ここまでお付き合いありがとうございました。
△ △ △
麻酔銃とはフィクションである。
いや、現実にもそう呼べる代物は存在してはいる。だがそれは、フィクションのそれとはまったく異なるものだ。
コミックでよくある展開。雨あられと銃弾を受けながらびくともしないバケモノ相手に、有能キャラがこんなこともあろうかと差し出す。
『特殊な弾丸だ。これを使え!』
そうやって受け取った弾を撃ち込んでみればあら不思議。どんな攻撃を受けても蚊に刺されたような反応しかしなかったバケモノはばったり倒れる。
いったいあれは何だったのだと不思議がる観衆に、有能キャラはどや顔でこう決めるのだ。
『麻酔弾さ。クジラだっておねんねする弾丸だから、あと半日は目を覚まさないぜ』
さて、ここで一般常識を思い出してほしい。
ネギは人間にとっては『薬味』と呼ばれるほど体に良い食材であるが、犬や猫、ハムスターなど身近な多くの愛玩動物にとっては毒であり、与えてはいけない。
同様に、クジラにとって睡眠薬だったとしても他の動物にとってそうとは限らないのである。種によって何が有益であり何が有害なのかは千差万別。さらにいえば『薬品を打ち込む』ことが単純に『ぐっすり眠る』結果に繋がるというのであれば、麻酔医の仕事は半分以下に軽減されるであろう。
麻酔弾を撃ち込み対象が眠りに落ちるというのであればそれは即ち、対象にとって何が薬であり何が毒であるか把握したうえで、対象の体格や体調から必要な薬品の種類と量を完璧に計算し、必要な部位に適切に投与できたという意味に他ならない。
それが可能なのであれば、鎮圧したいだけならもっと簡単で確実な方法がある。鉛玉を急所にありったけ叩き込めばいいのだ。それで終わる。
さらに現実的な話をすれば、麻酔を動物に投与するには獣医の免許が、それを麻酔銃として撃ち込むには銃刀法違反に抵触しないために鉄砲所持許可証と狩猟許可証が最低でも必要となる。
つまり合法的に麻酔銃を使えるのは獣医とハンターの二足の草鞋を履いた奇特な人物のみなのだ。ゆえにハンターの資格など持たない獣医さんは、遠距離で動物に麻酔を打ち込む際はお手製の吹き矢を使用するという。
だというのに前時代、フィクションと現実の区別もつかない無知で無責任な観衆から世のハンターさんたちはことあるごとに『麻酔銃で片を付ければいいのに、撃ち殺すなんて残酷だ!』と突き上げをくらい、大変肩身の狭い思いをしたらしい。
「それが今じゃあ
流転ヒーロー“イザナミ”は独り言ちながらライフルの引き金を引いた。
かつての記憶が教えてくれる。目に見えない風の流れを。そこにいま培った知識と知力を組み合わせて計算。引き金を引くのは答え合わせだ。
イザナミの電気系個性を原動力とした特製のレールガン。弾速は音速以下に抑えているので銃声特有のあの爆音は発生しない。騒音問題にも気を遣わねばならないヒーローのせちがらさを反映しているとも言えるが、隠密行動向きのこの得物を彼女はことのほか気に入っていた。
せき込むようなかすかな音と共に放たれた弾丸は見事、スコープの中のヴィランの腰に命中した。多段式の特殊弾は第一層で相手の衣服を貫き、第二層に仕込まれた『雷衣』を込めた針を相手の体内に打ち込む。
目論見通りヴィランは倒れ伏し、びくびくと小刻みに痙攣し始めた。
体内深くに刺さった『雷衣』針は切開でもしなければ取り出すのは困難。しかし現在進行形で患者は感電しているので、よほど専門的な装備か、相性のいい“個性”でもなければ執刀医も感電することになる。この数年で手術用の薄い手袋程度なら貫通できるほど彼女の“個性”は強力になった。
つまり基本的に蓄積された電力をすべて消費しきるまでの時間、対象を無力化することが可能なのだ。まさにフィクションの世界の麻酔弾である。
麻酔で眠るのと感電し続けるのでは対象の苦痛が少しばかり異なるかもしれないが、そこは必要経費と割り切ってもらおう。
「それにしても、いまどき銀行強盗とはねえ」
しかも逃亡に失敗して近くのコンビニに立て籠もるお粗末さである。
警察の応援要請に応じて出動した彼女たちであったが、知れば知るほどイザナミは呆れの感情を隠せなかった。
奴らは紙幣に記番号があることを知らないのだろうか。どうやって強奪した金を使えるようにするつもりだったのやら。チンピラに毛が生えたようなヴィランである彼らに汚れた金を洗浄するコネや伝手があるとは思えない。
さらには強奪に成功した金は二百万ぽっち。せめてドルならともかく、残念ながら円である。強盗団は七人組なので、逃亡にかかる費用や年月を逆算して頭割りすれば絶対に足が出る。素直にコンビニで一年間まっとうにバイトした方が、きっと安全で楽で時給換算あたりの収入は高い。
「あ、また一人でのこのこ出てきた」
スコープに映り込んだ見張り気取りのバカの胴体を撃ち抜き、これで三人目の無力化に成功したことになる。
本来、人質のいる状況下でむやみに犯人を刺激するような真似は避けるべきだが、イザナミの相棒は耳が良く足が速い。内部の状況は逐次把握しており、有事の際は確実に介入が間に合うからこその各個撃破だった。
しかし七人組でスリーマンセルを組むのは人数的に難しいかもしれないが、ひとり帰ってこなかった時点でせめてツーマンセルで行動するべきだろうに。
敵がバカであることに越したことはないが、あまりにバカが過ぎるとこちらの思惑を明後日の方向にぶち抜いてくることがあるのでそれはそれで困る。
「うい、こちらイザナミ。三人目の鎮圧に成功……って、え?」
さっそくぶち抜いてきたらしい。トラブル発生だ。
相棒からの通信に曰く。
一、ヴィランのリーダー格は幼い女の子を腕に抱えて人質に取っていた。
二、子どもたちだけのお使いだったようで、周囲に保護者の姿は無し。
三、女の子の兄が人質を自分に変えるよう、リーダー格に要求。
四、ストレス極限のなか子供に指図されたリーダー格。状況を忘れブチギレ秒読み開始。
という状況らしい。
「まずいねえ……よし、おっけ」
思考は一瞬。判断は迅速に。
イザナミは頭部装備を狙撃用スコープから、普段の遮光用バイザーに差し替える。ここからはド派手に近接戦闘の時間だった。
「やっちゃえ“鳴柱”。バックアップはまかせろー」
男の苛立ちは最高潮に達しようとしていた。
まず仲間と練り上げた銀行強盗計画が無様に失敗したこと。コンビニに逃げ込むなどというダサい真似を自分たちがしなければならなくなったこと。
コンビニを占拠し、お使いに来ていたと思しき子供を人質に取ったことで警察の動きを封じることができたが、次に来るのがヒーローだということは流石の男でもわかる。
次に見張りという名目でタバコを吸いに出かけた仲間が三人とも帰ってこないこと。そんな能天気なやつらだから計画が失敗したのだと、足を引っ張られ巻き込まれた己が哀れで仕方がない。
そして何より男をイラつかせているのが――
「だからっ、妹の代わりにおれを人質にしてほしいと言っているんです!」
さっきからしつこい、腕に抱え人質に取った少女の兄らしきガキだった。
怒鳴りつけても、脅しつけても、まったく折れようとしない。逆に気圧されそうなほどあまりにもまっすぐな目でこちらを見てくる。
あの赤みがかった瞳が気に入らない。この場に残った三人の仲間もおろおろと自分と少年の顔を見比べるばかりで、少年を黙らせようとしないのが気に入らない。たしかに他の人質が暴れないように見ていろといったが、ここは気を利かせて然るべき場面だろう。
「うるせえ! そんなことをして何の得がある!!」
「おれはおとなしくします! 妹を解放してくれるなら逆らいません! それに、ええと、おれは男なので女子供を人質に取っているという生き恥から、子供だけに恥を減らせます!」
あまりにも迷いのないその言葉に呆気にとられ、ついでぶちりと自分の中で何かが切れる音がした。
「ガキィ!!」
そんなに言うのならお望み通り人質にとってやる。お前の妹をぶっ殺したその後で。
どうせコンビニの中に代わりの人質などいくらでもいる。ガキだけ探しても一緒にお使いに来た彼らの弟妹と思しきチビが三~四人いるのだ。
筋肉が膨張し、男の“個性”が発動しようとする。
雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃・六連
世界から音が消えた。
じんじんと耳鳴りがして、白濁する視界に何が何やらわからなくなる。まるで屋内にも関わらず、落雷が直撃したかのようだ。
「もう大丈夫だよ。ずっと頑張って、偉かったね」
男は床を舐めている自分に気づいた。
腕の中にいたはずの人質の姿はなく、さてどこに消えたと見渡せば別の誰かの腕の中にいるのを見つける。
ついでに仲間たちも自分と同様、残らず倒れ伏しているのがわかった。自分とは違い、完全に意識が絶たれているようだ。
「さて、女の子の保護を優先するあまり、ちょっと狙いが荒くなったかな。少し待っててね」
男から人質を奪ったそいつは、やさしい笑顔を浮かべながら少女をそっと床におろした。
タンポポの花のようなバサバサの金髪を頭の後ろで束ね、肩の下まで流した髪型。和装と詰襟を組み合わせたようなコスチュームの上に黄色い着物を羽織り、腰には日本刀を差している。
「あなたは……」
先ほどまで男に詰め寄っていた少年ですらそいつに目を奪われている。それほどまでに存在感のある男だった。
少女に向けていた柔らかな笑みから一転、鞘から刀身が抜き放たれるように鋭利な視線が男を射抜く。ひゅっと喉の奥が鳴るのがわかった。
「ヒーローだ!」
「“
「“
「“デク”や“ショート”のSSR勢に比べたらちょっと落ちるけど、それでもギリSRの新世代だ! もう安心していいぞ!」
コンビニにいた群衆がわっと沸き、そいつの正体を教えてくれる。
不思議なことに同一人物のことを指しているはずなのに呼称がバラバラだったが。あとついでに先ほどまで鋭利だったそいつの顔面があっさりと崩壊した。
「ちょっとぉ!? ひとの
ファンからつけられた愛称のとおりぎゃんぎゃん騒ぎ立てるそいつの名前を、男は知っていた。
オールマイト引退後に台頭した雄英高黄金世代のヒーローたち、通称『新世代』の一角。
「……鳴柱ッ」
「ありがとう! 正しく呼んでくれたのはキミだけだよヴィランのひとっ」
わりとガチ目のトーンで感謝されて男は困惑した。
かと思えば、すっと鳴柱の表情が常温に戻る。
「それでさあ。投降してくんない? おとなしくしてくれたら痛い目には遭わずに済むからさ」
「ふざけっ……!?」
怒鳴り返す前にびくりと男の身体は弓形に仰け反った。そのまま意識があるのか無いのか、さだかでない表情でびくびくと痙攣し続ける。
「あーあ。俺ちゃんと忠告したのに……」
「やさしいねぇ鳴柱は。でもあいにく、ぼくはそうじゃないのさ」
男の意識が鳴柱に集中している間に、いやその場の誰にも気づけないほど自然にさりげなく、その傍に歩み寄った彼女が雷を纏わせた針を刺し込んだ結果だ。
鳴柱の霹靂一閃を受けて気絶しなかったタフネスを鑑み、かなり電力をチャージしたらしい。防げなかった悲劇に鳴柱はそっと肩をすくめた。
「うおおおおお!! すげえ、『
「鳴柱の
「うっひょー! テレビと同じ訂正だぁ! 本当にやるんだ」
再びどっと沸く周囲に向けて、イザナミはどもどもーと愛想よく手を振ってみせた。
既に解決した事件ではあっても、非日常の記憶は本人すら意識できない心の傷として長年残ることがある。だから同じ非日常の記憶でも、恐怖と焦燥に彩られたものから『テレビの向こう側と遭遇できた』という防壁越しの楽しい記憶へとすり替えるのだ。
このあたり、鳴柱の相棒は学生の頃からそつのない女であった。
「あのっ!」
「うん?」
ヴィランの引き渡しが終わり、人質も解放され、さてこの事件も一件落着と相成ったころ。
人質に取られていた少女とその兄弟は保護者が迎えに来るまで警察が保護することになった。そんな中、子供の一人から鳴柱は話しかけられる。
それは妹を解放しろと、その手法の是非はともかくとして、絶対に折れずくじけず諦めずに交渉を続けていた、間違いなく勇敢な幼い少年だった。
「どうしたの?」
コスチュームが汚れるのも構わず地面に両膝をつき、視線を合わせる鳴柱に少年の顔がぱっと輝く。
「妹を守ってくださって、本当にありがとうございました!」
勢いよく下げられた頭に、鳴柱の顔がほころんだ。表現を飾らなければ、だらしなく笑み崩れた。
「うへへー、それがヒーローの仕事だから当然だよんって言いたいけどやっぱ、お礼を言われると嬉しいもんだねえ。まあ可愛い女の子を守るのは男の甲斐性みたいなもんだからさっ」
「そうなんです! 近所でも評判の美人なんです、おれの妹は。あいつに大事が無くて本当によかった……」
その声からは心底彼が家族を大切にしていることが伝わってきた。
本当なら、と鳴柱は考える。
ヒーローとして、大人として、鳴柱はこの少年を叱るべきなのだろう。君が危険を冒す必要はまったく無かった。今度からああいう場所ではヒーローに任せておきなさい、と。
しかし、あのときあの場所で。人質にとられた幼い少女を助けようと真正面から立ち向かったのはこの幼い少年だけだったのだ。間違いなくあの瞬間、少女にとって彼は誰よりもヒーローだった。
たとえお題目だったとしても、果たすべき義務なのだとしても、それでも鳴柱はあのときの幼い兄妹の絆を否定することはできない。どうせあとで警察や彼の両親から大目玉を食らうのだ。自分くらいは黙認しても許されるだろうと鳴柱は自分に言い訳する。
「あの!!」
ぱっと顔が上げられ、赤みがかった瞳がまっすぐに鳴柱の目を見つめる。
「おれも、あなたのようになれますか?」
込み上げるものを飲み下すのに、鳴柱はとても苦労した。
とっさに右手を伸ばし、少年の赤みがかった黒髪をぐしゃぐしゃと撫でてやる。
「うわっ!?」
「なれるさ。俺はすげぇ弱いんだぜ? お前ならすぐに、俺なんかよりずっとずっとすげえやつになれるさ。でも」
大人の力で頭をぐらぐらと揺らされ軽く目を廻す少年に、鳴柱は笑いかけた。
「お前は妹を、家族を守るために強くなりたいんだろう? だから間違ってもヒーローなんかになるんじゃないぞ」
その言葉を、きっと少年は生涯忘れないだろう。
ヒーローが『ヒーローなんかになるな』と言う違和感もさることながら、鳴柱の声の響きは決して無視してはいけないと思わせる重さを含んでいた。
泣きたくなるほどに優しい匂いがした。
「鳴柱。また次の出動要請が入ったよー」
「おっと了解。そういうわけだ少年、残念ながら時間切れらしい。今度はまたテレビの向こう側で会おう。応援よろしく!」
相棒のイザナミに促され、次の助けを求める人々の下へと走り出す大きな背中に向けて、赫灼の子はもう一度深々と頭を下げる。
「ありがとうございましたっ!!」
その声は青空の下に、どこまでも響いていった。
イザナミの体格は学生のころからほぼ変わっていない。
一方で鳴柱は高校生からプロに至る最中にまた一段階大きく身長が伸びている。
両者の身長差はもはや大人と子供であり、身体能力に優れた鳴柱が相棒をフォローしつつ高速移動を実現させようと思うと、自然とそんな体勢になった。
鳴柱がイザナミをおんぶして走り、パルクールよろしく街を駆け巡る彼のナビゲートを背中からイザナミが担当する。
鳴柱の担当区域ではわりと見られるポピュラーな移動方法である。
「……ねえ」
「うん?」
轟々とその速度を示すかのように風が渦巻くが、慣れた二人の会話の妨げにはなりえない。
「あったね、面影」
「ああ、そうだな」
きっと何度生まれ変わろうと、あの“音”を聞き間違えることはないだろう。
いつか話していた。自分は長男で、妹は長女だったのだと。
そして今、彼と彼女はたくさんの弟と妹に囲まれていた。
「なかったね、痣も耳飾りも」
「もう必要のないものだからな」
鬼はもうこの世界にはいない。
人が暗闇を恐れる理由は、永遠に一つ欠けたのだ。
だから、受け継がなければいけない約束もない。
「ねえ、ヒーローをやっていてよかった?」
「お前こそ、人間に生まれてよかったのかよ」
「もう、質問を質問で返さないでよ。うん、でもま、そういうことか」
そんなことは、終わってみなければわからない。
とてつもなく後悔をすることもあれば、じんわりと遣り甲斐を感じることもある。
だが結局、本当に心の底からよかった、悪かったと言えるのは一度終わらせて、もう一度遠くからそれを眺めたときにようやく出る結論なのではないだろうか。
だから今日で満足してしまうこともないし、きっと明日も続けていくのだろう。
「なあ相棒」
「なぁに、相棒?」
「これからもよろしくな」
「きみが望むのなら、どこまでも」
ヒーローアカデミアの霹靂日記 完
というわけで完結です。
だいたい文庫本1~2冊ほどの文章量になるでしょうか。
長いようで短いような時間ではありましたが、お付き合いありがとうございました。
プロットの都合、冗長になると切り捨てたエピソードを番外編として投稿することもあるかもしれません。
そのときはまたお付き合いくださればさいわいです。
【雄英こそこそ話】
前書きと口調が違うと思ったことはない?
実は雄英こそこそ話は筆者本人ではなく、三等身のアバター『うこぎちゃん』が喋っている態で書いていたよ。アニメ版の大正こそこそ噂話と同じ感覚だね。
すごくどうでもいい話だよね!
追記
あとがきを活動報告に載せましたので、よろしければどうぞ。