Gerthena 作:mashi
薄暗く、不気味なほどに静かなこの森を、顔や体に傷やタトゥーのアートを纏った男は雑草を踏みにじって歩いていた。
虫の声はおろか、鳥の鳴き声、獣の気配、あらゆるものがここにはなかった。
でも何故か、今の自分にはこういった閑静な場所が妙に心地よかった。
普段こんなものを好むはずもない彼であるはずだが、この時だけは、その静寂が愛おしかった。なぜだろうか。もしかしたら、緊張をしているのかもしれない。
一緒に来た男とはぐれてもなお、彼の意識はそちら側に向く。
汚れた廃屋でひとり膝を抱える金髪の少女へと。
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「メアリーの存在は...あんたの罪..?」
「........」
ワイズは完全に筆を止めて、机の端に背を預ける。
「一体...?わからないことが多すぎる。」
ミッシェルは手を外へ振るしぐさをする。
しかし、ワイズは口を紡いでいた。
その表情は構想を練っている画家の面持ちそのままだった。
「教えてくれ、メアリーとは何者なんだ。あんたの何が彼女を生み出した?」
ミッシェルは丸椅子をワイズの正面へと置き、対面する形で座った。
「そもそも、メアリーのモチーフは一体誰なんだ?まるっきりの空想ってわけでもないんだろう?」
しかし、いくら問いかけようとも、ワイズは口を開こうとしなかった。
「...爺さん!」
「...うるせぇ。俺のタイミングで喋らせろ。」
一度ため息をついたワイズは観念したように、語り始めた。
「あの娘はな....俺の...俺の、唯一の理解者だった。」
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ガキの頃、俺の家庭は最悪だった。
アルコールと薬に溺れた戦争帰りの父親に、ヒステリック持ちの母親。
家に居れば、毎日が雑音の日々だった。酒に荒れ狂う父親と、癇癪を起した母親の夫婦喧嘩。血を見る日も少なくはなかった。
そんな俺の唯一の心の癒しは、絵を描くことだった。
自分の心の内を絵にして、自分の目で確かめる。自分自身と対話ができるその時だけは、本当に気持ちが晴れやかになれたんだ。
だが、そんな絵に没頭する俺を周りの人間は陰気臭いヤツだと嗤った。
男の癖に絵なんてと邪魔をしてくる連中もいた。
俺の絵も理解できずに口出しをしてくるバカもいた。
そしてついに、世間の体裁を気にする母親が、俺の絵のことで癇癪をおこして、道具をすべて捨てられた。目の前で火をつけられたよ。
それから俺は、誰も人目につかない、街はずれの静かな湖畔でひっそりと絵をかいていた。模写をするときもあれば、オリジナルの絵を描くこともあった。
絵を描くためなら、画用紙やペン代を捻出する為の新聞配達や瓶集めも苦じゃなかった。
俺はそこでひたすら絵を描きまくった。日が暮れるまで。時には日が暮れても。
誰にも見てもらわなくてもいい。自分が満足さえしていれば。本気でそう思った。
ある日、湖畔で絵を描いていると、一人の少女が近寄ってきた。
そいつは勝手に俺の絵を覗き込んできたんだ。
俺は反射的に絵を隠した。だが、そいつはもっと見せてとせがんできたんだ。
俺の絵を見たやつは、どうせ俺のことを嘲笑う。どうせ俺の絵を理解できるやつなんかはいない。そう知っていた俺は断った。人に見せるものじゃないと。
そしたら、そいつは不思議そうな顔して『絵は人に見せるものでしょ?』
と言ってきた。
少しはっとさせられたよ。俺は、誰かに見てもらうという選択肢を捨てて、絵を描いてきたんだから。
『誰にも見てもらえない絵なんて、絵がかわいそうだよ』
と、その少女は俺の隣に座ってきた。
『絵が...かわいそう?』
『うん!だって絵は誰かに見てもらうために生まれてきたんだから!そうでしょ?』
なんだか不思議な娘だった。
気が付けば俺は、その子に自分の描いた絵を見せていた。
他人に絵を見せたのはいつぶりだったんだろうか。
普段なら他人に絵を見せるなど、絶対にありえないはずだった。
しかし俺は、自分でも不思議なくらい、その娘には心を許していた。
その娘は俺の絵を見て、目を輝かせて喜んでくれた。
綺麗でとても上手だとも言ってくれた。
『上手...?俺の絵が..?』
『うん!とっても!』
今までゴミ扱いにしかされなかった俺の絵を。
他人に絵をみせて、喜んでもらえたことなんて、今までほとんどなかった。
俺はいままでに感じたことのない高揚感に包まれた。他人に絵を喜んでもらえることが、こんなにも嬉しかった。
聞けばその娘は孤児院の娘だったらしい。
遠足でたまたまここへきていたんだと。
遠足は年に1.2回程度しかなく、いつもロクなところへ行けないとぼやいていた。町のいろいろな様子をほとんど見たことがないらしく、知らない場所はいつも本で想像しているんだと言っていた。
『君はパパとママはいる?』と聞かれた。いるにはいるが、ロクな連中ではないと答えた。
『そっか、私はパパもママもいないんだ。...うらやましいな。』
『羨むほどのものじゃない』
『ううん。ひとりぼっちよりはうんといいよ。...あたしもね、いい子にしてたらきっと私をもらってくれる人が来てくれるって院長先生が言ってたの!そしたらね私、きっとパパとママにうんと甘えて、今まで行ったことのないところにも連れてってもらうんだ!遊園地とか、映画館とか、それと...学校とか。それが...私の夢。』
『夢...。』
『君は何か夢はないの?』
『さぁ...絵が描ければ、それでいい。』
『そっか、じゃあ君は絵描きさんになるのが夢だ。』
そういって彼女は俺に微笑んでくれた。
その日から俺は、その娘がいる孤児院に頻繁に通うようになった。
もちろん、中には入れないから、フェンス越しに俺の絵を見せた。
自分の絵、風景画、町の絵、学校、季節の動植物。いろいろなものを描いて見せた。
そのたびに彼女は眼を輝かせて喜んでくれた。
中でも、街を映した絵は特に喜んでくれた。
彼女にとっては馴染みのないその世界が、とても新鮮だったんだろう。
あの娘が見たいというものがあれば、たとえ険しいところでも行って描いた。
俺はいつしか、自分が描きたいものよりも、彼女が喜んでくれる絵を描くようになっていた。
あの娘が見せてくれるあの笑顔が、俺の活力だった。
しばらくして、両親に絵をまだ描いていることがバレてしまった。
俺は酷く叱責を受けた。たかが絵をかいてるだけだってのにな。
そして隠し持っていた道具やスケッチブックすべて処分された。
まだあの娘に見せていない絵までもが。
そして俺は、不要な外出を禁じられた。
俺はあの娘に会いに行くことができなくなっていた。
早くあの娘に会って絵を見せてあげたい。
そう思う気持ちはいつまでも消えなかった。
しばらくした日、両親がそろって外出した。
外出の際、お前は外へ出るなと釘を刺されたが、当然守る気はなかった。
俺は自宅にいた間、ノートの1ページに想像だけであの娘の絵を描いた。
これを見せたらあの娘はどんな反応をしてくれるんだろうか。
はやる気持ちを足に乗せて、俺は孤児院へ急いだ。
だが、その娘はすでにいなかった。
聞けば、つい先日、里親に引き取られたらしい。
俺が、ちょうどこの絵をかいていた、そのくらいに。
俺は、なにか目標を見失った気がした。
ぽっかりと心に穴が開いてしまったような感じがいつまでも消えなかった。
別にあの娘が幸せに暮らしてるならそれでいいじゃないか。きっと今頃、あの時語った夢を叶えているころだ...。
そう、自分に何度も言い聞かせた。
そして俺は再び筆を取った。たとえ両親から猛反発を受けようと、誰からも笑われようと、絵を描き続けた。いつかまた、あの娘に、成長した俺の絵を..見てもらう為に。
それから数年が経ったある日、風の噂で聞いた。
あの娘が死んだということを。
それは病死でも、事故死でもなく..衰弱死だった。
なんでも、あの時の里親がとんでもないイカレ野郎だったらしく。
引き取ったあの娘を自宅で軟禁し、酷い虐待を繰り返していたんだと。
最期見つかった時には、トレードマークの金髪は黒くボロボロになって、体重は10代少女の平均にも遠く及ばないものだったらしい。
.........................。
あの娘は、最後まで、家族と自由を知らないまま..死んでいった。
俺の心の中に、黒い何かが蠢き始めたのはきっとそれからだ。
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「それからというもの、俺は絵を描く度に、あの娘のことがフラッシュバックした。何度も、何度も忘れようとした。だが、忘れられなかった。」
悲しみに暮れるワイズの様子は、先ほどまでの威圧的なものとは大きく異なり、年相応の哀愁さが感じられた。
ミッシェルはただ黙って、曾祖父の言葉に耳を貸した。
「そして俺は,,何かに操られるように、一枚の少女の絵を描き上げた。」
「それが...メアリー,,?」
「...せめてもの、俺なりの弔いだった。せめて..絵の中でだけでも、幸せでいてほしかった。自由でいてほしかった。」
ワイズは右手で鉛筆をとると、紙切れの端に少女の顔を描いた。
「だが、実際は違った。ここの世界で、俺は自分が何をしたのかを、思い知らされることになった。」
ワイズは苦い顔をする。
「ここでのあの娘は、俺のことを父親と呼び、絵画の女のことを姉と呼んで、そして、いつも外の世界のことを夢見ていた。お前も知ってるだろ?」
「...ああ。」
「あの娘は、この世界でも、家族と自由に飢えてた。俺が..願ったことと真逆に生きていた。.....。」
少しの沈黙の後、ワイズは再び口を開く。
「俺は...残酷なことをした。死してもなお、孤独と不自由の枷を、彼女にかけてしまったんだ。」
「それが...あんたの罪..。」
「あの娘は、メアリーは、絵としての原罪を背負ったまま生かされている。俺はあの娘に、ロクに顔向けすることもできなかった。」
自責の念に苛まれるワイズの背中は、随分と小く見えた。