掛ける。一方の美晴は至って普通の、シンプルだが可愛らしい色合いのベッドフレームを見ていた。
「岸辺先生、これとマットレスとシーツは別売りなんですよね?」
「そうだね、自分でカスタマイズ出来るよ。フレームはそれにするのかい?」
もっと立派で高級感のあるものを選べばいいのに。露伴は真っ先にそう思ったが、彼女がそうしたいならそうするしかない。彼女の部屋に置く家具である以上は、彼女が選んだものであるべきだ。
こくりと頷く美晴を見てグッと口出ししたくなる己を抑え込み、しかしマットレスだけでもいいものを見繕ってやろうと彼女にはまず先にシーツを選ばせた。なぜマットレスなのか?そんなのは——、
(また今朝みたいに体を痛めてまともに仕事出来ません、は困る!いいかい。これから学校も始まるのだから疲れは残しておかれちゃあ困るんだ。質の良い睡眠を摂れ、それも君の仕事だ!)
それに尽きる。有無を言わせず買うぞ!やってやるぞ!露伴はそう意気込んでシーツを選ぶ美晴を尻目にマットレスを選ぶ。
結局先程見た質感の良い高級マットレスの注文カードを見せると案の定美晴は首を横に振りながら断っていたが、彼女の手が届かない位置にカードを持った手を挙げてやると観念したように息を吐いていた。
「それからカーテンと棚と、」
「岸辺先生、そんなにいっぺんに買われて大丈夫なんですか…?」
昨日まとめたリストを手に各コーナーの位置を確認していると美晴もそのリストを覗き込んで心配そうにその横顔を見上げる。
「全然。寧ろ君が欲張らないので安いくらいだ。どれ、8畳なら案外もう少し置けるな。インテリアも見とこうか。あと壁紙も」
露伴の背を追いかける美晴の手には既に照明と机の注文カードも握られていた。別に気を遣っているわけではなく、美晴が自分で使いやすそうなものを選んでいるだけなのだが、なぜか彼は美晴が家具を選ぶたびに「それでいいのか?」「本当に欲のない奴だな」と眉間にシワを寄せながら言うのだ。平凡な値段のものを選んでこんな事を言われるのは初めての事で、美晴自身も気を張っていないと金銭感覚が狂いそうになる。
漫画家ってそんなに儲かる仕事なのだろうか?いや、"岸辺露伴"だからこそこんなに余裕があるのだろう。その余裕が"来宮美晴"という平凡な少女の感覚を狂わせようとしてくる。
(なんだか変な気分だな……私、本当にこの人と暮らして大丈夫なのかな。それに男の人だし……間違いがあったら怖いな)
あの時はああするしか自分が助かる方法はなかったが、こうして改めて考えてみると不安になってくる。住み込みの給仕係。変な仕事まで頼まれたらどうしようと、己が女子高生になる事で生まれる可能性について考えるとゾッとする。
だが路頭に迷うのはもっと嫌だ。今はこの人のところで働いて、お金を貯めてさっさとアパートか何かに引っ越そう。今は耐えるんだ。
美晴が頭の中でぐるぐる考えていると、不意にぽすっと何かに正面からぶつかって「ん!」と声を上げながらそれを見上げる。
「何やってるんだよ……ほら、カーテン。女の子ってどういうのがいいの?遮光度合いとか断熱とか色々あるけど」
ぶつかったのは露伴の背中で、彼は振り返って溜息混じりに言いながらサンプルのカーテンの束を一枚一枚確認している。
「どうせ高級品を選んでも拒否するんだから、ぼくもこの辺のから選ぶの手伝ってやるよ……」
カシャカシャとカーテンレールと金具が擦れる音が静かに響く。暫く互いに無言が続いたが、露伴は不意に動きを止めて隣にいる美晴を見る。
(ぼくはこいつとちゃんと生活していけるのだろうか?波長は合うのだからぼくの漫画とは相性がいいらしいが、ぼく自身とは価値観も好みも合わない。本当にやっていけるのか?)
ネタのため、そして自身の負担の軽減という理由で彼女を招き入れたが、元々岸辺露伴は人付き合いが苦手だ。上手くやっていける自信がない。軽はずみに雇ってしまったが給金もいくらくらいやればいいのか相場が分からないし、下手に高額の給金を支払えばこの調子だと受取拒否までされそうだ。
それに、己も男だ。何かの拍子に変な気を起こさないという保障もない。かと言って今更雇うのをやめるなんて、彼女を路頭に迷わせる事になる。一度言った以上責任は持たなければならない。
「あ、」
「ン、」
そこで2人の手が触れ合った。2つの手は同じカーテンを握り、それを広げてみると淡い水色の背景に白い縁取りのされた花柄模様が顔を覗かせて2人して顔を見合わせる。
「私……これいいと思います」
「奇遇だな……ぼくも綺麗だと思った」
その時、互いに"ほんの少しだけ心が通じた"と思ってしまった。
たったカーテン1枚の事なのに、それだけで決め付けるのは早すぎるのに、それまで全く話が合わなかった不安がそうさせてしまった。
「……あのさ。これから一緒に暮らすのに"岸辺先生"って苗字呼びするの、やめろよな」
露伴はサンプルのカーテンが並ぶ下の棚から同じ柄のカーテンの袋を取ると美晴に渡す。
「"露伴"でいいから。ぼくも君の事は"美晴"と呼ばせてもらうよ」
2人で決めたカーテン。それを手にまた2人で店内を巡り、ようやく一通りの家具が揃って会計に並ぶ。
「それは買うの?」
「あ……えっと」
露伴は美晴がずっと脇に抱えていた亀のぬいぐるみを指差すが、本人も持っていた事を忘れていた様子に本日何回目かの溜息を吐くとそれを脇から引き抜いて「これも」と会計に出す。
「飾っとけば。"亀"っていう君のセンスは分からないけどさ」
たったの200円という値段が会計に加わり、それほど額は動かないものの会計機には一気に家具を買ったために桁の多い数字が表示されていて、一瞬目眩がしそうになる美晴を尻目に露伴はカードで支払いを済ませてしまった。
「ほら。目ェ回してないでさっさと帰るよ、"美晴"」
彼はその場で持ち帰れるインテリアの入った袋から先程の亀のぬいぐるみを出すと彼女に握らせる。
「え、あ、はい、"露伴先生"……!」
本当にさっさと歩いて行ってしまう露伴の背を追い掛けるように、美晴もホームセンターを後にしていった。
————
「美晴、ちょっといい?」
そんなあの日から長い月日が経った。
露伴は美晴の部屋の扉をノックするとそれを開けたが、彼女は締め切ったカーテンを手に取って見つめて何やら考え事をしている様子だった。
「あ、露伴先生。どうかしましたか?」
「いや……何してんの」
窓の外を見ていたわけでもないのになぜそこに立っているのか、純粋に疑問が湧いて彼女の方へ歩み寄る。
「いえ、ちょっと思い出していて。このカーテン、私と先生で初めて2人で選んだやつなんだよなー、って」
ふふ、と笑い声を零しながら振り向く美晴の手には亀のぬいぐるみが抱かれていて、思わず露伴も顔が綻んだ。
「懐かしい。あの頃はまだ互いを知らず、価値観も合わなくて本当に上手くやれるのか?なんて考えていたよ」
「そうですね……私、露伴先生に変なお仕事頼まれたらどうしよー、とか思ってましたよ」
「なんだよそれ。君のペチャパイなんて興味ないね」
「なっ!ひ、ひどいです!訴えますよ!?」
プフーッと吹き出す露伴を見て美晴は持っていた亀のぬいぐるみでゲシゲシと彼の二の腕辺りを軽くどつき始める。
「うわっ、やめろよなーッ。それはそういうために買ってやったモンじゃあないんだぞ!」
「亀さんが私の心情を表してくれてるんですーッ!」
「そういうところがまだまだガキンチョだなァ美晴はよーッ」
口を尖らす美晴に対抗して彼女の両頬をムニッと摘んで引っ張ってやる露伴。己のものとは違い弾力のあるそれをムニムニと上下に揺するように手を動かせば、彼女は「よあんえんえぇ〜!」(恐らく「露伴先生ぇ〜!」と言っている)と声を上げて攻撃をやめた。
こんな風にふざけ合う仲になるなんて、あの頃はきっと想像もつかなかっただろう。
「あ、そうだった。今度の読み切りのアイデアがちょいと難産でね。仕事場に来てくれる?」
ふと本来の目的を思い出して彼女を解放すると、露伴は美晴を部屋から出すために彼女の手を掴んで歩き始める。
「はいはい、露伴先生」
その有無を言わさぬ強引な態度だけはいつまで経っても変わらず、美晴は思わずクスクスと笑みを零していた。
後半軸は本編後
イメージとしては岸辺23、来宮19くらい