─────1─────
「ん・・・・・・」
右手があたたかい。布団とは別の、人肌のような。眠気で重たい瞼を薄く開けるとそこには─────
「起きたか。もう平気か?」
「・・・・・・・・・・・・・・え!?」
マスターさんが私の隣に座り手を握っていた。手を払い布団から飛び起きると彼が怪訝な顔で見てくる。
「な、なな、な」
「どうした、大丈夫か?顔が真っ赤じゃねェか」
「どうして隣に座って・・・それに手を、握って!?」
「お前が傍にいてくれって言ったんじゃねェか」
「私が─────っ!?」
思い出した。過去の夢にうなされているときに彼がやって来て、それで心細くてついあんなことを。
「そのことは忘れてください」
「あ?なんだよどうした」
「いいから忘れなさい!矢で撃ちますよ!?ていうか撃ちます!」
「馬鹿!待て待て分かったよ忘れる!」
自分がしたことが恥ずかしくて堪らない。この男に、こんな、情けない。
「まァいいさ。もう大丈夫そうだしな。寝汗結構かいてるみてェだからシャワー浴びてこいよ。朝飯の支度はしとくから」
そう言って彼は部屋を出て行った。
手にまだ彼のぬくもりが残っていて、でもそれが案外悪い気がしなくて、そんなことを思っている自分が嫌になって。
「馬鹿馬鹿しい・・・」
額に手を当て深いため息をついた後、布団を片付けてから寝汗を洗い流すついでに頭を冷やすため浴場へ向かった。
*
シャワーを浴び終え居間へ続く廊下を歩いていると、朝食の香ばしい匂いが仄かにして食欲がそそられてきた。
居間には私とマスターさんの分のトーストとベーコンエッグが用意されていたが、それを作った彼の姿がなかった。
「マスターさん?・・・どこに行ったんですかね」
辺りを見回しても特におかしな点が無いことから、何か良からぬ事態に陥ったわけではないんだろう。
「まあすぐに戻ってくるでしょう」
敷かれていた座布団に腰を下ろし、つけっぱなしになっていたテレビから流れているニュースをなんとなく眺めた。芸能人が不倫しただの捕まっただのとどうでもいい内容にすぐに飽きて、チャンネルを切り替えようと机上のリモコンに手を伸ばした時、表から数人の男の悲鳴が聞こえてきた。
「はあ、朝っぱらから騒々しいですね─────ん?」
悲鳴の中に聞き覚えのある男の怒声が混じっているような気がした。というか完全にマスターさんの声だ。
「どこに行ったかと思えば何やってるんですかあの人・・・」
騒ぎのせいで大して面白いわけじゃない番組に尚更集中できなくなって、渋々彼の様子を見に玄関へ向かった。
硝子戸を開けると、表門の辺りで数人の男を滅多打ちにしているマスターさんが。
「なんでェ。先に食っててもよかったのによォ」
こちらに気付いたマスターさんが優しい声でそう言った。呻き声を上げる男の首根っこを掴みながら。
「貴方たちの声、居間まで聞こえてましたよ」
「すまねェすまねェ。朝飯作り終わってお前待ってたらカチコまれてなァ」
「貴方って色々な人から恨まれていますねぇ。それいつ片付くんですか?」
「今終わったところだ。戻って飯食おうや。おい!今日はこんくらいにしといてやるからさっさと帰れ!」
*
<先週から昨夜にかけて、M市で発生した四つの変死事件の証拠は未だ掴めておらず、捜査は難航しているとのことです。近隣の住民の方々は夜分の外出を控え、人通りの少ない道の利用を避けるよう心掛けてください。以上、ニュースでした>
洗い物を終えた彼と二人、やることもないためさっきとは違うチャンネルのニュースを見ていると興味深いものが流れてきた。
「・・・・・・・・・」
「興味ありって感じだな。最近話題になってんだ。外傷無し、毒を盛られた形跡も無し。まるで魂を取られたみてェに死んでるんだとよ」
「魂を取られたみたい。ですか」
心当たりがある。聖杯戦争の舞台で起きる不可解な事件なんて大抵魔術師とサーヴァントが絡んでいるものだ。
「これ、恐らくですけど聖杯戦争参加者の仕業ですよ」
「そうなのか?」
「ええ、貴方が言った情報が正しいなら“魂喰い”というもののはずです。魂喰いとは主に人間などの生き物から生命力を奪いサーヴァントの魔力を回復する行為のことです」
「魔術の一種ってわけか。ん、待てよ。魔術は秘匿のはずだろ?こんな堂々と痕跡の残していいのかよ」
「参加者の誰も彼もが良識ある魔術師ではありませんから。それにマスターさんみたいな素人もいるかもしれませんし」
「素人の仕業だとすると厄介だな。これから何するか分からねェぞ」
彼は腕を組んで考え事を始めた。私は空になった湯呑にお茶を淹れ直し一口すすった。こうしてのどかな朝のひと時を過ごしていると、自分たちが聖杯戦争に参加し昨日参加者のグループのうちの一つを倒したとは思えない。
「ああそうだ。カーマ、俺昼からバイトあるから留守番頼むぞ」
「はあ?」
何を言っているんだこの人は。自分の置かれている状況が分かっていないのだろうか。
「はあってなんだよ。何か不満でもあんのか?」
「大ありです!いいですかマスターさん、貴方は聖杯戦争の参加者で、昨日ランサーを倒した時点で他のマスターからは敵として認識されてるんです!いつどこから狙われるか分からないのにサーヴァントを置いて出歩くなんて自殺行為なんです!」
昨日のこともあって、危機感の足りない彼に少し苛立って語気を荒げてしまった。別に叶えたい夢があるわけじゃないのだから、彼が死んで負けても私には関係ないのに。
人間なんて大嫌いなのに、私は─────この人に、執着している。
「お、おお。すまん。だけどなァ、職場にお前を連れて行くわけにも・・・・・・」
「私は霊体化出来るんですから、それで傍にいますよ。何かあったら念話で貴方に直接話しかけます」
「ね、念話?」
『どうですか?聞こえていますか?』
「な、なんだ!?あ、頭の中に直接声が・・・」
『こうやって、契約したマスターとサーヴァントは会話が出来るんです。こうすれば離れていても互いの状況が確認できるでしょう?これも魔術なので貴方のセンスが問われますが、まあ少なくともこの町にいる限り連絡は出来ますよ。ほら、貴方もやってみてください』
『・・・・・・・・・あー、テステス・・・・聞こえて、るか?』
まだ途切れ途切れではあるが彼の声がちゃんと聞こえてきた。この人にはやはりセンスがある。ちゃんと訓練すればそれなりの魔術師になれるはずだ。
「うん、大丈夫そうですね。これからは状況に応じて使い分けてください」
「了解」
*
喫茶【
蒼天商店街の一角にあるこの喫茶店がマスターさんのバイト先だ。かなり昔から営業しているようで、モダンな外見の所々に相応の年季を感じさせる。水芙蓉とは私の霊衣にもあしらわれている蓮の花の異名である。
霊体化して外から店内の様子を伺うと、普段しているガラの悪い格好から半袖のワイシャツに黒のベストとズボンを身にまとい、せっせと働く彼の姿が見える。
(ふーん、まあまあ様になっているじゃないですか。料理が出来るのもこれが理由ですか)
夏の強い陽射しが私を容赦なく襲う。この暑さが、私のトラウマを蘇らせる。シヴァに焼かれたあの時のことを。
(というか、律儀に外にいる必要ないじゃないですか)
あれに比べればこの程度どうってことないとはいえ、流石に耐えきれなくなった私は陽射しから逃れるように喫茶店へ入った。
「いらっしゃいま─────おお?」
「客に向かってなんですかその間抜けな態度は」
「客って・・・いつ襲われるか分からねェって言ったのはお前だろ」
「うだうだ言ってないで早く席に案内したらどうです?」
「けったいな態度だな。お客様は神様とでも・・・・・・・神様だな」
彼は諦めてこちらへどうぞ、と態度を営業スタイルに切り替えて私を奥の陽の当たらない席へ案内した。木製の椅子に腰かけると私の前にメニューを差し出した。
「こちらがメニューです。本日のおすすめは、桃のフルーツケーキでございます」
「じゃあそれを。あとミルクティー」
「かしこまりました。お客様、失礼ですが」
伝票に注文内容を書いていた彼が怪訝な表情で見つめてくる。
「なんですか?さっさと作ってきてくださいよ」
「いえ、一つだけお聞きしたいのですが・・・代金のほうはお持ちで?」
「はあ?持ってるわけないでしょ。マスターさんの奢りで」
「・・・・・・」
あからさまに嫌そうに顔を歪めてから数秒後、観念したようにため息をついてからごゆっくり、と言い残してカウンターの奥の厨房へ消えていった。
店内を見回すと、ちらほらと他の客がいる。老人や学生服を着た若者、リーマン風の男と客層はバラバラだ。
しばらくの間ボーっと店内を眺めていると、マスターさんがケーキとミルクティーを持ってきた。
「お待たせ致しました。フルーツケーキとミルクティーです」
スポンジケーキに生クリームを塗りカットされた桃を乗せたフルーツケーキと小洒落たカップに淹れられたミルクティーがテーブルに置かれる。生クリームの色が仄かにピンク色なのは桃と混ぜられたものだかららしい。
「貴女がお客様ということなので、いつも以上に腕によりをかけて作りました」
「それはどうも。ではいただきます」
ケーキを口に運ぶと、新鮮な桃の芳醇な香りと生クリームとスポンジの甘みが広がりとても美味しく、ミルクティーともよく合う。
予想以上の味に夢中になっているとあっという間にケーキを完食していた。
「いかがでしたでしょうか?」
「・・・・・・まだまだですね。ええ、この程度じゃ満足できません」
「はは、そうでございますか」
「なに笑ってるんですか?」
「いえ、食べているときのお顔がとても幸せそうでしたのでつい」
「なあ!?そ、そんなことありません!というかにやにやしないでください気持ち悪い!」
「ははは、失礼いたしました」
「・・・・・・・・・あの、もう一ついいですか?」
「はい、少し大きめに切ってお持ちいたします」
*
「もう一つと言っておきながら結局お前は幾つ食ったんだ?ん?」
「・・・・・・・・・三つです」
「五つだ。気に入ってくれたのは嬉しいがちったァ遠慮したらどうだ」
彼の視線に耐え切れずふいと目をそらす。
「はあ、そんなに気に入ったんなら今度家で作ってやる。ここで食われるよりマシだからな」
「そ、そうですか。そこまで言うなら食べてあげなくもないですよ?」
「大した奴だなお前。まだそんなことが言えるのか」
「う・・・」
「・・・まあいい。たかがケーキでいつまでもグチグチ言うつもりはねェよ。もう俺あがるから待ってろ」
店の前で待つこと数分、帰り支度を済ませた彼が出てきた。
「遅いですよ。愛の神を待たせるなんていい度胸してますね」
「そいつァ失礼。気になるニュースが流れてたもんでな」
「言い訳は結構です。ほら、さっさと帰りますよ。晩御飯が遅くなってしまいます」
「お前さっきあんなに食ったのにまだ食う気なのか。意外にも大食いなんだゴハァ!」
言いかけたところでカーマの拳が下腹にめり込み真澄は膝から崩れ落ちた。
「女性に対してデリカシー無さすぎなんじゃないですか?」
「すんませんした・・・」
「まったく─────マスターさん。僅かですが魔力の香りがします」
「・・・敵か?」
「まだ分かりません。あちらの方から臭ってきます」
「分かった。お前は先に行って様子を見てくれ」
「はいはい分かりましたよ。人使いの荒いマスターさんですね」
─────2─────
「臭うと言われて来てみれば、ここか」
先に現場に到着したカーマの指示に従って訪れた場所は、町内の南にある廃団地だった。
「アサシン、何処にいる?」
「ここにいますよ」
幼女の姿に変化し、いつの間にか背後に立っていた彼女がいたずらっぽい笑みで俺の顔を覗き込んできた。が、俺が大して驚かなかったせいかすぐに不服そうに睨んできた。
「つまらない人ですねぇ。良いリアクションの一つもとれないんですかぁ?」
「こういうのには慣れているんでな。次からは満足のいくリアクションしてやろうか?」
「そんなこと言われた後にされたって空しいだけなので結構です。それで、何なんですかここ」
何年も放置されたせいでおどろおどろしい雰囲気を醸し出している団地に視線を向けて彼女が訊いてきた。
「何十年もほったらかされた団地だ。なんでもどっかの一室で人殺しがあってから気味の悪い現象が続出したらしくてな。そのせいで皆引っ越して今じゃ有名な心霊スポットってわけよ」
「つまり、隠れ家にはもってこいってことですね」
「そういうこったな。ここに人なんて滅多に来ないからな。来るとしたら県外から来る物好きな馬鹿だけだ。で、反応はどの辺りだ?」
「壁にAと書かれた棟の四階辺りからです」
「よりにもよってA棟か」
なにもそこから反応が無くてもいいだろう、と真澄は苦笑いを浮かべた。件の人殺しがあった場所はA棟なのだ。
「あれれ~マスターさんひょっとして怖いんですかぁ?」
「今更幽霊なんざ怖かねェさ。そういうお前はどうなんだよ?」
「はあ?怖いわけないじゃないですか。そもそもサーヴァントだって霊体なんですから幽霊みたいなものなんですよ」
「確かにそうだな。どこの幽霊もこんだけ可愛けりゃいいんだがな」
「な!?またそうやって!」
頬を赤く染めプリプリと怒る彼女を横目にA棟を見据える。壁は塗装がはがれコンクリートがむき出しになり所々にツタが絡まっている。夕焼けで紫色に照らされているせいで夜に見る時よりも一層不気味だ。昔、幽霊や物の怪に遭遇するのは夜ではなく黄昏時と聞いたことがあるがなるほど。確かにそんな気がする。
「行くぞ。魔力の正体が幽霊だろうがサーヴァントだろうが、この時間はあまり良くない」
「マスターさん。その前に約束してください」
彼女はさっきまでと違い、昨日見せた真剣な表情で俺に迫ってきた。
「私を庇うとか、そういう余計なことはしないように。毎回貴方の傷治すの面倒くさいんですし、貴方が死んでしまったら元も子もないんですからね。それに、本来人間がサーヴァントに勝つことなんて不可能ですから。昨日のは例外です」
ランサーのことか。言われてみれば、サーヴァントのくせに妙に呆気ないとは思っていたが、どうやらあれはおかしかったみたいだ。
「そうなのか?」
「サーヴァントは霊体ですからいくら魔力を帯びた攻撃でも仕留めることは出来ないんです。サーヴァントにはサーヴァントで、マスターにはマスターで対抗するのが聖杯戦争なんです。分かりましたか?」
「分かりはしたがなァ、身内が危ねェときに黙って見ていられるほど俺ァ利口な奴じゃねェからなァ。お前を庇うことを余計なこととは思えないんだが」
「余計なことです!それともなんですか、私のことが信用できないんですか?マスターにサポートされないとまともに戦えない落ちこぼれだと言いたいんですか?」
「いや別にそういうわけじゃ・・・」
「あーあーそうですよ。どうせ私は信用できない落ちこぼれサーヴァントですよ」
「悪かった。お前は信用できるし落ちこぼれでもねェよ。約束するからな?」
「ふんっこんなんだから神々にいいように利用されてシヴァに焼かれるんですよ。どうせ私が、私が全部悪いんですよ。もう勝手にすればいいですよ。グスッ・・・・」
不貞腐れそっぽを向いてしまった彼女を慌ててなだめるが、どうやら過去のトラウマが蘇ってしまったのかうずくまって涙目になってしまった。
「そんなことねェって。お前は優秀で頼れる最高のサーヴァントだよ。焼かれたのもお前のせいじゃないし、悪いのは他の神!そうだ、帰りにスイーツ好きなだけ買っていいから、な?頑張ろうや」
「・・・・・・・・・・・・スイーツ与えておけばどうとでもなると思ってません?」
赤くはれた目を細めて上目遣いで睨んできた彼女に図星を突かれた
「いや、まァ、否定は・・・できないが。お前・・・めんど───難儀な性格してるな」
「今面倒くさいって言いかけましたよね!?」
「・・・・・・言ってねェ」
「言いましたよね!今の不自然な間が何よりの証拠じゃないですかぁ!あ、こら目を逸らさないでください!」
「分かった分かった。あっしが悪ゥござんした。自分の立場を弁えお前の意思を尊重するよ。だから機嫌直してくれよ。状況も状況だし」
「・・・・・・そうですね。無駄に騒いで無駄に疲れました。さっさと様子見て帰りましょう」
外側に備えられた鉄製の螺旋階段をを上るたびに軋む音がし、崩れるんじゃないかと不安になる。上っているうちに陽は完全に没し、聖杯戦争の時間がやってきた。
「405号室」
「え?」
「人殺しの現場は405号室だ。ガキの頃、一度だけ入ったことがあるんだ」
小学六年の時、哲に頼まれ五人でここへ来たことがあった。あの時は特に何も感じなかったが今回はそうでもないみたいだ。
ただし、感じるのは幽霊の気配ではなく─────死臭だ。
「どうやら当たりみたいだな」
「ええ、魔力の他に不愉快な臭いがプンプンします」
「ああ、まったくだ」
405号室前まで来ると、死臭は一層強くなった。
ドアノブに手をかけようと一歩前に出た瞬間、ピチャリ、と水たまりを踏んだ時のような水音がした。
「─────」
扉の下から鮮血が溢れ出ていた。扉の向こうからは何かを貪る不愉快極まりない音が聞こえてくる。
まさか───喰っているのか、人を。
「扉ごと吹き飛ばせ」
「だったらこっちの方がいいですね」
彼女は弓ではなく、自らの周りに幾つかの蒼い炎の球を出現させた。その球から尋常じゃない熱が感じられる。彼女に炎を扱う話は無かったはずだが、まさかシヴァに焼かれた時の炎なのだろうか?だとしたらなんともまァ皮肉な武器なこった。
彼女が放った火球は扉に直撃し、爆音とともに扉が吹き飛んだ。しかし、その衝撃で発生した爆風で俺吹き飛び外側に投げ出された。
「ばっ!?」
寸でのところで手摺壁に掴まり落下せずに済んだ。
「なに遊んでるんですか?扉、壊しましたよ」
ぶら下がっている真澄にカーマが呆れた表情で声をかけてくる。
「ば、馬鹿野郎・・・離れろと一言言えよ・・・」
「なんでいちいち言わなきゃいけないんですか?それくらい自分で判断してください」
「さっきまで俺の身を案じていたのは何だったんだこの野郎」
「うるさいですねぇ。どうせ貴方だったらこの高さから落ちても平気じゃないですか。さあ、中を調べますよ」
「人使いが荒いのはどっちだまったく。よっと」
手摺壁から上がり、彼女の横を通り部屋に入った。玄関越しに見た限り、生き物の姿は見えず人の気配もしない。
それよりも、目前に広がる部屋の惨状に真澄は言葉を失った。
「あーほんと、反吐が出ますね」
カーマが蔑みの表情でその惨状に悪態をつく。
部屋の中には十数の人間の死体が散乱していた。その殆どがバラバラになっており、足元に落ちているものを拾うと、それは食い散らかされた人間の腕だった
「チッ、イカレてんな」
舌打ちをし腕を投げ捨てた。腕にまだ熱が残っていたことからさっきの音はこれを喰っていたものだろう。だったら喰っていた本人はどこへ?
部屋の奥から風が吹いてくる。鼻がねじ曲がりそうな死臭に僅かだが外の匂いが混ざっている。
死体を跨ぎながら急いで部屋の奥へ進むと、ぶち破られた窓から風が入ってきており血濡れたカーテンが揺れていた。
「扉が吹き飛ばされたのと同時にあそから逃げたってわけか。反応はどうだ?」
「敵正反応はもうありません。ここに残された魔力量はかなりのものですが」
「血を啜り肉を喰らう。こりゃァ食屍鬼だな」
「よく分かりましたね。恐らくその類のものでしょう。こんなに喰い荒らして放置するあたり知性は低そうですけどね」
「え、マジでいるの?グール。冗談のつもりで言ったんだが」
「目の前に神がいるんですから今更グールごときで驚くことないでしょう」
「それもそうか。世界は広い、眼に見えることだけが全てじゃないってことだな」
何か手掛かりになるものを探すために死体を手当たり次第に調べていると
「貴方、妙に死体慣れしていますね・・・」
「色々やってきたからな。死体を見る機会はかなりあった。それに、ここのもんみたいにほとんど人の形を保ってねェもんは逆にリアリティに欠けるから大して堪えねェ。あ、そこ目玉転がってるから気を付けろよ」
「げ、踏んじゃいましたよ・・・」
「後で洗ってやるからそこら辺に擦り付けるなよ」
顔を引きつらせて靴裏の汚れをこすり取ろうとする彼女を止める。
部屋をあらかた調べ終え、いい加減死臭に耐え切れなくなり、弔いの意を込め手を合わせて足早に部屋を出た。
「アサシン、お前の炎でここの死体だけ燃やすことはできないか?このまま放置じゃ喰われた連中が浮かばれねェからよ」
「えー、面倒くさいですねェ。通報して終わりじゃ駄目なんですか?」
「そうもいかねェよ。事情があれどこうやって調べちまったからには無責任なことはできん。頼むよ」
「真面目ですねェ。いいですよ、仕方ないけどやってあげます」
彼女の手から放たれた蒼炎が死体を包む。不思議なことに死体が焼けているにもかかわらず煙と臭いが全く発生せず、蒼炎の中で少しずつ消えていく死体が美しく見えた。
─────3─────
廃団地を後にして、夏の生暖かい夜風に当たりながら家路に着く途中、突然彼が私の手を掴んできた。
「は、え、な、なんですか?」
「安心しろ、やましい気持ちはない」
真面目な顔で私の手を暫く観察すると、納得したように頷き手を離した。
「痛みは感じねェのか?」
「急に何ですか?」
「さっきの蒼炎。ありゃァお前が焼かれたときの炎だろ。そんな自分にとっての弱点を武器として使っているのを意外に思ってな」
「熱いとは思いますけど別に痛みは感じません。さっきのは私を焼いたときのものの残り火で、サーヴァントになった際に能力として登録されたんです。皮肉ですよねェ、自分を苦しめ身体を奪った炎が武器になるなんて」
いつものように捻くれた笑みでそう吐き捨てると、彼は僅かに悲しそうな顔をして顎を引いた。
「すまん、訊かないほうがよかったな」
「いいです、もう慣れましたから。それに、貴方言いましたよね?聖杯を使ってシヴァに仕返しをするって。上手くいけば座の私とシヴァの縁が切れてトラウマを抉るような能力は改善されるかもしれませんし」
「任せてくれ。約束したからには必ず果たす」
暗い表情から一変、 悪魔のような笑みを浮かべて自信満々に言い放った。分からない人だ
「今からどうやって仕返しするか考えておかねェとな。とりあえず爪は全部剥がしてやろうかね。いや、そもそも爪あるのか?」
顎に手を当てぶつぶつと一人考え事を始めたが、内容がくだらないだけにその真面目な顔が可笑しく見えた。
「正直どんな人かよく分かりませんでしたけど、ひょっとしたらただの馬鹿なのかもしれませんね」
いつもは作り笑いしかしていなかったけれど、この時だけは純粋に笑えた気がした。
多分気のせいでしょうけど。
第三話です。さほど進行はありませんが次回辺りから盛り上げていこうと思います。これからもどうぞよろしく