教室では西宮を含めた女子たちが、ノートを介して談笑していた。このまま仲良くなってもらいたいが、そうはならないことを知っている。
だが、一番の元凶だった俺がおとなしくしていることで未来が変わり、このまま何事もなくみんなと仲良くなれるのではないのだろうかという期待もあった。
俺の視線に気づくと、西宮はさりげなく手話を送ってくる。片手の手話なので、精々が中級者の俺には難しくもあったが、なんとか返事を返す。
そしてそれを目ざとく見つけた植野が俺を蹴る。意味が分からん。
「なぁ、なんでおまえ、あいつの事そんなに構うんだよ」
「……そうだな。例えば、みんなが英語で話して盛り上がってるのに、自分だけがそれを理解できずに置き去りになってる、って感じかな」
上手い喩えとは言えないが、意味するところは伝わったと思う。
「……そんで同情して優しくしてるわけか?」
「
自分にできる西宮への贖罪なんだ。と言っても植野には何のことか分からないだろう。この世界では起こってもいないことだ。
「みんなが、みんなが少しだけでも、西宮のことを"理解"してくれればいいなって思ったんだ。だから、植野にも協力してほしい。頼むよ」
「ほぉー、このあたしに頼む、ねぇ」
「あ、ああ、頼むよ」
「そっか、そっか。しょうがねぇなぁ石田は。仕方ない、協力してやるよ」
さっきまで不機嫌そうな顔してたのに、もう笑ってるよ。分からない女だ。
それからしばらくは平穏な日々が続いた。空気がおかしくなったのは合唱コンクールの練習が始まってからだ。
結論から言えば、音痴の西宮をどうするかという話だ。参加することに意義がある派と、口パクを促す派の対立だった。
結局それは口パク派の勝利で幕を閉じた。
「で、それを西宮に伝えろと」
「うん。石田くんが一番西宮さんと仲が良いし、お願い」
「分かった、伝えておくよ」
「ありがとう、石田くん。お願いね」
そして放課後、俺は西宮の肩を叩いた。
『一緒に帰らないか?』
それを聞いて西宮は驚いたようだ。確かに家が近所というわけでもないのに、男子と女子が一緒に帰るというのは、からかいの対象になってもおかしくない。だが、どうせ他のやつらには分からないのだから関係ない。
西宮は戸惑いながらも了承した。
『校門を出たところで待ってる、後から来てくれ』
そう伝えて足早に教室を出る。
たいした時間も待たずに西宮はやってきた。
『待った?』
『そうでもない。じゃあ帰るか』
西宮が相手だと話しながら歩くというのが中々難しいことに、今さらながらに気付いた。西宮と"会話"するには、当然手の動きを見なければならない。あまり集中し過ぎると前方の注意が散漫になる。
自然と歩みは慎重になるし、何人かの児童に抜かされた。その度に奇異な視線を向けられる。
しょうがなく俺たちは近くの公園のベンチに腰を下ろした。そろそろ伝えないとな。
『合唱コンクールのことだけど……』
『分かってる。歌っているふりをすればいいんでしょ? 大丈夫、いつものことだから』
西宮は寂しそうにそう言った。
障碍者が頑張れば頑張るほど、健常者の手間は増える。それを面倒だと思う。根気よく付き合ってくれる人ばかりじゃない。むしろそんな人は稀だ。
西宮は色んなことを諦めてきたんだろう。頑張っても報われなくて、邪険にされて、頑張らなくていいと言われる。
悲しいけど、悔しいけど、それが現実だ。
『西宮、カラオケ行かないか?』
それは口を衝いて出た言葉だった。合唱コンクールで歌えなければ、今歌えばいいという短絡的な考えだったのかもしれないし、以前に手話教室で聞いた、耳が聞こえなくても音楽やカラオケを楽しむ人はいる、というのが記憶に残っていたのかもしれない。
ともかく、一度出した言葉は引っ込められない。
『嫌ならやめとくけど……』
『――行きたいッ!』
意外にも西宮は乗り気だった。小学生ふたりだから受付で止められるかと思ったが、問題なく部屋へと案内された。
お金はなんとかなった。こっちに来てからほとんど使ってなかったから。
言うまでもないことだが、西宮は音痴だった。