放課後、俺は職員室に呼び出された。呼び出したのは音楽教師の喜多先生だ。この先生は合唱コンクールで西宮を「歌わせたい」筆頭で、なんとかクラスのみんなを説得しようとしていた。その結果、竹内と対立することになり、結局は西宮が辞退することで決着となった。
それを申し訳なく思ったのか、今度はクラスのみんなで手話を覚えたらどうかと言ってきたのだ。俺に話を持ってきたのは、手話ができるからだろう。前回はこんなことはなかった。
「あの、喜多先生は手話できるんですか?」
「ううん。だからこの機会に覚えようと思って。石田くんと西宮さんに先生役になってもらって」
ああ、やっぱりか。悪い人ではないんだけど。
「あの、こういうのって強制するものじゃないと思うんです。「やらされてる」って感じると、その反感が西宮に向かうかもしれませんし」
「そんなことないわ。みんな良い子たちだもの」
担任でもないのによく言えるな。ん? 担任――。
「竹内先生に話はしたんですか? みんなで覚えるってことは竹内先生も参加するってことですよね?」
「そうね、私も竹内先生も頑張って覚え――」
「――ちょっと待ってください」
自分の名前が上がったことに気付いたのか、竹内は身体をこちらに向けた。
「確かにホームルームの時間を使って手話の勉強をするという話は伺いましたが、私は喜多先生が教えるものだと思っていました」
「そ、それは言いそびれただけで、みんなで覚えていけばいいと思いまして……」
「児童に教師役を押し付けるとは聞いていません。みんなで覚えると言えば聞こえはいいですが、それは教師として恥ずかしいと思いませんか?」
相変わらず辛辣だな。西宮の面倒をクラスに投げたおまえが言うなと言いたい。竹内の気迫に押されたのか、喜多先生は俯いて黙りこくってしまった。
「石田、最近はおとなしくしているようだな。そのまま卒業まで面倒事を起こすなよ。それと西宮のことも頼むぞ」
「うぃっす」
最後にありがたい忠告を残して竹内は席に戻って行った。
次はこっちだな。
「喜多先生、自主的に手話を覚えようとしているやつもいます。植野とか佐原とか。そういうやつらが集まって、放課後に西宮と交流しています。喜多先生も時間があれば顔を出して下さい。きっと西宮も喜びます」
「喜ぶ、かな。合唱コンクールでは、彼女に酷いことしちゃったし……」
「あれは、先生だけが悪いわけじゃありませんよ。むしろ西宮が参加して散々な結果になっていたら、西宮の立場ももっと辛いものになっていたかもしれません。俺はこれで良かったと思っています」
「そう、なのかな。うん、じゃあ私も時間を作って会いに行くようにするね」
ようやく喜多先生は笑顔を見せた。
なんで俺は先生を慰めてるんだろ。
前とはものの見方が変わったせいか、あの頃は見えなかったものが見えるようになった。
例えば竹内のこと。
あいつの机の上には採点前のテスト用紙やら、お知らせのプリントやらが散乱していた。教師が多忙というのは聞いたことがある。あいつも例外ではないだろう。
俺は今まであいつのことを、
通訳はおろか、手話ができるやつもいない。受け入れるシステムやサポートもまるでない。もちろん聴覚障碍者に対する教育法なんて学んでいないだろう。
要するに余裕がなかったんだ。そう思えば、あいつに対する憎しみとか苦手意識も薄れていった。
例えば植野のこと。
あいつも西宮を虐めていたひとりという記憶だったが、俺に乗っかってただけなのかもしれない。今回では仲よくやっているように見える。
例えば佐原のこと。
前回はひとりだけ手話を学ぶことが「点数稼ぎ」だと思われ孤立することになり、遂には不登校になった。だが今回は手話学習の件が無くなったことと、俺が手話をできるせいか、放課後の交流会の常連になっている。
「スタートの合図で肩を叩けばいいんじゃないかな?」
「そもそもこいつはドンくさいじゃんか。徒競走は無理だって」
「じゃあ障害物競争は?」
「障碍者に障害物競走やらせるのか。アンタにしちゃ洒落が効いてる。でも絶対PTAから苦情くるぞ」
「なら二人三脚は?」
「それはあたしと石田がやることに決まってるから却下」
何故か俺の出場競技が勝手に決められていた。
『西宮はやりたいのある?』
『みんなとできる競技がいいです』
「団体競技がいいって」
「ほら、こいつもそう言ってるし、玉入れでいいだろ。どうしても走りたいならリレーの真ん中だな」
そう言って植野は締めくくる。正式に出場競技を決める学級会議の前に、俺たちだけで希望や方針を決めておこうというのが今日の議題だった。
植野や佐原はあいさつやいくつかの単語は覚えたが、まだ"会話"は無理だ。それでも手話を覚えようとしてくれることが西宮には嬉しかったらしい。
俺がいじめを行わなかっただけで、多くのことが変化している。俺はそれを退屈とは思わなくなっていた。