Gerthena 作:mashi
釈放後、彼らは再びウォーレン家へ訪れていた。今度は正式な招きを受けていることは説明するまでもない。
昨日の一件において荒らされたリビングは、元通りとはいかなくても、ある程度の片づけがなされていた。しかし、傷のついた壁紙や、割れた食器の破片など、その傷跡はその凄惨さを物語るに十分だった。
「・・・どうぞ」
「どうも、おかまいなく・・。」
二人の前に差し出される紅茶は紅いながらも鮮やかに透き通り、カップの底についた小傷までもがはっきりと分かる程のものだった。
ミッシェルはその紅茶を手にすることなく、その紅い鏡に映った自身の顔をぼぅっと見つめているだけだった。ここにきて今までの疲れが出てしまっているのだろうか。思い返せば、ずっと極限の状態を保ち続けていたのだ。
アドレナリンという鎧が外れてしまった今、そこにいるのはただのくたびれた青年だった。
「どうぞお召し上がりになって。疲れているのなら、砂糖やお茶菓子を。」
その疲弊した様子はウォーレン婦人にも見透かされているようだった。
「ええ、ご心配なく」
彼はそんな疲弊した様子を見せまいと、ぴたっと止まっていた体を半ば無理やりに動かし、紅茶へ砂糖とミルクを入れる。
先ほどまで透き通るほどの鮮やかさを持ったそれは、ミルクという不純な絵の具によって、一寸先すらも見えないどんよりした、まるで煙の中の世界と言えようものへと変貌した。
まだミルクが混ざりきっておらず、滞留しているその様を見て彼なら何と名付けるのだろうか。そんな余分なことに頭を使うべきでないと分かっていても止められなかった。それは彼の無意識が生んだ現実逃避なのかもしれない。
「しっかりしろよ。ダルいんなら少し寝るか?」
あれだけのことがあった後でも、ヴィラはまるで何事もなかったかのようにケロっとしていた。
彼のカップにはすでに空になっていた。カップの底にわずかに残った紅茶が澄んだ色をしていることからも、彼は紅茶は何も入れずに飲むのらしい。
「いや、大丈夫だ。話を進めましょう。」
彼は紅茶を一口含むと視線を前方向へと据えた。
ミッシェルのテーブルの向かいには、先ほどの彼と同じく、手付かずの紅茶がわずかな湯気を躍らせ、佇んでいた。
そしてその紅茶の主もまた、紅茶の映し出す自分の姿を眺めていた。
「・・・あなた」
「ああ」
その主人は手のひらで目をぐっと抑え、深呼吸をし、ミッシェルと目を合わせた。
「その、どこからお話すべきかは、悩ましいところですが、異常なことが起こっていることはご理解いただけていると思います。」
「・・・ええ」
主人の目はうつろなもので、その目の焦点が自分に合っているのか疑わしいほどだった。
「メアリーとは・・何者ですか・・・?」
「彼女は」
ミッシェルは例の切り抜きを夫妻の前に出した。
「私の曽祖父、ワイズ・ゲルテナが描いた作品です。」
それを手にした両親はまじまじと切り抜きを眺める。
「この娘は、存在しない絵だというのですか?そんな子を、私たちは家族として迎え入れていたのですか・・?」
「ええ、そうです。」
「信じられない・・。」
主人は側頭部を指の腹で掻き、眩しい光でも見ているかのように目を細めた。
「ゲルテナって・・。」
主人の横に掛けていた婦人が、主人の手にしている写真をのぞき込み、そうつぶやいた。
「あなたってゲルテナのお孫さんなの?」
「ええ、正確には曽孫にあたります。」
「本当に!それは凄いわ!私、彼のファンなの!会えて幸栄だわ!」
婦人は胸の前で手を握って、目を輝かせた。昨日の一件からこの気持ちの切り替えようにはその場にいた男性陣全員があっけにとられる程だ。
「・・・ママ」
主人が苦言を呈すかのように、婦人に声をかける。
「あ・・・ごめんなさい。不謹慎だったわ。」
「いいえ、お気になさらず。私も、もっと違う形でお会いできればよかった。」
ミッシェルは再び紅茶を啜る。それはすでに冷めかけていた。
「でも、そんな彼の作品がどうして?」
「彼の作品は、曰くつきなんです。」
「・・!聞いたことあるわ!動く石像に、見るたびに変わる絵なんかがあるって。でも、彼の作品はつい最近見に行ったの。でも、何もおかしいことなんてなかったと思うけど。」
「セントラル美術館の初日ですね。」
「ええ。ご存じなの?」
「メアリーを追跡するために、失礼ながら少々調べさせていただいたのです。」
ミッシェルは懐からメモ帳を取り出し、そこの間に挟まった写真を取り出した。
「あなた方が初日に感じた異変がお聞かせいただきたいのです、それと、この男性について見覚えは・・・。」
その写真を手にした夫妻は首を傾げた。
「いえ、美術館では特に変わったことは、この男性も・・。」
・・・・・・
紅茶を飲み終えたヴィラは少々暇を持て余していた。ここから先はミッシェルが話を進める。自分の出番は今のところないと悟った彼は、散歩でもしようかと席を立とうとするが、その部屋の隅に置かれたソファーに、赤毛の少女が膝を抱えるようにして座っているのが目に留まった。
その目はあまりにもうつろで、寝不足とも、絶望とも捉えることができた。
その姿を見かねた彼は彼女の横に腰を据えた。
彼としても、先日の出来事に責任感を感じていたのだ。
「よォ、お嬢ちゃん。ちゃんと眠れたかい?」
その問いかけにも、彼女はうんともすんとも言わなかった。
するとヴィラは少女の目の前に手をかざした。そしてその手には1ポンド硬貨があった。
「1・2・3」
その掛け声と共に彼が手を振るとその硬貨は瞬く間に姿をくらませた。
さすがにその光景には少女もはっとめを見開いた。
「さて、1ポンドはどこに消えた?あいつはワガママだからな。ちょっと目を離すとすぐこれなんだ!」
ヴィラは両手をひらひらさせて何も持ってないことを暗に示した。
「こいつは美人に目がなくてね。例えばお嬢ちゃんの髪の毛の中に隠れてるかもしれねぇ。ちょっと失礼。」
そういうとヴィラは少女の眉間の前に指を持ってくると、そっと前髪を軽くつまんで引く仕草をして見せた。
「そら!捕まえた!」
その声と同時にヴィラの手元には再び1ポンド硬貨が現れたのだった。
その様子を見た少女はその時初めてクスっと笑った。
わりと単純なコインマジックだが、相手の気を引くにはうってつけだ。本来は肩に手をまわして、もみ上げあたりから出すことで相手の女性との距離感を縮める、ヴィラの口説きテクニックだが、今回は少女用に少しアレンジを施したものだった。
「やるよ。お前さんが気に入ったんだとさ。」
そういうと彼は少女の手に1ポンドを手渡した。
それを見て少女は少し困惑気味だった。
「冗談さ。ジュースの足しにでもするといいさ。」
「・・・ありがとう」
少女は再び、微小の笑みを浮かべた。彼もそれにつられるように口端を上げ、ソファーへ背を任せた。
「そういえば、名前聞いてなかったな。俺はヴィラ。お嬢ちゃんは?」
「・・・イヴ。」
イヴはうつむいたまま答える。
「そうか、イヴか。いい名前だ。きっと幸せになれる。」
「・・・・・・」
「ウソじゃねぇ。将来はあのケイト・ベッキンセイルを超える女優にだってなれるさ!」
イヴの顔にさっき浮かべた笑みはすでに消えていた。
「・・・・よっぽどなことがあったんだ。忘れちまっていいぞ。その方がラクだ。」
「・・・メアリー・・・」
その言葉を聞いヴィラははっと目を見開く。
「イヴ・・・いいか?あいつのことは忘れろ。ヤツは君の家族なんかじゃない。」
「・・・うん。」
たとえ偽りであっても情が沸いてしまったのか。そんな不安をヴィラは感じた。
「よし!気分転換だ。もう一つとっておきのコインマジックを見せてやろう。これ見たら、今までの悩みなんてどっかに消えちまう!ネタバレ厳禁のを・・・・」
そうヴィラが懐に手を入れ、小銭を引っ張り出そうとしたその時、彼の懐からひらひらと一枚の写真が落ちてきた。
「ああ、失礼。これは・・関係ねぇな。」
彼はしゃがんでそれ拾う。
それは、あの美術館で行方が分からなくなっていた男性、ギャリーの写真だった。ミッシェルから写しをもらっていたのだが、特に使うことはなく、懐に入れたままにしていたものだったからか、存在を失念していた。
ヴィラがその写真を確認し、懐に戻そうとすると。
「・・・・それ。」
イヴがヴィラに向かって言葉を発した。
「ん?ああこれか?まぁ、この事件の被害者・・とでも言っておくか。あの美術館で行方不明なんだとよ。あいつが言うには、絵の中に閉じ込められたんだとか。流石に信じられねぇよな。」
「見せて・・・」
ヴィラは言われるがままイヴに写真を手渡す。イヴは目を見開いてまじまじとそれを見つめた。
「はは。そういうオトコが好みか?年頃ってヤツだな。」
ヴィラはケタケタ笑いながら、イヴの横に再び座った。しかし直ぐに、イヴの様子がおかしいことに気が付く。
写真を見つめるイヴの顔はだんだんと青ざめていき、呼吸は少しづつ荒くなっていった。
「・・・おい?どうした?気分でも悪いか・・?」
その息はさらに荒さを増し、瞳には涙をも浮かべた。
「やめよう。これ以上は辛いことを思い出すばっかりさ。少し横にでもなりな。」
見かねたヴィラはイヴから写真を取り上げようと手を伸ばした。その時
「ギャリー・・・。」
ヴィラの手はピタッと止まる。
「は?」
「ギャリー・・・ギャリー・・・・」
イヴの写真を握る手は強くなり、それがくしゃくしゃになってしまうほどだった。
「まて。なんでそいつの名前を知ってる?」
「イヴ?どうしたの?」
異変に気が付いた婦人が二人のもとへやってきた。
「どうしたの?なにこれ?」
婦人が写真に手を伸ばすが、ヴィラがそれを制した。
「待ってくれ奥さん。ちょっとこの子に確認したいことがある。」
「ええ?」
たじろぐ婦人を横目に、ヴィラはイヴに問いかける。
「イヴ、この男を知っているのか?」
彼の表情も真剣なものになる。
「わからない・・・!」
イヴは強く首を横に振った。
「でも、知ってる。ギャリー・・。私を、助けてくれた・・。」
「こいつは絵の中・・・ってことは!イヴ、お前も?」
「わからない!」
イヴは再びうずくまる姿勢をとった。
「ねぇ、ヴィラさん。どうしちゃったの?イヴは・・。」
「悪い、奥さん。もしかしたら、この子は何かを知ってるのかもしれねぇ。おい!ミッシェル!」
・・・・・・・
「どこまで思い出せる?」
ミッシェルは膝をついて、イヴに問いかける。
「美術館・・・で。気が付いたら私一人だった。そこで、絵とか、石像とかが襲ってきて・・・。」
「そうか。そこで彼と会った?」
「・・・多分。夢・・・だったのかな?」
「いいや。夢なんかじゃない。俺も同じような体験をした。」
「え?」
「俺も、子供のころ、あの絵の中へ引きずりこまれた。君の言う通り、絵や石像があらゆる形で襲ってきた。そして、メアリーもだ。」
「・・!メアリー!」
イヴははっと顔を上げた。
「君もそこで彼女と会ったんだね?」
「・・・・・・」
その様子を夫妻は身を寄せ合って見守った。
「彼女にも襲われた?」
彼女はこくりと頷く。
「ギャリーが・・守ってくれた・・。身代わりになってくれた・・!」
「そうか・・。」
「なぁ、ちょっといいか?」
そこへヴィラが割って入る。
「メアリーは二人を襲った。二人がターゲットのはずだ。じゃあなぜ君は戻ってこれた?そしてなぜヤツはここの家族になった?」
「・・・・わからない。」
当然といえば当然の回答だろうか。
「ここを拠点にするつもりだったのかもな。見た目はただの少女だ。一般家庭の子供として振る舞えば、怪しまれない。つまり、利用されていたんだ。」
ミッシェルは考察を立てる。そしてそれは概ね合っているだろうという確信があった。
「なるほど、いけ好かねぇ野郎だ。」
「メアリーは・・ずっと一人ぼっちだった・・。」
イヴがそう発すると二人ははっと彼女のほうをみた。
「イヴ!待つんだ!彼女に同情をくれてやるな!あいつが君たちにしたことを思い出すんだ。」
ミッシェルは必至にイヴの発言を制した。
メアリーの洗脳が解け切ってないのか。そんな不安よぎる。
「話を戻そうぜ。で、ギャリーはお前を守った。そのあとどうなった?そこまで覚えてるか?」
「・・・動かなく、なってた。」
その場にどよめきが走る。
「・・死んだってのか?」
「・・・わからない。」
イヴは力なくうつむいてそう答えた。その時、
「ああなんてこった!」
そう取り乱したのは主人だった。
「メアリーってのは、人をも殺してたってのか!?そんな奴を僕たちは・・!」
「あなた!落ち着いて!」
婦人は必死になだめるが
「落ち着いてられるか!あいつはこの絵に入っていったんですよね!?」
そういうと主人はメアリーが逃げ込んでいった絵の額縁を、壁から降ろすと、そのまま床に叩きつけた。
バン!と大きな音を立て、額縁は折れ、ガラスは割れて飛散した。
「ああ!なんてこと!ロイラーの絵、高かったのに・・。」
「絵ならまた買えばいい!だいたいこの絵薄気味悪くて嫌だったんだよ!」
割られたその絵は故ロイラー・スイフト作の「木林」という絵だった。薄暗く霧のかかった木々にわずかな光が差し込んできている。婦人が気に入って購入したものらしい。
「そんな!あなただって賛成してくれたじゃない!」
「まぁまぁ!落ち着きなって!今は夫婦ゲンカするほど暇じゃない。そうだろ?」
ヴィラに仲裁されて、落ち着きを取り戻した二人だった。
「しかし、これからどうするんです?」
「そりゃそうだな。どうするんだ?」
三人の目線はミッシェルに移る。
「美術館へ行く。彼を、ギャリーを探しに」
「・・正気かお前?」
ミッシェルは無言でうなずく。
そして再びイヴに向かう。
「話してくれてありがとう。ギャリーは必ず連れて帰る。だから、安心してくれ」
彼なりの精いっぱいの励ましだった。こんなの気休めにもならないことくらい百も承知だ。
「おいおい。ギャリーを探すって、どうやって!」
ヴィラがミッシェルに詰め寄る。
「まさか、絵の中に入って探すだなんていわねぇよな?」
「そのまさかだと言ったら?」
「・・・強い酒が要る」
ミッシェルは荷物を抱えると、家を出る準備をした。
「すみません。お邪魔しました。」
彼はそう夫妻に告げる。
「大丈夫なの?」
婦人は不安そうに尋ねる。
「我々なら、ご心配なく。それと、これを。」
そういうとミッシェルは小瓶を取り出し、夫妻に手渡す。
「これは?」
「シンナーです。絵を溶かす材料です。絵から出てきた者たちにも有効です。申し訳ないですが、解決するまでは、ご自身の身は、ご自身で。」
「・・わかった。君たちも無事で!」
・・・・・・・
ミッシェルとヴィラは玄関に向かい歩を進める。そして玄関をでようとした瞬間。
「私も行く!」
振り返ると、その声の主はイヴだった。
「イヴ。ダメだ。これ以上危険な目に合わせられない。」
「そうだぞ、こんなのは命知らずのバカの仕事さ。」
「・・・でも。ギャリー・・。」
ミッシェルはしゃがんでイヴとの目線を合わせる。
「心配しなくていい。彼は無事さ。俺たちがその証明をしてくる。」
ミッシェルはイヴの肩をポンと叩いた。
「必ず戻る。いいね?」
イヴは無言で頷いた。
「それじゃ」
「もし」
イヴの言葉に二人は足を止める
「もし、ギャリーに会えたら・・ありがとうって伝えて・・。」
「ああ、わかった。」
そういうとミッシェルは再び玄関にてをかけ、外に出た。
ヴィラも、最後にイヴにじゃあなと言うと、ミッシェルに続いた。
玄関に一人残されたイヴは部屋に戻ろうと、リビングのほうへ向かおうとする。
その際に、やたらに汚れほつれた青い人形が玄関の隅に放置してあったのが目に留まった。
たしか・・・あれは・・・・
おそらくメアリーが持ってきたものだ。そう自身に言い聞かせると、イヴはそれを無視して部屋に戻った。
ロイラー・スイフトも架空の人物です。