俺は
いつも能面のような張り付いた笑顔で、なにかあれば「ごめんなさい」と言う。いや、「ごめんなさい」とばかりに頭を下げる。
変なヤツだと思った。気味が悪いと思った。
だけどそれは違ったんだ。
あれは西宮なりの処世術だった。
笑顔の人間を罵倒するヤツはいない。
謝罪している人間を殴りつけるヤツはいない。
つまりそれをやった俺は人間のクズということだ。
はぁ、自己嫌悪。
あの頃の俺の敵は「退屈」だった。善とか悪とか小難しいことは考えなかった。ただ楽しければよかったんだ。退屈に打ち勝つために色々とバカなことをやった。思い返せば本当にバカなことだ。
痛みの伴わない教訓に意味はないってのは本当だと思う。
保健室に続くリノリウムの廊下を歩きながら、そんなことを考えていた。
「失礼しまーす。って先生いないや。どーする? 石田」
「……ちょっと横になる」
「そっか。で、何で泣いてたんだ?」
こいつは訊きにくいことをはっきり訊いてくる。なんでもない、って言っても納得しないよな。
「昨日、遅くまでゲームやって寝不足なんだ。目がシパシパする」
「……ふ~ん。そんならいいけど」
植野はそう言うと部屋の隅に置いてあった丸イスをベッドのそばまで持ってきて腰を下ろした。
「なぜ座る」
「おまえの看病って名目で堂々とサボれるからな。おまえは気にせず寝てていいぞ」
俺をダシに使うのは止めてほしいが、こいつと言い争うよりも考えを纏める方が先だ。植野に背を向ける形で横になる。
死んだらタイムスリップしたってのはマンガや小説では聞いたことあるが、実際に体験するとは思わなかった。
いや、タイムスリップとは違うか。なんつったっけ……そう、タイムリープだ。
まあ、どっちでもいいか。とりあえず寝る。起きてもこのままなら、受け入れよう。
意外にも俺はすんなりと眠りに落ちた。目覚めたのは一時間目の終わりを告げるチャイムだった。
目を開けて、最初に飛び込んできたのは植野の顔。どうやらこの事態は夢ではなさそうだ。
「将也、大丈夫か?」
教室に戻って一番に声を掛けてきたのは、ひとりの男子だった。一瞬誰だか分からなかったが、それは俺の脳が思い出すことを拒否したからだろう。当然いるよな。むしろいない方が驚く。
「ああ、大丈夫だよ」
この時期はまだ
「はっはっ、全然ヘーキ!」
「お、おう。そりゃよかった」
自分では上手く笑ったつもりだったが、こいつの反応を見ると引きつってたみたいだな。
その時、自分の肩が叩かれたのに気づいた。
振り向くとそこには、西宮硝子がいた。二度目だというのに、またしても心臓が跳ねる。
そうか、こいつ声かけらんねぇから。
『大丈夫ですか?』
「え? ああ、『大丈夫』だよ」
俺が返事をした瞬間、西宮は鳩が豆鉄砲を食ったように目を見開いた。
あ、俺いま手話――。
『手話、できるんですか?』
西宮はノートを置いて、手話で話しかけてきた。
『少しだけ』
『どうして?』
どうして、どうしてか。確かに健聴の俺が手話を使えるのは、おかしいといえばおかしな話だ。一番しっくりくるのは、家族や友人がそういう人だということだろう。手話教室に来ていた人たちも大半がそんな人たちだった。すまん、
『祖父ちゃんが戦争で耳をやられちゃってさ。戦後の混乱でまともに治療も受けらんなくて、そのまま聞こえなくなったんだ。それで覚えた』
『そうですか。ごめんなさい、ご家族のこと、辛いですよね』
『全然大丈夫。祖父ちゃんはピンピンしてるし、腕や足を失った同胞に比べれば、自分はツイてたって笑ってたくらいだから』
『ならよかったです。あの、よければまた、お話してもらえますか?』
『もちろん、いつでもいいよ』
俺がそう返すと、西宮ははにかむように笑った。いつも感じていた作り笑いではなく、それは本心から零れ出た笑顔だと思った。
と、そこで俺は教室内が妙な空気になっていることに気付いた。
考えてみれば、ふたりして手をパタパタさせているようにしか見えないだろうからな。
「将也、それ手話ってやつだろ?」
そう言ってきたのは島田だ。こいつはどこでこういう知識を仕入れてくるんだろう。
何と返そうか考えていると、二時間目の開始を告げるチャイムが鳴った。
みんなが慌てて席に戻り、俺もそれに倣う。
すんなりと"言葉"が出てきたのは、自分でもビックリだった。ついぞ使う機会がなかった手話を、死んでから使うだなんて、人生ってのは分からないものだな。